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焚き火を飛び越える

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「こっち、グレン!」

 手を振って存在を示すと、グレンが人混みを掻き分けてこちらに向かってくる。

「ずいぶん探したぞ、どこに行ってたんだ」
「ごめん、ちょっと秘密の場所に」

 そういえば、「悩み聞きます」に十分間あまりもいたのだ。追いついたグレンを待たせてしまっているとは思いつかなくて、
「ほんとにごめん」と平謝りになる。

「どうせまたなにか食べていたんだろう? ……なんだ後ろのテント、『悩みを聞きます』? まさか、あそこに行ってたのか」
「はい……」

 空のように澄んだ瞳に真正面から見つめられると、正直にいうしかない。きっと呆れられているんだろうな、と下から覗き込むと、グレンはテントを睨んでいた。

「あの店がどうして安いのか知っているか? だれにも言わないというわりに、証明書もなにもなかっただろう。客から得た情報を、情報屋に売っているんだ」
「えっ……」
「個人的な怨恨えんこんやだれかの秘密は、思わぬかたちで金になるからな。名前を聞かれなかったか?」
「あ、名前を書くところがあった」
「お前の秘密は、もうだれかの手に入っているかもな」

 シリルは頭を殴られたような気分になった。道理でおやつが買える値段で悩みを聞いてくれたわけだと、妙に腑に落ちた。シリルの好きだ嫌いだという悩みなど欲しがる人もいないだろうが、グレンの名前まで出してしまった。見知らぬだれかに自分たちの恋愛事情が筒抜けになっているなら、かなり恥ずかしい。頭を抱えていると、グレンが低く呟いた。

「そうだな、領主様もああいったやからがいるのは困るだろう。中はどんなようすだった?」
「ええと、ふたつに仕切られてて、僕は右の山羊のおじさんに聞いてもらった」
「山羊だな、じゃあ俺は左だ。……少し行ってくる」
「え、グレン!?」

 言い残すと、グレンは悩み相談室に入ってしまった。数分後、戻ってくるとすぐに胸元からメモ帳を取り出し、鉛筆でなにやら書きつけている。覗き込むと、そこには鼠の獣人が描かれていた。

「お前が見たのは山羊だと言ったな。覚えている限りでいい、容姿を細かく話してくれ」
「あ! もしかして、警察に提出するの?」
「そうだ。自然に流れる情報ならまだしも、これは秘密の闇取引だからな。まさかシリルが引っ掛かるとは思わなかった」

 またしても穴があったら入りたい気持ちになる。

「ごめん……。でも、なんでグレンは知っていたの?」
「数年前、お前の両親を殺した獣人を調べているときに、偶然見付けたんだ。俺の場合は情報屋のほうから知ったんだが」
「そうだったんだ……」

 シリルたちが領主様のところで働きはじめた頃だろうか。そういえば初めて得た給金を、グレンがあっさり数日で使い果たしていたことを思い出した。そのときは、なんて金使いが荒いんだろうと呆れたものだったが。

「……もしかして、だけど。グレンの初任給があっという間になくなったのも、情報屋から買ったからなの?」
「あいつらに頼っても、有益な情報は得られなかった。そんなこと、あのときのお前に言えるわけがないだろう」

 グレンが唸る。真犯人とは毎日職場で会っていたというのに、姿が人間だったためシリルもグレンも分からなかった。なんという皮肉だろう。
 そして、グレンが陰ながらそんな働きをしていたことに、胸が熱くなる。彼は出会ったときから、シリルの味方をしてくれた。きっと話していないだけで、ほかにもこんなことはたくさんあるのだろう。

「ありがとう、グレン。グレンはなんでも黙ってるから、ほんとうに考えていることが伝わらないんだよ。もっと僕に話して、ね?」

 似顔絵を描き終わったグレンの手に、自らのそれを重ねる。無口で控えめな獣人は、少し照れたようだった。

「……だが、性格はすぐには変えられんからなぁ」
「だったら、分からないところや疑問があるところを、僕がしつこく尋ねるから。それならいいでしょう?」
「ああ、大丈夫だ」

 グレンが微笑んだとき、手に松明を持った男が木材の山に近付いてきた。

「おおい、火を点けるぞ! 皆、焚き火のそばから離れてくれ」
「火が来た、夏至祭の本番だ!」

 木の小山から離れると、薄暗くなっていた辺りが火に照らされ明るくなった。火の粉が舞い、パチパチと木がぜる。音楽隊が軽快なメロディと奏でると、人々は手を取り合って踊り始めた。

「僕、何度来てもちゃんと踊れないんだけど、一緒に踊ってくれる?」
「もちろんだ」

 差し出した掌をグレンが肩に乗せる。身長差で腕がつりそうだが、せっかくグレンと踊れるのだ。焚き火の周りを踊ってゆくと、なにやら人だかりがしているところがあった。小さな焚き火を、男女で飛び越えているのだ。

「火を飛び越えると、結婚できるって噂があるんだよね」とグレンを横目で見ると、「そういうことには詳しいんだな」と言われた。どういうことか説明してもらいたい。むくれていると、グレンが急に踊りをやめた。水色の瞳にはおどけるような光が浮かび、くいっと顎をしゃくった。

