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第四話 ダンジョンへ行こう
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陰陽暦一一二九年、十一月一日。
タビがイフィクラテスとイフィゲネイアの屋敷に来て、半年が経った。
タビの生活は日々穏やかだ。毎日少し家事をして、初級の錬金術の本を読んで、二人に錬金術の話を聞いて、それから二人とともに近くの森へ散歩に出て、そのくらいだ。だが、少しずつ、タビは自分が変わってきていることに気付いていた。
「ほんの少しの好奇心が、世界を読み解く鍵になる」
イフィクラテスのその言葉どおり、タビは色々なことに興味を持った。日々の生活の中から、錬金術の本や話の中から、自然と触れ合った経験から、なぜ、どうして、という疑問をたくさん生み出した。
それに、イフィクラテスとイフィゲネイアは答えた。時折、自分で答えを見つけるよう宿題を出すこともあったが、大体は我慢できなくなったイフィクラテスがヒントを出してタビを教え導いた。
そのせいもあって、何の興味も抱かない生活の中で小さく縮こまっていたタビの心は、大きく開かれた。何もかもを吸収して、何もかもを受け入れる。ただ、それでは大変だし、余計なことも考えなくてはならなくなる。情報は取捨選択しなくてはならない。それには並外れた知識と判断力が必要となる。
その取捨選択ができるようになるまではまだ時間がかかるから、とイフィゲネイアはそっと誘導する。限られた時間を有効に使い、日頃の話題から、世間話から、錬金術師たちの歴史から、タビに様々なことを教えた。
タビは、気付いた。
「世界は、広いんだ。ずっと、ずっと、はるか遠くまで、たくさんの人たちが世界を広げてる」
その意味を、きっと世間の人々は理解しない。
だが、錬金術師は違う。世界の理を追求し、世の人々を助け、ときに導き、禁忌に手を伸ばす彼らは、自分たちの領域に入ってきたタビを歓迎する。
この半年でタビは成長した。たった半年、しかし最高の師と恵まれた環境で、好奇心のかたまりであるタビは、見違えるように立派な錬金術師の卵となっていた。
もはや口減らしで親に捨てられてひもじい思いをしていたころとは違う。タビは——『双生の錬金術師』イフィクラテスとイフィゲネイアの弟子だと、胸を張って言える。
そのはずなのだが、この日、イフィクラテスは突然こんなことを言い出した。
「タビ、ダンジョンに潜るぞ」
青空のもとで洗濯物を干していたタビは、首を傾げた。
ずかずかやってきたイフィクラテスは、意気軒昂、本当に今すぐにでも飛び出していってしまいそうだ。さらには、先走るイフィクラテスを抑えようとしてか、後ろからイフィゲネイアがやってきていた。
しかし、タビの足元にはまだたくさんの洗濯済みのシーツやパジャマ、シャツがある。何をするにしても、まずこれを片付けてからだ。
「えっと、師匠、話を聞きたいので、手伝ってください。早くしないと日が落ちてしまいます、もう冬ですから」
「そうか、うん、分かった」
「私も手伝うわ」
珍しく家事を手伝おうとする師匠たちに、タビは思わず緊張した。普段は絶対に手伝わない。これは——ダンジョンに潜る、ということは、何か重大な話なのだ。タビはそう察した。
真っ白くなったシャツを順番にはたきながら、タビは恐る恐る尋ねる。
「ダンジョンって、何ですか?」
「迷宮だ、この付近にもあるそうだ」
「イフィクラテス、それじゃ説明になっていないわ。ダンジョンというのは、多くは自然に形成される迷宮のことよ。基本的にモンスターを生み出す土壌があって、モンスターはその土地の力を受け継いで地域ごとに特徴的な核を持っているわ。たとえば火山地帯のモンスターは火を生じさせる核を持っていたり、青い砂漠の大蠍は猛毒を生み出す核を持っていたり、そうした核を採取して大都市の人々は生活に利用しているの。モンスターの核を利用する技術、それを現代では『核科学』と言うわ」
すらすらとイフィゲネイアの口から出てくる説明のほとんどは、タビにとって未知の情報ばかりだった。モンスターの存在は知っているが、冒険者が多いラエティアでは真っ先に狩られて一般市民には目にする機会が少ない。どんな生き物なのか、それさえも書物の上で知ったスライムやユニコーンといった幻獣の姿しか思い浮かばない。
