戯れの贄となりて

深緋莉楓

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十三

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 よく冷えた酒は香りを残しするりと喉を越えた。美味いな、と二人が同時に感想を洩らして顔を見合わせる。
「これって……正月に飲む一等良い酒じゃないか?」
「ぽい、な」
 白藤の心遣いに二人は無言で感謝して再び酒を注ぐ。館の管理を任されている白藤としては、部屋の惨状を見て言いたい事もあったであろうが、幽世之神を信じて何も言わずに言葉を飲んでくれた事は大変ありがたい事だった。あの場で白藤の小言が入れば、猿田彦の本心をあそこまで上手く聞き出せなかったかも知れない。
「背中の傷は本当に大丈夫なんだろうね? 化膿して香染の悲鳴を聞くのは嫌だよ?」
「大丈夫だって。擦り傷くらいなものだ。敵を相手に背中を見せる程愚かではないよ」
「擦り傷たって、あそこは硝子と鉄の棘の世界だろうに」
「それにあの化け物が殆ど踏み潰していたから、ただの地面と変わりなかったさ」
 それならば少しは安心か、と幽世之神は呑気に告げる猿田彦の声に安心した。
「湯に塩と酒を持って行くと良い。治りも早かろうと思うよ」
「染みるのはごめんだ」
 真顔の猿田彦は背中を擦る優しい手を思い出し、この傷を見せるわけにはいかないと風呂を断る理由を考えねばなと考え込む。
「……背中の傷が治るまでおチビさんとの風呂は任せて良いかな」
「ああ、おチビさんが納得するならね」
「納得させろ」
 目力強く言われ、幽世之神は唸りつつも頷いた。
 あの聞かん坊が素直にいう事を聞いてくれるか甚だ謎ではあるが、此方まで強く言われてしまうと猿田彦の我も通してやらねばなるまいと思い、幽世之神は内心頭を抱えた。
 部屋の窓から見える空の青と林の木々の緑を酒のつまみにして、猪口を傾け続けた。幽世之神に子を頼んだのは間違ってはいない、と心の底から思っている。まだ子と話してもいない状況では何一つ決められないとも思っていた。
「おチビさんに会わなくてはならんだろう?」
「目覚めたかどうかは報せが来ないから、様子を見に行ってみるかい?」
「これが空いたらな」
 ちゃぷ、と音をさせてて徳利を振った猿田彦の目に躊躇いの色が浮かぶのを見逃さなかった。それは恐怖に近い躊躇いの色に見えた。傷の具合いからしても相当な修羅場に送り込まれた子の状態は如何なものかと不安な気持ちが強まる。
「私は何を言われても文句はないよ。それだけ酷な事をした自覚はあるからねぇ」
「無自覚だったら今からでも殴る」
 外を眺めたまま答えられて、それ程の事をしたのだと再認識すると罪悪感が増した。
「考えあっての事だったんだろう? そんなに暗い気を放つな。気づかれるぞ」
「そんなにかい?」
 怪訝な表情の幽世之神の猪口に酒を注ぐとまた外を眺める。幽世之神が作り上げた世界は地上の世界を映しており、今日は青空に白い雲が割と速く流れてゆく。空の色はまだ地上にいた頃より変わらない。不思議な気持ちで空を眺めながら酒の香りを今は愉しむ事とした。
 最後の一滴が徳利から落ちると、意を決して一気に飲み干すと一度大きく頷いた。子の反応は当然ながら怖かった。だが、これから一緒に館で暮らす以上は謝るべきは謝り互いの距離を見極めなくてはならないとも思っているのも事実だ。
 猿田彦が立ち上がると、同じく立ち上がり部屋を後にした。
 部屋から出た瞬間、猿田彦はいつもの様に後ろについて歩き出した。振り返った幽世之神に猿田彦が頷く。そして二人は子が寝ているであろう部屋へと向かった。
