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第1章:思春期の揺らぎ
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あれから十数年の月日が流れた。
優子が43歳の誕生日を迎えた朝。食卓を囲む三人の娘たちの賑やかな声を聞きながら、彼女は胸の奥にある、自分にしか見えない「境界線」を意識せずにはいられなかった。
18歳の長女・彩花と、10歳の三女・結衣は、夫である健太の気質をそのまま受け継いでいる。明るく、社交的で、感情がすぐに顔に出る。健太が冗談を言えば二人が笑い、食卓はいつも陽光のような明るさに満ちていた。
しかし、その間に挟まれた13歳の次女・陽菜(ひな)だけは、どこか別の場所から風を運んでくるような、静かな佇まいを見せる。
「陽菜、昨日の模試、お疲れ様。終わったあとの打ち上げ、楽しかった?」
「……うん。でも、みんながカラオケに行こうって言うから、私は途中で帰ってきたの。ちょっと、賑やかなのは苦手だから」
陽菜は控えめに微笑むと、再び静かにスープを口に運んだ。
学校では決して孤立しているわけではない。むしろ友人にも恵まれ、活発に振る舞っていると聞く。けれど、ふとした瞬間に見せる、思慮深く、どこか達観したような落ち着き――その静かな空気感は、かつての恋人・拓也が不意に見せていた独特の孤独感に、驚くほど重なっていた。
「そうか。陽菜は昔から、騒がしいところより静かな場所が好きだもんな」
健太が優しくフォローを入れると、彩花と結衣が「今度、おじいちゃんとおばあちゃんに何を買っていこうか」と楽しげに相談し始めた。今週末、群馬にある健太の実家へ日帰りで行く予定なのだ。
「彩花の受験があるから今回は泊まれないけど、顔だけでも見せに行こう」という健太の言葉に、陽菜が静かに口を開く。
「私は、お留守番してようかな」
自分から一歩引いた場所に立とうとする娘に、優子は思わず声をかけた。
「陽菜、あんたも一緒に行こうよ。おじいちゃんもおばあちゃんも、会えなかったら寂しがるわよ」
すると陽菜は、少しだけ右に首をかしげて、困ったように眉を下げた。拓也が答えに詰まった時に見せていた、あの癖だった。
「……ううん、お母さん、気を使わせてごめんね。私は家でお留守番してる。みんなが楽しんでくるのが、一番嬉しいから。大丈夫だよ。」
陽菜の言葉には、拒絶も不満も一切なかった。むしろ家族を深く愛しているからこそ、自分の「静かなリズム」が家族の「賑やかなリズム」を乱してしまうのを避けようとしている、健太譲りの優しさが透けて見えた。
けれど、その健気な配慮こそが、優子の胸を締め付ける。
家族の中で一人だけ、違う旋律を奏でている陽菜。彼女自身が感じている「何かがみんなと違う」という戸惑いの正体を、優子だけは知っているのだ。
その日の午後、優子がベランダで洗濯物を取り込んでいると、陽菜が隣に立って黙って手伝い始めた。
「ありがとう、陽菜。勉強、いいの?」
「少し、休憩。……ねえ、お母さん」
陽菜は健太のワイシャツを丁寧に広げながら、小さな声で呟いた。
「私って、お姉ちゃんや結衣と、どこかズレてる気がするんだ。……みんなのことが大好きなんだけど、私だけ少し違う場所からみんなを見てるみたいな気がして」
「……それは、陽菜が優しいからよ。客観的になれるのね」
「だといいんだけど。……私の中にある、この『静かすぎる部分』は、どこから来たのかなって、ときどき不思議になるんだ」
陽菜は、空の彼方を見つめるような瞳で言った。
その横顔には、三十五歳になった拓也が宿っているのではないかと思えるほどの既視感があった。
もし今、拓也が目の前に現れたら、彼はこの思慮深い少女を見て何を思うだろうか。
