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4:真夜中の逃走
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男女計八名の一行は暗闇の中をほとんど音もたてずにゆっくりと進んでいく。
先頭はケージと呼ばれる中年男性だった。
その後がおっかさんと呼ばれる年配の女性、そして主任、代理、培楽、先生、ダン、コーチの順に一列になっている。
歩いているのは斜面を横に貫く舗装された細い道で、軽自動車が辛うじて通れるくらいの幅のように思われる。
両脇は畑で、培楽たちの姿を隠すような建物や木などは全くといっていいほどなかった。
しかし、周囲には家の灯りどころか街灯すらないので、暗闇を進む一行を見つけるのは至難の技だ。
「培楽さん、ロープから手を離さないように」
暗闇の中、前を歩く代理の声が聞こえてきた。
「はい……」
培楽がロープを握る手に力を込める。
上には満天の星空が広がっている。
だが、月がまだ顔を出していないこともあり、培楽たちの周囲は真っ暗だ。
培楽の視界には前方を歩く代理の姿が辛うじて捉えられるが、それ以外はほとんど何も見えない。
足元が悪くないのが救いで、もし進んでいるのがでこぼこした道であれば、何度も躓いて転倒しただろう。
今進んでいる平らな道ですら何度かバランスを崩しかけ、その都度ロープを引っ張る羽目になったくらいだ。
「……静かにしてくれ」
先頭を歩くケージから警告の声が飛んだ。
彼は速くはないが、立ち止まることなく確実に歩を進めている。この暗闇をものともしていない。
「マズいな……遠回りになるが、脇に逸れるぞ」
ケージは小声でそう告げると、少し足を早めて右の方へ向けて進みだした。
といっても培楽にはケージの姿が見えていないので、ロープが引っ張られる方へと進むだけだ。
足元が舗装された道路から、草が生えているであろう土になったのが培楽にも感じとれた。
また、平らだったのが登りになっている。
「……」
皆が無言で歩を進めていく。
できるだけ音をたてないようにしているものの、足元に草がまばらに生えているためか、時折草を踏むカサ、カサという微かな音が聞こえてくる。
その度にロープがクイクイと引かれる。恐らく静かに、という警告の意味だろう。
こうしてしばらく斜面を登っていると、不意に「止まれ」というケージの声が飛んだ。
培楽が慌てて止まると、すぐ前を歩く代理から「林の中に入るから木に注意してください」と警告が発せられた。
培楽が「はい」と短くうなずくと、ロープがゆっくりと引っ張られ始めた。歩みを再開したのだ。
「痛っ!」
「しーっ!」
真っ暗な視界の中、培楽が木の枝に額をぶつけて声をあげると、前方から注意の声が飛んできた。
皆どうしてぶつからずに移動できているのだろうかと訝しがりながら、傷む額に手を当てることもできずに培楽はロープに引かれるまま進んでいく。
ロープを掴む手を離したら、それこそ暗闇の中一人取り残されて何が起きるかわからない。
培楽ははぐれないようにと必死になってロープを掴む手に力を込めた。
不意に培楽の視界の先がぼんやりと明るくなってきた。
目が暗闇に慣れたのではない、何かが光っている。
「……マズいな」
ケージがつぶやくと、不意にロープが緩み、一行の歩みが止まる。
真っ暗であれば培楽はすぐ前を進む代理の背中に激突したかもしれなかったが、明るさのおかげで辛うじて踏みとどまることができた。
「どうするね?」
「様子を見る」
前方でケージとおっかさんが話をしているようだ。
光っているのは街灯であった。
古いためかぼんやりとオレンジ色に光っているだけで、お世辞にも明るいとは言えない。
「そっちだ!」
不意に街灯の先の方から声が飛んできた。一行の誰かがいる場所とは明らかに距離が違う。
「しまった、逃げるぞ!」
ケージの声が飛んだ後、ロープが右斜め前方へと勢いよく引っ張られた。
(こ、これ……離したらマズいよね……)
培楽がロープに引かれるまま走る。
その直後、パンパンと乾いた音が二回鳴り響いた。
「ちっ! あいつら、撃ってきやがった!」
おっかさんが舌打ちする。見かけは培楽の両親よりも遥かに年上なのだが、息も切らさずに走っていることに培楽は驚きを隠せなかった。
二〇代の自分の方が息が上がりそうだが、そんなことは言っていられない。
「代理、やり返していいですかい?」
ケージが尋ねた。やはり代理がトップのようだ。
「……傷つけない程度になら。この際仕方ありません」
少しして代理が答えた。
「ケージ、相手は三人に見えるけど、どうだい?」
「俺もそう思う、ダンさん、どうだ?」
「……三人で間違いない」
反撃が許可されてから、一気に一行のやり取りが増えた。
自分を飛び越して行われるやり取りに、培楽はどこか今の状況が現実でないような不思議な感覚に襲われていた。
(もしかして……私、あの人たちに捕まっちゃった方がいいのじゃないかしら?)
追手に対してそのように考えるくらいに培楽は冷静さを欠いていたのである。
パァン!
