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3:救世主あらわる。でも……
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「ちょっといいですか?」
「だ、代理……」
若者の言葉に老女が固まった。
「RAスタディ、とは何でしょうか?」
「代理、アタシにはわかんないねぇ。誰か、知っているのはいないかい?」
老女が尋ねたが、代理の問いに答えられる者はないようであった。
「おい、答えろ!」
背後からケージが培楽の背中を突いた。
「ひゃ、ひゃいっ! わ、私の会社で、e-ラーニングのシステムを取り扱っている……」
培楽は必死で説明した。説明のやりようによっては助かる道があるかも知れない、そう考えていた。
緊張と恐怖にしどろもどろになりながらも、何とか一通りの説明を終える。
「すみません、私の知らない会社ではありますが、調べたところ実在の会社でした」
老女とは異なる女性の声だった。カフェで見かけた三人組の中の女性だ。
「会社のIDカードも持っているみたいだから、所属しているということに嘘はなさそうだな……」
ジャージ姿の男が、いつの間にか培楽のバッグを漁ってカードホルダーを取り出していた。
「ほ、本当ですって! 嘘は言っていません!」
培楽が必死に潔白を訴える。
「何たらという会社にいることは解ったが、『奴ら』の仲間でないという証拠はどこにもないよなあ?」
ケージが培楽の背後で凄んでみせた。
「ええっ?!」
「そうだ。代理、こいつをどうするかねぇ? 口を封じちまった方がいいんじゃないかい?」
老女が若者に尋ねた。若者の判断に一任するようだ。
「そうですね……主任、どう思いますか?」
若者は脇にいる長身の女性に尋ねた。過去のやり取りを整理すると培楽は彼女と間違われてこの場所に連れてこられたようであった。
スーツ姿の若い女性、という共通点はあるものの、顔や雰囲気はまるで異なる。
どうして間違えられたのか培楽には皆目見当もつかなかった。
「私たちと同じようにパトカーに乗せられていましたし、囮にしては訓練されているような感じでもありません。恐らく『奴ら』は彼女を私たちの仲間と認識しているのではないかと思います」
「主任、ありがとう。私も主任と同意見です。あくまで彼女の意思次第ですが、今ここで生命を奪うのは得策ではないと思います」
長身の女性と若者の培楽に対する見解は一致しているようであった。
培楽はどうにか生命だけは助かった、と胸を撫で下ろした。
「それはいいですが、代理、これからどうしますか?」
そう尋ねたのは培楽の背後に隙無く立っているケージであった。
「これから社長のところに移動するのでしたね? ならば彼女にも同行してもらって、そこで意思を確認しましょう。ここにはそう長居できないでしょうから」
若者の答えにケージはわかりましたと答え、老女は突きつけていた冷たい筒を離したのだった。
「木口さん、でしたか。この後私たちの協力者のところまでついてきてもらいます。そこでその後どうするか判断していただければ結構です」
「ちょっと待ってください! ここで解放してもらうことはできないですか?」
生命が助かったので安堵したためか、培楽は幾分落ち着きを取り戻していた。
この場で解放してもらえれば、この後厄介ごとに巻き込まれる可能性はないだろうという計算ができる程度には。
「あの……ここから一人で帰れますか? 私たちには事情があって貴女を送っていくことができません。それに、先ほどカフェで貴女を捕まえた方々ですが、彼らは貴女を私たちの仲間だと勘違いしているように思われます。彼らに捕まった場合、貴女の生命の保障はできないのですが……」
「へっ?!」
若者の指摘に培楽がその場で固まった。
バッグからスマホを取り出してみるが、見事に圏外である。
スマホの地図を頼ったところで、家まで帰れるかどうか自信がない。道に迷って野垂れ死ぬ可能性だってある。今は五月だが、標高のあるこの場所では朝夕は冷える。
若者の言葉にははったりが含まれているのかもしれないが、有無を言わさずにパトカーに連れ込まれたことを考えても、培楽が警察に見つかれば捕まる可能性が高い。
