4 / 4
第4話:歪んだ残響
しおりを挟む
寝室の扉が閉まった後の静寂は、洋平(24)にとって、どんな怒声よりも暴力的に響いた。
自室に逃げ込んだ洋平は、デスクの前に座り、意味もなくパソコンの電源を入れた。壁一枚隔てた向こう側、母の寝室には、母の美鈴(50)と、夜勤明けでここへやってきた弟の同級生・翔吾(21)がいる。
時刻はまだ昼間、明るい陽光が窓から差し込む時間帯だ。本来なら穏やかであるはずの休日の昼下がり。だが、今のこの家には、白日の下に晒されることのない濃密な熱が孕まれていた。
彼らは決して、洋平を挑発するような大声を出すことはない。それが彼らなりの配慮なのかもしれないが、かえってそれが洋平の想像力をかき立てた。ふいに聞こえるベッドの軋み、衣類が擦れるガサガサという微かな音。
翔吾は、洋平に対して「美鈴は俺の女だ」と直接誇示することはない。しかし、リビングで見せたあの「一人の女」に対する扱いは、息子の自分には逆立ちしても真似できないものだった。母の頭を撫で、頬を擦り寄せ、女としての本能を呼び覚まさせる。
かつて自分を慈しみ、育ててくれた「聖母」のような母が、年下の男に心酔し、真っ昼間から蕩けた声を漏らしている。その事実に、洋平の胸中の憤りは、いつしか形を変えていた。
(……なんで、あんな奴に)
それは怒りというよりも、もっと泥濘(ぬかるみ)のような、ドロドロとした嫉妬に近い感情だった。母を奪われた喪失感と、自分より若く逞しい男への劣等感。
気づけば、洋平の右手はズボンの下に入り込んでいた。壁の向こうの気配を耳で追いながら、激しく、自らを追い込むように手を動かす。吐き気を催すような自己嫌悪と、抑えられない昂ぶり。果てた後の虚無感は、かつてないほどに重く、洋平を打ちのめした。
「ごめん、今夜、泊まりに行ってもいいかな」
その日(土曜日)の夜。洋平は震える指先で夏海(26)にLINEを送った。
数分後、「いいよ、気をつけてきてね」と優しい返信が届く。その承諾に救われるような思いで、洋平は着替えを鞄に詰め込み、逃げるように団地を後にした。
夏海が一人で暮らす賃貸マンションのチャイムを鳴らすと、彼女は小学校の教師らしい、落ち着いた微笑みで彼を迎え入れた。この清潔で静かな空間だけが、今の洋平にとっての唯一の避難所だった。
「洋平君、お疲れ様。急にどうしたの?」
「……少し、顔が見たくなって」
夏海には、母が弟の友人と交際しているなどという、正気の沙汰とは思えない事実はまだ話せていない。話せば、この穏やかな関係まで壊れてしまいそうで怖かった。
その夜、夏海を抱く洋平の頭の中には、消そうとしても消えない残像がこびりついていた。薄手のスウェット越しの、無防備な母の輪郭。翔吾に頭を撫でられ、頬を赤らめていた「女」の顔。
(俺は、何を考えてるんだ……!)
夏海の肌を這わせる指先に、無意識に母の面影を重ねている自分に気づき、猛烈な自己嫌悪が込み上げる。必死に夏海の目を見つめ、彼女の名前を心の中で繰り返すが、一度侵食された毒は、容易には消えてくれなかった。
翌日の日曜日は、絵に描いたような穏やかな休日だった。
昼過ぎまで夏海の部屋でまったりと過ごし、二人で遅めの朝食を兼ねた昼食を摂る。テレビから流れるニュースや、夏海が話す学校での出来事。そんな「普通」の会話が、昨日の団地での出来事を遠い夢のように思わせてくれた。
「洋平君、最近ちょっと疲れてる?」
夏海が心配そうに覗き込んでくる。
「いや……少し仕事が立て込んでるだけだよ」
洋平は精一杯の嘘で微笑み返した。明日になれば、またあの団地へ帰らなければならない。そこには、礼儀正しい顔をして、一線を超えた関係を続ける翔吾と、彼に溺れていく母が待っている。
洋平の守ってきた日常は、もう、どこにも存在していなかった。
自室に逃げ込んだ洋平は、デスクの前に座り、意味もなくパソコンの電源を入れた。壁一枚隔てた向こう側、母の寝室には、母の美鈴(50)と、夜勤明けでここへやってきた弟の同級生・翔吾(21)がいる。
時刻はまだ昼間、明るい陽光が窓から差し込む時間帯だ。本来なら穏やかであるはずの休日の昼下がり。だが、今のこの家には、白日の下に晒されることのない濃密な熱が孕まれていた。
彼らは決して、洋平を挑発するような大声を出すことはない。それが彼らなりの配慮なのかもしれないが、かえってそれが洋平の想像力をかき立てた。ふいに聞こえるベッドの軋み、衣類が擦れるガサガサという微かな音。
翔吾は、洋平に対して「美鈴は俺の女だ」と直接誇示することはない。しかし、リビングで見せたあの「一人の女」に対する扱いは、息子の自分には逆立ちしても真似できないものだった。母の頭を撫で、頬を擦り寄せ、女としての本能を呼び覚まさせる。
かつて自分を慈しみ、育ててくれた「聖母」のような母が、年下の男に心酔し、真っ昼間から蕩けた声を漏らしている。その事実に、洋平の胸中の憤りは、いつしか形を変えていた。
(……なんで、あんな奴に)
それは怒りというよりも、もっと泥濘(ぬかるみ)のような、ドロドロとした嫉妬に近い感情だった。母を奪われた喪失感と、自分より若く逞しい男への劣等感。
気づけば、洋平の右手はズボンの下に入り込んでいた。壁の向こうの気配を耳で追いながら、激しく、自らを追い込むように手を動かす。吐き気を催すような自己嫌悪と、抑えられない昂ぶり。果てた後の虚無感は、かつてないほどに重く、洋平を打ちのめした。
