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第14章:静かなる火種
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「……独身? あの人が?」
平日の昼下がり、いつものカフェ。優子の問いかけに、美咲がスマートフォンの画面を指で弾きながら頷いた。
「そうみたいよ。建築雑誌のロングインタビュー記事。『今は仕事に心血を注いでいて、プライベートを共にするパートナーはいない』だって。……まあ、あんなに有名になっちゃうと、家庭を持つ暇もないのかもね」
優子の胸の奥が、鋭い針で突かれたように疼いた。
あれから十数年。彼は誰かと幸せな家庭を築いているのだと、勝手に思い込んでいた。その方が、自分の罪悪感が軽くなるから。けれど、彼が今も独りで、ただ建築と向き合って生きているという事実は、優子の記憶の中にある「あの頃の拓也」を、鮮明に引きずり出してしまう。
「どうしたの? 怖い顔して」
沙織が心配そうに覗き込んできた。
優子はカップの中で冷めかけたコーヒーをじっと見つめた。
「……私ね、あの時、自分のしたことが怖いとは思わないの」
二人の前で、優子は堰を切ったように本音を漏らした。
十数年前、妊娠を隠したまま、まだ大学生で前途洋々だった拓也に無理やり別れを告げたこと。
『もう会うのはやめよう。お互いのためよ……あなたには、もっと素敵な恋をしてほしいから』
あえて突き放すような言葉を選び、彼の前から姿を消した。大学生の彼に「人妻との間にできた子の父親」という重荷を背負わせ、その才能の芽を摘みたくなかった。
そして、血液型が拓也と同じだった健太との子供として、陽菜を育てる決意をしたこと。
「私のエゴかもしれない。でも、私はあの時の選択を後悔してない。今だって、家族の平穏を守りたいのは当然だけど、それと同じくらい、拓也さんの『今』を壊したくないの。あんなに立派に成功している彼の現在と未来を、私の隠し事で台無しにしたくない」
優子の静かな言葉に、沙織と美咲は言葉を失う。それは究極の献身のようでもあり、究極の独善のようでもあった。
「……だから、絶対に再会しちゃいけない。そう思ってる。でもね、一番怖いのは……」
優子の指先が、わずかに震え始める。
「拓也さんに会うことで今の生活が壊れることじゃなくて、自分の心が壊れることなの。もし本当に彼と再会してしまったら。あの瞳を見て、あの声を聞いてしまったら……。私、またあの人を好きになってしまうかもしれない。今の生活を、家族を、すべて捨ててもいいって思ってしまうかもしれない……。その芽が、まだ私の中に潜伏していることに気づいちゃったの」
『もっと素敵な恋をしてほしい』と願ったはずなのに、彼がまだ独りでいると知って、揺らいでしまう自分。
十数年間、完璧な「母」であり「妻」であることで、完全に蓋をして消し去ったと思っていた情熱。
けれど、陽菜が連れてきた「瀬戸拓也」という存在が、その蓋を内側から激しく、残酷に叩いていた。
「優子……」
沙織がそっと優子の手を握った。
「表彰式、健太さんは陽菜を連れて行く気満々なの。……阻止したりはしないわ。陽菜の夢を壊す権利なんて私にはないから。ただ、今は祈るしかない。何事もなく、ただ、あの日が終わってくれることを」
優子の瞳には、家族を守るための決意と、自分の中に潜む「女」を殺そうとする悲しい叫びが混在していた。
平日の昼下がり、いつものカフェ。優子の問いかけに、美咲がスマートフォンの画面を指で弾きながら頷いた。
「そうみたいよ。建築雑誌のロングインタビュー記事。『今は仕事に心血を注いでいて、プライベートを共にするパートナーはいない』だって。……まあ、あんなに有名になっちゃうと、家庭を持つ暇もないのかもね」
優子の胸の奥が、鋭い針で突かれたように疼いた。
あれから十数年。彼は誰かと幸せな家庭を築いているのだと、勝手に思い込んでいた。その方が、自分の罪悪感が軽くなるから。けれど、彼が今も独りで、ただ建築と向き合って生きているという事実は、優子の記憶の中にある「あの頃の拓也」を、鮮明に引きずり出してしまう。
「どうしたの? 怖い顔して」
沙織が心配そうに覗き込んできた。
優子はカップの中で冷めかけたコーヒーをじっと見つめた。
「……私ね、あの時、自分のしたことが怖いとは思わないの」
二人の前で、優子は堰を切ったように本音を漏らした。
十数年前、妊娠を隠したまま、まだ大学生で前途洋々だった拓也に無理やり別れを告げたこと。
『もう会うのはやめよう。お互いのためよ……あなたには、もっと素敵な恋をしてほしいから』
あえて突き放すような言葉を選び、彼の前から姿を消した。大学生の彼に「人妻との間にできた子の父親」という重荷を背負わせ、その才能の芽を摘みたくなかった。
そして、血液型が拓也と同じだった健太との子供として、陽菜を育てる決意をしたこと。
「私のエゴかもしれない。でも、私はあの時の選択を後悔してない。今だって、家族の平穏を守りたいのは当然だけど、それと同じくらい、拓也さんの『今』を壊したくないの。あんなに立派に成功している彼の現在と未来を、私の隠し事で台無しにしたくない」
優子の静かな言葉に、沙織と美咲は言葉を失う。それは究極の献身のようでもあり、究極の独善のようでもあった。
「……だから、絶対に再会しちゃいけない。そう思ってる。でもね、一番怖いのは……」
優子の指先が、わずかに震え始める。
「拓也さんに会うことで今の生活が壊れることじゃなくて、自分の心が壊れることなの。もし本当に彼と再会してしまったら。あの瞳を見て、あの声を聞いてしまったら……。私、またあの人を好きになってしまうかもしれない。今の生活を、家族を、すべて捨ててもいいって思ってしまうかもしれない……。その芽が、まだ私の中に潜伏していることに気づいちゃったの」
『もっと素敵な恋をしてほしい』と願ったはずなのに、彼がまだ独りでいると知って、揺らいでしまう自分。
十数年間、完璧な「母」であり「妻」であることで、完全に蓋をして消し去ったと思っていた情熱。
けれど、陽菜が連れてきた「瀬戸拓也」という存在が、その蓋を内側から激しく、残酷に叩いていた。
「優子……」
沙織がそっと優子の手を握った。
「表彰式、健太さんは陽菜を連れて行く気満々なの。……阻止したりはしないわ。陽菜の夢を壊す権利なんて私にはないから。ただ、今は祈るしかない。何事もなく、ただ、あの日が終わってくれることを」
優子の瞳には、家族を守るための決意と、自分の中に潜む「女」を殺そうとする悲しい叫びが混在していた。
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