 小声で呼び掛けると襖が開いて香染がそっと顔を出す。非難の色は無く、きちんと手当てされた腕を見て安心している様だ。香染は身を引いて二人を部屋の中へと招き入れると背後で襖を閉めた。
 布団の上に座った白藤の膝上で突っ伏している小さな背中が見えた。白藤はそうよ、と繰り返し子の頭を撫でている。耳を澄ますと、白藤の言葉の合間にぼそぼそと呟く子の声が聞こえる。二人は更に布団に近づき子の呟きに耳を澄ませた。
「オイラ、ちゃんとおにぃちゃん助けられたよね? おにぃちゃん大丈夫だよね?」
 子の言葉に二人は顔を見合わせた。猿田彦はこの横に進むと伏せたままの子の丸い頭を撫でた。驚いて顔を上げた子は猿田彦の顔を見ると、みるみるうちに大粒の涙を流して抱きついた。面食らい一言も発せず只管子の頭を撫でる。
「ほらね、坊や。大丈夫って言ったでしょう?」
 ほっと肩の力を抜いた白藤が二人の顔を交互に見て微笑んだ。
「おにぃちゃん、ごめんね……思い出したのとか、いっぱい痛いのごめんね……」
 縋りついて泣く子の傍に幽世之神が座り、深々と頭を下げた。その場にいた全員が突然の土下座に困惑する。子は意味が解らず、涙を流したまま目を丸くした。
「私の身勝手でおチビさんにはつらい思いをさせてしまい申し訳ない。どうか……私の事は憎んでくれて構わまないから猿のお兄ちゃんの事は憎まないでいて欲しい。これも私の我儘だとは承知している。それでも悪いのは私だけだという事は解っておくれ」
 子の返答を待っているのか幽世之神は微動だにしない。子は猿田彦に背中を軽く叩かれて反射的に見上げる。子と視線を合わせた後にゆっくりと頭を下げたままの幽世之神に視線を向けた。その意図を汲んだのか抱きついていた片手を着物から離すと、そっと幽世之神の頭に触れた。本来なら無礼な行為もこの時ばかりは誰も咎めなかった。
「かみしゃま、オイラが決めて良かったんだよね? オイラ、選んだよ。オイラのかあちゃんは美味しそうな匂いについて行っちゃったオイラを守る為に捕まっちゃって……オイラのかあちゃんは優しかったよ。でもね? オイラは大事なほうを選んだの。ちゃんと選んだの。オイラ、こあいのやっつけたんだ、すごいでしょ? かみしゃま、オイラが決めたのよ? どしてごめんしゃいするの? だってオイラ、ぎんしゅだよ?」
 幽世之神が名づけた自分はその名を誇っているし間違っていない、と子供らしい支離滅裂だが必死に紡がれる言葉に幽世之神は腕を伸ばし、一瞬泣き出しそうな顔をした後、小さな体を力一杯抱きしめた。
「ああ、銀朱は凄いよ。あんな怖い場所で戦って猿田彦と帰って来てくれたんだ。凄いよ、凄い……ありがとう」
「しゅごいでしょ!」 
 泣いたり胸を張ったりと相変わらず忙しい子だと、長い髪の隙間からちらりと見えた幽世之神の目に滲んだ涙は見ないでやった。
「今夜はおチビちゃんに名前がついた記念の宴にしましょう!」
 しんみりしかけた空気を破る様に香染がやけに明るい声を上げて、幽世之神の返事を待った。白藤も小首を傾げて温かな目で子を抱きしめたままの幽世之神を見ている。
「じゃあ、昼餉は軽めだな」
 猿田彦が代わりに答えると香染は大きく頷いて、食材を見て来ると言って部屋を出た。きっと香染は今頃微笑みながら疲れた身体でも喉を通る献立を考えている事だろうと考えていると、台所から驚きと混乱を併せた悲鳴には少し弱い声が聞こえた。何事かと猿田彦と白藤の視線がかち合う。動きたくとも子にしがみつかれた怪我人。さて、どうしたものかと考えているとさっと幽世之神が立ち上がり子の頭を撫でると部屋を出た。
