2 / 37
第2章:壊れた糸、差し込む光
しおりを挟む
26歳の凛音(りおん)との関係は、腐れ縁のように続いて6年目を迎えていた。出会った当初は49歳だった武田加代子も、今や55歳。加代子より29歳も年下で、実に自分の息子よりも年下の彼に弄ばれる情事――。かつては凍りついた日常に差し込む光だと思ったその背徳的な遊びは、いつしか彼女の自尊心を削り取るだけの、出口のない苦行に変わっていた。
その日も、突然の呼び出しに応じ、都内のラブホテルの薄暗い部屋で事務的な行為が終わった。凛音は余韻に浸る間もなく、スマホの画面に視線を落としたまま、着替えもせずに吐き捨てた。「お前、やっぱ最高だわ。中だけは全然老けねえよな……。名器を与えてくれた親に感謝しろよ。なあ、加代子?」 その言葉は、加代子の耳の奥で冷たく、硬い音を立てて響いた。感謝。私を道具として産んでくれた親に、感謝しろというのか。この6年間、彼に尽くし、冷たくされても縋り付いてきた自分の「心」は、彼には一度も届いていなかったのだと改めて突きつけられた。ああ、私、もう一滴も残っていない。そう確信した。
もし、この閉塞感の中に大輝(だいき)という存在が現れていなければ、加代子はこの日も自嘲の笑みを浮かべて、凛音の言いなりになっていただろう。 何年か前から始めたInstagramで、何気なく旅先で撮影した景色に溶け込むような自分の姿を投稿したときのことだ。フォロワー数50人前後に対し、フォロー数は芸能系を含めて200。そんなこぢんまりとした運用をしていたなか、思いもよらぬコメントがいくつも届いた。特に男性からの称賛が多い。客観的に見て、自分は決して「いい女」ではない。55歳の、どこにでもいるおばさんだ。巷に溢れる美魔女や、同年代の有名インスタグラマーとは程遠い。 それからなんとなく、自画像を載せたコーディネートもちょこちょこと投稿するようになると、男性からのコメントはさらに増え、フォロワー数も500人を超えた。ダイレクトメッセージも届くようになったが、そこに並ぶ言葉の多くは、あからさまな下心を隠した安っぽいお世辞か、あるいは年齢を嘲笑うかのような不躾なものばかりで、彼女はそれらを冷めた目で見つめていた。
しかし、その群れの中で、大輝の言葉だけは質感が違っていた。「加代子さんの瞳って、どこか寂しげで、でもすごく優しい色をしていますね。写真から伝わるあなたの空気感が、とても好きです」 大輝は25歳。凛音より1つ若く、加代子とは30歳も離れている。そんな若者が、なぜ自分のような女に――最初は疑ったが、彼は決して身体や若さに触れず、加代子の趣味や、ふとした日常の呟きにだけ丁寧に、誠実な言葉を返した。あんなに穏やかで「人間らしい」やり取りを知ってしまった後では、目の前でスマホを弄りながら自分を「名器」と呼ぶ凛音が、耐え難いほどに醜悪に思えた。
私は、道具じゃない。大輝くんは、私の外見じゃなく、私という人間を見てくれている。その確信が、加代子の中に眠っていた最後の一片のプライドを押し上げた。大輝という新しい鏡が映し出す自分を杖にして、彼女は初めて、凛音という暗闇を拒絶する勇気を得たのである。
凛音がシャワーを浴びている間に、加代子は静かに身支度を整えた。「名器」と褒められた身体を清潔な服で覆い隠し、自動精算機で2人分の休憩代を支払ってホテルを出た。夜の街の冷たい風が、火照った肌に心地よかった。その場で、凛音の連絡先をすべてブロックした。6年の月日が、無機質な拒絶に変わる。
それからの日々、大輝とのやり取りは加代子にとって最高の救いとなった。一度、どこにでもあるチェーン店のカフェでお茶をしたときの衝撃を、彼女は一生忘れないだろう。「加代子さん、お会いできて嬉しいです。凛とした立ち振る舞い、本当に素敵ですね」 大輝は、騒がしい店内の喧騒の中でも彼女の目をまっすぐ見て、1人の女性としてエスコートした。凛音のように後ろに下がって財布を待つことも、性急に身体を求めることもない。身体を介さず、ただ安価なコーヒーを飲みながら言葉だけを交わす贅沢。この人なら、私を「女」として、何より「人間」として大切にしてくれる――。
凛音との地獄を忘れさせてくれる大輝という光。しかし、その光に深く依存し始めるほどに、加代子の心には新たな、そしてより深い「執着」の芽が静かに息吹き始めていた。それが、再び「身体だけの関係」という奈落へ続く道であることを、今の彼女はまだ知らない。
その日も、突然の呼び出しに応じ、都内のラブホテルの薄暗い部屋で事務的な行為が終わった。凛音は余韻に浸る間もなく、スマホの画面に視線を落としたまま、着替えもせずに吐き捨てた。「お前、やっぱ最高だわ。中だけは全然老けねえよな……。名器を与えてくれた親に感謝しろよ。なあ、加代子?」 その言葉は、加代子の耳の奥で冷たく、硬い音を立てて響いた。感謝。私を道具として産んでくれた親に、感謝しろというのか。この6年間、彼に尽くし、冷たくされても縋り付いてきた自分の「心」は、彼には一度も届いていなかったのだと改めて突きつけられた。ああ、私、もう一滴も残っていない。そう確信した。
