名器と呼ばれて…

MisakiNonagase

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第3章:綻ぶ自尊、満たされる錯覚

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2度目の逢瀬は、陽光が差し込む平日の昼下がりから始まった。駅で待ち合わせた大輝は、前回と変わらず爽やかな笑顔を浮かべ、加代子の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれた。おしゃれなカフェでランチを楽しみ、その後は映画館へと向かう。スクリーンの中で展開される物語よりも、隣に座る大輝の気配に、加代子の心臓は終始、落ち着きを失っていた。

 映画を終え、日が暮れ始めた街を歩いているときだった。大輝の歩みが、ふと重くなった。何かを言いかけては飲み込み、伏せた睫毛(まつげ)を微かに震わせている。その戸惑ったような、それでいて熱を帯びた横顔を見たとき、加代子の中に眠っていた「女」が疼いた。 「……加代子さん、僕、本当はもっと、その……」  大輝が言葉を濁し、遠慮がちに彼女の指先に触れた。凛音なら「このあと行ける?」と、確認すらしないだろう。目の前の若者が、自分を傷つけないように、大切に扱おうとして言葉を選んでいる。その不器用さが、加代子には愛おしくてたまらなかった。 「いいよ。……大輝くん」  加代子のほうからそっと、その手を握り返した。彼女の差し伸べた「いいよ」という言葉は、大輝への許可であると同時に、自分自身を再びあの秘め事の世界へと解き放つ合図でもあった。

 導かれるように入ったラブホテルは、凛音と通った安宿とは違う、どこか清潔でモダンな空気を纏っていた。大輝の指先は、驚くほど丁寧に加代子の肌を辿った。凛音のような乱暴な扱いは一切なく、彼は何度も彼女の名前を呼び、瞳を覗き込んでは、愛おしそうに唇を重ねた。

 (ああ、これが……普通の幸せなの?)

 凛音に「道具」として、あるいは「名器」として消費され続けた6年間。加代子にとって、セックスとは一方的に提供し、耐えるだけのものだった。しかし、大輝との時間は違った。彼は彼女を「名器」としてではなく、「武田加代子」という一人の女性として抱きしめている——少なくとも、今の加代子にはそう感じられた。たっぷりとした愛情を注がれているという錯覚は、彼女のひび割れた心を、温かな蜜で満たしていくようだった。

 行為が終わった後も、大輝はすぐにスマホを触ることもなく、加代子を腕の中に閉じ込めてくれた。 「加代子さん、幸せです」  その囁きを背中で聞きながら、加代子は幸福の絶頂にいた。しかし、18時を回った時計を見て、彼女は名残惜しさを振り払い、身支度を整えた。

 19時、いつものように自宅のドアを開ける。  スーパーで買ってきた食材を手際よく調理し、夫の夕食を作りながら、加代子はふと自分の口角が上がっていることに気づいた。換気扇の音、包丁がまな板を叩く規則的な響き。そんな、ありふれた家事のひとつひとつが、今の彼女には輝いて見えた。

 さっきまで大輝に触れられていた肌の感触が、服の下でまだ熱を持っている。  夫との冷え切った生活も、凛音に捨てられた惨めさも、すべては大輝という光が消し去ってくれた。  「私はまだ、愛される価値があるんだ」  そう自分に言い聞かせながら、加代子は穏やかな表情で味噌汁の味を調えた。それが、大輝という底なしの沼へ、自ら深く足を踏み入れた瞬間であることなど、微塵も疑わずに。
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