声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第六章

百五十六話 相反する心と体


 結局、俺というやつはどうしようもないらしい。
 
 治療のためのプレイとはどういうものなのか、具体的にどうするものなのかを説明してもらった翌日、俺はトイレに行く途中で倒れた。原因は長期間プレイをしていないことによる不調だそうだ。
 元々良いとはいえなかった顔色だが、今は青を通り越して白になっているらしい。ベッドに寝転ぶだけの生活へと逆戻りしたことに、思わず「またか……」なんて言葉と自嘲がこぼれた。
 
 以前よりも第二性に対する理解は深まっているとは思う。だから定期的にプレイをしなければ身体は勿論、心も不安定になることくらいわかる。でもやっぱり思ってしまうんだよなぁ……例えばなんで俺はこうなんだろうとか、そんなことを。

(う……俺、また寝てた……?)
 
 プレイ不足で不眠症に陥るSubも珍しくない中、幸いなことに俺自身は眠れないなんてことはなかった。第三者から見ても俺はよく眠れている方だと思うし、寧ろ寝過ぎなくらいだろう。しかし体の疲れは取れても――まあ寝ているだけだから体自体は疲れていないだろうけど――心の回復や日々溜まっていく欲求を消化することは出来なかったらしい。
 
 ランクの高さは欲の強さに比例する。つまりSランクの俺は元よりその欲が一層強い……らしい。だからたくさん寝たとしても抱えきれないほどに溜まりきってしまった欲を消化することは出来なかったんだと思う。
 今はその消化しきれなかった強い欲求が溢れ出しそうで、でもそれをなけなしの細い理性が必死で止めているような状態だった。けれどきっとこれも長くは持たない。だって少しでも気を抜いたら最後、俺の思考は駄目な方向へといってしまいそうだから。

「……っ」

 先に言っておくと俺は別に死にたいとかそういうことを思っているわけじゃない。けれど自分が何者かすらもわからなくなってしまうくらい無茶苦茶にして欲しいとは思ってしまう。ぐちゃぐちゃになって、自分では動くことは勿論呼吸すら出来なくなるような――そんな自分を想像して身体が熱を帯び、そしてその想像に一気に血の気が引いていく。その繰り返し。

 抑制剤も使えないから、俺はこの溢れんばかりの膨大な欲求に自力で耐えるしかない。だがそれも時間の問題だろうな、なんて思った。

「弓月くん、このままでは……」

 遠くの方でそんな声が聞こえてきた。
 律樹さんよりも少し高い聞き馴染みのある声は竹中先生のものだ。だが不思議なことに彼が話しているということはわかるのに、話している内容を理解することができない。
 
 俺は少しだけ瞼を開いて先生がいるだろう方向を見た。しかし視界が霞んでいてよく見えない。
 ほんと、どうしようもない。肝心な言葉も聞き取れない耳、しっかり見ることのできない目。役に立たないならいっそのこと――っ、ちがう、そうじゃない。ああもう、なんでそんな思考回路になるんだ。俺はただ……ただ、なんだっけ。

「弓月くん」

 ……なあに、先生。
 やっと聞こえた俺を呼ぶ声。けれどその後に続く言葉をうまく聞き取ることは出来なかったが、俺は再び目を閉じながら竹中先生の声に反応するように小さく頷いた。

「――坂薙さん、俺の声を聞いて」
「……?」

 頭に何かが触れる。それと同時に聞き覚えのあるようなないような、そんな男の人の声が耳に入ってきた。竹中先生の時とは全く違う、やけにはっきりと聞こえるその声に俺は耳を傾ける。

「坂薙さん、Look俺を見て

 首の後ろの辺りがぴりっと痛んだような気がした。ゆっくりと瞼が開いていく。そうして僅かに開いた視界が捉えたのは一人の男性の姿だった。

 律樹さんとは全く違う茶色の短い髪が視界に飛び込んでくる。次は健康的な肌色、そして黒っぽい目。視線が合うと同時に俺の目は彼の黒っぽい目から外せなくなった。それに気がついたのか、男の人の口角が僅かに上がる。

Good boyいい子ですね

 髪の毛がくしゃりと撫でられる感触とともに、ほんの少しだけ思考が戻ってくる。だがそれも数秒のことで、次の瞬間には俺はその場に嘔吐していた。

「……っ、ぅ」

 どろりとした気持ちの悪い感覚がする。口の中だけじゃなく、身体中が気持ち悪かった。さっきまではっきりと聞こえていた声も、今はもう雑音にしか聞こえない。
 
 たくさんの人の声がする。もう何を言っているのかもわからない。言葉じゃなくてただの声にしか聞こえないそれは、俺にとってはただの雑音でしかなかった。

(おれ……やっぱりりつきさんじゃないと……)

 俺はそっと目を閉じた。今そんなことを考えたって仕方がない。もし例えそうだったとしても、もうどうしようもないことだ。

 あの日の光景が瞼の裏に浮かび上がる。瀬名家に行った、あの日だ。律樹さんはあれからずっと何かに悩んでいるようだった。あの日を境にいろんなことが変わってしまった。

 ふと、そういえばと思い出す。律樹さんの表情が一変し時のことだ。確かあの時、俺たちは写真を見ていた。あれは子どもの写真だったような気がする。その写真を見てから、律樹さんは何かに悩む──いや違う。あれは悩んでいたんじゃなくて、まるで怯えているようだった。

 何に怯えていたのかはわからない。きっと会って話をすればわかるんだろうけれど、今の俺には出来そうもなかった。
 もちろんお互いの体が許すなら会いたいと思う。けれどそれと同じくらい、会いたくないとも思う。嫌いだとか嫌だとかそういうのではなく、会ってしまえば否応なしに何かが変わってしまいそうな気がして怖かったから。つまり、ただ俺が怖気付いているだけの話だ。その証拠に今だって体が理由で会えないことにほっとしている自分がいる。

(……ばかみたい)

 俺に勇気があればきっとこうはならなかったはずだ。過去を悔やんだってどうしようもないのだとわかっていても、あの時律樹さんに「どうしたの」って聞けば良かった。そうすればタイミングを逃すことも、こうして二人して病院のお世話になることもなかったのに。

「っ……」

 視界が歪む。涙なのか、それとも別の何かが原因なのか。ただどろりとした気持ちの悪い感覚と体中の血の気が引いて寒くなってきたことだけはわかった。

 気持ち悪い、寒い、痛い――気持ちがいい。
 相反する気持ちと感覚が、頭と心と体をそれぞれ引き裂いていく。本能がもっともっとと求めるのに対し、心も身体もそろそろ限界だと悲鳴をあげていた。

 もういっそのこと手足を引きちぎり、目を抉り耳を削ぎ落とし、そして舌を引っこ抜いてしまえばいい。そうして一人じゃ身動きすらも出来ないようになってしまえばいいのに。
 
 そんな恐ろしいことを考えてしまう頭に、俺はもうどうすることもできない。もう、楽にさせて欲しい。呼吸さえまともに出来ないくらいめちゃくちゃにしてくれたら、もうおれは――……。


 

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