声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第六章

百五十九話 雨音の記憶②(律樹視点)


 俺と六花姉さんは顔を見合わせた。
 普段は声を荒げることもなく穏やかで優しい祖父が、知らない女性に対して怒鳴り散らしているという現実に俺たちは混乱した。何かの見間違いかもしれないともう一度玄関へと視線を戻してみたが、残念ながら俺たちの見間違いや聞き間違いではないようだ。
 俺たちは初めて聞く祖父の怒号にびくびくと肩を震わせながら襖を閉めた。

「今の誰……?」
「し、知らない……あっ、でもお母さんなら……」

 母なら何か知っているかもしれない。
 そう思って踵を返した瞬間、俺は小さくあっと声を上げた。
 
 そうだ、母さんはさっき出掛けたばかりだった。今日は隣町まで足を伸ばしてみようかなんて言っていたから、少なくともあと一時間は帰ってこない。
 出掛けているのなら連絡をすればいいのではと思うだろう。けれど残念な事に母さんの方は携帯電話を持ってはいても俺たちの方は持っていなかった。だから連絡を取るためにはまず祖父母宅の固定電話を借りるしかないのだが、それをしようとすれば必然的に玄関に行かなければならないため俺たちは躊躇した。

 そうこうしているうちにさらにヒートアップしてしまったらしい祖父の怒声が鼓膜を震わせた。自分たちに向けてのものではないとわかっているのに、無意識に身が竦む。

「……行こう、律樹」
「え?」
「お姉ちゃんと一緒に部屋に戻るわよ」
「えっ……でも……」
「ほら、はやく」

 多分姉さんも怖かったんだろう。強引に繋がれた手が微かに震えていた。

 俺たちはそっと居間を出て、自分たちに与えられている二階の部屋へと向かった。到着すると同時にぱたりと扉を閉めれば急に静かになる。怒声が小さくなり、俺たちはようやくほっと息を吐き出した。

「はぁ……怖かったぁ……!」
「俺、じいちゃんがあんなふうに怒ってるの、初めて見た……」
「私だってそうだよ。あーあ……外は雨だし、もうやんなっちゃう」

 よいしょ、と出窓に上りながらため息をこぼす姉さん。俺はそんな姉さんを見ながら、同じようにため息を吐いた。

「……怒られるよ、そこのぼったら」
「バレなければいいのよ」
「ええ……」

 引いた反応を示す俺に姉さんがニヤリと笑う。その目からは祖父母たちには言うなよという圧を感じる。そんな視線に俺はもう一度溜息をついた後、出窓のそばにある二段ベッドの下側に腰を下ろした。

 俺たち用の部屋として与えられているのは六畳ほどの洋室だ。そこに二段ベッド一つと学習机代わりのテーブルが置かれている。広くはないが子ども二人には十分な広さだった。

 俺はごろんとベッドに寝転びながら、遠くで聞こえる祖父たちの声と窓ガラスに打ちつける雨の音をBGMにそっと瞼を下ろした。しかしそれはすぐに六花姉さんの「あっ」という声に再び開かれた。

「あれ……ねえ律樹!ねえってば!」
「んん……なに、六花姉ちゃん」
「あれ!あれ見て!……ほら、こっち来て!」
「えー……やだよ……おれまで怒られるじゃん」
「いいから!こっち来てって!」

 出窓から飛び降りた姉が上半身を起こした俺の手を引く。ぐっぐっと強く引かれれば、いくら俺が男であるとはいえ小学三年生の力が五年生のそれに適うわけがない。俺はあれよあれよと言う間にベッドから降ろされ、出窓の方へと連れて行かれた。

 再び出窓へとのぼった姉に腕を引かれ、俺も渋々ながら出窓の台の部分へと手を掛ける。そして渋々姉の指差す方を見た。

「……子ども?」

 そこにいたのは二人の小さな子どもだった。
 二人は手を繋いでいるがただそれだけのようだ。くっつくわけでも嫌がるわけでもなく、ただただその場に手を繋いで立っているだけ。しかも外は雨が降っているというのに傘も差さず、ただそこに佇んでいる。その異様な光景に俺は眉を寄せた。

 隣で姉がどうしようどうしようと騒いでいるが、俺はどうしようもないだろうと心の中で一蹴した。今玄関には祖父母とあの女性がいる。遠くから聞こえてくる声はまだ止んでおらず、きっとまだ祖父が怒り狂っているのだろうとわかった。だから玄関が封鎖されている今、彼らに何かをしてやれることなんてない。だから静かにしてくれと、姉に対して苦言を呈そうとした時だった。

 ――ぱちり、と目が合った。

 大粒の雨がモザイクの役割を果たしていたために朧げなシルエットしかわからないが、確かにそう感じた。時が止まったように俺は動けなくなる。
 数分か、はたまた数秒か。再び時が動き出した時、俺は弾かれたように出窓から離れて部屋を飛び出した。背中に掛かる声を無視して急な階段を慎重に降りていき、玄関までの廊下を走り抜ける。

 心臓がどくどくと跳ねていた。走っているからというのもあるだろうが、果たしてそれだけだろうか。俺は高鳴る胸を手でギュッと握りしめながら走る。
 途中、祖父母が驚いたように声を上げたのがわかったが、今はそれどころじゃない。俺は玄関に無造作に立てかけてあった大人用の黒い傘を引っ掴み、雨粒が絶えず降り注ぐ外へと飛び出した。

 しかしそこにはもう誰もいなかった。
 さっきまで聞こえていた祖父の怒鳴り声もしない。ただ聞こえてくるのは地面を打ちつける雨音だけ。

 しばらくしてぱしゃぱしゃと水の跳ねる音が耳に届いた。頭の上から容赦なく降り注いでいた大粒の雨が止み、代わりに薄らと黒い影が俺を覆う。見上げればそこにはいつだったか見たことのある光景――不安そうな表情をした祖父がいた。

 

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