優子は言葉を失い、ただ乾いたシャツを強く握りしめることしかできなかった。
優子が43歳の誕生日を迎えた朝。食卓を囲む三人の娘たちの賑やかな声を聞きながら、彼女は胸の奥にある、自分にしか見えない「境界線」を意識せずにはいられなかった。
18歳の長女・彩花と、10歳の三女・結衣は、夫である健太の気質をそのまま受け継いでいる。明るく、社交的で、感情がすぐに顔に出る。健太が冗談を言えば二人が笑い、食卓はいつも陽光のような明るさに満ちていた。
しかし、その間に挟まれた13歳の次女・陽菜(ひな)だけは、どこか別の場所から風を運んでくるような、静かな佇まいを見せる。
「陽菜、昨日の模試、お疲れ様。終わったあとの打ち上げ、楽しかった?」
「……うん。でも、みんながカラオケに行こうって言うから、私は途中で帰ってきたの。ちょっと、賑やかなのは苦手だから」
陽菜は控えめに微笑むと、再び静かにスープを口に運んだ。
学校では決して孤立しているわけではない。むしろ友人にも恵まれ、活発に振る舞っていると聞く。けれど、ふとした瞬間に見せる、思慮深く、どこか達観したような落ち着き――その静かな空気感は、かつての恋人・拓也が不意に見せていた独特の孤独感に、驚くほど重なっていた。
「そうか。陽菜は昔から、騒がしいところより静かな場所が好きだもんな」
健太が優しくフォローを入れると、彩花と結衣が「今度、おじいちゃんとおばあちゃんに何を買っていこうか」と楽しげに相談し始めた。今週末、群馬にある健太の実家へ日帰りで行く予定なのだ。
「彩花の受験があるから今回は泊まれないけど、顔だけでも見せに行こう」という健太の言葉に、陽菜が静かに口を開く。
「私は、お留守番してようかな」
自分から一歩引いた場所に立とうとする娘に、優子は思わず声をかけた。
「陽菜、あんたも一緒に行こうよ。おじいちゃんもおばあちゃんも、会えなかったら寂しがるわよ」
すると陽菜は、少しだけ右に首をかしげて、困ったように眉を下げた。拓也が答えに詰まった時に見せていた、あの癖だった。
「……ううん、お母さん、気を使わせてごめんね。私は家でお留守番してる。みんなが楽しんでくるのが、一番嬉しいから。大丈夫だよ。」
陽菜の言葉には、拒絶も不満も一切なかった。むしろ家族を深く愛しているからこそ、自分の「静かなリズム」が家族の「賑やかなリズム」を乱してしまうのを避けようとしている、健太譲りの優しさが透けて見えた。
けれど、その健気な配慮こそが、優子の胸を締め付ける。
家族の中で一人だけ、違う旋律を奏でている陽菜。彼女自身が感じている「何かがみんなと違う」という戸惑いの正体を、優子だけは知っているのだ。
その日の午後、優子がベランダで洗濯物を取り込んでいると、陽菜が隣に立って黙って手伝い始めた。
「ありがとう、陽菜。勉強、いいの?」
「少し、休憩。……ねえ、お母さん」
陽菜は健太のワイシャツを丁寧に広げながら、小さな声で呟いた。
「私って、お姉ちゃんや結衣と、どこかズレてる気がするんだ。……みんなのことが大好きなんだけど、私だけ少し違う場所からみんなを見てるみたいな気がして」
「……それは、陽菜が優しいからよ。客観的になれるのね」
「だといいんだけど。……私の中にある、この『静かすぎる部分』は、どこから来たのかなって、ときどき不思議になるんだ」
陽菜は、空の彼方を見つめるような瞳で言った。
その横顔には、三十五歳になった拓也が宿っているのではないかと思えるほどの既視感があった。
もし今、拓也が目の前に現れたら、彼はこの思慮深い少女を見て何を思うだろうか。
優子は言葉を失い、ただ乾いたシャツを強く握りしめることしかできなかった。
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