愚者のオラトリオ

Canaan

文字の大きさ
上 下
37 / 41
番外編

過去編~狂信者に祝福を 1

しおりを挟む

※※※
黒鴎騎士団にステラがやってきたころの話。
副団長のジェイソン視点。恋愛要素ゼロの殺伐エピソード。
※※※





 黒鴎騎士団副団長のジェイソン・ゴーラムは、海軍施設の屋上からドックを見下ろした。
 現在、そこでは黒鴎騎士団の船の修繕作業が行われている。こんな風景はいつ以来だろうか。ジェイソンは記憶を遡る。


*


 前騎士団長が騎士団の予算を持ち逃げしたのが三ヶ月ほど前だった。あの頃も、しばらく航海には出ていなかった。儲けの少ない騎士団の船の点検と修繕は、後回しにされてしまうからだ。ドックの順番待ちをしているうちに、成績の良い騎士団たちの船に割り込まれるかたちで、黒鴎騎士団の順番はどんどん後になっていった。
 そんな時に前騎士団長が失踪し、ルルザの街で愛人と一緒にいるところを捕まった。もちろん前騎士団長は騎士の身分を取り消され、黒鴎騎士団は統率者と活動費をいっぺんに失った。
 金はもともとあってないようなものだったが、リーダーまでいなくなってしまい、騎士団員たちは荒れた。
 そこで、新しい騎士団長が決定するまで、前騎士団長のもとで副官を務めていたジェイソンが暫定的に指揮を執ることになった。しかし、素直にジェイソンに従う者は少なかった。
 自分に統率者としての資質は備わっていない。これはジェイソン自身もわかっていたことだ。
 自分は飽く迄もサポート役の副官である。
 目も眩むほどの絶大な力を持った上官を崇拝して、狂信者の如く仕えてみたい……騎士になったころから、ジェイソンはずっとそう願っていた。心酔できるような上官を持った騎士たちが羨ましくて仕方がなかった。

 ろくな任務もないまま、時間だけが経過していく。
 優秀な人間は、ほかの騎士団に引き抜かれるというかたちでどんどんいなくなった。優秀でなくても、別の仕事のアテがある者は辞めていった。そしてやる気のない者たちと、ボロボロの船だけが残った。
 やがて黒鴎騎士団は解散を命じられるだろう。それが目に見えていたから、ジェイソンも今後の身の振り方を考えはじめていた。できれば同じ海軍の大きな騎士団──強い統率者のいる騎士団──に移りたいが、自分にたいした実績はない。王都から離れた国境地帯に飛ばされることも充分に考えられた。
 そんな風にしてジェイソンが黒鴎騎士団の終焉を思い描いてばかりいるとき、新しい騎士団長がやってくるとの知らせを受けた。
 騎士団の存続を諦めかけていたジェイソンは一縷の希望を抱いた。強靭な肉体と精神を持つ者が騎士団長になってくれたら、騎士団は持ち直せるかもしれないからだ。

 しかし、やってきたのは女騎士のステラ・ハサウェイであった。
 ジェイソンは騎士団の解散を確信した。

 ステラの経歴を見てみると、彼女はミルッカ砦に二年、ドンスレーの街に三年間駐留しており、どちらの騎士団でも副団長を務めていた。
 しかし、ステラは侯爵家の出身である。さらに彼女の叔父は王国軍の総司令部に所属していた。ステラが就いていた副団長という地位は、実力が伴ったものでないことは明らかだった。
 だからここにステラが派遣されたのは、黒鴎騎士団解散の理由付けだと、ジェイソンは推測した。
 もともと成績が低迷していたところに、騎士団長の不祥事。黒鴎騎士団は虫の息である。そこで騎士団を立て直すために新しいリーダーを投入してテコ入れを図ったが、やはりダメだった……。
 そういうことにして、上層部はこの騎士団を解散させたいのだろう。ジェイソンはそう考えたのだ。

 だが、ステラが就任してきたその日。
 彼女は自分に反抗した騎士を組み伏せ、さらにやる気のない騎士団員たちを怒鳴りつけた。そして「自分に従えない者は今すぐ船を降りろ」とも言った。彼女は強者のオーラを放っているように、ジェイソンには見えた。
 ステラ・ハサウェイは、ほんとうに騎士団のテコ入れのために派遣された人物なのかもしれない。中身の伴った騎士団長になってくれるかもしれない。
 ステラを迎えてから、ジェイソンの期待も少しずつ膨らんでいった。