事情を話せばわかってもらえる可能性はあるだろうが、今更警察に駆け込んだところで理解されるかどうかも微妙だ。
「少なくとも協力者のところにいた方が安全だとは思います」
「はあ……」
そう言われてしまっては、培楽としても彼らについて行くことを拒否する気にもなれなかった。
「出発までには少し時間がありますね。木口さん、貴女のことを教えてもらえますか?」
「……そちらのことを教えてもらえるのなら」
抵抗しても無駄だ、と悟ったのか培楽は若者の頼みを渋々受け入れた。
今ここにいる者たちの中で一番話が通じそうなのが彼のように思われたからだ。
また、他のメンバーの態度から、彼がこの中で一番上の地位にあるように思われた。彼に取り入っておけば他のメンバーから脅されずに済む、と培楽は考えたのだった。
※※
「……そうですか、それは大変申し訳ないことをしました。たまたま同じカフェに居合わせたがために私達の仲間だと連中に思われてしまったのですね……」
培楽がここに来るまでの経緯を話すと、若者は困ったような顔をしながら頭を下げた。
その間に若者が何度か質問や言葉を挟んできており、そこで培楽は若者が男性であることを知った。
だが、それ以外のことはほとんどわからない。今度は私が知る番だと培楽は敢えて仏頂面で尋ねる。
「……私のことは話したので、そちらのことを話してもらえませんか?」
「はい。まず、ここにいるのが誰か、ということからお話しします……」
若者が部屋の中の者達を順番に紹介し始めた。
自身だけではなく、若者は部屋にいる者達の名前を明かすことはできない、と最初に断った。
その上で、彼らには呼び名があり、それを培楽に教えると告げた。
「名前を出せないのですか? 何で……」
「そのような取り決めだから、としか言いようがありません。ですが、培楽さん、呼び名を知っておけばこの場は十分ではないですか?」
「は、はあ……」
若者の口調は強くはないものの、培楽に有無を言わさない何かがあった。
いつの間にか呼び方も「木口さん」から「培楽さん」に変わっているが、それに対しても文句をいう気力が湧いてこないくらいだ。
「まず私ですが、代理、とかエージェント、と呼ばれています。ここでは代理の方が通りが良いです……」
若者は自らが「代理」と呼ばれていると伝えてきた。
培楽が見る限り、彼がこの中で一番の上位者のように思える。
それにも関わらず「代理」というのは課長代理ではなく部長代理あたりなのだろうか? と詮無きことを考えてしまう。
「それからあちらのスーツ姿の女性ですが、彼女が主任です。培楽さんは彼女と間違われたそうですが……」
そう言って代理が指差したのはカフェで見かけた長身の女性だ。
「私、そんなに彼女とは似ていないと思うのですけど……」
培楽が主任の方に目をやった。自分は冴えないタイプだが、どう見ても主任はデキる女性だ。
どうやったら彼女と私を間違うのだか、関係者を問い詰めたい気分にすらなってしまう。
「主任が若いスーツ姿の女性、ということしか伝わっていなかったようですみません」
「ちょっと待った」
代理が頭を下げたところに、培楽を連れてきたケージと呼ばれた中年男性が割り込んできた。
「……」
「間違ったのは俺だが、お前、あの場に残っていたら良くて拷問、悪きゃその場で殺されていたぞ。まあ、どっちが良いかについては人によるだろうが……」
ケージが物騒なことを言ってきた。
「こちらの男性がケージさんです。こちらの集会場を管理する町会の方です」
若者の紹介に、だからここへ入る秘密の入口を知っていたのか、と培楽は妙な部分に感心した。
「俺のことはどうでもいい。これからどうするか、代理と話をしながら考えておいてくれ。お前がこの後どうなるかが決まるのだからな」
ケージは物騒な警告をすると代理に頭を下げて引き下がった。
「あちらの銃を抱えた方はおっかさん、と呼ばれているそうです」
「じゅ、銃、って……」
培楽が老女の方に目をやって固まった。
本物の銃など今まで見たことがない培楽には、おっかさんが抱えている銃が本物なのかおもちゃなのか見当もつかない。
というより、黒くて細長い金属の塊にしか見えないのだ。
(うわ……ヘンなことしたら、撃たれちゃうよね、私……)
