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第三話
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数日後、メルヴィンはドレスを着た淑女となって、ハドリアーナ王国ドゥカ宮殿前にいた。婚約者との面会、国王夫妻への挨拶、お見合いのようなものだが二週間ほど滞在しなければならない。ここまではハドリアーナ王国から迎えにきた金の飾りで彩られた馬車に乗って、二泊三日の旅だったが、メルヴィンの正体を知るメイドが三人ついてきてくれているおかげで、男であることはバレていない。ここにいるのはメラニー・ローザ・タランティオン、メルヴィンはそう思い込もうとしたが、よく考えればあのお転婆メラニーの本性を知っているだけに、真逆の大人しく貞淑な虚像のメラニーを演じることが正しい気がしてきていた。
ハドリアーナ王国は帝国の南にあり、それなりに暖かい国だ。海上交易で栄え、海の女王と名高い港湾都市イル・フィロッバーニ・グランデを擁している。また、開放的で洗練された芸術を愛する国、そんな側面も持っていた。
それだけに、暑いから着替えなさいだの、こちらのハドリアーナ風ドレスがお似合いですよなどと言われて、いきなり脱がされてバレるのではないか、という恐怖もある。
それを避けるためには——こうするしかない。
メルヴィンは宮殿前で出迎えた中年のハドリアーナ貴族に、作った声で挨拶する。
「お初にお目にかかります、メラニーと申します」
「おお、噂に違わずお美しい! これは失礼、ご滞在中の身の回りのお世話を担当します、コンリーゼ伯爵ジュリオ・ベルティーニです。お会いできて光栄です、メラニー様。ハドリアーナは暑いでしょう?」
「ええ。でも、私、肌が弱くて、日傘と帽子と手袋が手放せませんの。申し訳ございません、このような姿で失礼しますわ」
もちろん嘘だ。しかし日傘も帽子も長手袋もしている。とても暑い。それでも外に出ず、肌を晒さない理由を見せつけておかなければならない。
淑女が肌を晒さない正当な理由があるなら、紳士はそれに従うことが常識だが、さて、ハドリアーナではどうだろう。
幸いにも、ベルティーニは納得してくれた。
「なるほど、そうでしたか。それは大変だ。分かりました、使用人たちにはその旨を伝えておきます」
「お願いいたしますわ。日頃の肌の手入れなどはメイドたちに任せてありますから、手間をおかけすることはございません。でも」
ついでにダメ押しをしておこう、メルヴィンは演技に入る。
「このような肌をお見せするのは恥ずかしいので、できれば部屋にはあまり……入らないでいただけると、助かります」
これなら使用人を含め、ベルティーニも他のハドリアーナ貴族もできれば王族も滞在中の部屋に近づけないだけの理由になる、そのはずだ。その条件さえクリアできれば、メルヴィンの正体がバレる可能性は大幅に下がる。宮殿内の部屋ではなく別荘くらい貸してもらえればもっと楽だったが、それは贅沢なので我慢する。
ベルティーニは快活に笑った。
「はっはっは! 淑女の部屋に押し入るなど言語道断、リュカ殿下以外はそのようなことはいたしませんとも!」
王子殿下は部屋に押し入ってくるのか、とメルヴィンが不安を覚えたそのときだった。
宮殿の大きな鉄格子の門が開く。招き入れるためか、と思ったが、違った。
宮殿の中から、一人の美青年が現れたからだ。束ねた黒髪に中性的な美しさを持つ、劇場の俳優にもなれそうな男性だ。首元から胸にかけて涼しげな藍のショールを巻き、何とも洒脱な雰囲気をまとっている。
呆気に取られていたメルヴィンへ、やってきた青年が微笑んで声をかける。
「おっと。大丈夫かい? 驚かせてしまったかな」