「御館様、大丈夫でしょうか? あんなに落ち込まれた気は初めて感じましたが」
「大丈夫だ」
 言い切る猿田彦に何やら思う事はあったが、問い糺す気もない。猿田彦が大丈夫だというならば大丈夫なのだ。そう思える程に信頼を寄せている。
「そうですね。呼ばれるまでは此方におりましょう。ねぇ、坊や? お名前もらったのね?」
「うん! ぎんしゅ、ていうの」
「恐らく銀に朱色の朱だな」
「素敵ね、坊……銀朱。約束したでしょう? 坊やが名前をもらったら呼ぶわよって。約束、果たしたからね、銀朱」
 えへへ、と照れ出した子を見て頭の中には、さっき泣いたなんとやら、という言葉がぐるぐると回っていた。
 その頃台所では、猿田彦の頭の中をぐるぐるしていたなんとやら……一羽の鴉が台所の窓枠にちょこんと留まっていた。
「猿の案内無しに、何故此処へ?」
 幽世之神の問い掛けに鴉は嘴に咥えた弁当の包みをそっと首を伸ばして窓の下の棚に置くとおずおずと告げた。
「神様に飛べる穴へと導かれましたが、その、何やら良い匂いがして来まして……恥ずかしながら生前の悪食ゆえ大変興味を惹かれてしまいまして……穴からは出れないだろうと思ったのですが出れたのです。そして匂いの元を探すとこのお弁当がありまして。神様を探したのですが気配も遠く、これは忘れ物であったなら明日お困りになるのではなかろうかとお届けしようとしました」
 怒られる覚悟でこの場にいる説明をした。話を聞いて、幽世之神はおかしいなぁと呟いた。鴉は意味も解らず、いつ初めましての高位そうな神様に怒られるのだろうかと内心びくびくしていた。
「お届け物、ありがとう。ただ気になるのだが、黄泉比良坂と此処の間には結界が張ってあったと思うが、何故案内された魂が越えられたのか不思議なんだが」 
「あの、お弁当がぐいっと引っ張ってくれまして、真っ暗から真っ白の此処に来れました。えっと、私、神様に示された場所へ戻ってもよろしいでしょうか? 拳骨とかありますか?」
「は? お礼はするべきだと思うけれど、拳骨はありえないよ。ちょっと待っていてくれないかな? 猿ー!」
 幽世之神は大声で猿田彦を呼ぶ。滅多にない幽世之神の大声に驚いた猿田彦は子を抱えたまま慌てて台所へ急いだ。
「おにぃちゃ、痛くない?」
「平気平気。何かあったのかな? おチビさん、怖かったら白藤の所へ戻るんだよ? 良いね?」
「あい! でもオイラつおいからだいじょぶだよ」
 確かにね、と猿田彦が答えると子は少し誇らし気な笑顔を浮かべてしがみつく。満足そうな子を抱えて台所へ入ると、困惑した表情の幽世之神と香染、そしてあっけらかんと死を認めた鴉が首を傾げて窓枠に留まっていた。
「ああ、猿。呼びつけてすまない。この鴉がお前の忘れ物を届けてくれたんだけれどね」
「は? 結界は?」
「お前の弁当が鴉をぐいっと引っ張って越えさせたみたいなんだ」
「確かに弁当は忘れてしまいましたが……そんな結界を破らずに抜けられるなんて、そもそも行くべき場所へ行ったなら刻が来るまではそのままのはずで……しかも幽世之神が強化した結界でしょう? あり得ない」 
「うぅん、そのあり得ない事があり得ちゃったから鴉が此処にこうしているんだよねぇ……これって、この鴉は此方の世界に招かれたって事じゃないかな?」
 幽世之神の考えに一番驚いたのは当の鴉だった。窓枠からずり落ち掛け、慌てて翼を動かしてどうにか体勢を取り戻した程だ。猿田彦は導きを間違えたのかと顎に空いた方の手を当てて考え込んでいる。子は鴉を見て
「からしゅさん、オイラのこと、つつく?」
