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第2章 Viva! Stupid People
08.童貞ルネサンス
しおりを挟むロイドは浮かれていた。
デボラに真実を話し、受け入れてもらえたことに無上の喜びを感じていた。
しかもデボラはロイドが童貞だと知って──ロイドと関係した女性が一人もいないと知って──嬉しいとすら言ってくれた。
これは……いい感じなのではないだろうか! 超いい感じなのではないだろうか!! ひょっとしたら自分たちはラブラブ夫婦なのではないだろうか!!!
……ただ、問題は残っている。大きな問題が。
勃起不全である。
デボラは童貞でも構わないと言ってくれたし、何故ロイドがデボラに触れないのかを承知したはずだ。
だからと言って、いつまでも勃起不全を抱えたままでも良い訳ではないだろう。
この症状は……いつかは治るものなのだろうか。
やはりキドニスの街へ行って薬種屋で……いや、噂になる。だめだ。
ならばルルザあたりまで出向けば……そう考えたが、今の状態のシラカを何日も留守にするのは良くない気がする。
「ロイド様」
「ギャアッ!」
考えながら部屋の中をうろうろしていると、デボラがやって来たのでロイドは飛び上がった。
「ま、まあ。驚かせてしまいましたか? 申し訳ありません」
「い、いや。いいんだ」
デボラは寝支度を済ませたところらしい。白い寝巻の上にガウンを羽織り、金色の髪は三つ編みにして顔の横に垂らしている。
かわいい……。ロイドは彼女をぼうっと見つめた。
今デボラに抱きついて、彼女の匂いを嗅ぎながらベッドに押し倒したなら、勃起できるのではないだろうか。
その様を想像すると、ちょっとだけ下半身に血流が向かったような気がしたが、野獣の様に彼女にむしゃぶりついた挙句、「入れる前に出しちゃった」自分の姿もセットで思い浮かべてしまった。一瞬だけ下半身が熱くなったように思えたけれど、気のせいだった。
彼女は自分の三つ編みに触れ、ちょっと躊躇ってから口を開いた。
「あの。今後の……私たちのことなのですが」
「えっ。う、うん」
「私と夫婦でいるのは……寝床を共にするのは……ロイド様にとっては苦痛ではないのですね?」
「うん。それは、もちろん」
苦痛どころか、デボラとイチャイチャしたいと思っている。デボラの中に入って気持ちよくなってみたい。自分の腕の中でデボラが喘ぐところを見てみたい……童貞にそこまでできるとは思えないが、何度か行為を繰り返していれば、デボラだって気持ちよくなるはず。そう思う。
「もちろん……」
ただ失敗が怖い。また入れる前に出しちゃったらどうしよう。それどころか、出す前に萎んじゃったらどうしよう。そうなったら……今度こそ自分は一生勃起できない身体になってしまうのではないか。
いつまでたってもデボラに子を授けてやることができず、どこかで諦め、彼女を他の男に託し、シラカの地を去っていく自分の寂しい背中が見えた気がして、ロイドはぶるっと震えた。
これまで周囲の人間からは、明るいとかお祭り男とか言われてきたが、自分は意外と悲観主義者であったことをロイドは今さらながら知る。
デボラはロイドの顔をじっと見つめ……何か悲壮なものを感じ取ったのかもしれない。
「とりあえず……お話、しませんか?」
「話?」
「ええ。ロイド様の子供の頃や、ご家族の話とか……お好きな歌とか、そういったことを聞かせてください」
それはロイドも考えていたことだ。自分はデボラのことを知らなすぎる。だから緊張してしまうのだ。もっとお互いに慣れる必要がある。
「あ、俺も。俺もデボラ殿の子供の頃の話とか、聞きたい」
「はい。もちろんお話しいたします」
二人はベッドに入ると、並んで横たわった。
その時互いの指が触れて、どちらからともなく手を繋ぐ。
結婚式の夜はもっと過激なこと──童貞なりに──をした筈なのに、今は、あの時よりもデボラとの距離が近いような気がした。
「ロイド様が子供の頃は、ルルザにお住まいだったのですよね」
「うん」
「ルルザはとても大きな街だと聞きます。キドニスよりもずっと大きいのでしょう?」
ルルザは王都の次に人口が多く栄えている街だ。フェルビアの北西部で一番大きな街はキドニスだが、規模はルルザとは比べ物にならない。
だがデボラはキドニスまでしか出かけたことがないという。彼女にルルザの街を説明するには、どうしたら分かりやすいだろう。
「うーん、そうだなあ……ルルザの街の面積はキドニスの二、三倍くらいだと思う。それでもって、建物の密集具合や人の多さもまるで違うんだ」
ルルザの街中はレンガで舗装されている部分も多く、それは目で見るだけでは分からないほどの傾斜がついており、雨水は排水溝に流れていく。
子供だったロイドが入ったことはないが、大きな賭場があって、建物の周りは夜でも人が溢れていた。
それから自分の歴史を語るにあたって、義兄のランサムの存在は外せない。
両親が亡くなった後に伯父を頼って王都まで旅をしたこと。ランサムが自分たち姉弟に付き添ってくれたこと。長い旅ではなかったが、元々騎士に憧れていたロイドはランサムの人柄に触れて、ますます騎士に憧れるようになったこと。
ロイドがルルザの街や、王都までの旅の様子を説明する間、デボラはどこともつかぬ宙を見つめ、一生懸命想像しているようだった。
自分の話をこんなに真剣に聞いてくれるデボラは……本当に優しいし可愛い。思わずロイドもぼうっとなって、デボラに見入る。
彼女もロイドの視線に気づき、そこでふと身体を起こした。
「ロイド様……首に傷が。虫に刺されたのですか」
「ん? ああ」
庭仕事をしている時に刺されたものだ。後でだんだん痒くなってきて、掻き毟ると血が滲んでしまった。
「薬があります。少し、待ってくださいね」
デボラは一度寝台から出て、棚から薬の瓶らしきものを取り出すと、再びロイドの元へやって来る。
そして彼女はロイドの首にそれを塗ってくれた。
こうしていると、中身の伴った本当の夫婦みたいだと思った。
「そういえば……司祭殿がこれをキスマークと見間違えてさ」
「キ、キスマーク……ですか?」
ブラッドベリ司祭が妙な見間違いをしたことを──ちょっとばかり刺激の強い会話かもしれないが、このくらいなら大丈夫だろうとロイドは判断した──デボラに聞かせる。
「君は普段口紅とかつけてないのに……何をどうやったら見間違えるんだろうって、不思議に思ったよ」
「……。」
ロイドにとっては笑い話のつもりだった。
だがデボラは何とも言えぬ表情でロイドを見つめている。
……ひょっとして、俺、何か変なこと言っちゃった?