*


 鳴り響く工具の音を聞きながら、ジェイソンは再びドックを見やる。
 もうすぐ、久々の航海に出ることができそうだ。
 この騎士団に金がないと知るや、ステラは船を修理するために私財を投じてくれたのだ。修繕費用よりも、長い順番待ちをカットするためのいわゆる賄賂のほうが高くついたようだった。
 さらに黒鴎騎士団は、成績不振と前団長の不祥事のせいもあって、深刻な人員不足に陥っていた。そこでステラは、優秀な船乗りを海運会社から引き抜いてもくれた。
 やってきて二週間で、ステラは騎士団を大きく動かしてくれたのだ。
 そして海に出れば、彼女が真の統率者かどうかをいよいよ見極めることができるだろう。陸地では優秀な騎士でも、海の上でも同じだとは限らないのだから。

 懐中時計を取り出して時間を確認すると、まもなく昼休みが終わるところだった。
「さて」
 昼休みが終わったら、武器庫に来るようにステラから言われている。
 時計をしまうと、ジェイソンは思いを馳せるように一瞬だけ海の向こうを見つめ、武器庫へと向かった。



 武器庫の扉を開けると、ステラは木箱に腰かけ、近くにランプを置いて自分の短剣を磨いていた。
「失礼します」
「来たか、ジェイムス」
「……私の名前は、ジェイソンです」
 ステラ・ハサウェイは基本的に優秀な騎士だと思うが、ジェイソンをはじめ、団員たちの名前を覚える気配がまったくない。
 彼女はジェイソンの名前を「エジソン」とか「ジョンソン」とか他の誰かの姓のように呼び間違えるので、「自分の姓はゴーラムで、名前がジェイソンです」と訂正したら、このザマである。
「まもなく黒鴎騎士団として巡航に出られるだろうがな、」
 しかし、いつものことだが、ステラは謝るでもなく訂正するでもなくお構いなしといった風に言葉を続ける。
「いまのところ、フィッツシモンズとキャヴェンディッシュの野郎も連れていく予定だ。貴様もそのつもりでいろ」
「え……だ、大丈夫ですか?」

 フィッツシモンズとキャヴェンディッシュとは、ステラに盾突いている騎士である。とくにフィッツシモンズは、ステラの就任初日に彼女を「娼婦」だと罵って、痛い目に遭わされている男だ。そしてキャヴェンディッシュは、つねにフィッツシモンズとつるんでいる。
 ステラに従えない者は、船を降りろ、つまり騎士団を出て行けといわれているわけだが、彼らが出ていく様子はなかった。ほかに行くところがないからだろう。
 そしてステラは彼らを干しておくのだとばかりジェイソンは考えていたが、なんと巡航のメンバーに入れると言っている。
 なにより解せないのは、ステラが、フィッツシモンズとキャヴェンディッシュの姓をしっかり覚えていることだ。彼らの姓はジェイソンの「ゴーラム」よりもずっと複雑で長いように思えるのだが……?

「うむ」
 ステラは短剣をランプに向けて翳し、刃こぼれやくもりがないことを確認すると、それを鞘に納める。
「私に従えない者は要らない……たしかにそう宣言してある。だが、奴らが私に素直に従うとはまったく考えていない」
「え、ええ。ですから、」
 フィッツシモンズとキャヴェンディッシュは置いて行った方がいい。彼らはなにかトラブルを起こす筈だ。それが陸地であればまだ対処できるが、海の上ではそういうわけにはいかないことも多い。ジェイソンはそう訴えようとした。
「フレディ。貴様はそのためにいる」
「……。」
「今度の巡航では、私の騎士団長としての資質が問われることになるだろう。そして私に何かあったなら、フレディ。その時は貴様が」
「あの、ジェイソンです。私の名前は、ジェイソンです」
 フレディって、どこから出てきたんだろう……。不思議に思いつつ、ジェイソンは彼らを連れていくことに反対しようとしたが、ステラのほうもこちらの言葉を聞くつもりはないようだった。
「私は次の巡航でさっそく手柄をあげるつもりだがな、敵は海賊だけではないということもよくわかっている。貴様も、備えておけよ」
 ジェイソンは、彼女が忠誠を誓うに値する統率者であることを期待しているが、さすがに反抗的な男騎士二人をいっぺんに組み伏せられるとは思えない。何かあった場合、その辺はもちろんフォローするつもりである。
「はい。何があってもハサウェイ団長をお守りします!」
「そうではない。私は、自分の身は自分で守れるようにしておけと言っているんだ」
「え? は、はい……」
「海の上で私に何かあったら、貴様が指揮を執ることになる。海賊や叛徒に船を明け渡すことは許されないぞ。心しておけ」
「は、はい……!」
「武器防具の点検も怠るなよ。話は以上だ」
 ステラが木箱から腰をあげる。彼女は腰に海軍のカットラスをぶら下げ、両のブーツに短剣を挟み込み、さらに背中側の腰の部分にも大きめのナイフを留めている。
 彼女のナイフの腕前は、ジェイソンも以前目にしている。素早くてコントロールもいい。しかし、女性ならば弓を持っておくのも良いのではないだろうか。
 そう考えてジェイソンはステラを呼び止める。
「ハサウェイ団長は、弓はやらないんですか?」
「うん? 弓か」
 彼女は振り返り、壁際に立てかけてあった弓を手に取った。矢をつがえぬ状態で、それをぐんと引く。
「やってみようと思ったことはあるのだが、『道具を使って武器を飛ばす』というのがどうも、もどかしくてな。私はナイフがあればじゅうぶんだ」
「そうだったのですか」
「では、あとでな。フレディ」
 ステラは元あった場所に弓を戻すと、武器庫から出て行った。

