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スラヤ村の肉じゃが

10話(ケイジュ視点)

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 墓参りから帰ると、程なくして雨が降りだした。
朝のうちに森に入っていた狩人たちも次々に村に戻ってきているらしく、昼前にはコルミルも家を訪ねてきた。
おれが村を出た後も親父やエンジュとは仲良くしていたらしく、エンジュは嬉しそうに仕事を中断してコルミルをもてなす。
家族以外にも一人くらい事情を知っている村人がいた方がいいだろうと、コルミルにはセオドアの出自を明かしておくことにした。
コルミルは好奇心丸出しの顔でおれとセオドアの耳飾りを見てニヤニヤし、おれたちが出会った経緯や精気を提供するに至った経緯なども聞きほじってきたが、おれは淡々とその質問を受け流す。
セオドアもお行儀のいい外面を発揮して、にこやかな笑顔のまま当たり障りのない答えを返していたが、耳の先が赤くなっていた。
コルミルは更にニヤニヤと下世話な顔で笑っていたが、おれが一度低い声でエンジュとは普段から仲が良いのか、と尋ねるとすぐに押し黙った。
冷や汗を流して引き攣った顔をしたコルミルをエンジュが慌てて庇って話題を変えてきたので、それに免じて許してやる。
コルミルはその後は詮索をやめて、小さい頃の思い出話をするなどして場を盛り上げた。
セオドアは、おれとコルミルが森の中で迷子になり大泣きしながら親父に保護された話を聞いて、楽しそうにしていた。
恥ずかしいが、セオドアが楽しんでいるならいいか、としばらくその話に乗ってやった。
帰り際、コルミルはふと真面目な顔になって、良かったな、とだけ言った。
コルミルを見返すと、お前がそんなふうに笑うの、久しぶりに見たよ、と付け加えられる。
おれは口元に手をやって、自分が笑っていることにようやく気付く。
確かに、ずっと気を張って傭兵をやっていたので家族の前でも気を抜く方法がわからなくなっていた。
コルミルはおれの返事も待たず、フードをかぶって雨の中に飛び出し、またな、と言って家の前から去っていった。

 一時はかなり激しい雨になったが長続きはせず、日が傾き始めた頃には天気は回復して雲の合間から青空も覗き始める。
地面はまだ泥濘んでいたが、家の中に篭ってばかりなのも退屈だったので、おれとセオドアは約束した手合わせを家の裏庭でやることにした。

 おれはセオドアと間合いを保ったままじりじりと睨み合う。
セオドアは真剣な顔で木の棒を構えて、おれに打ち込むタイミングを見計らっていた。
いつもは優しげな光をたたえている目が鋭く冷徹におれを観察し、笑ったりへの字になったりと忙しい唇も今は真一文字に引き結ばれている。
まるで別人だ。
おれがその青銀の瞳に見惚れて息を吐いた瞬間、じゃり、と土を踏みしめる音がした。
同時にセオドアが一気に踏み込んできて木の棒を振りかぶる。
が、その動きは一瞬止まって、思っていた方向とは違う向きから木の棒が打ち付けられた。
何とか盾で防いだものの、先程親父と打ち合う様子を見ていなければ間に合わなかっただろう。
今まで在来生物ばかりを相手にしていたので、セオドアの奇抜な動きはかなり手強く感じる。
だが、目が慣れてくれば反撃のチャンスはある。
セオドアは攻撃の手を休めることはなく、続けて足技を繰り出してきた。
容赦ない蹴りに木の盾が軋む。
武器だけでなく、足技も織り交ぜてくるなんてな。
貴族の上品な護身術と思っていたらあっという間に負ける。
おれは蹴りに押されて距離を取りそうになったが、それこそセオドアの思う壺だ。
足に力を込めて耐え、逆に前のめりに盾を構えて前進する。
間合いを詰められたセオドアが悔しそうに眉をしかめて木の棒でおれのシールドバッシュを受け止めた。
単純な膂力はおれの方が上なのでセオドアは体勢を崩したが、その動きに不自然さを感じておれは咄嗟に後退した。
案の定、セオドアの足がおれの足元を掠めていく。今度は足払いか。
本当になりふり構わない武術だな。
おれは唇が勝手に笑みを作るのを感じながら距離を取り、木の棒を握り直す。楽しい。
ここまで対等に戦える相手は冒険者や傭兵にも少ない。
亜人なら魔法が使えるので、体術を極めている奴は案外居ないものなのだ。
同じ愉悦を感じているのか、頬に汗を光らせながらセオドアも笑う。
にやりと唇を吊り上げて、ゆったりした動きで両手を広げてみせた。
かかってこないのか、と挑発されている。
おれは興奮に任せてその挑発に乗ることにした。
セオドアの手から木の棒を弾き飛ばすべく、全力の踏み込みから突きを繰り出した。
流石にセオドアの反応が一拍遅れ、おれの狙い通り木の棒の先端がセオドアの手元に当たる。
しかしその力を受け流してセオドアは耐え、むしろその勢いを利用するように持ち手を変えておれに反撃する。
だが、セオドアの動きにもようやく慣れてきたおれはその反撃を木の棒を振り上げて弾いた。
セオドアの手からすっぽ抜けた木の棒がくるくる回りながら宙を舞い、草むらに落ちる。
その行方を見ていたセオドアがおれを振り返り、気の抜けた笑みを浮かべた。

