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〈十五〉「久兵衛作戦」第2の矢

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 それからは赤橋が一つになって、魅力を発信し始めた。店主だけではなく、店主の家族や従業員さんまでも、SNSで赤橋の魅力を発信するようになった。実名登録制のSNSだけではなく、各自が写真投稿SNSや、つぶやくアプリ等自分に相性の良いもので情報発信するようになった。

「最近、赤橋を紹介した投稿をよく目にするので来てみました。映えますねぇ」

 赤橋を散策する観光客と話をすると、そう言われた。どんどん赤橋が人でにぎわうようになってきた。

 ぼくは新聞社に勤めていたとき、プレスリリースという取材依頼がFAXや郵送で届いていたことを思い出した。

 ぼくは、久兵衛作戦のとして、「映える町並み、赤橋」というタイトルでプレスリリースを作成し各種メディアへ送った。

 SNSで話題になっていたこともあり多数のメディアが取り上げてくれた。それにより、ぼくたちの投稿への「いいね!」やシェアが一気に増えた。

 5月の連休は赤橋がとても多くの人でにぎわった。周辺の駐車場は満車になった。ここまで赤橋が観光客でにぎわったことは、ぼくが生まれてから一度もなかった。

「このにぎわいを、川井のおっちゃんにも見てもらいたかったなぁ……。」

 ぼくは市が管理する休憩所として今は使われている、大きなあかがね色の蔵を眺めながらつぶいた。連休中も、ぼくはゆべ氏になってゆずやの店頭で柚餅子ユベシの試食販売をしていた。

 もし、赤橋自体に魅力が無かったら、いくらPRしてもこれほどまでに観光客が集まることは無かっただろう。久兵衛さんやこの町並みを残してくれた先人に、ぼくは心から感謝した。

 赤橋が一つになって奮闘している中、父親はその中に加わらず相変わらず酒ばかり飲んでいた。その父親がある日、救急車で運ばれた。酔っぱらってつまずいて転んだのだ。

 売上げが上り、店の金回りが良くなれば酒をやめると思っていた。少しだけ明るい兆しが見えてきたが、父親のアルコール依存症は改善の兆しをまったく見せなかった。入院して酒をやめることで症状が少しでも良くなることを祈りながら、ぼくと母は病院を後にした。
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