「私の名はジェイソンなのだが……」
 そう呟きながら、なんとなくステラの触れた弓を手に取った。そしてやはりなんとなく引いてみる。
「……ん? え? あれ?」
 しかし「なんとなく」といった程度の心構えでは固くて引けないのである。
 ステラはいとも簡単に引いたように見えたのだが。
「……ふん!」
 ジェイソンは深呼吸してからもう一度弓を引いた。今度はステラのように引くことができた。
 自分は体力面でとくに優れているわけではないが、学生時代の運動能力のテストでは、平均値を下回ったことはなかった。
 つまり、ステラ・ハサウェイは飛びぬけた身体能力の持ち主なのではないだろうか。彼女がメインにしている武器はナイフのようだが、男のように弓を引く力を持っていながら、扱うのがナイフではもったいない気がした。



 船の修繕が済んで食料や荷物を積み込むと、ステラが騎士団長となって初めての巡航がはじまった。
 まずは、海図の見方や操舵の仕組み、ロープの修理の仕方、船での生活についてをステラに説明しながらネドシア島までを進む。近くには貨物船も客船もいなかったから、それらをつけ狙う海賊船も現れなかった。
 そしてネドシアで船の点検を済ませると、今度はフェルビアに向かう商船のあとに出港した。その船は銀細工や毛皮を積み込んでいるようだった。
 商船からつかず離れずの距離を進んで三日目、ジェイソンの予想通り、海賊船が現れた。こちらの船とそれほど変わらない大きさだったので、じゅうぶんに戦えるはずだと判断した。速度をあげて商船と海賊船の間に割り込み、まずは商船を逃す。
 海賊船は商船を追うのではなく、こちらと戦う決意をしたようだった。修繕といっても応急処置をしただけのボロボロの船体と、そこに掲げられている黒鴎騎士団の旗を見て判断したのだろう。たいした実績のない、弱小騎士団だと知られているのだ。でも、今の自分たちにとってはその評価も都合が良かった。

「おい、フレディ。この状況から海賊どもを捕まえるには、どうするべきなんだ?」
「……そうですね。『海賊を捕まえるだけ』なら、向こうの船の側面に突っ込んで、衝角で穴をあけて沈没させるのが手っ取り早いでしょうね」
「何だと? それでは海賊どもも沈んでしまうではないか」
「なかにはそのまま溺死するやつもいるかもしれませんね。でも、たいていの海賊は船が沈む前に海に飛び込みます」
 海の上で無防備になっている海賊たちを救出し、そのまま捕縛するのが簡単なやり方だ。
「ですが、あの海賊船を見てください。船体がわりと深く沈み込んでいるでしょう? あれは重い荷物を積んでいるからです」
 目の前の海賊たちはすでに一仕事──二仕事かもしれない──してきた後なのだ。つまり、あの海賊船にはお宝が積んであるとみてよいだろう。
「なるほど。では海賊たちを捕まえて、奴らの宝も手に入れるには……」
「はい。船体をあまり傷つけないように接触して、」
 ジェイソンは自分の右手と左手を互いの船に見立てて、接触のイメージを作ってみせる。
「こうして、向こうの船に乗り移るのが良いでしょう。白兵戦になりますが、大丈夫ですか」
「ああ。大きな手柄を立てるにはそれが一番なのだろう?」
「はい。では、ご命令を」
 ステラはネドシアまでの往路でこの船の動かし方を把握したようだ。風向きを見ながら団員たちに合図を出して帆を操作させ、海賊船に接近していく。逃げられる可能性も、逆にこちら側がぶつけられる可能性もあったが、彼女はそれをうまくかわして、
「ぶつけるぞ! 全員、衝撃に備えろ!」
 とうとう船体を向こうの船に絶妙な角度でぶつけた。
「よし、乗り移れ! 頭目は生け捕りにしろ! 下っ端は抵抗するようであれば殺しても構わん!」
 ステラは腰のカットラスに手をかけて、次々と命令を下していく。だが、彼女が自分のカットラスを抜くことはなかった。海賊船の甲板全体に視線を走らせ、後ろに回ろうとした敵や、こちら側に乗り込んで来ようとする敵を指して自分の騎士に合図を与えている。
 ジェイソンもステラの指示が回っていない部分に目を配って、彼女の補佐を行った。


しおりを挟む

処理中です...