美しい人は異界の言葉で毒を吐く

うどんの裏側

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約束の3日後、僕はほぼ寝ずに描き上げた絵を抱えて湖畔に佇んでいた。
抱えたキャンバスをチラッと見て、はぁ~~と大きなため息を吐く。
アドニスと出会ってから描いていなかった風景画は、とても全力で描いた絵とは言えない。
いや、追い詰められるという意味では全力で描いた。
だが、自分の描きたいものではないからか、今までつまらないと言われていた理由が自覚出来る程につまらない絵だ。
見せたくない…こんなにつまらない絵を見せてアドニスの瞳を汚したくない…
ほぼ徹夜しており、目の下には濃いクマができている。食欲もなく、3日でゲッソリしてしまった。
画商の知人が此処に来る前に家を訪ねてきて、僕を見るなり哀れみの視線を向けつつ、僕の部屋の絵を何枚か奪っていった。
去り際に「そんな顔して描いた風景画は売れん。さっさと顔のない天使画を沢山描け」と言って、前回売れたお金の取り分を置いていった。
僕の1年分の生活費と同等の金額…何だか複雑な気持ちになった。
風景画は自分のライフワークだとつい最近まで思っていたのに、その気持ちはアドニスと出会って木っ端微塵だ。

「見せたくないなぁ…」

「いや、見せろよ」

いつの間にかアドニスが背後にいた。心臓は驚きのあまりドッドッドッと大きな音を立てた。

「アドニス様、ビックリさせないでくださいよ!」

「足音は立ててたと思うけど?何か思い詰めてるみたいだけど、そんなに嫌だったのか?」

アドニスは眉をハの字にして、首を傾けた。かっ!可愛い!いや、そんなこと思っている場合じゃない!

「そ、そういう訳では無いのですが…納得出来るものが描けず…」

「気軽に言ったつもりだったのに、なんかごめんな?まぁちょっと確認したいこともあってさ」

「確認したい…こと?ですか?」

「まぁまぁまず座ろうぜ。アンちゃんも、何か目の下にクマ出来てるし、疲れてるっしょ」

僕はアドニスに手を引かれ、いつものベンチに腰掛けた。小脇に抱えた絵は、まだがっちりとホールドしている。

「アンちゃんの隣は本当に癒やしスペースだよね~この3日で真っ黒になった腹ん中が浄化されてくわ。ほんっとうにイカれてやがる奴しかおらんのかいっ!『このクソが!ボケ!カス!』なんてなー」

「?途中何をおっしゃったのか…外国語ですよね?」

「そそ、アンちゃんには聞かせちゃ駄目かなと。そういや今日は泣いてないな。赤ちゃんは卒業か?」

アドニスの笑顔が尊すぎて、今涙が出てきた。
さっきは驚いてたから引っ込んでいただけだったようだ。

「いや、もう本当に卒業しろ?この泣き虫赤ちゃんめ」

アドニスが僕の頭をワシャワシャと掻き混ぜる。

「んで、その脇に挟んでる絵を見せな」

油断していた僕の手から、するりと絵が引き抜かれた。

「へ~風景画なのか~」

アドニスは僕の絵を両手で持って空に掲げながら見た。
どうかな?つまらない絵だというのは自覚してるけど、10年以上描いてきた風景画を、ほんの少しで良いから褒めて貰いたい。

「うん、綺麗じゃん」

アドニスのその一言で、僕の風景画家人生は報われた気がする。止まっていた涙がまた流れ出した。
アドニスは絵に向けていた顔をこちらにクルっと向けると、真顔で言った。

「でもこれじゃないだろ。アンちゃんの本当の絵は」

「えっ?」

「この絵を見て確信した。描き方がソックリというか、雰囲気というか」

「アドニス様?僕は贋作など描いていません!ぼ、僕のオリジナルです!!」

「あぁ、違う違う。そういうんじゃなくてさ、えっとさ、顔のない天使画シリーズ知ってる?」

ヒュッと息が止まった。

「2週間程前かな?うちの使用人がたまたま町で飾られてる絵を見付けてさ、それが親父か俺がモデルなんじゃないかって騒ぎになってな。俺は殆ど外出たり社交場にも出ないから、まぁ俺の親父ってばマジで『ショ…』あ、いや、見た目若いし、過激派な信者が居たりするしで、でも恐ろしさも知ってるから描かないだろうし、そもそも平民街のギャラリーってきいたら、ほら、もしかしてアンちゃんかなって…」