 と猿田彦に抱かれたまま問いかける。子の質問に鴉はただでさえ丸い目を更に丸くして翼を忙しく動かして、とんでもない! と必死に訴えた。
「じゃあ、なかよくでけるね!」
 嬉しそうな子の声に、幽世之神が何かを思いついた顔で二人を見た。
「おチビさん、怖くないね? これは縁だと思うんだよ。私は猿が案内を間違えたなんて思ってもいない。けれど、鴉が弁当に引っ張られて此処へ来た。これは変え様の無い事実で現実だ。となると、縁だとしか思えない。だからね、おチビさんも仲良くできるって言ってくれているわけだし、猿、この鴉を眷属になさいな」
「はぁ?」
「へぁ?」
 間抜けな声が猿田彦と鴉の口から落ちる。子は眷属の意味が解らずにきょとんとしている。
「御館様、猿田彦の眷属ならば蛙でしょうが」
 呆れはてた猿田彦の声に、幽世之神は不満気な表情をした。
「そんな話もあるけれど、それはそれ。縁があったなら大事にしなくては意味が無いでしょうが、お馬鹿さん! 鴉だってちゃんと帰って来るでしょうが」
「……すんごい屁理屈」
 これはもう幽世之神の中では確定なのだろうと猿田彦は鴉に向き合った。
「何の奇跡かわざわざ届けてくれてありがとう。さて、鴉。お前さんに選択肢を与えようと思う。先程の幽世之神の提案の通り俺の眷属になる事もできるが、ならなくとも良い。そして背後の奥に見える林に行けば神域に入った穏やかな動物達がすぐにでも友達になってくれるだろう。何を選んでも構わない。確かに縁だ。其方は神域に招かれた」
 鴉はあたおたとぐるぐる首をあちこちに目紛しく動かし、降って湧いた話に混乱を極めていた。
「からしゅさん、林のとりさんもくまさんも優しいよ。あ、でも、ここもみんな優しくてごはんもすんごくおいしーの」
「なんと!」
 ご飯の単語一つに勢い良く羽を広げた鴉は小さく、あ、と声を上げるとそそくさと広げた羽を畳んだ。
「今この瞬間にそんな重大な事に答えを出せと言うのも無理な話。林へ行って様子を見てみなくては、どちらが居心地が良いか鴉にも決められまい」
 猿田彦の腕の中で子がぴくりと動き、幽世之神に手を伸ばす。
「かみしゃま、林行くんでしょ? オイラも行きたい。おしゃんぽ、おしゃんぽ」
 苦笑いで猿田彦は腕の中の子を幽世之神へと渡すと、幽世之神は嬉しそうに子を受け取り鴉にそのまま待つ様に伝えると勝手口から表へと出た。
「かみしゃま、オイラ歩けるよ?」
「うん、でもおチビさんも今日は頑張ってお疲れ様だからねぇ。今日はこのままね」
「あい」
 素直に頷いた子をしっかりと抱え直して幽世之神は鴉についておいで、と声を掛けた。鴉は台所に残った面々に頭をぴょこっと下げると、既に歩き始めていた幽世之神の後を追って窓辺から音も無く飛び立った。
 青い空に映える艶やかな黒い鴉の姿は息を呑む程美しかった。翼をはためかす度に光を反射し煌めく翼が風を捉え、空を舞う歓びが伝わってくる。
「綺麗でお茶目な鴉さんですね。私、怖いものだと思っていました」
 生前を思い出したのか香染がしみじみと呟くと、白藤も同意して地を這うものとしては鴉や鷲の類は怖いものです、と猿田彦に説明する。
「今はもうこの身体ですしね、林の子達と仲良くなれましたし怖くはありませんよ。さ、昼餉の準備をしますから、猿田彦様はどうかお部屋でゆっくりなさっていてくださいな」
 白藤に台所から追い出されて、麦茶を片手に難しい顔をしていた。
「猿と犬と鳥って、何のお伽話だ……幽世、面白がっているだろ、絶対。いや、でも此処まで来れた時点で奇跡なのは間違い無いし……」
 ぶつぶつ繰り返す猿田彦の耳には微かにはしゃぐ子の笑い声が聞こえ、思わず頬が緩んだ。