もし、この閉塞感の中に大輝(だいき)という存在が現れていなければ、加代子はこの日も自嘲の笑みを浮かべて、凛音の言いなりになっていただろう。 何年か前から始めたInstagramで、何気なく旅先で撮影した景色に溶け込むような自分の姿を投稿したときのことだ。フォロワー数50人前後に対し、フォロー数は芸能系を含めて200。そんなこぢんまりとした運用をしていたなか、思いもよらぬコメントがいくつも届いた。特に男性からの称賛が多い。客観的に見て、自分は決して「いい女」ではない。55歳の、どこにでもいるおばさんだ。巷に溢れる美魔女や、同年代の有名インスタグラマーとは程遠い。 それからなんとなく、自画像を載せたコーディネートもちょこちょこと投稿するようになると、男性からのコメントはさらに増え、フォロワー数も500人を超えた。ダイレクトメッセージも届くようになったが、そこに並ぶ言葉の多くは、あからさまな下心を隠した安っぽいお世辞か、あるいは年齢を嘲笑うかのような不躾なものばかりで、彼女はそれらを冷めた目で見つめていた。
しかし、その群れの中で、大輝の言葉だけは質感が違っていた。「加代子さんの瞳って、どこか寂しげで、でもすごく優しい色をしていますね。写真から伝わるあなたの空気感が、とても好きです」 大輝は25歳。凛音より1つ若く、加代子とは30歳も離れている。そんな若者が、なぜ自分のような女に――最初は疑ったが、彼は決して身体や若さに触れず、加代子の趣味や、ふとした日常の呟きにだけ丁寧に、誠実な言葉を返した。あんなに穏やかで「人間らしい」やり取りを知ってしまった後では、目の前でスマホを弄りながら自分を「名器」と呼ぶ凛音が、耐え難いほどに醜悪に思えた。
私は、道具じゃない。大輝くんは、私の外見じゃなく、私という人間を見てくれている。その確信が、加代子の中に眠っていた最後の一片のプライドを押し上げた。大輝という新しい鏡が映し出す自分を杖にして、彼女は初めて、凛音という暗闇を拒絶する勇気を得たのである。
凛音がシャワーを浴びている間に、加代子は静かに身支度を整えた。「名器」と褒められた身体を清潔な服で覆い隠し、自動精算機で2人分の休憩代を支払ってホテルを出た。夜の街の冷たい風が、火照った肌に心地よかった。その場で、凛音の連絡先をすべてブロックした。6年の月日が、無機質な拒絶に変わる。
それからの日々、大輝とのやり取りは加代子にとって最高の救いとなった。一度、どこにでもあるチェーン店のカフェでお茶をしたときの衝撃を、彼女は一生忘れないだろう。「加代子さん、お会いできて嬉しいです。凛とした立ち振る舞い、本当に素敵ですね」 大輝は、騒がしい店内の喧騒の中でも彼女の目をまっすぐ見て、1人の女性としてエスコートした。凛音のように後ろに下がって財布を待つことも、性急に身体を求めることもない。身体を介さず、ただ安価なコーヒーを飲みながら言葉だけを交わす贅沢。この人なら、私を「女」として、何より「人間」として大切にしてくれる――。
凛音との地獄を忘れさせてくれる大輝という光。しかし、その光に深く依存し始めるほどに、加代子の心には新たな、そしてより深い「執着」の芽が静かに息吹き始めていた。それが、再び「身体だけの関係」という奈落へ続く道であることを、今の彼女はまだ知らない。
1
あなたにおすすめの小説
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)その後
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合つまた。
その後、大学を卒業した祐輔(ユウスケ)の新たなストーリーが始まった。
全15話を予定
清掃員と僕の密やかな情状
MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。
青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。
肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。
44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
還暦妻と若い彼 継承される情熱
MisakiNonagase
恋愛
61歳の睦美と、20歳の悠人。ライブ会場で出会った二人の「推し活」は、いつしか世代を超えた秘め事へと変わっていった。合鍵を使い、悠人の部屋で彼を待つ睦美の幸福。
しかし、その幸せの裏側で、娘の愛美もまた、同じ男の体温に触れ始めていた。
母譲りの仕草を見せる娘に、母の面影を重ねる青年。
同じ男を共有しているとは知らぬまま、母娘は「女」としての業(さが)を露呈していく。甘いお土産が繋ぐ、美しくも醜い三角関係の幕が上がる。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる