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スラヤ村の肉じゃが
9話
しおりを挟む居間に戻ると、エンジュが物憂げな表情でマグカップを傾けている所だった。
おれがおはようと声をかけると、控えめな声で返事が返ってくる。
どうやら朝には強くないらしい。
はつらつとした声や生き生きした表情がなくなると、エンジュは途端に幻想的な美しさを発揮した。
顔立ちもよりケイジュとの共通点が目立ち、おれはうっかり見入ってしまう。
若い女性の顔をじろじろ眺め回す無礼に気付き、おれは慌てて目を逸らした。
やかんにはまだ熱いお湯が残っていたので、昨日使ったマグカップに注いでおれも飲む。
エルムさんは娘のぼんやりした様子には慣れっこなのか、台所で食べ物を物色していた。
「良かったら、おれが朝食を作りましょうか?簡単なものしか作れませんが……」
スラヤ村での朝食文化は知らないが、何もせずに座っているのも落ち着かないのでそう申し出る。
エルムさんは目を丸くしたあとエンジュをちらりと見て、少し眉を下げた。
「すまないな……昨夜はいつもより遅い時間まで起きていたから、エンジュもまだちゃんと目が覚めていないようだ」
「楽しそうに話を聞いてくれるので、おれもつい喋りすぎてしまいました……卵を使っても?」
「あ、ああ、ここにある食材は何を使ってくれても構わない。調味料はここにある。その他のことは……エンジュを起こして聞こう」
エンジュはマグカップを手に持ったまま宙を眺めているだけで、座ったまま寝ているようにも見える。
おれはエルムさんに笑いかけた。
「このままそっとしてあげてください。どうせ大した手間ではありませんから」
「……そうか、では悪いが頼む」
エルムさんはおれを何度か振り返りながら居間を出ていった。
おれは食料を保管している棚の中を覗いて、使えそうなものを取り出していく。
食文化が違うので見たことがない野菜や調味料が多い。
足りないものは自分で持ってきた食材を使おう。
おれが一度荷物を漁りに台所を出ると、エルムさんは洗濯物を抱えて外に出て行くところだった。エンジュが料理担当、エルムさんは洗濯担当なんだな。
慌ただしいけど牧歌的な朝の風景に心が和む。
おれは使い慣れない台所に苦労しながらも、干し肉で出汁を取ったキャベツのスープを作り、持参したパンをスライスした。
お土産に持ってきたジャムも並べればそれなりに朝食らしくなる。
最後に卵でオムレツを作ろうと鍋を加熱していると、マグカップを手にしたエンジュが驚いた顔で様子を見に来た。
「セオドアさん!いつの間に……」
まだ眠そうな顔はしているが、ようやく目が覚めてきたらしい。
「勝手に台所借りてごめんな?腹減っちまってさ」
「んーん、ごめんね、お客さんなのに……」
「いや、大したことはしてないよ」
エンジュはおれが作った簡素なスープやパンをもの珍しげに見ながら、食卓に皿を運んでくれた。
おれは配膳をエンジュに任せて、よくかき混ぜた卵液を鍋に投入する。
半月型に形を整えながら火を通し、皿に盛り付ける。
オムレツなんて久しぶりに作ったので形が少し崩れてしまったが、何とか人数分作り上げた。
「よし、出来た」
「すごい、よそのおうちの朝ごはんみたい」
エンジュは食卓を見回して感心したように呟いている。
おれにとっては見慣れた朝食でも、食文化が違えば珍しく見えるんだろう。
「おれはケイジュを呼んでくる。エルムさんも外かな?」
「うん、お父さんは洗濯と水やり担当だから、外にいると思う」
おれが手を拭きつつ外に出ると、丁度ケイジュが額の汗を拭いつつ戻ってきている所だった。
朝食が出来た旨を伝えて、エルムさんも呼んできてもらい、昨日と同じく4人で食卓を囲むことになった。
「セオドアが作ったのか……」
ケイジュは少し目を丸くして、嬉しそうにいそいそと椅子に座る。
エルムさんはエンジュと同じような反応だ。
「エンジュの料理には遠く及ばないけど、まぁ、食べれないことはないと思う」
おれは先に手を合わせて、まずはスープを匙で掬って飲む。
じっくり煮込む時間はなかったので少々そっけない味だが、まぁ及第点だ。
ケイジュも遠慮なくオムレツに箸をつけて、早速パンの上にのせて食べていた。
見慣れない料理におどおどしていたエンジュとエルムさんも遠慮がちに食べ始めて、すぐに表情が明るくなった。
「こういうのも新鮮でいいな」
「うん、美味しい。何だか都会の人になったみたい」
エンジュは頬に手を当てて嬉しそうに笑っている。
確かにフォリオは都会だけど、おれの料理にまでそんな評価をしてくれるなんてちょっと気恥ずかしい。
「良かったらパンにお土産に持ってきたジャムもつけてみて。きっと合うから」
おれがエンジュの方にジャムの瓶を押しやると、エンジュは早速パンにオレンジ色のジャムを塗り始めた。
ヘレントスで買ったものだけど、メロアという在来植物の身を使っているらしい。
買うときに少し味見をしたけど、独特の甘い香りと爽やかな酸味があって美味しかった。
パンを頬張ったエンジュは蕩けそうな笑顔になる。
それを見たエルムさんも少しだけジャムをパンに塗って食べていた。
ふむ、と寡黙に頷いただけだったけど、満足そうに眉が緩んでいる。
ひとまず朝食としての体裁は保てていたみたいで良かった。
さして時間もかからず、おれが用意した料理は綺麗に無くなった。
朝食後のお茶はエンジュが用意してくれたので、それを飲みつつ今日の予定について話す。
明日の朝、村を出発する予定なので、今日一日自由時間だ。
おれは家族団欒を邪魔しないように宿屋に泊まる予定だったのだが、当然のように今日まで泊っていけと勧められる。
今更断るのも変なのでありがたく言葉に甘えておくことにする。
エンジュは冬に向けて保存食を作ったり掃除をしたりするそうだ。
エルムさんは森に狩りに出掛けるらしく、お茶を飲んだあとすぐに準備に取り掛かっていた。
ケイジュはおれを連れていきたいところがあると言い出したので、おれはすぐに頷く。
一人で村をうろついていたら問題が起きそうだし、今日もケイジュ一緒にいたほうがいいだろう。
弓と短槍を携えて家を出ていったエルムさんに続いて、おれとケイジュも家を出る。
のどかな村の中にはもう村民たちが何人か行き来していたので、おれは慌ててフードを深く被った。
「雨が降りだす前に行こう」
ケイジュは空を見上げてそう言い、歩き出した。
朝から曇り空だったが、今は更に雲が厚くなって暗い灰色になっている。
明日の朝までには天気が回復しているといいけどな。
おれは湿った空気を深く吸い込んで、ケイジュの後を追った。
ケイジュは村の中を通り抜けて、坂道を登り始めた。
道の先には階段のような畑が続き、その先には小高い丘が見える。
「今からどこへ?」
「……母の墓だ。少しだけ、墓参りに付き合ってくれるか?」
おれは息をのみ、少し歩みを早めてケイジュの横に並ぶ。
「おれが行っても良いのか?」
おれの問いかけに、ケイジュはすぐに頷いた。
「ああ。セオドアを紹介して、安心させたいんだ」
おれなんかでケイジュのお母さんを安心させてあげられるかは自信がなかったけど、おれは気合を入れて足を踏み出す。
おれとケイジュはずんずん坂道を登った。
途中、小さな林に立ち寄って小さな野草の花を摘み、小高い丘に到着する。
見晴らしが良くて、ここまで登ってきた道や村、その下の森も見渡せた。
そこにはいくつかの墓標が並んでおり、花が飾られている墓もいくつかあった。
その中の一つ、少し脇に外れた所にある墓標にケイジュが歩み寄る。
白い石でできた四角柱におれには読めない字が掘られている。
「ここだ」
ケイジュは砂埃や草の切れ端を丁寧に払い除け、魔法で生成した水で洗い流し、墓石を綺麗にした。
そして途中で摘んできた白くて小さな花を捧げ、手を合わせる。
空模様は不穏だったけど、この場所は風がよく通って気持ちがいい。
湿り気を含んだ風が草を揺らして、秋らしい匂いを森から運んでくる。
ケイジュはしばらく祈ったあとおれを振り返った。
おれはフードを外しながら墓前に進む。
摘んできた白い花を捧げ、両膝をついて手を組んだ。
あえてケイジュの祈り方を真似るのではなく、貴族として家族に教わったやり方で祈る。
家出をしてからずっと墓参りにも行っていなかったのに、自然と体は動き、口の中で祈りの言葉を呟く。
ケイジュのお母さんは、おれが貴族であることをどう思うだろう。
ケイジュに関わるなと拒絶されたかもしれない。
過ちを忘れるなと憤ったかもしれない。
……もしくは、エンジュやエルムさんのように受け入れてくれたかもしれない。
それを知ることは最早叶わない。
けど、どんな反応をされていたとしても、おれはケイジュのことを諦められなかったと思う。
だから、恥じることのない生き方をすると、誓うだけだ。
おれは目を開けて、ゆっくり立ち上がった。
その時、一際強く風が吹き抜けた。
それは渦巻くようにおれの体を撫でて過ぎてゆく。
「……母さんは、淫魔にしては珍しく、風魔法が得意だったんだ。だから、こういう風が強い日は、おれを外に連れ出して、風魔法を使って遊んでくれた。それでおれも母さんも全身砂埃と落ち葉まみれになって、親父を呆れさせていた」
ケイジュは目を細めて風を受けながら、懐かしそうに呟いた。
そしてその優しい顔のままおれを見る。
「きっと、祝福してくれている」
おれはその言葉に目を伏せ、そうだと嬉しいな、と曖昧に頷いた。
ケイジュはあっさりと墓石に背を向けると歩き出した。
「そろそろ行こう。また雨に振られたら面倒だ」
おれはもう一度墓石を振り返り、白い墓石と曇り空の景色を目に焼き付けた。
ケイジュの後を追い歩き出したおれの背中を、風がそっと押してくれたように感じたのは、おれが感傷的になっていたせいだろうか。
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