 林の手前で、子は幽世之神を見上げた。視界の端に捉えた動きに応えて子と目を合わせると、笑っていた顔は酷く真剣だった。
「どうしたんだい? おチビさん?」
「あのね、おにぃちゃん、本当に大丈夫? おにぃちゃんね、泣いてたの。オイラが決めたって言ってもごめんって泣いてたの。いーっぱい血が出てるの、おにぃちゃんなのに、大丈夫かなぁ?」
「自分の事なんてどうでも良いくらいおチビさんが大切で心配なんだよ。それと暫くは私とお風呂に入ってくれないかな? お兄ちゃんに頼まれたんだ」
「あいです! そだ。けんぞくってなぁに?」
 幽世之神の言葉を悪意なく受け止めた子は興味が制御できなかったのだ。
「うぅん、説明が難しいな……猿のお兄ちゃんと鴉が納得したら、鴉はお兄ちゃんだけの御使さん、かなぁ? 眷属は主人……偉い人? にだけ仕えるんだ。簡単に言うと、私の意見よりお兄ちゃんの言う事を優先しても怒られないというか……」
 子相手への説明の難しさに幽世之神は言葉を選びつつも、何割が伝わったのだろうかと頭を捻る。
「じゃあ、おにぃちゃんもおねぇちゃんもかみしゃまのけんぞくなの?」
「違うよぉ。私は皆んなとは眷属契約はしていないよ。皆んなの好意で食事や仕事をしてもらっているよ。林の皆とも猿達ともお友達さ」
 へぇ……と唸った子は、そのまま何かを考え出し鴉が隣に並んで飛ぶまで無言だった。
「からしゅさん、かこいい!」
「へ? いやはや、照れますな!」
 再び笑顔の戻った子に胸に引っ掛かるものはあったがとりあえず安堵した。引っ掛かりは今は無視する事にして、林に入ると最初に出会った鶯にお客さんだよ、と声を掛け林に住まうものを再度集めてもらう事にした。
 続々と集まる様々な種族の動物達に鴉は驚いて嘴を閉じるのも忘れていた。猫が姿を現した時は微かに尾の付け根の羽が膨らんだが、直ぐに平静に戻った。何せ猫は挨拶をすると幽世之神の前でも気を許して大欠伸をし顔を洗い出したのだから、鴉も敵意の欠片すらない事を嫌でも理解してしまった。
「本当に喧嘩は起こらないのですなぁ」
 感嘆する鴉に顔を洗い終わった猫が答える。
「争いは生きていた間で充分です。自分が生きる為とはいえ、不必要ならば不必要……でしょ?」
 うんうんと動物達がそれぞれ頷く。弱肉強食の世界から解き放たれた動物達は皆穏やかで、種族関係なく互いを思いやり声を掛け合っている。
「まだ解らないけれど、この鴉も林に住まうかもしれないからその時はよろしく頼むよ」
「御館様、林に住まわなくとも仲良くしてもよろしいですか? 以前、お子を連れて来て下さった時にお伺いするのを忘れてしまって……お子とももっと仲良く遊んでも構いませんか?」
 ひょうきんものの雀がぴょこぴょこ跳びながら幽世之神に尋ねると、幽世之神は笑いながら当たり前じゃないか、と答えた。
「むしろ林の中だけじゃなく、館にも庭にも遊びに来れば良い。あ、玉砂利の庭は入っちゃ駄目だよ。それ以外、もっと皆が楽しくないと私が困ってしまうじゃないか」
「御館様が白藤様と香染様にお伝えくだされば……いきなりお邪魔したら驚かせてしまうでしょうし」
 それもそうだ、と幽世之神と狼と熊が同時に声に出し顔を見合わせる。その様子を見て子は声を上げて笑った。
「解った、伝えておくよ。確かにいきなりは驚くだろうからね」
 鴉の紹介も終わったし、と幽世之神は鴉に呼び掛け踵を返し館へ戻ろうとした。
「かみしゃま」
「ん? どうした、おチビさん?」
「オイラもおにぃちゃんのけんぞくになりたいけど、みんなとお友達じゃなくなるものやなの。どしたら良い?」