とはいえ、問題はそこではない。
イフィクラテスとイフィゲネイアは、タビに何をさせたいのか。
それを推測し、タビは答えようとする。
「ダンジョンには、モンスターがたくさんいて、そのモンスターの持つ核が便利なものだから……えっと、採取しに行くんですか? 僕が?」
タビからシャツを受け取り、高いところに干すイフィクラテスは満足そうに肯定する。
「うむ。昔はモンスターはいなかったし、核よりも強力な鉱石が多く採れた。今は面倒だな、あれっぽっちのもののためにいちいちモンスターを倒さなければならない」
昔ってどのくらい前のことだろう。タビはすでに気付いている、イフィクラテスとイフィゲネイアの時間感覚は常人とはかけ離れているのだ。
タビはイフィゲネイアとシーツの両端を持って、洗濯のために張り巡らせている紐の上に投げて掛ける。バネを利用した木製の洗濯バサミはイフィクラテスの手作りで、ぴょいっとタビは跳んでできるだけ高いところにくっつけた。
晴れた冬の入りの空は風が強く、洗濯物は思う存分にはためく。
ひと通り洗濯物を干し終えてから、イフィクラテスは本題に入った。
「それはさておき、お前はすばしっこいし、冒険者と肩を並べて、錬金術を実用的に使うほうが向いていると思った。自分の武器や道具を作るためにも、ダンジョンに行って適性を見てからがいいだろう。明日、一緒に潜るぞ。いいな?」
タビはこくん、と素直に頷く。
イフィクラテスが、弟子のためにならないことはしない。イフィゲネイアも同様で、彼らは——伝説に名高き『双生の錬金術師』だ。とりあえず、疑うよりもやってみるほうが早いし、楽しい。
タビは洗濯カゴを抱えて、「ダンジョン、ダンジョン」と忘れないよう口ずさんだ。あとで本を探して、少しでも知識を得ておかなくてはならないからだ。
どんなものだろう。期待と想像はまだ形作られておらず、モンスターという存在のほうがまだ親しみが湧く。
イフィクラテスは、ああそうだ、と言って振り返り、タビの右手親指を指差した。
「タビ、『共鳴器』の出力は、どの程度出せるようになった?」
タビは、右手親指にはめているガラスの指輪——錬金術の道具『共鳴器』について、こう答えた。
「大きな木を切り倒せるくらいにはなりました」
タビがイフィクラテスとイフィゲネイアの屋敷に来て、半年が経った。
タビの生活は日々穏やかだ。毎日少し家事をして、初級の錬金術の本を読んで、二人に錬金術の話を聞いて、それから二人とともに近くの森へ散歩に出て、そのくらいだ。だが、少しずつ、タビは自分が変わってきていることに気付いていた。
「ほんの少しの好奇心が、世界を読み解く鍵になる」
イフィクラテスのその言葉どおり、タビは色々なことに興味を持った。日々の生活の中から、錬金術の本や話の中から、自然と触れ合った経験から、なぜ、どうして、という疑問をたくさん生み出した。
それに、イフィクラテスとイフィゲネイアは答えた。時折、自分で答えを見つけるよう宿題を出すこともあったが、大体は我慢できなくなったイフィクラテスがヒントを出してタビを教え導いた。
そのせいもあって、何の興味も抱かない生活の中で小さく縮こまっていたタビの心は、大きく開かれた。何もかもを吸収して、何もかもを受け入れる。ただ、それでは大変だし、余計なことも考えなくてはならなくなる。情報は取捨選択しなくてはならない。それには並外れた知識と判断力が必要となる。
その取捨選択ができるようになるまではまだ時間がかかるから、とイフィゲネイアはそっと誘導する。限られた時間を有効に使い、日頃の話題から、世間話から、錬金術師たちの歴史から、タビに様々なことを教えた。
タビは、気付いた。
「世界は、広いんだ。ずっと、ずっと、はるか遠くまで、たくさんの人たちが世界を広げてる」
その意味を、きっと世間の人々は理解しない。
だが、錬金術師は違う。世界の理を追求し、世の人々を助け、ときに導き、禁忌に手を伸ばす彼らは、自分たちの領域に入ってきたタビを歓迎する。
この半年でタビは成長した。たった半年、しかし最高の師と恵まれた環境で、好奇心のかたまりであるタビは、見違えるように立派な錬金術師の卵となっていた。
もはや口減らしで親に捨てられてひもじい思いをしていたころとは違う。タビは——『双生の錬金術師』イフィクラテスとイフィゲネイアの弟子だと、胸を張って言える。
そのはずなのだが、この日、イフィクラテスは突然こんなことを言い出した。
「タビ、ダンジョンに潜るぞ」
青空のもとで洗濯物を干していたタビは、首を傾げた。
ずかずかやってきたイフィクラテスは、意気軒昂、本当に今すぐにでも飛び出していってしまいそうだ。さらには、先走るイフィクラテスを抑えようとしてか、後ろからイフィゲネイアがやってきていた。
しかし、タビの足元にはまだたくさんの洗濯済みのシーツやパジャマ、シャツがある。何をするにしても、まずこれを片付けてからだ。
「えっと、師匠、話を聞きたいので、手伝ってください。早くしないと日が落ちてしまいます、もう冬ですから」
「そうか、うん、分かった」
「私も手伝うわ」
珍しく家事を手伝おうとする師匠たちに、タビは思わず緊張した。普段は絶対に手伝わない。これは——ダンジョンに潜る、ということは、何か重大な話なのだ。タビはそう察した。
真っ白くなったシャツを順番にはたきながら、タビは恐る恐る尋ねる。
「ダンジョンって、何ですか?」
「迷宮だ、この付近にもあるそうだ」
「イフィクラテス、それじゃ説明になっていないわ。ダンジョンというのは、多くは自然に形成される迷宮のことよ。基本的にモンスターを生み出す土壌があって、モンスターはその土地の力を受け継いで地域ごとに特徴的な核を持っているわ。たとえば火山地帯のモンスターは火を生じさせる核を持っていたり、青い砂漠の大蠍は猛毒を生み出す核を持っていたり、そうした核を採取して大都市の人々は生活に利用しているの。モンスターの核を利用する技術、それを現代では『核科学』と言うわ」
すらすらとイフィゲネイアの口から出てくる説明のほとんどは、タビにとって未知の情報ばかりだった。モンスターの存在は知っているが、冒険者が多いラエティアでは真っ先に狩られて一般市民には目にする機会が少ない。どんな生き物なのか、それさえも書物の上で知ったスライムやユニコーンといった幻獣の姿しか思い浮かばない。
とはいえ、問題はそこではない。
イフィクラテスとイフィゲネイアは、タビに何をさせたいのか。
それを推測し、タビは答えようとする。
「ダンジョンには、モンスターがたくさんいて、そのモンスターの持つ核が便利なものだから……えっと、採取しに行くんですか? 僕が?」
タビからシャツを受け取り、高いところに干すイフィクラテスは満足そうに肯定する。
「うむ。昔はモンスターはいなかったし、核よりも強力な鉱石が多く採れた。今は面倒だな、あれっぽっちのもののためにいちいちモンスターを倒さなければならない」
昔ってどのくらい前のことだろう。タビはすでに気付いている、イフィクラテスとイフィゲネイアの時間感覚は常人とはかけ離れているのだ。
タビはイフィゲネイアとシーツの両端を持って、洗濯のために張り巡らせている紐の上に投げて掛ける。バネを利用した木製の洗濯バサミはイフィクラテスの手作りで、ぴょいっとタビは跳んでできるだけ高いところにくっつけた。
晴れた冬の入りの空は風が強く、洗濯物は思う存分にはためく。
ひと通り洗濯物を干し終えてから、イフィクラテスは本題に入った。
「それはさておき、お前はすばしっこいし、冒険者と肩を並べて、錬金術を実用的に使うほうが向いていると思った。自分の武器や道具を作るためにも、ダンジョンに行って適性を見てからがいいだろう。明日、一緒に潜るぞ。いいな?」
タビはこくん、と素直に頷く。
イフィクラテスが、弟子のためにならないことはしない。イフィゲネイアも同様で、彼らは——伝説に名高き『双生の錬金術師』だ。とりあえず、疑うよりもやってみるほうが早いし、楽しい。
タビは洗濯カゴを抱えて、「ダンジョン、ダンジョン」と忘れないよう口ずさんだ。あとで本を探して、少しでも知識を得ておかなくてはならないからだ。
どんなものだろう。期待と想像はまだ形作られておらず、モンスターという存在のほうがまだ親しみが湧く。
イフィクラテスは、ああそうだ、と言って振り返り、タビの右手親指を指差した。
「タビ、『共鳴器』の出力は、どの程度出せるようになった?」
タビは、右手親指にはめているガラスの指輪——錬金術の道具『共鳴器』について、こう答えた。
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