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第十四話 『ラハクラッツの森』特別保護区カスヴィカウプンキ

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 陰陽暦一一三〇年、二月十四日。

 少し前、タビが初めて足を踏み入れたダンジョンに、名前がついた。

 『ラハクラッツの森』と呼ばれるダンジョンは、その土地の領主と『双生の錬金術師』が協議した結果、環境保全と定期収穫物の確保のため、周辺一定の範囲を含めた特別保護区とすることが決定された。『ラハクラッツの森』特別保護区には街が作られ——当初は村落程度の予定だったのだが、特別保護区全域の見回りや定期収穫物の管理出荷に人手が必要となったため、彼らの生活を維持する人員も足すとちょっとした街ができた。

 その特別保護区の長は暫定的にイフィクラテスとイフィゲネイアが務めている。主にダンジョンの『管理人トゥイトゥス』ラハクラッツと交渉し、『ラハクラッツの森』の治安維持や要望を叶えたり、収穫物の調整を行うのだ。それ以外の雑事は領主から派遣された事務職の補佐役数人が行う。これらの体制も、『ラハクラッツの森』特別保護区の経営状況次第で見直されるだろう。

 そんな状況でタビはというと、露店を開いていた。




 早朝、『ラハクラッツの森』特別保護区の街カスヴィカウプンキ。

 三ヶ月前から急遽森を切り開いてできた街は、外縁部にまだまだ開拓の余地がある。丸太を組んだ建物が十軒ほど建てられ、他にも建築途中の棟が目立つ。街の真ん中には広場があり、そこには毎朝、六、七ほどの店による朝市が立って食料や生活必需品の売り買いが行われていた。

 タビは朝から荷車を引いてカスヴィカウプンキへ向かう。朝市の広場の片隅に日除けのテントをつっかえ棒で張り、木箱の上に錬金術で作った商品を並べる。粒状にして一回分に分けた回復ポーション、消毒済み絆創膏、軽量小型化ペレット炭バイオコークス灯火用植物分解油バイオマスエタノール、これらはタビの手作りだ。

 『ラハクラッツの森』から帰ったあと、イフィゲネイアから読むことを許された錬金術師ジーベルの著作『イルム・アル・カワス』と『百十二の書』を読みながら、試行錯誤の末に作ってみたものだ。本の内容が難解すぎて、ああでもないこうでもないと結局イフィクラテスとイフィゲネイアが一緒になって読んで議論して理解を深め、タビは二つの錬金術による新しい商品を作り上げた。それが軽量小型化ペレット炭バイオコークス灯火用植物分解油バイオマスエタノールだ。

 ちなみに、粒状回復ポーションは基礎中の基礎として教え込まれている回復ポーションに桃花草のエキスを加えて成形乾燥させたもの、消毒済み絆創膏は余り布を切って消毒液エタノールに浸したものだ。開拓業に従事する人々にとって怪我は日常茶飯事で、これから先もしっかり働いて稼いでいくためにも化膿や破傷風を防ぐことが第一となる。そのため安価で安全な錬金術による医薬品は需要が高い。

 一方で、軽量小型化ペレット炭バイオコークス灯火用植物分解油バイオマスエタノールは、試供品程度の売れ行きだった。

 タビの露天の前に、木こりたちがやってくる。

「よう、おチビ。回復ポーションをくれ」
「はい、どのくらい必要ですか?」
「今手持ちがなくてな、銀貨一枚で何粒だ?」
「えーと、とりあえず五粒です。もし足りなかったら」
「ああ、分かってる分かってる。酒を飲むんだろ?」
「本当はダメですけど、一時的に回復力を高めるだけなら問題ないです。でも、なるべくやらないようにしてくださいね」

 そんな会話をしながら、あっという間に大瓶いっぱいの粒状回復ポーションは売れてしまった。大抵の傷や疲れを癒すだけでなく二日酔いにもいい、と噂が広まってしまい、北方の火酒ウィスキーを好む木こりたちがこぞって買いにくる。

 他にも、特別保護区役場から事務員が走ってやってきた。

「タビ、絆創膏をくれ。あるだけ全部だ」
「はい、この束で金貨一枚です」
「助かる。医薬品が足りなくてな、次の供給まで保たないところだった」
「他に必要な医薬品があれば言ってください。胃薬や消毒液、火傷用軟膏くらいならすぐに作れます」
「ああ、今度注文したいものをリストにして持ってくるよ。常備薬をもっと増やさないと」

 ぶつぶつと言いながら、事務員は紐で縛った消毒済み絆創膏の束をいくつも抱えて帰っていく。

 これだけ売れても、実はタビの露店は採算が取れていない。それもそのはずで、今は儲けに走るときではない。『ラハクラッツの森』特別保護区の立ち上げ時期にはしっかりと協力すべきだ、とタビはカスヴィカウプンキで働く大人たちを見ていて思った。ただ理由はそれだけではなく、草原や森で回復ポーションなどの原料を採取し、できるだけコストを圧縮して作るという生産ラインをどこまで効率化できるか、ともタビは考え、おっかなびっくりだが実行しているのだ。