「あはは、ずっとお姉ちゃん達もお友達だよ。でもねぇ……おチビさんはその必要ないと思うなぁ」
「どゆこと?」
 幽世之神の呟きに子は心底不思議そうな顔をして涼しげな顔を見上げた。
「さぁ、昼餉は何かな? 楽しみだねぇ、おチビさん」
「あい! すんごくおいしーのよ!」
 力強く鴉に言う子に鴉は器用に飛びながらもこくりと頷いてみせた。幽世之神に並んで飛ぶには速度が足りないのか、たまに急上昇して上手く距離を調整していた。大きく円を描いて空へと一気に昇りゆっくりと降下して隣に戻ってくる鴉の自由さに子は大喜びで幽世之神の腕の中で手を叩いて喜んだ。
「すごいねぇ! お空をぐるんてするの、かこいいねー!」
「いやはや、本当に照れますなぁ」
 賑やかに会話を続けつつ勝手口にの扉に手を掛けると、既に昼餉の良い匂いが漂っていた。
「素晴らしい出汁の香り!」
 思わず鴉が首を伸ばして大声を上げると白藤と香染の手が一瞬止まり、勝手口の幽世之神達に笑い掛け、それぞれがお帰りなさいませ、と迎えの言葉を口にする。
「顔合わせは済んだよ。後は昼餉の席で決まるかなぁ」
「そうですねぇ……あ、鴉さんは何でも食べて良いのかしら?」
 白藤が幽世之神のやきもきを受けつつ鴉に問うと、自分も数に入っている事に驚きつつ何度も頷く。
「お、畏れ多い、のでは……?」
「幽世之神様がそう仰るのだから是非食べて頂きたいです!」
 はきはきとした香染の勢いに圧される形で昼餉を同じくする事があっさりと決まった。
「からしゅさんと食べるの!」
 頑なな子の態度に、席の並びは猿田彦の隣に子、そして子の膝の上と決まった。この時点で既に幽世之神はにんまりと笑っていた。
「おお! 何と豪華な!」
 この膝の上で鴉は卓の上に白藤と香染が運んでくる料理ぶと瞳が輝きを増していた。綺麗に巻かれた卵焼きは金色の宝石に見えていた。しかしその宝石は出汁の良い匂いのする湯気を上げていたのだが。
「あい、からしゅさんと半分こ」
 匙に掬った卵焼きの欠片を鴉の前に差し出すと、子はにこにこと微笑む。鴉はどうしたものかと幽世之神と猿田彦を交互に見遣った。幽世之神は頷き、猿田彦は卓の上から小さな皿を取ると子の前に置くと、卵焼きをそこに置く様に伝えた。
「鴉さんにもお皿が要るだろう? ほら、此方に置いてあげな」
「あい」
 慎重に匙から皿へと卵を移すとどうぞ、と声を掛けた。鴉は再び幽世之神を見たが、幽世之神は口元を少し上げてからいつもの感謝の言葉を述べ、皆は手を合わせる。合わせる手のない鴉は目を閉じぐっと深く頭を垂れた。
「では戴こうか。二人とも食べやすい物を揃えてくれてありがとう」
「いえいえ、猿田彦様もおチビちゃんもお疲れでしょうし、それに夜は宴ですからね! 幽世之神様、食材を使い果たしても怒らないでくださいね?」
「もう香染の頭の中は夕餉かい? まだ私は箸もつけていないのに!」
 朗らかに笑う幽世之神に言われて香染は耳まで赤くした。
「だって、おチビちゃんにお名前がついて、それにひょっとしたら……でしょう?」
 薄紅の唇を尖らせ眉を寄せて香染は幽世之神を見る。幽世之神は大根おろしがたっぷり乗った焼き魚に醤油を垂らしながら、ちらりと猿田彦の方へ視線を遣り小さく唸った。
「そうだねぇ……今まで随分長い時間があったのに気づかなかった私自身に驚いているんだけれど、鴉よ、猿田彦神は黄泉比良坂で一日中、あちこちへと動き回っているんだよね?」
 問い掛けられた鴉は嘴に卵焼きの欠片をつけたまま何度も頷き、黄泉比良坂での猿田彦の働きを皆に伝えると、子も鴉に賛同して
