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第2章 Viva! Stupid People
07.其の名はチェリー様
しおりを挟む「デボラ殿。俺……俺は、今まで君に嘘をついていました!」
ロイドの言葉に、デボラはやっぱり……と、そう思った。
「知っておりました」
「えっ」
デボラが頷くと、彼は驚いた声を上げた。デボラが気づいていたことは知らないのだろう。
「ロイド様が私に触れない理由……すべて知っております」
「えっ? えええっ……!?」
またまた彼は驚いている。
ロイドはデボラにどのように告げる予定だったのだろう。
シェリー様を裏切ることは出来ないから、結婚を取り消したいとでも言うつもりだったのだろうか?
「私はずるい女です。シラカのために、ロイド様の騎士道精神を利用したのですから」
「え? いや、それは……」
「でも、私は結婚式を挙げる前に、ロイド様にいくつか確認致しました。ロイド様は独身で、待っている恋人もいないと……」
自分はロイドを利用したずるい女だ。しかし彼だって忘れられない人がいるのなら、結婚を承諾してはいけなかった。或いはシェリー様を忘れるつもりでデボラとの結婚に頷いたのだとしたら、こちらに悟られるような隙は見せないでほしかった……これはデボラの我儘なのだろうか?
涙が零れそうになったが、我慢して両の拳を握りしめる。
「なぜ、結婚する前に、正直にお話してくださらなかったのですか?」
「それは、ごめん……!」
悔しさや悲しさが相まって、責めるような口調になってしまった。
ロイドは申し訳なさそうに肩を落とす。
「ごめん……すまない、申し訳ない! 君をがっかりさせるのが怖くて、どうしても言えなかった……」
「私は、結婚する前に知りたかったです!」
「えっ。俺が……その……アレだって知っていたら……君は、俺とは結婚しなかった……?」
ロイドが恐る恐るという感じでデボラの様子を窺っている。
知っていたら、どうしたのだろう。シェリー様はおそらくロイドの片恋の相手。妻でも恋人でもない、片恋の相手。
妻や恋人がいると知っていたら、もちろん求婚はしなかった。だが片恋の相手……デボラは求婚しただろうか。
……しただろう。シラカの窮地を救うために。
「知っていたら、私の心構えも違っていたと思います」
「こ、心構え……!」
ロイドが慄いたように一歩下がる。
「ええ」
シェリー様のことを知っていたら、少なくとも……デボラはもっと淡々とした、事務的な結婚生活を目指していたと思う。
ロイドのことを素敵だと思っても、彼にときめいたりしないよう、心を抑えて接していた筈だ。
会ったこともないシェリー様をあれこれ想像して気分が悪くなったりもしなかった筈だし、ロイドの心を持って行ってしまったシェリー様を羨んだりすることもなかっただろう。
「知っていたら……きっと、シェリー様のことを醜い心でお恨みすることもありませんでした!」
「えっ?」
「私はずるい女なのです……。でも、ロイド様がどれだけシェリー様を想おうと、貴方と結婚したのは私です。私はこの結婚を取り消すつもりはありません」
言いたいことを言うと、とうとう涙が零れてしまった。
デボラは涙を拭いながら付け加える。
「ですが……私の心の醜さを知って、ロイド様は私を嫌いになってしまったでしょうね……」
離縁するつもりはなかったが、デボラを嫌いになってしまったのだとしたら、一緒には暮らせないだろう。ロイドに「そうだ、嫌いになった」と言われるのを承知で、デボラはロイドを見上げた。
しかし彼は目を見開き、口を開けて虚を突かれたような表情をしている。
ようやくぱくぱくと口を動かしだして、そして彼は言った。
「シェリー様って……誰?」
「え……?」
デボラも瞳をぱちぱちさせる。
「誰って……ロイド様の、想い人なのでしょう?」
「え? いや、誰?」
「……え?」
とぼけて誤魔化そうとしているのならば腹立たしいと思うかもしれないが、彼はそんな風には見えなかった。
「だって……ロイド様が『すみません、シェリー様』と言っているのを……」
ベティがデボラに告げ口したかたちになるが、ただでさえロイドとベティの間にはしこりがあるようなので、彼には詳細は黙っておくことにした。
それに、デボラは彼の口からシェリー様が語られるのを直接耳にした訳ではないが、これまでのロイドの態度と合わせて考えると、彼に想い人がいるというのは頷けることでもあった。
「シェ、シェリー様……?」
しかしロイドは首を傾げている。
「シェリー……シェリ……あっ! ああああっ!」
何度かその名を呟いた後、いきなり大声を出して、ポケットの中を探り、件の石を取り出した。
「ひょっとして、これのこと!?」
「シェリー様に貰ったもの……なのですね?」
「いや、そうじゃなくて、これ、チェリー様!」
今度はデボラが首を傾げる番だった。
「……チェリー様?」
「うん。俺の……えーと、えーと……お守りみたいなモンで、結婚式の日に失くして、それで、今まで探してたんだ。そしたら司祭殿が拾って持ってた」
「この石が、チェリー様なのですか?」
ロイドの手の中にある石をまじまじと見る。
お守りのような存在。結婚式の日から今まで失くしていた。お守りならば、様付けで呼んだり、失くしたことを詫びたりしても、おかしいことではない……と、思う。
ロイドの片恋の相手、シェリー様なんて女性は存在しなかった。そのことにデボラは安堵を覚えたが、では、彼が自分に触れない理由とはいったい……?
