3 / 37
第3章:綻ぶ自尊、満たされる錯覚
しおりを挟む
2度目の逢瀬は、陽光が差し込む平日の昼下がりから始まった。駅で待ち合わせた大輝は、前回と変わらず爽やかな笑顔を浮かべ、加代子の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれた。おしゃれなカフェでランチを楽しみ、その後は映画館へと向かう。スクリーンの中で展開される物語よりも、隣に座る大輝の気配に、加代子の心臓は終始、落ち着きを失っていた。
映画を終え、日が暮れ始めた街を歩いているときだった。大輝の歩みが、ふと重くなった。何かを言いかけては飲み込み、伏せた睫毛(まつげ)を微かに震わせている。その戸惑ったような、それでいて熱を帯びた横顔を見たとき、加代子の中に眠っていた「女」が疼いた。 「……加代子さん、僕、本当はもっと、その……」 大輝が言葉を濁し、遠慮がちに彼女の指先に触れた。凛音なら「このあと行ける?」と、確認すらしないだろう。目の前の若者が、自分を傷つけないように、大切に扱おうとして言葉を選んでいる。その不器用さが、加代子には愛おしくてたまらなかった。 「いいよ。……大輝くん」 加代子のほうからそっと、その手を握り返した。彼女の差し伸べた「いいよ」という言葉は、大輝への許可であると同時に、自分自身を再びあの秘め事の世界へと解き放つ合図でもあった。
導かれるように入ったラブホテルは、凛音と通った安宿とは違う、どこか清潔でモダンな空気を纏っていた。大輝の指先は、驚くほど丁寧に加代子の肌を辿った。凛音のような乱暴な扱いは一切なく、彼は何度も彼女の名前を呼び、瞳を覗き込んでは、愛おしそうに唇を重ねた。
(ああ、これが……普通の幸せなの?)
凛音に「道具」として、あるいは「名器」として消費され続けた6年間。加代子にとって、セックスとは一方的に提供し、耐えるだけのものだった。しかし、大輝との時間は違った。彼は彼女を「名器」としてではなく、「武田加代子」という一人の女性として抱きしめている——少なくとも、今の加代子にはそう感じられた。たっぷりとした愛情を注がれているという錯覚は、彼女のひび割れた心を、温かな蜜で満たしていくようだった。
行為が終わった後も、大輝はすぐにスマホを触ることもなく、加代子を腕の中に閉じ込めてくれた。 「加代子さん、幸せです」 その囁きを背中で聞きながら、加代子は幸福の絶頂にいた。しかし、18時を回った時計を見て、彼女は名残惜しさを振り払い、身支度を整えた。
19時、いつものように自宅のドアを開ける。 スーパーで買ってきた食材を手際よく調理し、夫の夕食を作りながら、加代子はふと自分の口角が上がっていることに気づいた。換気扇の音、包丁がまな板を叩く規則的な響き。そんな、ありふれた家事のひとつひとつが、今の彼女には輝いて見えた。
さっきまで大輝に触れられていた肌の感触が、服の下でまだ熱を持っている。 夫との冷え切った生活も、凛音に捨てられた惨めさも、すべては大輝という光が消し去ってくれた。 「私はまだ、愛される価値があるんだ」 そう自分に言い聞かせながら、加代子は穏やかな表情で味噌汁の味を調えた。それが、大輝という底なしの沼へ、自ら深く足を踏み入れた瞬間であることなど、微塵も疑わずに。
映画を終え、日が暮れ始めた街を歩いているときだった。大輝の歩みが、ふと重くなった。何かを言いかけては飲み込み、伏せた睫毛(まつげ)を微かに震わせている。その戸惑ったような、それでいて熱を帯びた横顔を見たとき、加代子の中に眠っていた「女」が疼いた。 「……加代子さん、僕、本当はもっと、その……」 大輝が言葉を濁し、遠慮がちに彼女の指先に触れた。凛音なら「このあと行ける?」と、確認すらしないだろう。目の前の若者が、自分を傷つけないように、大切に扱おうとして言葉を選んでいる。その不器用さが、加代子には愛おしくてたまらなかった。 「いいよ。……大輝くん」 加代子のほうからそっと、その手を握り返した。彼女の差し伸べた「いいよ」という言葉は、大輝への許可であると同時に、自分自身を再びあの秘め事の世界へと解き放つ合図でもあった。
導かれるように入ったラブホテルは、凛音と通った安宿とは違う、どこか清潔でモダンな空気を纏っていた。大輝の指先は、驚くほど丁寧に加代子の肌を辿った。凛音のような乱暴な扱いは一切なく、彼は何度も彼女の名前を呼び、瞳を覗き込んでは、愛おしそうに唇を重ねた。
(ああ、これが……普通の幸せなの?)