「おにぃちゃんはね、いっちばん奥まで行って、また明るい方へもどって、たぁくさんの人や動物に声をかけてお話を聞いてくれるの。それでまた色んな所へいっしょに行くの。オイラ、ずっといっしょだったから知ってるよ、かみしゃま」
「だよねぇ。それは時間的にも体力的にも猿田彦神の負担だろうと思う。ところが鴉には飛ぶ翼もあれば戻る知恵もある。そんなわけで、やはり猿田彦神に仕えて欲しいと思うんだがどうだろう?」
「今更でしょう。今までもこれからも変わらない。同じ事を繰り返すだけですよ」
「昔とは変わってしまった、と言ったのはお前さんじゃないか。それに鴉は最近此方に来たんだよね? ならば猿田彦の知らない言葉も知っているだろうし、何より……もうあの暗く冷たい場所にお前さん一人を立たせたくないと思うんだ」
「死した後此方に来た魂は行くべき場所が決まればそれまで。そして神域に入れば魂は自由のはずだ」
 猿田彦は眷族という括りで鴉の魂の自由を奪うのではないかと懸念しつつ、喉越しの良い澄まし汁に舌鼓を打つ。
 幽世之神からしてみても猿田彦が頷かなければ無理強いをするのは少々心苦しさもある。白藤達はそもそも自分達が口を挟む問題ではないと弁え黙ってそれぞれが給仕と食事と動いている。
 そんな中。
「猿田彦神が指し示し、私が先導したり、渋るものは後ろから突いて追い込んで……良いですな! 猿田彦神が鳥居の前に立たれると皆安心するのですよ。とても堂々としていらして、思い出していないものも、鳥居の前にいらっしゃると途端に落ち着いて生前を思い出そうとできるのです。私は猿田彦神には可能な限り、威風堂々と鳥居の前に立っていていただきたいですな! あ、眷属になりたいなどとは思いません、ただそのお手伝いができれば……と思ったまでです」
「じゃ、オイラもお手伝う!」
「だってさ、猿。どうする?」
 輝く瞳を持つ一人と一羽が猿田彦を穴が開く程の勢いで見つめる中、猿田彦は深く長い憂いのこもった溜め息をついた。
「……解ったよ。手伝ってもらおうか。ただし! とりあえず眷属契約なんぞ面倒な事はしないぞ。おチビさんも鴉も自由だ。良いな? 自由だ」
「お手伝うー!」
 嬉しそうな子と鴉は口に入るだけの卵焼きを頬張った。連れ帰った子が懐いて来るのはまだ理解できるが、死後の世界へ案内した鴉が何故そんなに自分の手伝いを喜んで買って出るのか、とんと理解ができなかった。そんな心中を察したか、子の隣で食事の補助をしていた香染が
「鴉さんは何故そこまで猿田彦様を慕ってらっしゃるの?」
 と問い掛け、鴉の返事を待つ前に白藤に嗜められていたが、鴉が片翼を挙げて言いたい事がある、と意思表明をする。
「猿田彦神は行く先に入る前に再び飛ぶ事を許してくださいましたし、示された場所でも自由に飛ぶ事ができました。ぺたんこになった私がまた飛べるだなんてそんな夢の様な事を猿田彦神は許可して下さったのです。どれ程ありがたかったか。これは私の勝手なご恩返し……ご恩返しになれば良いですね! がんばります!」
「素敵! 鴉さんもこの館で暮らすお友達になるんですよね? 御館様?」
 興奮気味の香染に幽世之神は笑い掛け、そうなるねと同意を示すと益々表情は歓喜の色で染まった。
「今夜はお祝いと鴉さんの歓迎会です! 鴉さんは何が好き?」
「ふふふ、私は鴉ですぞ。悪食です。嫌いな物などありません、好きな物ばかり! しかも此処のご飯の美味しい事ときたら……んふー幸せです!」
 鴉は香染が皿に満遍なく取り分けてくれた料理の中から器用に子の膝を汚す事も無く啄んでいる。
「御館様、また名づけに頭を悩ませねばなりませんね」
 上品に笑う白藤に幽世之神は一瞬ぽかんとした後で真顔になった。