「ごめん、今夜、泊まりに行ってもいいかな」
その日(土曜日)の夜。洋平は震える指先で夏海(26)にLINEを送った。
数分後、「いいよ、気をつけてきてね」と優しい返信が届く。その承諾に救われるような思いで、洋平は着替えを鞄に詰め込み、逃げるように団地を後にした。
夏海が一人で暮らす賃貸マンションのチャイムを鳴らすと、彼女は小学校の教師らしい、落ち着いた微笑みで彼を迎え入れた。この清潔で静かな空間だけが、今の洋平にとっての唯一の避難所だった。
「洋平君、お疲れ様。急にどうしたの?」
「……少し、顔が見たくなって」
夏海には、母が弟の友人と交際しているなどという、正気の沙汰とは思えない事実はまだ話せていない。話せば、この穏やかな関係まで壊れてしまいそうで怖かった。
その夜、夏海を抱く洋平の頭の中には、消そうとしても消えない残像がこびりついていた。薄手のスウェット越しの、無防備な母の輪郭。翔吾に頭を撫でられ、頬を赤らめていた「女」の顔。
(俺は、何を考えてるんだ……!)
夏海の肌を這わせる指先に、無意識に母の面影を重ねている自分に気づき、猛烈な自己嫌悪が込み上げる。必死に夏海の目を見つめ、彼女の名前を心の中で繰り返すが、一度侵食された毒は、容易には消えてくれなかった。
翌日の日曜日は、絵に描いたような穏やかな休日だった。
昼過ぎまで夏海の部屋でまったりと過ごし、二人で遅めの朝食を兼ねた昼食を摂る。テレビから流れるニュースや、夏海が話す学校での出来事。そんな「普通」の会話が、昨日の団地での出来事を遠い夢のように思わせてくれた。
「洋平君、最近ちょっと疲れてる?」
夏海が心配そうに覗き込んでくる。
「いや……少し仕事が立て込んでるだけだよ」
洋平は精一杯の嘘で微笑み返した。明日になれば、またあの団地へ帰らなければならない。そこには、礼儀正しい顔をして、一線を超えた関係を続ける翔吾と、彼に溺れていく母が待っている。
洋平の守ってきた日常は、もう、どこにも存在していなかった。
1
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)その後
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合つまた。
その後、大学を卒業した祐輔(ユウスケ)の新たなストーリーが始まった。
全15話を予定
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
還暦妻と若い彼 継承される情熱
MisakiNonagase
恋愛
61歳の睦美と、20歳の悠人。ライブ会場で出会った二人の「推し活」は、いつしか世代を超えた秘め事へと変わっていった。合鍵を使い、悠人の部屋で彼を待つ睦美の幸福。
しかし、その幸せの裏側で、娘の愛美もまた、同じ男の体温に触れ始めていた。
母譲りの仕草を見せる娘に、母の面影を重ねる青年。
同じ男を共有しているとは知らぬまま、母娘は「女」としての業(さが)を露呈していく。甘いお土産が繋ぐ、美しくも醜い三角関係の幕が上がる。
清掃員と僕の密やかな情状
MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。
青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。
肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。
44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。
不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―
MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」
「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」
失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。
46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。
48歳主婦の宅建試験挑戦―そして年下彼がくれた勇気と恋
MisakiNonagase
恋愛
「お母さん」でも「奥さん」でもない、私の名前を呼び止めたのは、26つも年下の彼だった。
「48歳、主婦。私が手に入れたのは、資格(ライセンス)と、甘く切ない自由だった。」
スーパーのパートに明け暮れる平凡な主婦・中西京香、48歳。
目的もなく始めた宅建試験への挑戦が、枯れかけていた彼女の人生を激変させる。
インスタの勉強垢で出会ったのは、娘よりも年下の22歳大学生・幸正。
「不倫なんて、別の世界の出来事だと思っていた――」
そんな保守的で、誰より否定的な考えを持っていたはずの京香が、孤独な受験勉強の中で彼と心を通わせ、気づけば過去問演習よりも重い「境界線」を越えていく。
資格取得、秘めた大人の恋。そして再スタート、
50歳を迎えた彼女が見つけた、自分だけの「地平線」とは。
不動産、法学、そして予期せぬ情熱が交錯する、48歳からの再生と自立の物語。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる