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第五話 高説長くダンジョン突入
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翌朝、タビを真ん中に挟んで、イフィクラテスとイフィゲネイアの三人は深い森の小道を歩いていた。タビは襷掛けした小さなカバンを持ち、中には回復ポーションや錬金術で作った役立ちそうな道具を入れている。本音を言えば、もっとたくさん持ってきたかったが、体格の小さいタビでは逆に疲れるだけだとイフィクラテスに諭された。
深い森の奥、そこには、今日潜るダンジョンがある。どんな場所なのか、タビは軽く書物を紐解いてみたが、危険なモンスターが徘徊する巣穴、としか分からなかった。さすがに昨日の今日では、調べられる情報にも限度がある。
イフィクラテスもイフィゲネイアも、タビの質問にはこう答えるばかりだ。
「大丈夫、行って直接見れば分かる」
それはそうなのだろうが、と少しだけの不満を隠して、タビは二人に連れられてダンジョンへと向かう。
道すがら、相変わらず、イフィクラテスはずっと喋りどおしだ。
「一千年以上前に一夜で一国を滅ぼした『機械仕掛けの神』の伝説や、それよりはるか以前の世界を敵に回した神官の偽正義騒乱、こうしたものを錬金術師たちは歴史として残そうとした。しかし、あまりにも被害がひどかったため、時の権力者や怯える民はすみやかに、徹底的に忘れようとした。都合のいい世界のために、都合のいい歴史を求めた。その結果が、歴史記述者を歴史家という権威主義の物語作家に変えてしまったんだ。こうして、世界の歴史は、各国各組織それぞれに異なる形のかけらとして育まれ、決して他のかけらと一致することはなくなった」
イフィクラテスはいつも、タビへこんな話をする。
タビが理解できるかどうかは問題ではない、だそうだ。耳にしたことは決して損にはならない、いつか思い出したときに役立つだろう。そのためにイフィクラテスはずっとタビへ話を聞かせるために喋っている。
世界のあらゆることを、古の教訓を、はるか遠い国の悲劇を、錬金術師の技の成果を。
難しくても、憶えきれなくても、タビはいつも真剣に、イフィクラテスの話を聞いていた。
「歴史というものは、結局のところ、葬式と同じだ。過去の人間のためのもの、死んだ人間のためのものじゃない。今と未来の人間のためのもの、生きている人間のためのものだ。つまりは、死人に口なし、だ。過去の人間は死んだそのときから、今を生きる人間の都合を代弁する者として操られる運命にあるのさ」
その内容は分からずとも、タビはイフィクラテスの言葉をそのまま受け取る。人々への批判、皮肉、彼なりの解釈を、まだ幼いタビは分類できない。ちょっとずつ咀嚼して、知ろうと試みる。
とはいえ、時折イフィゲネイアはそんなイフィクラテスの滑らかな舌を制止する。
「イフィクラテス、あなた、詩人か風刺作家にでもなりたいの?」
「やりたいところだが、俺に文才はない。試すだけ時間の無駄だな」
「己を言葉にしない者は存在しなかった者、と言うわ」
「ふん、物静かな他者の存在を亡き者にしたいがための言葉に興味はない。すべての人生は等しく価値があり、価値がないものだ。愚かな人間は自分の人生にこそ価値があるように振る舞うが」
イフィクラテスがさらなる饒舌さを披露しようとしたところで、イフィゲネイアが道の先を指差した。
「見えてきたわ。ダンジョンの入り口よ」
イフィクラテスの言葉は止まり、タビとともにダンジョンへと視線を注ぐ。
タビは、不思議なものを見た。
深い森の中は、白樺の木やマツの木、背の低い下草だらけだ。しかし、ダンジョンの入り口とされたそこから先の森は——明らかに、北国には本来あり得ない毒々しいほどの深緑の木々が密集している。ラエティアから出たことのないタビにとっては、まったく親しみのない樹木ばかりだ。だからこそ、ここにあることがおかしいのだと、一目で分かる。
イフィクラテスは冷静に、ダンジョンの入り口を観察する。
「ふむ、最近できたばかりだな。さほど広くはないが、生息するモンスター次第か。よし」
イフィクラテスは一歩を踏み出す。タビは慌てて、イフィクラテスの袖を掴んで、引き止めた。
「あの、師匠。今から中に入るんですよね」
「ああ、そうだな」
「どうして外からダンジョンを削っていかないんですか?」
予想外のタビの質問に、イフィクラテスとイフィゲネイアは顔を見合わせる。
もちろん、二人とも質問の意図は分かっている。ダンジョンという危険な領域にわざわざ足を踏み入れずとも、外から少しずつ危険な領域を減らしていけばいいのでは、あわよくば消滅させれば、とタビは言っているのだ。
だが、当然、そうしない理由はある。
「それを説明するためにも、潜ってみたほうが早い。行くぞ」
「は、はい!」
青い宝石の錫杖をしゃらんと鳴らして、イフィクラテスは先頭に立つ。
イフィゲネイアは立ち止まり、手を振っていた。
「私はここで待っているから、タビ、イフィクラテスを見張っておいてちょうだい」
