愚者の勲章

Canaan

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第1章 Virgin Hard

03.童貞の道程

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「え……?」
 ランサムはロイドをつま先から頭のてっぺんまで眺めまわし、再び目をぱちぱちさせる。それから躊躇いがちに訊ねてくる。
「ど、童貞……?」
 ロイドは覚悟を決めて大きく頷いた。

「そうかあ」
 ランサムはロイドにくるりと背を向ける。腕を組んだり顎のあたりを擦ったりしているようだが、本当は笑いをこらえているのではないだろうか。
 それからロイドはあることに思い当たり、ランサムに向かって叫んだ。
「あ! あの! この話、姉ちゃんにはナイショで!」
「え? うん。そうだね。ジェーンには内緒だ。男同士の秘密にしよう」

 こちらを振り向いたランサムは、やはり笑いを押し殺しているように見えた。
 ランサムはふと遠くを見つめてから、もう一度ロイドに視線を戻す。
「……でも、それが何か問題なのかい?」
「う、うん」

 大問題だ。男性の姿が目に入ると、その人が童貞なのかそうでないのかを考えてしまう。年の近い男であればなおさら。そして大抵は恋人がいるとか夜のお店に通っているとかの情報を耳にして、やっぱりなあと肩を落とす。
 同じ騎士団のメンバーと稽古をしていて「君はパワーもスタミナも人一倍あるなあ」と褒められることも多いが、その度に心の中で「でもそういう君は童貞じゃないんだろ!」と叫んで血の涙を流しているのだ。

 いつのまにかロイドの中では勝手に身分制度が出来上がってしまっていた。
 童貞と非童貞、その二種類しかないが。もちろん上位は非童貞の方。
 たとえ貧乏でも頭が悪くても、性格が悪くてもイケメンじゃなくても非童貞の方が圧倒的に偉いのである。
 非童貞が人間の貴族だとしたら、童貞は虫。二つの間にはそのくらいの隔たりがあるのだ。

「それは、また……なんとも極端な」
 器の大きいランサムもさすがに引き気味なのではないだろうか。彼はうーんと唸った。
「だったら、君もその手のお店で済ませてしまえばいいじゃないか。相手はプロだよ。初めてだって言えば、いろいろと丁寧に教えてもらえるんじゃないかな」
 それはロイドも考えた。友人に誘われることも多かったので、その度にお店へ行ってしまおうかどうか、頭を悩ませた。

「け、けど俺……知らない人となんてできないよ」
「えーと。知らない人とだからこそできるんじゃないかな」
 確かに。噂になるのが嫌だから遠くのお店にいったら、やはり噂になるのが嫌だから遠くのお店でこっそりと働いていた顔見知りの女性が出てきた……なんて話を聞いたことがある。お互い気まずいだろう。

 だがロイドが言っているのはそういう意味ではない。
 初対面の女性といきなりベッドに入るなんて、自分には出来そうにないのだ。
「お店に入った時にどういう娘が好みなのかを言えば……例えば小柄で金髪の娘がいいとか、黒髪の奔放な娘がいいとかさ。できる限り希望に合わせてくれるよ」
「う、うん。それも聞いたことあるけどさ。でも……」
 安い店はそういった融通は利かないらしいが、それなりの店ならば対応してくれると話に聞く。

 しかし。しかしだ。
 ロイド好みの娘が出てきて、それで彼女とセックスなんてことになったら……。

「俺、絶対好きになっちゃう! そんなの辛いじゃん!」
 相手は商売だからロイドに愛想よく振舞ってくれるだろう。それを分かっていても、好みの子に優しくされてセックスまでしてしまったら、絶対好きになってしまう自信がある。
 惚れたとしても相手は娼婦だ。自分以外の男にも抱かれることになる。それを阻止しようと毎晩店に通う。そして所持金が尽きた時、自分はどうなってしまうのだろう。借金を重ねるのか。それとも涙で枕を濡らしながら一人眠りにつくのか……そこまで想像がついてしまうのだ。
「ああー……。それは娼館のいいカモだね」
「だろ!?」
 娼婦に惚れこんで怪しげなところから金を借りまくり、やがて破滅する男も多いと聞く。娼館で童貞を捨ててしまったら、自分もそうなるのだろう。
 だからロイドは夜の店に行くのは躊躇していた。

「しかし……その手の店じゃなくても、王都で騎士をやっていたらそれなりに出会いもあるだろう?」
「あ、あるんだろうけどさ……」
 従兄のヒューイや騎士仲間の伝手で、夜会に招待されることはある。若い女性もたくさん参加している。しかし良い家柄のご令嬢には結婚するまで手を出してはいけない。これはロイドも良く知っている。
 そしてロイドの友人や先輩たちは、未亡人や、夫では満足できない若い人妻を相手に情事を楽しんでいるようだった。

「そういう人に相手をして貰ったらどうだい」
「う、うーん。そうなんだけど」
 それが一番無難なのだろう。ただ不倫は嫌だ。となると未亡人を探すことになる訳だが……再婚を望んでいる女性は、ロイドに出世を有望視されている双子の弟がいると知るや、そちらに狙いを定める。
 そしてただ若い男と遊びたい未亡人は、非常に積極的だ。
 ロイドの胸に手を這わせて「すごい筋肉ね、鍛えてるんでしょう」みたいなことを言いながら、手でも視線でもロイドのことを撫でまわす。
 そこまで欲望を剥きだしにされると、ロイドは怖気づいてしまうのだ。「用を思い出したので失礼します!」と女性の手を払いのけ、顔を真っ赤にして右と左の手足を同時に動かしながら──これは友人らの目撃談である──会場を退出するのが常であった。
 ちなみに、兵舎の自室に戻ってからも勃起が収まらず、精を抜いて複雑な気持ちに陥るところまでが一セットだ。