それとも、キスマークの話は今の自分たちには早すぎたのだろうか?
ロイドが焦り始めると、デボラは薬瓶の蓋を閉めてナイトテーブルの上に置き、
「ロイド様」
そう言って手をロイドの胸元に当てた。
その様子は静かな迫力に満ちていて、ロイドは息をするのも忘れてデボラの行動に見入った。
彼女はロイドの着ているシャツのボタンを二つ開ける。身体を屈め、現れた肌に顔を寄せて、唇をつけた。
「っ……!」
すると、ちくっとする痛みが走って、ロイドは顔を顰めた。デボラは何をしたのだろう? 噛まれたのとは、ちょっと違う気もする。
顔を下に向けると、そこには小さな赤い痣が出来ていた。本当に彼女は何をしたのだろう。
「デボラ殿……?」
「子供の頃……自分の手の甲にこうしたら、痣が出来たので……母に見せたら、ものすごく怒られたんです」
かつての出来事をデボラは語った。
デボラの母はデボラにこの行動を禁じたが、なぜダメなのかは教えてくれなかった。
そしてデボラがある程度大人になり……シラカの領民に、仲睦まじい夫婦がいた。よく、妻か夫のどちらか──或いはどちらにも──の首や胸元に、鬱血の痕があった。
はじめは不思議に思っていたが、やがてデボラの中で幼いころの出来事と繋がる時が来た。
「なぜ母が怒ったのか……そして怒った理由を教えてくれなかったのか、その時分かったんです」
デボラの話に、ロイドはもう一度胸についた赤い痣を見る。そして、思った。
こ、これがキスマークだったのかぁあああ……! と。
肌を強く吸い上げると、痕が付くのは知っていた。子供の頃にやった気がする。だが、ロイドの中ではまるで繋がらなかったのだ。
齢二十二にして知った真実に慄きながらも、胸の痕と、ちょっと恥ずかしそうにしているデボラを見比べ……ロイドは再び慄いた。
いつの間にか、股間が硬く屹立していたのだ。
「はっ、はぅっ……!?」
「ロ、ロイド様?」
思わずデボラに背を向け、股間を庇うように身体を丸くした。
痛いほどに膨れ上がって、腹にくっついている。
こんな感覚は実に久しぶりだ。懐かしさすら覚える。
「ロイド様、申し訳ありません。私、出過ぎた真似を……」
背後でデボラが戸惑っているのが分かる。
「あ、いや! それは違う! 違うんだ!」
デボラには自分のとった行動、そして何も伝えなかったことで、大きな誤解をさせてしまっている。その誤解がやっと解けたところだ。同じ過ちを繰り返してはいけないと、ロイドはすぐに寝返りを打ってデボラの方を向いた。
股間がびんびんになっているのは恥ずかしいので、身体は丸めたまま。
「ロ、ロイド様? お腹が痛いのですか!?」
「あの……た、勃ちました……」
「えっ」
「下半身が……元気になりました……」
デボラは何も言わなかったが、一瞬だけロイドの股間のあたりに視線を彷徨わせ……それからぱっと俯いた。
ロイドも何も言わなかった。というか、他に何を言えばよいのか分からなかった。
身体を丸めて股間を押さえたままロイドは考える。
この後、どうしたらいいんだろう、と。
勃ったからヤってみてもいい? とか訊いていいのだろうか。
しかし、また失敗したら……その前に萎んじゃったら……。
いや、失敗した時のことを考えてはいけない。
それにデボラの今の行動。彼女はロイドを奮い立たせようとしてくれたのではないか?
キスマークが何かも分からぬ自分に、彼女は優しく、色っぽく教えてくれたのだ。どれほどの勇気が要ったことだろう。
「デ、デボラ殿……」
「は、はい」
ここまでお膳立てしてもらって何もできなかったら、自分は男ではない。
「デボラ殿」
「はい」
ロイドは身体を起こし腕を伸ばして、デボラに触れた。
「う、上手くできないかもしれないけど、その……」
「はい……」
デボラの、小さいが、凛とした返事が聞こえた。
出会ったばかりの頃から思っていた。
デボラは、美しいうえに勇敢で潔い女性だ。ロイドは彼女の言動に常に敬服している。
彼女の勇気に応えたい。彼女にふさわしい男になりたい。
「君を抱きたいんだ」
ロイドの言葉に、デボラはもう一度「はい」と言った。
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