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第3話:朝の残響
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土曜日の朝、午前7時。窓の外からは、休日特有ののんびりとした鳥の声が聞こえていたが、中村家のキッチンからは、それとは対照的な忙しない包丁の音が響いていた。
洋平(24)が目を覚まし、リビングへ顔を出すと、母・美鈴(50)が鼻歌混じりに朝食の準備をしていた。並べられた皿は、三客。
「……母さん、誰か来るの?」
「あ、洋平。おはよう。あのね、さっき私から翔吾君にLINEして、これからこっちに来てもらうことにしたのよ。夜勤明けで疲れてるだろうから、うちに寄ってってって」
美鈴はコンロの火を調整しながら、弾むような声で答えた。翔吾(21)は隔週で夜勤に入る。明けの疲れを癒やす場所に、彼は自分の家ではなく、美鈴が用意した食卓を選び、美鈴もまた彼を甲斐甲斐しく世話することに悦びを感じているようだった。
翔吾が普段、どこでどんな生活をしているのか、洋平はまだ詳しく知らない。実家で母親の恵子(46)と二人暮らしであるという事実も、今の洋平の耳には届いていなかった。
「わざわざ呼んだのかよ」
「いいじゃない、一人で寂しくコンビニ弁当食べるより、ここで私の作ったものを食べたほうがいいでしょ?」
憤りを通り越し、洋平の胸には乾いた「やれやれ」という溜息が溜まっていく。
やがて、聞き慣れた翔吾の車のエンジン音が駐車場に響き、ほどなくして玄関が開いた。
「おはようございます、先輩。お邪魔します」
「翔吾君、お疲れ様! さあ、座って。今すぐ仕上げるからね」
美鈴の顔がパッと華やぐ。翔吾は「悪いっすね」と頭をかきながら、いつものように控えめな位置の席に座った。
彼は図々しい振る舞いこそ目立つが、最低限の一線は心得ているようだった。客としての立場を弁え、上座に座ることはないし、リビングの模様替えを強要したり、洋平の部屋に無断で入るような真似もしない。共用部分を自分の色に染めようとする執着はなく、洋平の私物にも一切手を触れない。
ただ、美鈴に対してだけは、立場や年齢の差を完全に消し去っていた。
朝食を済ませ、洋平は逃げるように家を出た。ちょうどホームセンターに買い出しの用事があったのだ。喧騒から離れ、資材売り場を回っている間だけは、自分の家が「他人の色」に染まっている現実を忘れられた。
午前9時30分。
用事を終えて帰宅した洋平がリビングの扉を開けると、そこにはひどく生々しい空気が停滞していた。
脱衣所から湿った湯気が漏れ、二人はちょうど風呂から上がったところのようだった。
翔吾はTシャツ一枚のラフな格好で、その隣には、薄手のスウェットを着た美鈴が立っている。
「……あ」
洋平の視線が、無意識に美鈴の胸元で止まった。
ブラジャーを着けていないのか、柔らかな膨らみが生地越しに露骨な形を晒している。洋平が戸惑って目を逸らそうとした瞬間、翔吾が事もなげに手を伸ばした。
「ほら、美鈴。ここ、ちょっと濡れてんぞ」
翔吾は笑いながら、美鈴の胸の先を、まるで自分の所有物であるかのように指先で軽く摘んだ。
「やだ、翔吾君……っ、恥ずかしいでしょ。洋平がいるんだから」
美鈴は身をよじって抵抗する素振りを見せたが、その声に真剣な拒絶の色はない。むしろ、一人の女として扱われている悦びを隠しきれない、甘えたような響きがあった。
「……洋平、お帰りなさい。ごめんなさいね、母さん少し休むわね」
美鈴は上気した顔のまま、逃げるように、けれど翔吾に促されるようにして寝室へと向かった。翔吾は洋平の方を一度だけ振り返ると、
「少し休ませてもらいます。すいません」
と、勝ち誇るでもなく、あくまで礼儀正しい居候のような口調で詫びを入れ、美鈴の後に続いて部屋に消えた。
閉まったドアの向こうから、低い笑い声と、微かな衣擦れの音が聞こえてくる。