「くそ~、負けた」

「……先に親父と手合わせして手の内を晒していなければ、初手でセオドアが勝っていた」

おれが素直な感想を呟くとセオドアは少し目を見開き、それからおれをすくい上げるように見た。

「……おれが先にエルムさんと手合わせしたこと、まだ根に持ってるのか?」

少し意地悪そうに目を細めてそう尋ねるセオドアに、おれは開き直って返答する。

「ああ、そうだ。確かに技術ではまだ親父には敵わないが、セオドアが親父ばかりを頼るのは気に入らない……おれが、居るのに」

最後に付け加えた言葉は、自分で思ったよりも不貞腐れた口調になってしまった。
面倒くさいと思われたかも、と女々しい考えにとらわれてセオドアの顔色をうかがう。
セオドアは口元を手で隠していた。
しかし、隠せていない頬や目尻が嬉しそうに緩んでいた。
このぐらいの独占欲なら許されるのか、とおれはほっと息を吐く。

「……じゃあ、もう少し頼ってもいいか?」

セオドアは頬を流れていた汗を袖で拭い、不敵に笑いつつおれに言う。
おれが頷くと、セオドアは草むらに落ちていた木の棒を拾いにいった。
まだ日が沈むまで時間はある。おれはもうしばらくセオドアとの二人きりの時間を楽しむことにした。

 セオドアはかなり緊張していたようだったが、おれの家族との顔合わせは概ね予想通りの展開になった。
おれの親父も母も、幼い頃からおれに言い聞かせてきた。
過去は過去、今は今。
起きたことは変えられないが、過去に引きずられて今起きていることから目を背けるな、と。
そんな家族が今更セオドアの出自を理由に邪険にすることはあり得ない。
思った通り、親父も妹もセオドアを歓迎してくれたのだが、一つ予想外のことも起きた。
人当たりもよく、気遣いを絶やさないセオドアの人柄を、思った以上に親父と妹が気に入ってしまったのだ。
エンジュに関してはお土産を受け取った時点でのぼせていたし、親父もセオドアの出自の話を聞いた時点でかなり気を許していた。
おれが長い間特定の相手を作らず、常に精気不足気味に生きていたことが親父と妹にはかなり気がかりだったらしい。
セオドアの居ないところで、親父と妹にそれぞれ、絶対逃すな、大事にしろ、と念を押されたのだ。
更にセオドアが予想以上に巧みな体術を身に着けていること、さらりと朝食を作ってしまうくらいには器用なことも露見し、親父もエンジュもすっかりセオドアを家族の一員扱いし始めた。
そうなると、おれとしては落ち着かない。
悪いことではない。
むしろ喜ぶべきなのに、おれはこんなに器の小さい男だっただろうか。
セオドアが親父の顔を見て感心したようにため息を吐いたり、エンジュに安らいだ優しい微笑みを向けたりするたびに、早くこの村を出発して二人きりに戻りたいと思ってしまう。

