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最終話
暖炉の前に、一人の少年が座り込んでいました。
ふかふかのシロクマの毛皮に乗って、足元にはたっぷりの生クリームと砂糖を入れたホットコーヒーのマグカップが置かれています。
利発そうな金髪の少年が読んでいる本は、『大極北圏建国記』の第一巻です。ガッチリとした黒い皮革の装丁に、金箔がふんだんに押されています。
そこへ、少年の背後にある扉がばーんと開かれました。
「フリスト様!」
現れたぱっつん黒髪のメイドの少女を、少年は無視します。メイドの少女はイラっとして、叫びました。
「もう! フリスト・アマデオ・ウルティマトゥーレ・コンクィスタ・グリフィオ=レーリチ王子殿下!」
長い長いフルネームを呼ばれ、少年——フリスト王子はやっと振り返りました。
「なんだ、カティヤ。寒いから扉は閉めろ」
「はいはい! いつまで本をお読みに? もう夜の十時を過ぎましたよ」
「まだ宵の口じゃないか」
「そういう言い方、公爵閣下から習ったんですか? お酒も飲めないくせに」
「うるさいな」
フリストは口を尖らせますが、カティヤは無視して目の前までやってきます。フリストの読んでいる本に目をつけ、カティヤはあら、と感心しました。
「あらまあ、建国記ですか。試験勉強ですか?」
「今度、大劇場の落成記念にスピーチしないといけなくてな。そのネタ探しだ。父上はまた戦場だから」
「代理ですか。いつも大変ですね」
「もう慣れたよ。次の国王としてキャリアを積んでおけ、とかなんとか理由をつけて、面倒ごとを押しつけてくる大人ばかりだ」
「まあまあ、『極北の王』として地盤固めをしておきましょう。食事会で美味しいものがあったら持って帰ってきてくださいね」
フリストははあ、とため息を吐きました。食いしん坊のカティヤはそうやってすぐお土産を期待するのです。
『極北の王』、第十三代大極北圏冠王国の国王であるフリストの父アマデオは戦争のこと以外大抵は自由気ままで、今も元気に南の蛮族を平定しに行ったままです。なので、国王代理として第一王子フリストは伝統的に摂政も置かず、国政を任されており——王国貴族たちも慣れたもので、国王がいなくても日常そのものです。
だからと言って、国王がいてもスピーチ原稿作成はほとんどフリストに任されているのですが。
それはさておき、フリストは建国記を指差してこう言いました。
「初代『極北の王』ヴィンチェンツォは、チーズとトナカイ肉で妻ユリアを極北の地に誘ったそうだ」
「そんなことまで書いているんですか、それ」
「ラブレターは全部載っているぞ」
「きちんと残すあたり、初代国王も愛妻家ですねぇ」
「チーズもトナカイ肉も、うちの国に来てわざわざ注文する外国人客が多いのはこれが理由だ」
「……新婚旅行で?」
「観光の目玉にはなるんだろうな」
初代国王と王妃がここ大極北圏にやってきたのは、もう三百年も前の話です。王妃ユリアは夫のために自分でトナカイを狩りに行き、チーズをたくさん用意して帰りを待っていたのだとか。
トナカイステーキ、タルタルソース、香草焼き、シチュー、今では大極北圏の各地でトナカイとチーズ料理が食べられます。初代国王と王妃が大極北圏へ持ち込んだのは愛と食事と文化、と言われているほどです。
フリストがふと、動くものを捉えて扉に目をやると、少し背の高い銀髪の少女がおどおどとして、覗いてきていました。カティヤもそれに気付き、声をかけます。
「エルマ様!」
「あ、カティヤ……フリスト様、ご、ごきげんよう」
「ああ」
「さあさあ、エルマ様、そんなところより暖炉の前でおしゃべりしてください!」
カティヤはさっさとエルマを暖炉の前に連れてきます。
気弱な少女エルマは、プオランネ公爵家令嬢で、フリストの婚約者です。プオランネ公爵も国王について戦争に行ってしまったので、エルマはポイっとフリストのもとに預けられていました。
銀髪がコンプレックスで、何かとびくびくしているエルマは、なかなか言いたいことが言えません。
なので、フリストは手招きします。
「エルマ、おいで。眠くなるまでここにいるといい」
エルマはこくん、と頷き、そろっとフリストの隣に座りました。
すると、フリストはエルマの肩を抱き寄せます。
「寒いだろう。くっついているといい」
「で、でも、そんな、畏れ多い」
「カティヤ、毛布を。それから、エルマにココアを淹れてくれ」
「かしこまりました! 少々お待ちください!」
カティヤは元気よく扉を閉め、走っていく音が室内にまで聞こえていました。
「あいつはいつもうるさいな……」
ぶつくさ言うフリストの横で、エルマが伏し目がちに、照れた顔を見せていました。
長いまつ毛も銀色で、肌は透き通るように白く、深窓の令嬢そのもののエルマです。放っておくと溶けて消えそうだ、と思ったフリストは、こつんと額をくっつけました。
「今度、一緒に大劇場の落成記念パーティに行こう。未来の王妃として、初仕事だ」
そんなフリストの誘いに、エルマは小さな声で答えます。
「……は、はい。がんばります」
ちょっとだけ力を込めた言葉に、フリストは愛おしくなって、エルマの頭を撫でました。