多分僕の顔から一切の血の気が失われているんじゃないだろうか。

「アンちゃん、俺のこと描いた?いや、でも天使画って、何か俺自惚れたこと言ってんじゃん。ヤバ!はっず!」

「すみません!!!すみませんすみませんすみません!!!」

僕はひれ伏すと、額を地面に打ち付けながら全力で謝った。

「今すぐ全て燃やします!許可も得ずモデルにして描いてしまい申し訳ございません!!筆も折ります!2度と描けないように腕を切り落としていただいても構いません!!」

「こわっ!そんなことしないし!謝んなくていいよ!頭痛いっしょ、顔上げな?」

僕は顔を上げることができず、ブルブルと身体の震えが止まらい。

「アンちゃん、俺は別にアンちゃんを責めようだなんて思ってないから。でもまぁこれからちょっと大変なことにはなりそうだけど」

「えっ?」

僕はおでこに土を付けたまま顔を上げると、ニカッと笑ったアドニスと目が合った。可愛い。

「ちょーっと話長くなるから、ベンチに座ろっか?」

「は、はい…」

アドニスは僕の腕を掴んで起き上がらせると、戸惑う僕をベンチに座らせ、いつものように隣に座った。

「俺さ、本当は喋れないんだよね。あっ、アンちゃん以外の前ではってこと。3歳くらいの時に前世っていうか、なんていうか、別の世界の?記憶がブワーって出てきて、混乱したわけ。身体は3歳だけど、脳内っつーか、精神っつーか、とりあえず中身は成人してるくらいの大人になったわけ。わかる?」

「わかりません」

アドニスが何を言いたいのかさっぱり理解出来ない。でも分からないことを知ったかぶりしても意味がないし、そこは正直に言う。

「あ~とりあえず一通り喋って、後で質問受け付けるわ。それで良い?」

「はい」

「でね、絶望したわけ。俺ってば意外に繊細だし。そもそも貴族とか、金持ちだとか、肩凝るじゃん?自覚してるくらいに口悪いし。喋ってボロ出すくらいなら、喋らなくて良くね?と思って、そこから喋らなくなったんだけど、周りがもう心配して心配して、色々してくれたんだけど黙り通したの。全く喋らないのもストレスだし、息抜きでここに来て前世?の歌歌ったり、独り言で発散してた。ちなみに16年も喋らない代わりに、ちゃんと文字で会話してるから心配すんな?俺、作家やってっから。文字だと一旦考えられるし、口の悪さは出ないしな。でさ、ここから面倒な話になるんだけど…」

アドニスが作家?えー!アドニスが書く文章読んでみたいんだけど!何処で買える?いや、まず平民でも買える額なのか…ぐぬぬ…

「アンちゃん聞いてる?」

「あ、はい。聞いてます!」

「んで、アンちゃんの絵、親父は俺がモデルだと分かってるみたいなんだよ。絵も気に入ってて、全部買ったらしい。親父が気に入る絵が描けて、滅多に表舞台に出ない俺をモデルに絵を描くくらい俺と仲が良い画家となれば…」

「なれば…?」

アドニスが言いにくそうに、僕を上目使いで見る。

「俺ん家、侯爵家の専属画家にされて取り込まれるかもしれない」

こ、侯爵家の専属画家?!平民の僕が?