メルヴィンは確かに青年の美貌には驚いたが、それ以上に鼓膜へ心地よく響くハスキーボイスにも驚く。これは異性が放っておかない、それどころか誰もが魅了されるような存在だ。そんな人物がここに現れたということは、大体誰だか察しがつく。
ベルティーニはメルヴィンへ近づく青年をさっと手で制して、咎める。
「リュカ殿下。何をなさっておられるのですかな?」
「何って、婚約者が着いたと聞いたから出迎えだよ、ジュリオ」
「まったく、なぜもう少し待てないのですか」
ベルティーニが呼びかけたリュカ殿下、目の前の青年は明るく笑って誤魔化す。
どうやら、リュカに対してベルティーニは咎められるだけの立場のようだ。しかし、リュカに気にした様子はない。
「いいじゃないか。さて、メラニー」
美しい青年、ハドリアーナ王国第一王子リュカは、メルヴィンの手袋をした右手を持ち上げ、軽くキスをした。
「挨拶が遅れたね。私はリュカ・ハドリアーナ。本名は長いから略式で失礼するよ。どうぞ、よろしく」
メルヴィンは悟る。こいつは厄介な相手だ、と。今まで女装をして散々人々を誤魔化してきた経験から分かるのだ、こういう得体の知れない遊び人風の男は、強引な口説きを躊躇わないし、しつこい。騙し切るには苦労する。
案の定というべきか、リュカはメルヴィンの顔に近づき、こうささやいた。
「肌が弱いんだってね。安心して、外では脱がせないから」
うわ、キザったらしい。いやそれ以前に脱がせるなどと公衆の面前で恥ずかしげもなく口にする、その言動は王子としてどうなのか。メルヴィンは思わず顔を逸らした。ベルティーニがとてもしかめっつらしい顔をしている、どうやらリュカのささやきが聞こえていたようだ。
当のリュカはベルティーニに叱られる前に身を翻し、メルヴィンへ一礼して宮殿の中へ戻っていった。あの逃げっぷりだと、叱られるようなことを言った自覚はあるようだ。
やれやれ、とベルティーニが苦労人ぶりを垣間見せる。
「ああいう方ですが、お気になさらず。普段は真面目です、ええ、あれでも勉学に関しては当代一流の賢人たちに学んでおりまして……あのようなことになぜなったのか」
メルヴィンはベルティーニに同情する。そして、メルヴィンは最終的にそのリュカを振ることになる以上、ベルティーニの受難は続くのだと思うと、その境遇に痛ましささえ感じてしまった。
ハドリアーナ王国は帝国の南にあり、それなりに暖かい国だ。海上交易で栄え、海の女王と名高い港湾都市イル・フィロッバーニ・グランデを擁している。また、開放的で洗練された芸術を愛する国、そんな側面も持っていた。
それだけに、暑いから着替えなさいだの、こちらのハドリアーナ風ドレスがお似合いですよなどと言われて、いきなり脱がされてバレるのではないか、という恐怖もある。
それを避けるためには——こうするしかない。
メルヴィンは宮殿前で出迎えた中年のハドリアーナ貴族に、作った声で挨拶する。
「お初にお目にかかります、メラニーと申します」
「おお、噂に違わずお美しい! これは失礼、ご滞在中の身の回りのお世話を担当します、コンリーゼ伯爵ジュリオ・ベルティーニです。お会いできて光栄です、メラニー様。ハドリアーナは暑いでしょう?」
「ええ。でも、私、肌が弱くて、日傘と帽子と手袋が手放せませんの。申し訳ございません、このような姿で失礼しますわ」
もちろん嘘だ。しかし日傘も帽子も長手袋もしている。とても暑い。それでも外に出ず、肌を晒さない理由を見せつけておかなければならない。
淑女が肌を晒さない正当な理由があるなら、紳士はそれに従うことが常識だが、さて、ハドリアーナではどうだろう。
幸いにも、ベルティーニは納得してくれた。
「なるほど、そうでしたか。それは大変だ。分かりました、使用人たちにはその旨を伝えておきます」