彼の言う「話がある」とは、そのことではないのか。
男性が女性に触れない理由。他に好きな女性がいるという以外ならば、何があるのだろう。デボラは自分の知っている限りの範囲で一生懸命考えた。
彼は世慣れた都会の男性だ。遊びが過ぎて、病気が発覚したとか……? それとも、やはりデボラが好みからかけ離れているとか……?
デボラはロイドを見上げる。
彼は目が合うと、ぱっと顔を反らした。
「その……俺、俺は……」
かなり言い難いことらしいが、この問題を乗り越えない限り、ロイドとデボラ、二人の未来はない気がした。
「俺は……」
「ロイド様。はっきり仰ってください。受け止める覚悟は、出来ております」
「俺っ……」
ロイドが地面に膝と両手をついたので、デボラは驚いた。だがその後続いた言葉にもっと驚くことになる。
「俺は……童貞です! 嘘をついていてごめんなさい!」
「えっ……」
この時デボラの頭の中に浮かんだのは、滝壺の女神が抱えていた「童貞のロイド」であった。
「童貞だって知られたら、かっこ悪いとか気持ち悪いとか、君にがっかりされるんじゃないかとか……不安で、言い出せなかったんだ」
「わ、私は、そんな……」
男性はある程度の年齢になったら、女性の肌を知るものだと聞いていた。それが、童貞……?
「そ、それで……失敗してしまって……その、それ以来、下半身の……元気がなくなってしまい……す、すみません……」
ロイドの声がだんだん小さくなっていく。
下半身の元気がなくなった、というのは性交できる状態にならない、ということなのだろうか。
確かに、ロイドと林の中で初めてあった時……裸の彼の股間にはデボラにはないものがぶらぶらと揺れていて……あれを元気のない状態だとすると、あれがあのまま女性の中に入るとは思えなかった。
そしてデボラは初夜の出来事を思い返す。
一度目に契ろうとした時、彼は……はっきりとこの目で見たわけではないが、彼のものは、交わるのに充分な状態だったように思える。
だが、温かいものがデボラの腹や太腿に降り注いで……それからのロイドは、一生懸命デボラの身体に触れたりしていたが、結局は「ごめん」と言った。
ロイドはあれを失敗だと受け止めていて、それが彼の心に影を落としているのだろうか?
「童貞だってばれたら恥ずかしいと思ってたけど、隠そうとして、焦って取り繕って、もっと恥ずかしいことになった。本当にごめん」
「ロイド様……私は、ロイド様には想い人がいるのだとばかり」
「ごめん。俺の取った態度で、君がどういう気持ちになるか、考えられなかった。ごめん……」
デボラには良く分からないが、男の人は、寝床での失敗を非常に重く捉えると話に聞いたことがある。彼もそうだったのだろう。
「ロイド様……お顔を、あげてください」
だが彼は地面に手をついたままで、顔を上げる様子がない。
そこでデボラが跪き、ロイドと同じ位置に目線を落とした。
「ロイド様。私は……ずるい女です。『私を愛してくれなくても構わない』と言って求婚したくせに、今、ロイド様に抱かれた女性が一人もいないのだと知って……ロイド様のお気持ちも考えずに、私は喜びを覚えているのですから」
そう。ロイドは童貞を恥と思っていたようだが、デボラは違う。
ロイドの腕に抱かれた女性は一人もいないのだと知って、不謹慎かもしれないが、喜んでいた。デボラの方こそ地面に座り込んで、涙を流しながらも笑い出してしまいたかった。
「君は……俺が童貞でも、嫌じゃないのか」
「はい」
「気持ち悪いとか、思わない?」
「はい。なぜ気持ち悪いと思わなくてはならないのでしょう」
「だって、俺は、これまで女性に相手にされなかったような男ってことだろ? それに君を……上手く、そ、その……教えてあげることも、導いてやることもできない、情けない男だと……」
夫婦の営みについては男性側がすべて心得ていて、妻を導いてくれるもの。確かにデボラはそう聞いていた。だが。
「この世にはたくさんの夫婦がおりますから。私たちのような夫婦がいても……別に、おかしいことではないと思います」
「ほ、本当にそう思う……?」
「はい。領地から殆ど外に出たことのない、世間知らずの私が言っても、説得力はないかもしれませんが……でも、そう思います」
そこでロイドはようやく身体を起こした。
彼に告げたことは嘘ではないが、告げていないこともある。
童貞であること、失敗したことを気に病んでこんな風に萎れているロイドは、少年のようで、なんだかすごく可愛くて微笑ましいという事だ。
彼にとっては一大事なのだろうが──彼の下半身が元気を取り戻さない限りは、この領地にとっても一大事なのだが──だが、はじめの頃に彼に抱いた印象……ロイドは、素朴で好感が持てるという印象そのままの男性だったのだ。
やはり彼はセイクリッド神がデボラの願いを聞き、送り出してくれた男性なのではと、改めてそう思う。
あの時自分の前に現れた男性がロイドで良かったと、彼に求婚して良かったと、心からそう思う。
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