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第十一話 私にできること、それは……(中)
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「レース? いやあ……ドラゴニアではあまり需要はないし、うーん」
やっぱり、と私が肩を落とすと、店主と思しき女性は紙とインクと羽ペンを用意して、鞄の中のレースを一つ一つ鑑定しはじめました。
あれは二年前に半年をかけて作ったピアノショール用のレースで、手前のものは去年仕上げたばかりのレースロール、と私は手に取られる品の思い出を噛み締めて、それらを手放さなければならない寂しさに気落ちしそうです。でも、仕方ありません。こうなっては、私にできることを何でもしなくてはならないのです。
鞄の底がやっと見えて、最後のレースの値段であろう数字が店主と思しき女性の手により紙に書き入れられました。そして、合計の値段が記されます。
「このくらいだね」
そこに書かれていたのは、ドラゴニア銀貨五十枚、という現実でした。
あれだけ苦労して、全部を売り払っても、金貨にもなりません。私のしてきたこととは、金銭にしてみればその程度だったのでしょうか。リトス王国で私の作品を楽しみにして、譲ってほしいだとか買いたいとおっしゃってくれていた方々を思うと、涙が出そうです。
いえいえ、涙なんか出している暇はありません。私は自分のためにも、何とか値段を上げてもらおうと必死になって、一言。
「せ、せめて金貨になりませんか……?」
よほど私の表情が切迫していたのか、店主と思しき女性は羽ペンを手放し、どこからか取り出した煙管を手にしてこう言いました。
「お嬢さん、ひょっとしなくても他国から来たんだろう?」
「は、はい」
「ドラゴニアのあらゆる品物は、魔力がこもっているかどうかが価値を決める大きな要素になるんだよ。支配階級の竜生人はそういった財宝を好むし、芸術品だってただ綺麗なだけじゃだめだ。ドラゴニアの職人たちはみな優れた魔導師で、自らの魔力や媒介品の魔力を品物に込めることに長けている。むしろ、それが高値をつける商品の大前提と言ってもいい」
この煙管もね、と店主と思しき女性は艶やかな所作で煙管を回します。
確かに、女性の手にある煙管からは魔力が感知できます。それも、機能的な、回路のような高度かつ繊細なものです。
魔力を付与する魔法道具、それ自体はこのゴドレ大陸のどこであっても使われています。しかしそれは魔法を修得し、同時に対象の道具について熟知している魔導師だからこそ生み出せるものです。煙の出ない煙管、消耗しない羽ペン、アミュレット代わりになる装飾品、それらは貴族階級に喜ばれる高級品として珍重され、ときに政治を揺るがすほどの凄まじいものもあるのだとか。
どうやら、ドラゴニアではそうでなくては売れないようです。となれば簡単、レースに魔力を付与すれば——という話になりますが、魔法も使えず制御もできない私にそれは難しそうです。
しかし、難しいだけで、できないわけではないでしょう。
私は、店主と思しき女性へ尋ねます。
「魔力を込める。その方法は、何かの本に書いてあるのでしょうか?」
店主と思しき女性は、くすくすと笑って紙に空いている手を当てました。
「そう身構えなくても、こうやるんだよ」
私の視線が、カウンター上に置かれている紙へと注がれます。
ほんの一瞬、女性の手がほのかに光りました。そして、手を離すと——手を置いていた部分だけが、はっきりと分かるほどつるつるになり、光さえ反射しています。
私にとっては、それは画期的な手法でした。魔力を込めるだなんて、魔法でしかできない、そう思っていたからです。しかし女性は一言も魔法の言葉を発することなく、ただ魔力を紙へと乗せただけです。それでも明らかに紙の質が変わり、保護膜のようなものが生成されていることが伺えます。
「こうやって耐久性を上げたり、コーティングしたり、職人が手がければ軽く百年二百年は保つようになる。それ以外にも色々あるが、まあ基本はそれだね。簡単だろう? やってみるかい?」
私は、できるような気がしました。
魔法も使えない私ですが、有り余る魔力の放出だけはできます。それこそ、イオニス様を吹き飛ばしたときのように、集中すればそのくらいはできるのです。
私はレースの山の中から、ハンカチレースを手に取り、畳んで両手に挟みました。
(できる、できる。魔力の放出だけなら……難しい制御も何も必要ない、ただ魔力をレースへ込めればいいだけだもの。集中して、エルミーヌ。やるわ……!)