培楽は自らの身を案じながらあの老女を刺激するのは止めようと心に誓った。
「あちらの方は先生です。私のボディーガードですね」
次に代理が示したのはスーツではありあまる筋肉を隠しきれないほど筋骨隆々とした中年男性だった。
ほとんど言葉を発することなく周囲を警戒している。ボディーガードという代理の言葉に嘘はないだろうと培楽は考えた。
こちらは「おっかさん」とは別の意味で危険そうだと考え、培楽はできるだけ「先生」の目につかない場所にいようと決めた。
「こちらのジャージの方はコーチです。ケージさんとともに次の移動の案内役となりますので、二人を見失わないように気を付けてください」
代理の紹介にコーチは手を挙げて答えた。こちらは田舎の純朴そうな青年とも中年ともつかない男性だ。
コーチというより小学校か中学校の体育教師みたいだ、などと培楽は思っていた。
「……最後にこちらの方がダンさんです」
代理が褐色の肌の男を指し示した。これで全員である。
「って、それだけですか?!」
名前、それも本名ではなく呼び名だけ教えておしまい、という紹介に培楽が待ったをかけた。彼女にできるささやかな抵抗である。
「……すみません。今お伝えできるのはこれだけです。次の場所への移動に際して不便はないと思います」
「って、いつ出発していつ着くのですか?」
「……あと一時間くらいしたら出発します。少し歩くので今は身体を休めてください」
「ちょ! ……ってわかりました」
培楽が何か言いかけて慌ててやめたのは、おっかさんが黒い金属の筒をこちらへ向ける素振りを見せたからだった。
下手に逆らったら殺される……その恐怖に負けて代理の言葉を受け入れたのだった。
(休めって言われても……ひーっ! こんなの休まるわけないよぉ……)
心の中で情けない声を出しながら、培楽は床の上にペタンとへたり込んだ。
数時間前は幸せな気分で料理とお酒を楽しんでいた。
あと何十分かすれば特急列車に乗って家路につくはずだったのに……
ところが、今の培楽は名前もわからない得体のしれない男女の集団に監視されており、下手をすれば生命すら危ないかもしれない状況だ。
彼女を監視している集団が味方なのか敵なのかもわからない。
大人しくしていれば殺されずには済むかもしれないが、家に戻れるようになるのはいつになるのかもわからない。
だが、先ほど培楽たちをパトカーに押し込んだ警察らしき集団の方がマシ、とも言い切れない。
少なくとも代理の見解だと、培楽は代理達の仲間だと思われており、警察らしき集団からは敵とみなされているらしい。
(何が起きているのだか全然わかんなーい! こんなの現実じゃないよね……?)
夢であってほしいと培楽は頬を思い切りつねってみたものの、目の前で起きていることは現実でしかないということに改めて気付かされた。
※※
「そろそろ時間です、代理。出発のご準備を」
五〇分ほどして主任がやってきて、代理の前で恭しく頭を下げた。
「わかりました。培楽さんも出発のご準備を」
「は、はい……」
どうやら今は彼らについて行くしかないようだ、と半ば諦めの気持ちで培楽はふらふらと立ち上がった。
「四、五〇分歩くからな。足元に気をつけろよ。それと、列から離れるな。遭難したら今の時期でも十分死ねるからな」
「は、はいっ!」
ケージの脅しともつかない警告に培楽が慌てて飛び上がった。
(わーん! 誰か私が行方不明だって探しに来てくれないかな……って無理だよね……)
培楽は誰かが今の自身の状況に気付いてくれるのではないかと淡い期待を抱いていたが、あることを思い出し、背中から冷や汗を流した。
(あ、明日休みにしていたのだっけ……月曜まで誰も気づかないかも……)
今日は木曜日。明日の金曜は代休を取って日曜日まで三連休にしていたのだ。
となると、職場の人が異変に気付くのは早くて月曜の朝。こういうときに限って週末誰とも外出の約束をしていないから、友人たちが異変に気付く可能性は皆無に近い。
(私ったら、こんなときに何で休み取っちゃうかな……)
培楽は過去の自分を呪ったが、すでに遅い。
「培楽さん、行きますよ。私と先生の間を歩いてください。しばらくの辛抱です。あと、これを握って離さないように」
そう言うと代理は培楽に細いロープを指し出した。