「アンちゃんが侯爵家に来てくれるのは良いんだけど…」

「あー…分かってます!大丈夫です。調子に乗るなってことですよね?平民の僕なんかが無理ですよ…アドニス様も迷惑ですよね。そもそも許可も取らずに描いてしまう罪人など…」

僕は俯いて零れ落ちそうな涙をぐっと堪える。

「違う違う!!別に俺の事はいつでも描いて良いよ。平民だからとか、そういうのも関係ないし」

「じゃ、じゃあ……!?」

アドニスを描いても良い?そんな許可出しちゃって大丈夫ですか?身分は関係ない?平民でもアドニスを描きたい放題なんて天国だと思うが?何が駄目なんだ?これ以上近付くなということ?それは…とても悲しい…

「俺、ここで、アンちゃんの隣で過ごす時間が好きなわけ。もしアンちゃんが専属画家になったら、ここに来る時間なくなるじゃん。絶対親父に馬車馬の如く働かされる。俺はアンちゃんの隣でアンちゃんとだけ喋りたい…」

「アドニス様…」

アドニスが尊すぎて辛い。

「俺さ、正直侯爵家は弟か妹に押し付けて、平民として市井で暮らしたいんだよ」

「駄目です!!!!!」

無理無理無理!こんな可愛くて綺麗で尊い存在が平民として市井で暮らす?有り得ない!
一歩足を踏み入れた時点で攫われて汚される未来しか見えない!絶対駄目だ!

「アンちゃんは俺が何も出来ないとか思ってんのか?」

アドニス、睨んでも怖くないよ!僕みたいな変態に目をつけられるだけだから!

「アドニス様、僕が心労で死んでしまいます!貴方の様な美しい人が平民街になど行こうものなら、人攫いにあって賊などに…ぐっ…」

最悪の想像するだけで気が狂いそうになる。いっそのこと、僕がアドニスを囲って閉じ込めて、僕以外見れないように…出来ないことはわかっているが、もしもアドニスに何かあれば、僕は悪魔になってしまう。

「心配ならアンちゃんが一緒に住んでくれたら良いじゃん?つかこの世界の平民の生活がよく分かってないし、アンちゃんと暮らせたら俺も幸せ、アンちゃんも心労で死なないんじゃね?」

「そんな天国!!!!!」

駄目だ…確かに一緒に住めたら幸せだろう。だが、アドニスに不便な思いをさせたくない!
お金が必要だ…アドニスを外に出さず安全に市井で暮らすには、お金が必要だ!

「アドニス様、時間をください。僕が全力で稼ぎますから!!」

「いや、俺ちゃんと稼いでるし、仕事出来るから大丈夫だってば。まぁ市井で暮らす計画はもうちょい先だし。そんなことより、アンちゃんが親父に取り込まれんのを何とかしないとな~」

合法的にアドニスが描けて、お金を貰えてアドニスの家に行けるのなら、市井で暮らせる資金が貯まるまで、アドニスのお父様の元で働くのも良いかもしれない。僕がアドニスを囲おうとしていることがバレたら殺されるかもしれないが、命を懸けずにアドニスの傍に居られるとは思わない。

「ちなみに身辺調査は始まってると思うし、俺が喋ってるのバレるかもしれないから、しばらく此処に来れなくなると思う」

「そ、そんな…」

「今日はアンちゃんの絵を確認するだけだったから、本当はあんまり時間ないんだよね。もし親父から専属の話きても断ったらいい。あと、俺が喋れるのは絶対秘密な!ご褒美は次会った時に『みか/のうた』歌ってやる。アンちゃんをアンちゃんと言い出してから歌いたくてさ!アンちゃん俺の声好きだろ?」

「好きです!!!タイトルの意味がわかりませんが!好きです!」

「あ~まぁ、それも今度会えたら説明する。んじゃ、俺行くわ!」

アドニスは立ち上がって僕に手を振って走り去っていった。
ご褒美が歌…アドニスの歌…初めて聞いた時は讃美歌のような美しいメロディーの歌だった。
今度はどんな歌だろうか…アドニスが走って行った方向をぼんやり眺めながら期待に胸を膨らませていた。
アドニスはお父様の話がきても断るように言っていたが、僕は受けようと思う。普段のアドニスを知りたいし、アドニスを自由に描いてお金も貰えてアドニスの近くに毎日居れるかもしれない夢の様な契約…
いつでもサイン出来るようにペンを買いに行かなければ!
部屋のアドニスの絵も片付けないと、見られたらお終いだ。
僕は風景画を乱暴に掴むと、家に全速力で走って帰った。
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