凛音に「道具」として、あるいは「名器」として消費され続けた6年間。加代子にとって、セックスとは一方的に提供し、耐えるだけのものだった。しかし、大輝との時間は違った。彼は彼女を「名器」としてではなく、「武田加代子」という一人の女性として抱きしめている——少なくとも、今の加代子にはそう感じられた。たっぷりとした愛情を注がれているという錯覚は、彼女のひび割れた心を、温かな蜜で満たしていくようだった。
行為が終わった後も、大輝はすぐにスマホを触ることもなく、加代子を腕の中に閉じ込めてくれた。 「加代子さん、幸せです」 その囁きを背中で聞きながら、加代子は幸福の絶頂にいた。しかし、18時を回った時計を見て、彼女は名残惜しさを振り払い、身支度を整えた。
19時、いつものように自宅のドアを開ける。 スーパーで買ってきた食材を手際よく調理し、夫の夕食を作りながら、加代子はふと自分の口角が上がっていることに気づいた。換気扇の音、包丁がまな板を叩く規則的な響き。そんな、ありふれた家事のひとつひとつが、今の彼女には輝いて見えた。
さっきまで大輝に触れられていた肌の感触が、服の下でまだ熱を持っている。 夫との冷え切った生活も、凛音に捨てられた惨めさも、すべては大輝という光が消し去ってくれた。 「私はまだ、愛される価値があるんだ」 そう自分に言い聞かせながら、加代子は穏やかな表情で味噌汁の味を調えた。それが、大輝という底なしの沼へ、自ら深く足を踏み入れた瞬間であることなど、微塵も疑わずに。
0
あなたにおすすめの小説
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)その後
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合つまた。
その後、大学を卒業した祐輔(ユウスケ)の新たなストーリーが始まった。
全15話を予定
清掃員と僕の密やかな情状
MisakiNonagase
恋愛
都心のオフィスビルで働く会社員の26歳・高城蓮(たかぎれん)。彼の無機質な日常に唯一の彩りを与えていたのは、夕方から現れる70歳の清掃員・山科和子だった。
青い作業服に身を包み、黙々と床を磨く彼女を、蓮は「気さくなおばあちゃん」だと思っていた。あの日、立ち飲み屋で私服姿の彼女と再会するまでは――。
肉じゃがの甘い湯気、溶けゆく氷の音、そして重ねた肌の温もり。
44歳の年齢差を超え、孤独を分かち合った二人が辿り着いた「愛の形」とは。これは、一人の青年が境界線の向こう側で教わった、残酷なまでに美しい人生の記録。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
還暦妻と若い彼 継承される情熱
MisakiNonagase
恋愛
61歳の睦美と、20歳の悠人。ライブ会場で出会った二人の「推し活」は、いつしか世代を超えた秘め事へと変わっていった。合鍵を使い、悠人の部屋で彼を待つ睦美の幸福。
しかし、その幸せの裏側で、娘の愛美もまた、同じ男の体温に触れ始めていた。
母譲りの仕草を見せる娘に、母の面影を重ねる青年。
同じ男を共有しているとは知らぬまま、母娘は「女」としての業(さが)を露呈していく。甘いお土産が繋ぐ、美しくも醜い三角関係の幕が上がる。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる