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〈六〉小さいおじさん

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 学校での1日が終わり、赤橋まで戻ってきた。橋の上を渡っていたら声が聞こえた。

「おーい、健ちゃん!」

 その声は川の方からした。川に視線を落とすと、そこには川端に立ち、手を伸ばして川の中の麦わら帽子を拾おうとしている小さいおじさんがいた。川井のおっちゃんだ。

 小柄で、作務衣姿。頭の髪は、側面だけに生えており額から脳天にかけてはげ上がっている。両サイドの髪は、お弁当箱の中に入れる緑色でギザギザしたバランのように、元気よく天に向かってまっすぐに伸びている。口元には、どじょうひげがひょろりと生えていた。

 川の中の麦わら帽子に手を伸ばしている姿が、妖怪の小豆洗いが川端で小豆をショキショキと洗う姿にそっくりで、知らない人が見たら本当に小豆洗いと見間違えそうだ。

「おっちゃん、何してるの?」

「女の子の麦わら帽子が、風で飛ばされて、川の中に落ちたんだよ。お嬢ちゃん、取れたよ!」

 川井のおっちゃんは、川の中から帽子をつかみ、ちょうどゆずやの前辺りで、川の中を心配そうに見ていた小学校低学年くらいの女の子に、帽子を振って見せた。

「わぁ! おじちゃん、ありがとう」

 女の子がホッとした顔で、川井のおっちゃんに、お礼を言った。

 石段を登って、おっちゃんは道に上がってきた。麦わら帽子を女の子に手渡すと、女の子は、ペコリとおじぎをし、笑顔で手を振りながら帰っていった。

「健ちゃん、おかえり」

「おっちゃん、かえりました」

「勉強は順調か」

「数学と理科をいくら勉強してもできるようにならないんだ……」

「そうか……。一生懸命がんばってるのに、そりゃ、辛いねぇ」

 川井のおっちゃんは、国道から赤橋に入ってすぐのところにある大きな蔵で、『土蔵喫茶きゅうべえ』という、喫茶店を営んでいた。

「今日は、平日だし、お客さんもほとんど来なかったから、暇だった。健ちゃん、ミルク金時、食べに来るか。ご馳走するよ」

「えっ、本当? うん、行く行く」

 土蔵喫茶きゅうべえのミルク金時は、盛り方が豪快で大好きだ。粉雪のようなフワフワとした氷ではなく、食べるとジャリジャリと口の中で音がするような粒の粗いかき氷が、山のように透明なガラスの器に盛られている。

 氷の山のふもとには、ぼた餅かと見間違えるほどの、大きな粒あんの塊が、ボタッと添えられている。練乳の入った缶詰に穴が開き、トクトクトクと練乳が、氷の山のてっぺんから全体に掛かる。缶の半分くらいの練乳なんじゃないかと思うぐらいにたっぷり、どろっと掛かる。氷の山のふもとには、練乳の池ができ、ぼた餅のような粒あんの塊が、ドップリとその池の中に漬かっている。

 最後に缶詰から出した、まっ赤なさくらんぼが氷の山のてっぺんに乗せられ完成だ。土蔵喫茶きゅうべえのミルク金時を想像しただけで、よだれが出た。

「家に戻って着替えてくる」

 ぼくは、急いで家に戻った。勝手口から自分の部屋がある2階に、ドタドタと慌ただしく駆け上がり、かばんを置き制服を脱ぎ、Tシャツにハーフパンツという格好に着替えた。

「タミさん、かえりました!」

 土蔵喫茶きゅうべえに行く前に、ぼくはゆずやに顔を出した。店の中では、従業員のタミさんが、事務仕事をしながら、店番をしていた。長年、ゆずやで働いてくれている、母と同じくらいの年齢のおばちゃんだ。

「健ちゃん、おかえり! はい、これ柚餅子ユベシの切れ端」

「ありがとう!」

 赤橋がある辺りでは、昔から柚子の生産が盛んだ。そのため、柚餅子ユベシが伝統的なお菓子として作られている。菓子処ゆずやは、柚餅子ユベシの老舗だった。

 タミさんは、柚餅子ユベシの製造のときに毎回出る切れ端を、ぼくのおやつに取っておいてくれて、学校から帰ったらいつもくれる。タミさんに工場の中で働いている母に、土蔵喫茶きゅうべえに行くことを伝えておくようにお願いし、ぼくは向かった。
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