リビングには、翔吾が使ったあとの、共用部分を侵食しないように整然と片付けられた食器だけが残されていた。その「わきまえた」態度が、かえって寝室の向こうで行われている、行き過ぎた「一人の女」への扱いの異様さを際立たせていた。
洋平(24)が目を覚まし、リビングへ顔を出すと、母・美鈴(50)が鼻歌混じりに朝食の準備をしていた。並べられた皿は、三客。
「……母さん、誰か来るの?」
「あ、洋平。おはよう。あのね、さっき私から翔吾君にLINEして、これからこっちに来てもらうことにしたのよ。夜勤明けで疲れてるだろうから、うちに寄ってってって」
美鈴はコンロの火を調整しながら、弾むような声で答えた。翔吾(21)は隔週で夜勤に入る。明けの疲れを癒やす場所に、彼は自分の家ではなく、美鈴が用意した食卓を選び、美鈴もまた彼を甲斐甲斐しく世話することに悦びを感じているようだった。
翔吾が普段、どこでどんな生活をしているのか、洋平はまだ詳しく知らない。実家で母親の恵子(46)と二人暮らしであるという事実も、今の洋平の耳には届いていなかった。
「わざわざ呼んだのかよ」
「いいじゃない、一人で寂しくコンビニ弁当食べるより、ここで私の作ったものを食べたほうがいいでしょ?」
憤りを通り越し、洋平の胸には乾いた「やれやれ」という溜息が溜まっていく。
やがて、聞き慣れた翔吾の車のエンジン音が駐車場に響き、ほどなくして玄関が開いた。
「おはようございます、先輩。お邪魔します」
「翔吾君、お疲れ様! さあ、座って。今すぐ仕上げるからね」
美鈴の顔がパッと華やぐ。翔吾は「悪いっすね」と頭をかきながら、いつものように控えめな位置の席に座った。
彼は図々しい振る舞いこそ目立つが、最低限の一線は心得ているようだった。客としての立場を弁え、上座に座ることはないし、リビングの模様替えを強要したり、洋平の部屋に無断で入るような真似もしない。共用部分を自分の色に染めようとする執着はなく、洋平の私物にも一切手を触れない。
ただ、美鈴に対してだけは、立場や年齢の差を完全に消し去っていた。
朝食を済ませ、洋平は逃げるように家を出た。ちょうどホームセンターに買い出しの用事があったのだ。喧騒から離れ、資材売り場を回っている間だけは、自分の家が「他人の色」に染まっている現実を忘れられた。
午前9時30分。
用事を終えて帰宅した洋平がリビングの扉を開けると、そこにはひどく生々しい空気が停滞していた。
脱衣所から湿った湯気が漏れ、二人はちょうど風呂から上がったところのようだった。
翔吾はTシャツ一枚のラフな格好で、その隣には、薄手のスウェットを着た美鈴が立っている。
「……あ」
洋平の視線が、無意識に美鈴の胸元で止まった。
ブラジャーを着けていないのか、柔らかな膨らみが生地越しに露骨な形を晒している。洋平が戸惑って目を逸らそうとした瞬間、翔吾が事もなげに手を伸ばした。
「ほら、美鈴。ここ、ちょっと濡れてんぞ」
翔吾は笑いながら、美鈴の胸の先を、まるで自分の所有物であるかのように指先で軽く摘んだ。
「やだ、翔吾君……っ、恥ずかしいでしょ。洋平がいるんだから」
美鈴は身をよじって抵抗する素振りを見せたが、その声に真剣な拒絶の色はない。むしろ、一人の女として扱われている悦びを隠しきれない、甘えたような響きがあった。
「……洋平、お帰りなさい。ごめんなさいね、母さん少し休むわね」
美鈴は上気した顔のまま、逃げるように、けれど翔吾に促されるようにして寝室へと向かった。翔吾は洋平の方を一度だけ振り返ると、
「少し休ませてもらいます。すいません」
と、勝ち誇るでもなく、あくまで礼儀正しい居候のような口調で詫びを入れ、美鈴の後に続いて部屋に消えた。
閉まったドアの向こうから、低い笑い声と、微かな衣擦れの音が聞こえてくる。
リビングには、翔吾が使ったあとの、共用部分を侵食しないように整然と片付けられた食器だけが残されていた。その「わきまえた」態度が、かえって寝室の向こうで行われている、行き過ぎた「一人の女」への扱いの異様さを際立たせていた。
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