タビは頷く。イフィクラテスは何をしでかすか分からない、ある意味ダンジョンより危険な存在だということは、タビにも分かる。
そして、ダンジョンに入ってそれは確信に変わるのだが、それはもう少しだけ先の話だ。
深い森の奥、そこには、今日潜るダンジョンがある。どんな場所なのか、タビは軽く書物を紐解いてみたが、危険なモンスターが徘徊する巣穴、としか分からなかった。さすがに昨日の今日では、調べられる情報にも限度がある。
イフィクラテスもイフィゲネイアも、タビの質問にはこう答えるばかりだ。
「大丈夫、行って直接見れば分かる」
それはそうなのだろうが、と少しだけの不満を隠して、タビは二人に連れられてダンジョンへと向かう。
道すがら、相変わらず、イフィクラテスはずっと喋りどおしだ。
「一千年以上前に一夜で一国を滅ぼした『機械仕掛けの神』の伝説や、それよりはるか以前の世界を敵に回した神官の偽正義騒乱、こうしたものを錬金術師たちは歴史として残そうとした。しかし、あまりにも被害がひどかったため、時の権力者や怯える民はすみやかに、徹底的に忘れようとした。都合のいい世界のために、都合のいい歴史を求めた。その結果が、歴史記述者を歴史家という権威主義の物語作家に変えてしまったんだ。こうして、世界の歴史は、各国各組織それぞれに異なる形のかけらとして育まれ、決して他のかけらと一致することはなくなった」
イフィクラテスはいつも、タビへこんな話をする。
タビが理解できるかどうかは問題ではない、だそうだ。耳にしたことは決して損にはならない、いつか思い出したときに役立つだろう。そのためにイフィクラテスはずっとタビへ話を聞かせるために喋っている。
世界のあらゆることを、古の教訓を、はるか遠い国の悲劇を、錬金術師の技の成果を。
難しくても、憶えきれなくても、タビはいつも真剣に、イフィクラテスの話を聞いていた。
「歴史というものは、結局のところ、葬式と同じだ。過去の人間のためのもの、死んだ人間のためのものじゃない。今と未来の人間のためのもの、生きている人間のためのものだ。つまりは、死人に口なし、だ。過去の人間は死んだそのときから、今を生きる人間の都合を代弁する者として操られる運命にあるのさ」
その内容は分からずとも、タビはイフィクラテスの言葉をそのまま受け取る。人々への批判、皮肉、彼なりの解釈を、まだ幼いタビは分類できない。ちょっとずつ咀嚼して、知ろうと試みる。
とはいえ、時折イフィゲネイアはそんなイフィクラテスの滑らかな舌を制止する。
「イフィクラテス、あなた、詩人か風刺作家にでもなりたいの?」
「やりたいところだが、俺に文才はない。試すだけ時間の無駄だな」
「己を言葉にしない者は存在しなかった者、と言うわ」
「ふん、物静かな他者の存在を亡き者にしたいがための言葉に興味はない。すべての人生は等しく価値があり、価値がないものだ。愚かな人間は自分の人生にこそ価値があるように振る舞うが」
イフィクラテスがさらなる饒舌さを披露しようとしたところで、イフィゲネイアが道の先を指差した。
「見えてきたわ。ダンジョンの入り口よ」
イフィクラテスの言葉は止まり、タビとともにダンジョンへと視線を注ぐ。
タビは、不思議なものを見た。
深い森の中は、白樺の木やマツの木、背の低い下草だらけだ。しかし、ダンジョンの入り口とされたそこから先の森は——明らかに、北国には本来あり得ない毒々しいほどの深緑の木々が密集している。ラエティアから出たことのないタビにとっては、まったく親しみのない樹木ばかりだ。だからこそ、ここにあることがおかしいのだと、一目で分かる。
イフィクラテスは冷静に、ダンジョンの入り口を観察する。
「ふむ、最近できたばかりだな。さほど広くはないが、生息するモンスター次第か。よし」
イフィクラテスは一歩を踏み出す。タビは慌てて、イフィクラテスの袖を掴んで、引き止めた。
「あの、師匠。今から中に入るんですよね」
「ああ、そうだな」
「どうして外からダンジョンを削っていかないんですか?」
予想外のタビの質問に、イフィクラテスとイフィゲネイアは顔を見合わせる。
もちろん、二人とも質問の意図は分かっている。ダンジョンという危険な領域にわざわざ足を踏み入れずとも、外から少しずつ危険な領域を減らしていけばいいのでは、あわよくば消滅させれば、とタビは言っているのだ。
だが、当然、そうしない理由はある。
「それを説明するためにも、潜ってみたほうが早い。行くぞ」
「は、はい!」
青い宝石の錫杖をしゃらんと鳴らして、イフィクラテスは先頭に立つ。
イフィゲネイアは立ち止まり、手を振っていた。
「私はここで待っているから、タビ、イフィクラテスを見張っておいてちょうだい」
タビは頷く。イフィクラテスは何をしでかすか分からない、ある意味ダンジョンより危険な存在だということは、タビにも分かる。
そして、ダンジョンに入ってそれは確信に変わるのだが、それはもう少しだけ先の話だ。
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