「はい……」
代理に言われるがまま、培楽はロープを握って彼の後ろをとぼとぼと歩き出したのだった。
「だ、代理……」
若者の言葉に老女が固まった。
「RAスタディ、とは何でしょうか?」
「代理、アタシにはわかんないねぇ。誰か、知っているのはいないかい?」
老女が尋ねたが、代理の問いに答えられる者はないようであった。
「おい、答えろ!」
背後からケージが培楽の背中を突いた。
「ひゃ、ひゃいっ! わ、私の会社で、e-ラーニングのシステムを取り扱っている……」
培楽は必死で説明した。説明のやりようによっては助かる道があるかも知れない、そう考えていた。
緊張と恐怖にしどろもどろになりながらも、何とか一通りの説明を終える。
「すみません、私の知らない会社ではありますが、調べたところ実在の会社でした」
老女とは異なる女性の声だった。カフェで見かけた三人組の中の女性だ。
「会社のIDカードも持っているみたいだから、所属しているということに嘘はなさそうだな……」
ジャージ姿の男が、いつの間にか培楽のバッグを漁ってカードホルダーを取り出していた。
「ほ、本当ですって! 嘘は言っていません!」
培楽が必死に潔白を訴える。
「何たらという会社にいることは解ったが、『奴ら』の仲間でないという証拠はどこにもないよなあ?」
ケージが培楽の背後で凄んでみせた。
「ええっ?!」
「そうだ。代理、こいつをどうするかねぇ? 口を封じちまった方がいいんじゃないかい?」
老女が若者に尋ねた。若者の判断に一任するようだ。
「そうですね……主任、どう思いますか?」
若者は脇にいる長身の女性に尋ねた。過去のやり取りを整理すると培楽は彼女と間違われてこの場所に連れてこられたようであった。
スーツ姿の若い女性、という共通点はあるものの、顔や雰囲気はまるで異なる。
どうして間違えられたのか培楽には皆目見当もつかなかった。
「私たちと同じようにパトカーに乗せられていましたし、囮にしては訓練されているような感じでもありません。恐らく『奴ら』は彼女を私たちの仲間と認識しているのではないかと思います」
「主任、ありがとう。私も主任と同意見です。あくまで彼女の意思次第ですが、今ここで生命を奪うのは得策ではないと思います」
長身の女性と若者の培楽に対する見解は一致しているようであった。
培楽はどうにか生命だけは助かった、と胸を撫で下ろした。
「それはいいですが、代理、これからどうしますか?」
そう尋ねたのは培楽の背後に隙無く立っているケージであった。
「これから社長のところに移動するのでしたね? ならば彼女にも同行してもらって、そこで意思を確認しましょう。ここにはそう長居できないでしょうから」
若者の答えにケージはわかりましたと答え、老女は突きつけていた冷たい筒を離したのだった。
「木口さん、でしたか。この後私たちの協力者のところまでついてきてもらいます。そこでその後どうするか判断していただければ結構です」
「ちょっと待ってください! ここで解放してもらうことはできないですか?」
生命が助かったので安堵したためか、培楽は幾分落ち着きを取り戻していた。
この場で解放してもらえれば、この後厄介ごとに巻き込まれる可能性はないだろうという計算ができる程度には。
「あの……ここから一人で帰れますか? 私たちには事情があって貴女を送っていくことができません。それに、先ほどカフェで貴女を捕まえた方々ですが、彼らは貴女を私たちの仲間だと勘違いしているように思われます。彼らに捕まった場合、貴女の生命の保障はできないのですが……」
「へっ?!」
若者の指摘に培楽がその場で固まった。
バッグからスマホを取り出してみるが、見事に圏外である。
スマホの地図を頼ったところで、家まで帰れるかどうか自信がない。道に迷って野垂れ死ぬ可能性だってある。今は五月だが、標高のあるこの場所では朝夕は冷える。
若者の言葉にははったりが含まれているのかもしれないが、有無を言わさずにパトカーに連れ込まれたことを考えても、培楽が警察に見つかれば捕まる可能性が高い。
事情を話せばわかってもらえる可能性はあるだろうが、今更警察に駆け込んだところで理解されるかどうかも微妙だ。
「少なくとも協力者のところにいた方が安全だとは思います」
「はあ……」
そう言われてしまっては、培楽としても彼らについて行くことを拒否する気にもなれなかった。
「出発までには少し時間がありますね。木口さん、貴女のことを教えてもらえますか?」
「……そちらのことを教えてもらえるのなら」
抵抗しても無駄だ、と悟ったのか培楽は若者の頼みを渋々受け入れた。
今ここにいる者たちの中で一番話が通じそうなのが彼のように思われたからだ。
また、他のメンバーの態度から、彼がこの中で一番上の地位にあるように思われた。彼に取り入っておけば他のメンバーから脅されずに済む、と培楽は考えたのだった。
※※
「……そうですか、それは大変申し訳ないことをしました。たまたま同じカフェに居合わせたがために私達の仲間だと連中に思われてしまったのですね……」
培楽がここに来るまでの経緯を話すと、若者は困ったような顔をしながら頭を下げた。
その間に若者が何度か質問や言葉を挟んできており、そこで培楽は若者が男性であることを知った。
だが、それ以外のことはほとんどわからない。今度は私が知る番だと培楽は敢えて仏頂面で尋ねる。
「……私のことは話したので、そちらのことを話してもらえませんか?」
「はい。まず、ここにいるのが誰か、ということからお話しします……」
若者が部屋の中の者達を順番に紹介し始めた。
自身だけではなく、若者は部屋にいる者達の名前を明かすことはできない、と最初に断った。
その上で、彼らには呼び名があり、それを培楽に教えると告げた。
「名前を出せないのですか? 何で……」
「そのような取り決めだから、としか言いようがありません。ですが、培楽さん、呼び名を知っておけばこの場は十分ではないですか?」
「は、はあ……」
若者の口調は強くはないものの、培楽に有無を言わさない何かがあった。
いつの間にか呼び方も「木口さん」から「培楽さん」に変わっているが、それに対しても文句をいう気力が湧いてこないくらいだ。
「まず私ですが、代理、とかエージェント、と呼ばれています。ここでは代理の方が通りが良いです……」
若者は自らが「代理」と呼ばれていると伝えてきた。
培楽が見る限り、彼がこの中で一番の上位者のように思える。
それにも関わらず「代理」というのは課長代理ではなく部長代理あたりなのだろうか? と詮無きことを考えてしまう。
「それからあちらのスーツ姿の女性ですが、彼女が主任です。培楽さんは彼女と間違われたそうですが……」
そう言って代理が指差したのはカフェで見かけた長身の女性だ。
「私、そんなに彼女とは似ていないと思うのですけど……」
培楽が主任の方に目をやった。自分は冴えないタイプだが、どう見ても主任はデキる女性だ。
どうやったら彼女と私を間違うのだか、関係者を問い詰めたい気分にすらなってしまう。
「主任が若いスーツ姿の女性、ということしか伝わっていなかったようですみません」
「ちょっと待った」
代理が頭を下げたところに、培楽を連れてきたケージと呼ばれた中年男性が割り込んできた。
「……」
「間違ったのは俺だが、お前、あの場に残っていたら良くて拷問、悪きゃその場で殺されていたぞ。まあ、どっちが良いかについては人によるだろうが……」
ケージが物騒なことを言ってきた。
「こちらの男性がケージさんです。こちらの集会場を管理する町会の方です」
若者の紹介に、だからここへ入る秘密の入口を知っていたのか、と培楽は妙な部分に感心した。
「俺のことはどうでもいい。これからどうするか、代理と話をしながら考えておいてくれ。お前がこの後どうなるかが決まるのだからな」
ケージは物騒な警告をすると代理に頭を下げて引き下がった。
「あちらの銃を抱えた方はおっかさん、と呼ばれているそうです」
「じゅ、銃、って……」
培楽が老女の方に目をやって固まった。
本物の銃など今まで見たことがない培楽には、おっかさんが抱えている銃が本物なのかおもちゃなのか見当もつかない。
というより、黒くて細長い金属の塊にしか見えないのだ。
(うわ……ヘンなことしたら、撃たれちゃうよね、私……)
培楽は自らの身を案じながらあの老女を刺激するのは止めようと心に誓った。
「あちらの方は先生です。私のボディーガードですね」
次に代理が示したのはスーツではありあまる筋肉を隠しきれないほど筋骨隆々とした中年男性だった。