「俺たちも一緒に、あの火を飛び越えるか?」
「……うん!」

 二人して小さな焚き火まで走って行き、順番待ちをしているカップルのあとに続く。少し離れたところから助走をつけて走る。

「行くよグレン、せーのっ!」

 足元から吹いてくる熱風を感じつつ、ふたり並んで跳躍する。振り返ると、自分たちの起こした風で炎がゆらゆらと揺らいでいた。焚き火を見守っていたギャラリーたちが一斉に笑いだす。

「おふたりさん、勢いがありすぎて火が小さくなっちゃったぜ」
「だが、これくらい大きく飛び越えたら結婚も確実だ。お幸せにな!」

 拍手まで湧き起こり、シリルたちを祝福してくれる。恥ずかしくてぼうっと立ちつくしていると、シリルより照れ屋なグレンがウウ、と唸った。

「目立ってしまったな。ここから離れるぞ」


 手を引かれ、ひとけのない茂みまで歩く。薄暗い中、夏至祭の焚き火が燃えさかり、人々の熱狂がたけなわなようすがよく見える。
 シリルは繋いだ手をきつく握った。悩み相談小屋では騙されたが、そのおかげで自分の両親を殺した犯人を、グレンが探していたことが分かった。そして、そのことをおくびにも出さずにシリルを見守っていてくれたことを思うと、胸がキュッと締め付けられる。

「お父さん達のこと調べてくれてありがとう、グレン。色々あったけど、楽しかった。今日が終わらなければいいのに」

 離れたくないよ、と小さく付け足すと、息が苦しくなるほどの力で抱きしめられた。

「グ、グレン……っ」
「俺もだ、シリル。家に帰って別々のベッドで眠るのは、もうごめんだ。いつまでも親元で生活するのも良し悪しだな。俺と新しい家に住むか?」

 耳に吹き込まれる低音に眩暈がしそうだ。

「う、うん。でもそれって」
「結婚という形になる」

 少し体を離され、真正面からそう言われた。宝石のような薄青の瞳が、夏至祭の炎を反射する。こんな場所でプロポーズを受けるとは思わなかったので、へなへなと足から力が抜けていく。

「シリル!? だいじょうぶか?」
「へ、平気。だけど気が抜けちゃって……。嬉しいよ、グレン。ありがとう」
「礼を言うのは俺のほうだ。お前は両親と一緒に家にいるほうがいいのかと思っていたけど、俺を選んでくれるんだな」

 頬に軽く唇を寄せられ、グレンの立派な長い頬髭があたる。

(くすぐったい……)

 そう思っていると、口付けが唇に移動した。誓いを交わすような厳かなキスだった。

「今晩は家に帰らず、宿に泊まろう。おふくろたちも俺達が付き合っていると知っている。帰らない理由を察してくれるだろう」

 足が立たないのでグレンに背負ってもらい、街の宿屋を探す。祭りの当日だからどこも予約で一杯らしく、空いているのは「ジェシーの館」という娼館の隣にある連れ込み宿だけだった。自分たちの目的はそれなのに、歓楽を目的にした場所にいると、なぜか悪いことをしている気になってしまう。宿屋の入口でグレンが、背負ったシリルを振り返った。

「ここでいいか?」
「いいよ。さっきのお姐さんたちに見付からないうちに入ろう、グレン」


「いらっしゃい。ご休憩かね、それともお泊まりで?」
「泊まりだ。明日の朝食も頼む」

 無愛想な客室係に案内された部屋には、二人寝転んでも平気そうな寝台があった。
 だが真紅の薔薇模様の上掛けがかかっていて、壁紙も女性が好みそうなピンク色の甘ったるい内装だ。シリルは出鼻をくじかれたような気持ちになった。

「女の人向けの部屋だね……」
「仕方ない。ここしか空いていないからな」

 唯一実用的な金属製のランプに火を点けるグレンは、いつも通り落ち着いている。大きな背中を見ていると、この人が好きだという感情がじわじわと膨れあがっていく。

(今日もグレンにたくさん助けてもらっちゃった。ここまで背負ってくれたし、『悩み聞きます』の情報斡旋屋の似顔絵を描いてくれたし。無口なところも、聞いたら答えてくれるって言ってくれた)

 そういえば、情報屋と知らずに相談したとき、首筋を噛んでくれないと不満を洩らしたのを思い出した。

「シリル。灯りだが、あまり明るくなくていいか?」と振り向いたグレンの胴に手を廻す。
「グレン、お願いがあるんだ」
「なんだ?」
「……今日ここで、僕のうなじを噛んでくれる? 痛くてもいい、あかしが欲しいんだ」
「だが、お前は今発情期じゃないだろう。ちゃんとした番つがいの契約にはならないが」

 言い淀むグレンの唇を、同じものでふさぐ。チュッとリップ音を響かせ、雪豹の男を見上げた。

「それでもいい。僕の体に、グレンを刻んでほしいから」
「そうか。……ありがとう、シリル」

 濃い口付けを返されたかと思うと、着ていた服を剥がされる。寝台に連れて行かれ、ゆっくりとのし掛かられた。首輪の鍵を、カチャリと外される。

「お前は一生俺が守る。もうつらい思いをさせたりしない」
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