「お願いいたしますわ。日頃の肌の手入れなどはメイドたちに任せてありますから、手間をおかけすることはございません。でも」
ついでにダメ押しをしておこう、メルヴィンは演技に入る。
「このような肌をお見せするのは恥ずかしいので、できれば部屋にはあまり……入らないでいただけると、助かります」
これなら使用人を含め、ベルティーニも他のハドリアーナ貴族もできれば王族も滞在中の部屋に近づけないだけの理由になる、そのはずだ。その条件さえクリアできれば、メルヴィンの正体がバレる可能性は大幅に下がる。宮殿内の部屋ではなく別荘くらい貸してもらえればもっと楽だったが、それは贅沢なので我慢する。
ベルティーニは快活に笑った。
「はっはっは! 淑女の部屋に押し入るなど言語道断、リュカ殿下以外はそのようなことはいたしませんとも!」
王子殿下は部屋に押し入ってくるのか、とメルヴィンが不安を覚えたそのときだった。
宮殿の大きな鉄格子の門が開く。招き入れるためか、と思ったが、違った。
宮殿の中から、一人の美青年が現れたからだ。束ねた黒髪に中性的な美しさを持つ、劇場の俳優にもなれそうな男性だ。首元から胸にかけて涼しげな藍のショールを巻き、何とも洒脱な雰囲気をまとっている。
呆気に取られていたメルヴィンへ、やってきた青年が微笑んで声をかける。
「おっと。大丈夫かい? 驚かせてしまったかな」
メルヴィンは確かに青年の美貌には驚いたが、それ以上に鼓膜へ心地よく響くハスキーボイスにも驚く。これは異性が放っておかない、それどころか誰もが魅了されるような存在だ。そんな人物がここに現れたということは、大体誰だか察しがつく。
ベルティーニはメルヴィンへ近づく青年をさっと手で制して、咎める。
「リュカ殿下。何をなさっておられるのですかな?」
「何って、婚約者が着いたと聞いたから出迎えだよ、ジュリオ」
「まったく、なぜもう少し待てないのですか」
ベルティーニが呼びかけたリュカ殿下、目の前の青年は明るく笑って誤魔化す。
どうやら、リュカに対してベルティーニは咎められるだけの立場のようだ。しかし、リュカに気にした様子はない。
「いいじゃないか。さて、メラニー」
美しい青年、ハドリアーナ王国第一王子リュカは、メルヴィンの手袋をした右手を持ち上げ、軽くキスをした。
「挨拶が遅れたね。私はリュカ・ハドリアーナ。本名は長いから略式で失礼するよ。どうぞ、よろしく」
メルヴィンは悟る。こいつは厄介な相手だ、と。今まで女装をして散々人々を誤魔化してきた経験から分かるのだ、こういう得体の知れない遊び人風の男は、強引な口説きを躊躇わないし、しつこい。騙し切るには苦労する。
案の定というべきか、リュカはメルヴィンの顔に近づき、こうささやいた。
「肌が弱いんだってね。安心して、外では脱がせないから」
うわ、キザったらしい。いやそれ以前に脱がせるなどと公衆の面前で恥ずかしげもなく口にする、その言動は王子としてどうなのか。メルヴィンは思わず顔を逸らした。ベルティーニがとてもしかめっつらしい顔をしている、どうやらリュカのささやきが聞こえていたようだ。
当のリュカはベルティーニに叱られる前に身を翻し、メルヴィンへ一礼して宮殿の中へ戻っていった。あの逃げっぷりだと、叱られるようなことを言った自覚はあるようだ。
やれやれ、とベルティーニが苦労人ぶりを垣間見せる。
「ああいう方ですが、お気になさらず。普段は真面目です、ええ、あれでも勉学に関しては当代一流の賢人たちに学んでおりまして……あのようなことになぜなったのか」
メルヴィンはベルティーニに同情する。そして、メルヴィンは最終的にそのリュカを振ることになる以上、ベルティーニの受難は続くのだと思うと、その境遇に痛ましささえ感じてしまった。
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