ほとんど言葉を発することなく周囲を警戒している。ボディーガードという代理の言葉に嘘はないだろうと培楽は考えた。
こちらは「おっかさん」とは別の意味で危険そうだと考え、培楽はできるだけ「先生」の目につかない場所にいようと決めた。
「こちらのジャージの方はコーチです。ケージさんとともに次の移動の案内役となりますので、二人を見失わないように気を付けてください」
代理の紹介にコーチは手を挙げて答えた。こちらは田舎の純朴そうな青年とも中年ともつかない男性だ。
コーチというより小学校か中学校の体育教師みたいだ、などと培楽は思っていた。
「……最後にこちらの方がダンさんです」
代理が褐色の肌の男を指し示した。これで全員である。
「って、それだけですか?!」
名前、それも本名ではなく呼び名だけ教えておしまい、という紹介に培楽が待ったをかけた。彼女にできるささやかな抵抗である。
「……すみません。今お伝えできるのはこれだけです。次の場所への移動に際して不便はないと思います」
「って、いつ出発していつ着くのですか?」
「……あと一時間くらいしたら出発します。少し歩くので今は身体を休めてください」
「ちょ! ……ってわかりました」
培楽が何か言いかけて慌ててやめたのは、おっかさんが黒い金属の筒をこちらへ向ける素振りを見せたからだった。
下手に逆らったら殺される……その恐怖に負けて代理の言葉を受け入れたのだった。
(休めって言われても……ひーっ! こんなの休まるわけないよぉ……)
心の中で情けない声を出しながら、培楽は床の上にペタンとへたり込んだ。
数時間前は幸せな気分で料理とお酒を楽しんでいた。
あと何十分かすれば特急列車に乗って家路につくはずだったのに……
ところが、今の培楽は名前もわからない得体のしれない男女の集団に監視されており、下手をすれば生命すら危ないかもしれない状況だ。
彼女を監視している集団が味方なのか敵なのかもわからない。
大人しくしていれば殺されずには済むかもしれないが、家に戻れるようになるのはいつになるのかもわからない。
だが、先ほど培楽たちをパトカーに押し込んだ警察らしき集団の方がマシ、とも言い切れない。
少なくとも代理の見解だと、培楽は代理達の仲間だと思われており、警察らしき集団からは敵とみなされているらしい。
(何が起きているのだか全然わかんなーい! こんなの現実じゃないよね……?)
夢であってほしいと培楽は頬を思い切りつねってみたものの、目の前で起きていることは現実でしかないということに改めて気付かされた。
※※
「そろそろ時間です、代理。出発のご準備を」
五〇分ほどして主任がやってきて、代理の前で恭しく頭を下げた。
「わかりました。培楽さんも出発のご準備を」
「は、はい……」
どうやら今は彼らについて行くしかないようだ、と半ば諦めの気持ちで培楽はふらふらと立ち上がった。
「四、五〇分歩くからな。足元に気をつけろよ。それと、列から離れるな。遭難したら今の時期でも十分死ねるからな」
「は、はいっ!」
ケージの脅しともつかない警告に培楽が慌てて飛び上がった。
(わーん! 誰か私が行方不明だって探しに来てくれないかな……って無理だよね……)
培楽は誰かが今の自身の状況に気付いてくれるのではないかと淡い期待を抱いていたが、あることを思い出し、背中から冷や汗を流した。
(あ、明日休みにしていたのだっけ……月曜まで誰も気づかないかも……)
今日は木曜日。明日の金曜は代休を取って日曜日まで三連休にしていたのだ。
となると、職場の人が異変に気付くのは早くて月曜の朝。こういうときに限って週末誰とも外出の約束をしていないから、友人たちが異変に気付く可能性は皆無に近い。
(私ったら、こんなときに何で休み取っちゃうかな……)
培楽は過去の自分を呪ったが、すでに遅い。
「培楽さん、行きますよ。私と先生の間を歩いてください。しばらくの辛抱です。あと、これを握って離さないように」
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「はい……」
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