「私にしてみると、それも君らしくて微笑ましいけれどね」
 ランサムはそう言うが、今のロイドに必要なものは同情とか微笑ましさとかではない。コンプレックスの除去である。
「でも、まだ二十二歳だろう? その年齢なら童貞もたくさんいると思うけどなあ」
 ロイドの身の回りにはいない。少なくとも仲間や友人と呼べる範囲には。街中ですれ違う人の中にはいるかもしれないが、いちいち年齢と経験済みかどうかを訊くわけにもいかない。
「ランサムはどうなんだよ。二十二で童貞だった?」
「えっ。いや、私は……」
 ランサムはぱっと目を逸らした。ここにはロイドとランサムしかいないのにきょろきょろとし始める。

 なんでも、姉のジェーンやランサムの父母の話では、彼はとんでもない放蕩者だったらしい。ロイドたちがランサムと出会った理由も、そもそもは彼が生家を追い出されて旅をしていたからなのだとか。
 ロイドがモルディスに遊びに行くたびに、ランサムの母親が言う。「この子、昔は酷かったんだから」と。結婚して子供が生まれて、かなり真面目になったそうだ。

 ロイドにしてみれば、ランサムはいつも優しくて大らかで非の打ち所がない素晴らしい義兄だから、どのように遊んでいたのか想像もつかないのだが。……だが彼は恐ろしいほどのイケメンだ。二十二まで童貞だったという事はさすがにないだろう。もし、仮に、二十二まで童貞だったとしても、今は三人子供がいる。つまり、
「最低でも三回はヤッてるってことだ……!」
 思わず拳まで握ってそう力説してしまった。
 それを聞いたランサムは笑い死にしそうになっている。お腹を押さえ、目に涙を滲ませながら呼吸を整え、ロイドの肩をぽんと叩いた。

「ロイド。君の話を聞いていると、君は心と身体を切り離して考えられるタイプではないなあ」
「えっ? う、うん……」
 確かに、するんだったら好きな女の子としたい。だったら童貞を捨てる相手よりも結婚相手を探した方がいい。けど、初夜に挑むときのためにこそ、男の嗜みとして作法は覚えておいた方がいいらしいではないか。……行き詰まり状態である。
「うーん……」
「結婚するまで童貞だった人もたくさんいるよ。気に病むことじゃないと思うけどなあ」
 首を捻って唸りまくるロイドにランサムは優しく告げたが、やはり相談相手を間違えただろうか。びっくりするほどのイケメンが「童貞でも大丈夫!」と慰めてくれてもなんの説得力もないのだから。
「とにかくロイド。童貞を捨てるためだけに女性と関係するのは、君にとっては良いことじゃない気がするな。好きになった人と恋愛して、結婚して、それからでもいいじゃないか。その手の手引書はたくさんあるから、初めて同士でも大丈夫だと思うよ。なにも焦る必要はない」

 これはロイドの性質──単純かつ純情──をよく考えた上での発言だ。
 ランサムの意見はそれなりに頷けるものだった。
 ……となるとやはり出会いが必要だ。それから王都に帰ったら手引書を買って……いや、書店で知り合いに会ったりしたら大変だ。道中の大きな都市、ルルザやカナルヴィルあたりの書店を覗いてみよう。

 それから帰り道といえば。
 ロイドは懐から地図を取り出した。頼まれている仕事があるのだ。



「なあランサム。ステアリー領って知ってる?」
「うん? 聞いたことはあるな……」
「この辺らしいんだけどさ」
 ステアリー領と思しき場所を指で示す。恐ろしいほどに辺鄙な場所だ。どの街からも街道からも遠いのだ。
 ランサムの家の領地もこの国の北西の端でかなりの田舎であるが、隣国へ繋がる形で大きな街道が通っており、旅人や商人も行き交い、そこそこに活気づいている。
 しかしステアリー領は、地図上の位置を見る限りは人が住んでいるのかすら怪しい。

「ああ。ステアリー領。思い出した。そこは昔、二つの領地に分かれたはずだよ」
「えっ。まじで」
「領主のステアリー卿が、息子二人のために土地を分けたんだ。名前は……それぞれの集落の名前になったはずだけど、そこまでは分からないな……そこに何かあるのかい」

 そんなことになっていたとは。
 このステアリーの領地は、王都から離れすぎていて何も情報が入ってこない。
 そういった状況の土地は他にもあるが、ロイドがモルディスに住む姉を訪ねると騎士団長に申し出た時、「そっちの方にいくなら、ついでに調査をして来い」と頼まれたのだ。村や街の規模、人口、土地の境界などなど、分かることならなんでも。

「うーん。ついでと言うにはちょっと遠いよね」
 ランサムは苦笑いしながら地図を眺めている。
 モルディスを出たら街道沿いにトイワゴ、キドニス、サリマと街が続き、その次にルルザ……ロイドが十一歳までを過ごした街がある。このルルザが、モルディスと王都の中間地点くらいであろうか。
「……たぶん、キドニスまでは街道沿いを進んで、キドニスを出たら……たぶん、ここで南に折れるんじゃないかな。ほら」
 ランサムもロイドも地図が読めないわけではない。地図が古くて曖昧なうえ、ステアリー周辺が田舎過ぎて他の場所ほど精密に描かれてないのだ。

 ランサムの指した場所をみると、一本の樹木の絵が描いてある。おそらくはこの木を目印にして、南に折れるのだろう。
 ランサムに礼を言って、再び義兄弟の固い抱擁をして、絶対にまた会う約束もして、何度も振り返って手を振り、ロイドはモルディスの地を離れたのだった。



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