おしまい
ふかふかのシロクマの毛皮に乗って、足元にはたっぷりの生クリームと砂糖を入れたホットコーヒーのマグカップが置かれています。
利発そうな金髪の少年が読んでいる本は、『大極北圏建国記』の第一巻です。ガッチリとした黒い皮革の装丁に、金箔がふんだんに押されています。
そこへ、少年の背後にある扉がばーんと開かれました。
「フリスト様!」
現れたぱっつん黒髪のメイドの少女を、少年は無視します。メイドの少女はイラっとして、叫びました。
「もう! フリスト・アマデオ・ウルティマトゥーレ・コンクィスタ・グリフィオ=レーリチ王子殿下!」
長い長いフルネームを呼ばれ、少年——フリスト王子はやっと振り返りました。
「なんだ、カティヤ。寒いから扉は閉めろ」
「はいはい! いつまで本をお読みに? もう夜の十時を過ぎましたよ」
「まだ宵の口じゃないか」
「そういう言い方、公爵閣下から習ったんですか? お酒も飲めないくせに」
「うるさいな」
フリストは口を尖らせますが、カティヤは無視して目の前までやってきます。フリストの読んでいる本に目をつけ、カティヤはあら、と感心しました。
「あらまあ、建国記ですか。試験勉強ですか?」
「今度、大劇場の落成記念にスピーチしないといけなくてな。そのネタ探しだ。父上はまた戦場だから」
「代理ですか。いつも大変ですね」
「もう慣れたよ。次の国王としてキャリアを積んでおけ、とかなんとか理由をつけて、面倒ごとを押しつけてくる大人ばかりだ」
「まあまあ、『極北の王』として地盤固めをしておきましょう。食事会で美味しいものがあったら持って帰ってきてくださいね」
フリストははあ、とため息を吐きました。食いしん坊のカティヤはそうやってすぐお土産を期待するのです。
『極北の王』、第十三代大極北圏冠王国の国王であるフリストの父アマデオは戦争のこと以外大抵は自由気ままで、今も元気に南の蛮族を平定しに行ったままです。なので、国王代理として第一王子フリストは伝統的に摂政も置かず、国政を任されており——王国貴族たちも慣れたもので、国王がいなくても日常そのものです。
だからと言って、国王がいてもスピーチ原稿作成はほとんどフリストに任されているのですが。
それはさておき、フリストは建国記を指差してこう言いました。
「初代『極北の王』ヴィンチェンツォは、チーズとトナカイ肉で妻ユリアを極北の地に誘ったそうだ」
「そんなことまで書いているんですか、それ」
「ラブレターは全部載っているぞ」
「きちんと残すあたり、初代国王も愛妻家ですねぇ」
「チーズもトナカイ肉も、うちの国に来てわざわざ注文する外国人客が多いのはこれが理由だ」
「……新婚旅行で?」
「観光の目玉にはなるんだろうな」
初代国王と王妃がここ大極北圏にやってきたのは、もう三百年も前の話です。王妃ユリアは夫のために自分でトナカイを狩りに行き、チーズをたくさん用意して帰りを待っていたのだとか。
トナカイステーキ、タルタルソース、香草焼き、シチュー、今では大極北圏の各地でトナカイとチーズ料理が食べられます。初代国王と王妃が大極北圏へ持ち込んだのは愛と食事と文化、と言われているほどです。
フリストがふと、動くものを捉えて扉に目をやると、少し背の高い銀髪の少女がおどおどとして、覗いてきていました。カティヤもそれに気付き、声をかけます。
「エルマ様!」
「あ、カティヤ……フリスト様、ご、ごきげんよう」
「ああ」
「さあさあ、エルマ様、そんなところより暖炉の前でおしゃべりしてください!」
カティヤはさっさとエルマを暖炉の前に連れてきます。
気弱な少女エルマは、プオランネ公爵家令嬢で、フリストの婚約者です。プオランネ公爵も国王について戦争に行ってしまったので、エルマはポイっとフリストのもとに預けられていました。
銀髪がコンプレックスで、何かとびくびくしているエルマは、なかなか言いたいことが言えません。
なので、フリストは手招きします。
「エルマ、おいで。眠くなるまでここにいるといい」
エルマはこくん、と頷き、そろっとフリストの隣に座りました。
すると、フリストはエルマの肩を抱き寄せます。
「寒いだろう。くっついているといい」
「で、でも、そんな、畏れ多い」
「カティヤ、毛布を。それから、エルマにココアを淹れてくれ」
「かしこまりました! 少々お待ちください!」
カティヤは元気よく扉を閉め、走っていく音が室内にまで聞こえていました。
「あいつはいつもうるさいな……」
ぶつくさ言うフリストの横で、エルマが伏し目がちに、照れた顔を見せていました。
長いまつ毛も銀色で、肌は透き通るように白く、深窓の令嬢そのもののエルマです。放っておくと溶けて消えそうだ、と思ったフリストは、こつんと額をくっつけました。
「今度、一緒に大劇場の落成記念パーティに行こう。未来の王妃として、初仕事だ」
そんなフリストの誘いに、エルマは小さな声で答えます。
「……は、はい。がんばります」
ちょっとだけ力を込めた言葉に、フリストは愛おしくなって、エルマの頭を撫でました。
おしまい
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