やる気だけなら、魔力と同じく無尽蔵に私の胸の中から湧いて出てくるようです。
レースに魔力を込める、そのイメージをしながら、私は目を閉じました。
暗闇に、目に見えない大きな渦があります。それが私の手の中にあるレースへと、急速に回転しながら吸い込まれていく。レースの糸の一本一本にまで、隅々にまで、水が染み渡るように注がれ、ついに十分すぎるほど濡れてしまってもなお渦から魔力の水は滴り、私はそれを逃さないようレースの中へと押し込めようとします。
ぎゅうぎゅう、ぎゅうぎゅう。糸の中に詰め込み、詰め込み。せっせと働く小人さんのように繰り返し、ハンカチレースは詰め込まれた魔力をしっかりと吸収していきます。
そんな想像が楽しくなってきたとき、女性の制止する叫び声がしました。
「ストップ! 魔力を止めて!」
やっぱり、と私が肩を落とすと、店主と思しき女性は紙とインクと羽ペンを用意して、鞄の中のレースを一つ一つ鑑定しはじめました。
あれは二年前に半年をかけて作ったピアノショール用のレースで、手前のものは去年仕上げたばかりのレースロール、と私は手に取られる品の思い出を噛み締めて、それらを手放さなければならない寂しさに気落ちしそうです。でも、仕方ありません。こうなっては、私にできることを何でもしなくてはならないのです。
鞄の底がやっと見えて、最後のレースの値段であろう数字が店主と思しき女性の手により紙に書き入れられました。そして、合計の値段が記されます。
「このくらいだね」
そこに書かれていたのは、ドラゴニア銀貨五十枚、という現実でした。
あれだけ苦労して、全部を売り払っても、金貨にもなりません。私のしてきたこととは、金銭にしてみればその程度だったのでしょうか。リトス王国で私の作品を楽しみにして、譲ってほしいだとか買いたいとおっしゃってくれていた方々を思うと、涙が出そうです。
いえいえ、涙なんか出している暇はありません。私は自分のためにも、何とか値段を上げてもらおうと必死になって、一言。
「せ、せめて金貨になりませんか……?」
よほど私の表情が切迫していたのか、店主と思しき女性は羽ペンを手放し、どこからか取り出した煙管を手にしてこう言いました。
「お嬢さん、ひょっとしなくても他国から来たんだろう?」
「は、はい」
「ドラゴニアのあらゆる品物は、魔力がこもっているかどうかが価値を決める大きな要素になるんだよ。支配階級の竜生人はそういった財宝を好むし、芸術品だってただ綺麗なだけじゃだめだ。ドラゴニアの職人たちはみな優れた魔導師で、自らの魔力や媒介品の魔力を品物に込めることに長けている。むしろ、それが高値をつける商品の大前提と言ってもいい」
この煙管もね、と店主と思しき女性は艶やかな所作で煙管を回します。
確かに、女性の手にある煙管からは魔力が感知できます。それも、機能的な、回路のような高度かつ繊細なものです。
魔力を付与する魔法道具、それ自体はこのゴドレ大陸のどこであっても使われています。しかしそれは魔法を修得し、同時に対象の道具について熟知している魔導師だからこそ生み出せるものです。煙の出ない煙管、消耗しない羽ペン、アミュレット代わりになる装飾品、それらは貴族階級に喜ばれる高級品として珍重され、ときに政治を揺るがすほどの凄まじいものもあるのだとか。
どうやら、ドラゴニアではそうでなくては売れないようです。となれば簡単、レースに魔力を付与すれば——という話になりますが、魔法も使えず制御もできない私にそれは難しそうです。
しかし、難しいだけで、できないわけではないでしょう。
私は、店主と思しき女性へ尋ねます。
「魔力を込める。その方法は、何かの本に書いてあるのでしょうか?」
店主と思しき女性は、くすくすと笑って紙に空いている手を当てました。
「そう身構えなくても、こうやるんだよ」
私の視線が、カウンター上に置かれている紙へと注がれます。
ほんの一瞬、女性の手がほのかに光りました。そして、手を離すと——手を置いていた部分だけが、はっきりと分かるほどつるつるになり、光さえ反射しています。
私にとっては、それは画期的な手法でした。魔力を込めるだなんて、魔法でしかできない、そう思っていたからです。しかし女性は一言も魔法の言葉を発することなく、ただ魔力を紙へと乗せただけです。それでも明らかに紙の質が変わり、保護膜のようなものが生成されていることが伺えます。
「こうやって耐久性を上げたり、コーティングしたり、職人が手がければ軽く百年二百年は保つようになる。それ以外にも色々あるが、まあ基本はそれだね。簡単だろう? やってみるかい?」
私は、できるような気がしました。
魔法も使えない私ですが、有り余る魔力の放出だけはできます。それこそ、イオニス様を吹き飛ばしたときのように、集中すればそのくらいはできるのです。
私はレースの山の中から、ハンカチレースを手に取り、畳んで両手に挟みました。
(できる、できる。魔力の放出だけなら……難しい制御も何も必要ない、ただ魔力をレースへ込めればいいだけだもの。集中して、エルミーヌ。やるわ……!)
やる気だけなら、魔力と同じく無尽蔵に私の胸の中から湧いて出てくるようです。
レースに魔力を込める、そのイメージをしながら、私は目を閉じました。
暗闇に、目に見えない大きな渦があります。それが私の手の中にあるレースへと、急速に回転しながら吸い込まれていく。レースの糸の一本一本にまで、隅々にまで、水が染み渡るように注がれ、ついに十分すぎるほど濡れてしまってもなお渦から魔力の水は滴り、私はそれを逃さないようレースの中へと押し込めようとします。
ぎゅうぎゅう、ぎゅうぎゅう。糸の中に詰め込み、詰め込み。せっせと働く小人さんのように繰り返し、ハンカチレースは詰め込まれた魔力をしっかりと吸収していきます。
そんな想像が楽しくなってきたとき、女性の制止する叫び声がしました。
「ストップ! 魔力を止めて!」
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