 名前……名前……と呟き始めた幽世之神を猿田彦は放置して、箸を止めずに皆にも食事を続ける様に促した。各自、猿田彦の意に従い、唸る幽世之神に対して時々うるさい、と小言を飛ばす中、子と鴉は変わらず無邪気に食事を楽しみ、白藤と香染は悩む幽世之神を面白く思いつつも夕餉の内容を双方が考えていた。
 猿田彦は、これはまた賑やかさが増すなぁ……と何処か他人事の様に感じながら、胸の奥の深い所が楽しみに似た感情で揺らめいている事には気づかないふりをして食事を続けた。  
 午後から黄泉比良坂へ戻ると言う猿田彦を幽世之神は権限で止めた。香染や子が大騒ぎしてしまい午後から丸っと時間を持て余してしまった。しかも心配性の香染に寝室へ追いやられてしまい、あまりの高待遇に思わず頭をばりばりと掻いてどうすべきかを考える羽目になった。
「大袈裟だろう? 病人じゃあるまいし」
 鳥居の前で困惑しているであろう顔の見えない魂達を思うと、ふかふかの布団の上で柔らかな陽射しが照らす部屋と藺草の匂いが微かに香る部屋で独り言ちた。
 このまま大の字になるのも気持ちが良いだろう。だが、背中にも軽くとも怪我をしている身としてはおいそれと気安く寝転がるのも気になるのが現実だ。
 陽はまだ高い。そっと抜け出して黄泉比良坂へと行こうかと考えていると、良い音を立てて襖が開き驚いてそちらへ反射的に目を遣った。
「おにぃーちゃん! お昼寝するのよ!」
 そう言うと子は猿田彦の返事を待たずに一人で押し入れを開け、何度も飛びながら枕を取ろうとしている。
「あ!」
 数度目かの失敗の後、黒い嘴が子の狙っていた枕の端を捉えると重みで枕が子の前に落ちる様に引っ張り手助けをした。
「からしゅさん! ありがと」
 落ちた枕を胸に抱えて、猿田彦の為に敷かれた布団に近寄ると枕を並べてころんと寝転がった子は
「おにぃちゃん! お昼寝なの! あとで白藤のお姉ちゃんがお水を持って来てくれるから、その時おねむしてないと、怒られるのよ! 解った?」
 子の迫力に負けて猿田彦は頷いた。そして背の傷の微かな痛みを顔に出さずふかふかの布団の上に寝転がった。
 猿田彦が横になったのを見届けた子はいそいそと並べた枕に頭を乗せて、ご機嫌な様子だ。
「からしゅさんはここー!」
 昼餉で膨れた腹をぽんと叩くと、余りに早く早くと急かすので鴉はふわりと子の負担になりそうにない場所に降り立つと丸まって眠る姿勢を取ってみせた。満足した子は笑い声を上げると目を閉じる。猿田彦と鴉が無言で目を合わせている内に、規則正しい寝息が聞こえてきて優しく辺りを包んだ。
 思わず吹き出しそうになったが、今笑ったら子を起こしてしまうだろうと必死で堪えた一人と一羽は声を殺し、体を震わせてどうにか遣り過ごしたのだった。
 数刻後、そっと襖を開けた白藤は小さく笑うと音を立てない様に部屋には入らず、水差しを置いた盆だけを部屋の中に入れて再び襖を閉めた。
 夕陽の橙色に照らされた部屋の中には、枕そっちのけで猿田彦の腹に頭を乗せている子と少し苦しそうに眉を寄せつつも片膝を立てて寝入っている猿田彦。そんな二人の間でくるりと丸まって眠る鴉がとても自然な空気感を漂わせ、それぞれが夢の中にいた。
「ふふ、猿田彦様ったら、良い相棒を得られたみたい……さぁあ! 腕によりを掛けて宴の準備をしなくちゃね! それにしても……うふふ、役得役得。良い物見れたわ!」
 猿田彦と子が無事に帰って来た事や鴉という弁当を届けてくれた心優しい仲間が増えた事に喜んでいるのは何も香染一人ではなかったのだ。

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