​三十路の決断、四十路の静寂(しじま)

MisakiNonagase

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第4章:共鳴する旋律

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その日は、どんよりとした曇り空だった。
週末、塾の模試が終わった陽菜を迎えに行った帰り道、彼女が「どうしても寄りたい場所があるの」と珍しく強い口調で言った。
​陽菜に連れられて向かったのは、街の小高い丘の上に建設中の、新しい「こども文化センター」の工事現場だった。まだ骨組みと一部の外壁が完成したばかりのその建物は、周囲の住宅街とは一線を画す、凛とした佇まいを見せていた。
​「……ここ、どうしたの?」
優子の心臓が、早鐘を打つ。ここが、あの情報誌に載っていた拓也の設計プロジェクトであることを、優子は知っていた。
​「学校の美術の先生が教えてくれたんだ。今、この街にすごく素敵な建物が建とうとしてるって。……お母さん、見て。あの窓の配置」
陽菜はフェンス越しに、食い入るように建物を見つめた。
「あんなに高い場所にあるのに、光が優しく入りそう。……なんだか、この建物のこと、前から知っていたみたいな気がするの。すごく落ち着くの。私の頭の中にある『理想の場所』が、そのまま形になったみたいで」
​陽菜の瞳は、これまでに見たことがないほど輝いていた。
優子は、冷たくなった自分の指先を震わせながら、その横顔を見つめる。
陽菜が感じている「既視感」や「安らぎ」。それは、血という名の設計図が、時を超えて共鳴している証拠に他ならなかった。
​「……そうね。でも、まだ工事中だから危ないわ。もう帰りましょう」
逃げ出したい一心で優子が促した、その時だった。
​工事現場の入り口から、数人のヘルメット姿の男たちが出てきた。
その中心に、ひときわ背が高く、タブレットを抱えた一人の男がいた。
ネイビーの作業用ジャケットを羽織り、真剣な眼差しで現場監督と建築物を指差しながら打ち合わせをしている。まぎれもなく、35歳になった拓也だった。
​優子は反射的に陽菜の肩を抱き寄せ、近くの電柱の陰に身を隠した。
「……お母さん? どうしたの、急に」
陽菜が不思議そうに顔を覗き込む。
​​「……陽菜、あんまりジロジロ見るのは失礼よ。あんなに真剣に打ち合わせしてるんだから。邪魔にならないように、もう行きましょう。それに、結衣を一人にさせておくのも心配だから。ね、帰りましょう」
優子は早口にそう告げると、陽菜の返事も待たずに、逃げるように工事現場に背を向けた。

​数メートル先で、拓也がふと足を止めた。そして、こちらの方……正確には、陽菜が先ほどまで立っていた場所を、怪訝そうに見つめた。
彼は何かを感じ取ったのだろうか。
拓也は一度だけ、右に首をかしげるあの仕草を見せると、再び現場の担当者との会話に戻り、車へと乗り込んでいった。
​「……もう、行ったわ」
優子が手を離すと、陽菜は不満げに口を尖らせた。
「変なお母さん。……でも、さっきの人があの建物の設計士さんかな。すごく、羨ましい。あんな風に、自分の理想を形にできる人になれたら格好いいな」

​その夜、陽菜は自分の部屋に籠もり、昼間に見た建物のスケッチを夢中で描き始めた。
優子はリビングで、その鉛筆が紙を走らせる音を、まるで自分の心臓を削る音のように聞き続けていた。
陽菜が拓也の存在に惹きつけられている。それは、優子がどれだけ隠そうとしても止められない、本能的な引力だった。
​「ねえ、お母さん」
階段を降りてきた陽菜が、一枚の紙を差し出した。
「私、決めた。大学は建築を学べるところに行きたい。あんな建物を建てる人に、いつか会ってみたいの。高校も、その大学に繋がるところを志望しようと思って……」
​その真っ直ぐな宣言に、優子は言葉を返せなかった。
娘の夢。それは同時に、優子が最も恐れていた「彼との再会」へと続く、片道切符のように思えた。
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