 おれはセオドアの関心をおれに引き止めるため、真剣に稽古に取り組んだ。
結果的に、お互いが持つ技術の方向性が全く違うため、かなり有意義な時間にすることができた。
セオドアが習得している護身術は人間を敵として想定しており、目的は逃げ延びること。
おれが身に着けている槍術は在来生物が主な相手だ。
目的は当然殺すことになるので、セオドアの護身術とは違う身のこなしが必要になる。
セオドアが欲しているのは在来生物相手でも逃げずに済むための技術なので、おれに教えられることは多くある。
確実に在来生物の硬い甲殻を貫くためには一撃一撃の破壊力が重要だ。
セオドアが扱うのは剣なので、全てを指導することはできないが、一通り教えたあとのセオドアの一撃は見違えるように重くなっていた。
あと必要なのは、在来生物の知識だ。
人間とは体の構造が全く違うので、在来生物によって弱点は異なる。
その辺りは実践で徐々に身につけてもらうことにして、おれの指導は終わった。
それが終わったあとはセオドアが使うフェイントのコツを教わった。
相手の視線を誘導し、先を予測させて、それを裏切る方法。
戦いながらよくもまぁそんな多くのことを考えられるものだ、とおれは感心することになった。
体の動かし方だけではなく、表情や視線の向きなども重要になるので、それをさらりと出来るセオドアは役者をやっても成功したんじゃないだろうか。
そう告げるとセオドアは苦笑して、おれは親父や兄貴に比べれば大根役者だ、と恐ろしいことを言った。
イングラム家が長くフォリオを支配し続けられている理由がわかった気がする。
最後にもう一度手合わせしたときに、偶然ではあるがおれのフェイントが成功してセオドアから1本取ることができた。
セオドアは呆気にとられた顔をして、それから満面の笑みでおれを褒めてくれた。
すごい、さすが、と恋人に持て囃されて悪い気分であるはずがない。
おれは木の棒と盾を放り出し、セオドアを抱きすくめて汗で少し塩っぱい唇を奪っていた。
セオドアが焦ったように胸を押し返そうとしていたが、誰もいないことは確認済だ。
おれは満足するまでしっかりセオドアの唇を貪り、セオドアの背中から力が抜けるまでずっと抱きしめたままだった。
汗に湿った髪を梳きながら体を離すと、セオドアは焦点の合わないとろんとした目で顔を赤くしていた。
は、は、と小刻みに息を吐きだして、眉間にしわを寄せている。

「……だ、れかに、見られたら、どうすんだよ」

壮絶に色っぽい顔でそんなことを言われても、おれはますますそそられるだけだ。
だが、流石にここで盛るわけにはいかないので、赤くなった頬を掌で撫でるだけに留める。

「悪い、褒められたのが嬉しくて、ついな」

おれの言葉にセオドアがうっと言葉に詰まり、それから慌てておれから距離を取った。

「……心臓に悪いから、その顔はやめてくれ」

どうやらセオドアはおれの顔を気に入ってくれているらしく、照れた顔のまま目をそらして背を向ける。
今まで自分の顔が整っている方だと自覚はしていたが、それを美点とはずっと思えずにいた。
だが、セオドアのおかげで自分の顔を好きになれそうだ。
セオドアはそのまま木の棒を家の壁に立てかけて、そろそろ家の中に戻ろうとおれを促した。
気が付くと、日はもう半分ほど森の影に隠れている。
泥濘んだ地面で散々はしゃいだため靴が泥汚れで酷いことになっていたので、丁寧に浄化魔法で汚れを落として家に戻る。

 その晩もエンジュが張り切って作った料理と、親父が森から持ち帰ってきた在来生物の肉が食卓に並んだ。
セオドアは早速珍しい食材に目を輝かせ、親父とエンジュを質問責めにしていた。
セオドアの好奇心旺盛さはおれも好きな点ではあるのだが、それと同時に独占欲もむくむくと湧いてくる。
セオドアの自由闊達な様を好きだと思っているはずなのに、それと相反してセオドアを束縛したいという願望も抱いてしまう。
恋というのはどこまでも自己中心的だ。
だが相手のために自分を律することができなければ愛があるとは言えないだろう。
おれは柄にもないことを考えて勝手に気恥ずかしくなりながらも、実家での穏やかな時間を満喫した。

 翌朝、おれとセオドアはエンジュと親父に見送られて村を出発した。
珍しく早朝からしっかり目を覚したエンジュはおれに、セオドアさんをあまり困らせるな、思っていることはちゃんと口に出して言え、たまには手紙でもいいから連絡しろ、と口うるさく言いつけた。
その後セオドアに、お兄ちゃんをよろしく、と熱心に握手をしながら言っていた。
親父はぽつりと、気を付けろよ、と告げるだけであとは黙ってしまった。
おれは少し頷くだけでそれに応え、荷物を肩に背負い直して歩き始める。
セオドアは何度も振り返りながら手を振り、フードを深く被り直した。
朝もやに包まれた村の中はまだ静けさを保っていて、平和そのものだ。
おれはその光景をいつもより朗らかな気分で眺めた。
次に帰ってくるときも、きっとセオドアが隣にいる。
村にいた頃は窮屈に感じることも多かったのに、今はこの場所こそ故郷だと感じることができた。
村を出たところでセオドアが自動二輪車のエンジンを始動させる。
おれは気を引き締め直し、セオドアの後ろに跨る。
セオドアは、いくぜ、と一声かけて地面を蹴った。
村の前の坂道を勢い良く駆け下りる。
風を切る感触が心地よく、おれは背筋を伸ばした。
ひとまずヘレントスに寄って遺品を預けなければいけないが、その後はひたすら最短距離でフォリオを目指すだけだ。
この旅の一旦の終着点が、近付いている。





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