 医薬品はその方針で行くとして、ならば儲けは別の場所で出さないといけない。

 それが軽量小型化ペレット炭バイオコークス灯火用植物分解油バイオマスエタノールの二つの商品なのだが——。

 客が捌けてひと段落したタビの露店へ、買い物用の背負いカゴに野菜と肉をたっぷり詰め込んだ中年の女性がやってきた。

「タビちゃん、ランプ用の油をもらっていい?」
「はい、一本銀貨二枚です」

 タビはワイン瓶に詰めた灯火用植物分解油バイオマスエタノールを一本、女性の背負いカゴの中へ入れる。代金の銀貨二枚を受け取り、ポケットにしまった。

「ありがとう。これ、持ちがよくて助かるわぁ、それに煤も出ないし、油臭くないもの。宿のお客さんにも好評よ」
「ありがとうございます。今度、花の香りをつけてみようかと思うんですけど、どうですか?」
「あら、いいわね。ラベンダーオイルとか?」
「はい、香油が手に入れば作ってみようかと。次の隊商キャラバンが来たときに頼んでおきますね」
「楽しみだわぁ。待ってるわね」

 そんな調子で、ボツボツとは売れるのだが、やはりまだまだ灯火用植物分解油バイオマスエタノールは知名度も利用法も知られていない。悩ましいのは軽量小型化ペレット炭バイオコークスも同じで、近くのパン製造所からやってきた赤鼻の男性など、タビの露店へやってきてこんなことを言うのだ。

「うー、寒い寒い。おはようタビ、石炭ヒーリくれ」
石炭ヒーリじゃなくて軽量小型化ペレット炭バイオコークスです」
「何でもいいよ。窯の火入れ前だから寒いんだ、お前んとこの石炭ヒーリは臭くなくて使ってもバレないから助かる」

 思っていたのと用途が違う、とタビはちょっと不機嫌だ。それでもちゃんと売る。銅貨五枚をタビへ手渡し、軽量小型化ペレット炭バイオコークスを一つ、男性は紙に包んで持って帰った。

 日が少し昇って、朝市の露店が店を畳みはじめる。タビも他の人々に倣い、店を畳んだ。それからいくらか他の店の人々と余った商品を交換して、タビは荷車を引いて屋敷に帰る。

 初め、タビは商売などやったこともなく、イフィクラテスとイフィゲネイアに命じられて嫌々だったが、やり始めて二週間も経てば慣れてくるものだ。手元に入る代金はすべて原材料費に消えてしまうが、こうして朝市に出て、カスヴィカウプンキの需要をはじめとした経済状況、行政の停滞箇所といった問題点など貴重な情報がやっと分かる。おそらく、イフィクラテスとイフィゲネイアはこれをタビに教えたかったのだろう。

 カスヴィカウプンキというできたばかりの街をどうしていくかを考えろ。ラハクラッツとの交渉を進める二人は、ずっとタビへそう言ってきた。ダンジョンと共生する街、モンスターと人の共存関係をどうやって維持していくか、そこにはやってくる人々の生活がかかっていて、彼らのためには失敗は許されない。

 それを——イフィクラテスとイフィゲネイアは、何とかしようとしている。難しさも分かっているだろうに、そうすべきだからとその道をまっすぐに進んでいく。

 すごいことだ、とタビは思った。師匠たちは、当たり前のように誰かの人生を救っていく。まだまだ錬金術の道具をやっとこさ作れる程度のタビでは、足元にも及ばない。

「……僕も、そうなりたいな」

 まだまだ遠い道のりを、タビは荷車を引きながら歩いていく。

 とはいえ、日々はタビが思ったほど穏やかには過ぎていかず、風雲急を告げる。

 一時間以上荷車を引いて屋敷に帰ってきたタビは、玄関に座る人影に気付いた。

 人影、というかその大柄な男性は、見たこともない大きな剣を背負い、鈍色の額当てと胸当てをつけ、防寒具の擦り切れた毛皮のコートを羽織っていた。しかも顔には大きな傷がある、怖い。

 客人とは思うが、怖くて近寄りたくないし、近寄らないと屋敷に入れない。イフィクラテスとイフィゲネイアは留守だろうか、嫌だなぁ、とタビが逡巡していると——その男性に見つかってしまった。男性は立ち上がり、タビへ向かってやってくる。

「おい、お前」
「ぴゃあああ!?」

 タビは気が動転して叫ぶ。逃げ出そうにも荷車がある、ぶつかって逃げ出せずにいると、あっさりやってきた男性に頭を掴まれた。

「こら、叫ぶな。手紙をもらってきたんだ、客だぞ」

 捕まったタビはびくびくしながら、男性の名乗りを聞いた。

「俺はシノン、冒険者だ。『双生の錬金術師』の手伝いに来た」
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