再び乾いた音が響いた。先ほどよりもかなり距離が近い。
「躊躇なく撃ってきやがるね……アタシに任せな!」
「おっかさん、頼む!」
ケージの声がした後、バシューと何かが吹き出す音が聞こえてきた。
既に街灯の灯りが届く場所ではなく辺りは暗闇に覆われているから、培楽にはおっかさんが何をしたのかはわからない。
殺虫剤の音にしては勢いが良すぎるな、などと培楽が考えていると、
「ぐわっ!」「またこれか」「痛ぇ!」
などという悲鳴とも悪態ともつかぬ声が聞こえてきた。
「怯んだな、こっちだ、走れ!」
ケージの声が飛んだ直後、培楽の右前方がぼやっと光った。
培楽の視界に一行の姿が浮かび上がってくる。
先頭のケージは培楽から見て左斜め前の方に向けて走っている。
(ここで立ち止まれば……)
培楽がそう考えていると
「奴らは本気で殺る気です。走りなさい」
と背後から丁寧な口調だが野太い声が聞こえてきた。
その直後、培楽の背中が押され、釣られて培楽が走り出す。
「逃げたぞ!」「追えっ!」「くそっ、目が!」
背中の方から追手の声が聞こえる。
声が徐々に遠ざかっていくのは、相手との距離が離れていっているためだろう。
(本気でやる、ってどういう意味だろう……?)
培楽はそう考えながらも、必死に走った。
前を走るケージが持つ灯りを頼りに、無理矢理脚を進めていく。
灯りのおかげで何とか代理やケージの背中が見える。近くの障害物もだ。
おかげで木に身体をぶつけたり、石に躓いたりということはないものの、徐々に脚が上らなくなってきた。
「あ、あの……いつまで……」
培楽は前を走る代理の背中に息も絶え絶えに尋ねた。
「もう少しです。苦しいと思いますが頑張ってください」
代理の息も上がっている。やはり苦しいのだろう。
代理の苦しそうな様子に何故か培楽は励まされた。
苦しいのは自分だけではないし、一行の中のトップがこの様子であれば、これ以上無理をさせられることはない、そう考えたからだ。
「は、はい……」
消え入りそうな声で培楽が返事をした。
その後は無言で走り続けた。
時折「あっちだ!」とか「追いかけろ!」という声が聞こえてきたが、それも徐々に遠くなり、やがて聞こえなくなった。
「撒いたか……よし、いいだろう。こっちだ」
先頭を走るケージがスピードを落とし、歩き出した。
培楽もようやく一息つくことができた。だが、脚は鉛のように重く、いつものように軽やかに歩くことはできない。
いつの間にか手に握っていたロープはなくなっている。
これで灯りを消されたら、絶対に皆を見失うだろうな、と培楽が不安に思うと嫌な予感が的中する。
先頭を歩くケージが不意に足を止め、こう指示したのだ。
「灯りを消すからな。前の奴の肩に手を置いてくれ。ゆっくり進む」
全員が前を歩く者の両肩に手を置いたのを確認すると、ケージは手にしていた灯りを消し、ゆっくりと歩き出した。
周囲が再び暗闇に包まれた。
(こんなところで一人になったら……明るくなるまで絶対に動けないよ。それにここ、どこなんだろう……?)
両手にある代理の肩の感触だけを頼りに培楽は歩を進めていく。
絶対に離れまいと培楽は両手に力を込めた。
「ここだな。そのままちょっと待ってくれ」
五、六分は歩いただろうか。ケージが足を止めた。
培楽の近くをスーッと何かが通ったが、これはケージが列を離れてどこかへ行ったためのようであった。
他の者達は息を潜めてその場に待機している。
「大丈夫だ。行くぞ」
再び培楽の近くを何かが通った直後、ケージの声が聞こえてきた。
彼が列を離れていたのはほんの一分かそこらだったが、培楽にはそれが数十分にも感じられた。暗闇で得体の知れぬ者の肩の感触だけが頼りという状況はそれだけ人を不安にさせる。
再び列がゆっくりと進みだした。
しかし、それも長い時間のことではなかった。
それまで肌に感じられた涼しい風がピタッと止み、代わりにじめじめとした空気が周囲を覆っているように感じられるようになっていた。
少ししてカチャリと鍵がかかるような音がし、その直後に周囲がぼうっと明るくなった。ケージが手にしていた灯りを点灯したのだ。
「ここは……?」
培楽が周囲を見回すと、石の壁が見えた。人が二人並んで通れるくらいの幅の通路らしき場所だということがわかる。
「代理、すみません。予定と違ってしまいましたが、この通路から目的地まで歩いていくことができます。もう少しの辛抱です」
ケージが代理の前にやって来てすまなそうに頭を下げた。
「わかりました。疲れている方もいらっしゃるでしょうから無理せずゆっくり進みましょう。時間はまだありますから、目的地に着いたら交代で休んでください」
代理はケージを責めることなく淡々とした口調で答えた。
「まったく、もう少し手段を選んだらどうなんだい? 年寄りをこき使うものじゃないよ!」
代理とは対照的に、おっかさんが悪態をついている。
「はは……すまねぇ。まあ、もう少しの辛抱だ。行くぜ」
「まったく、アンタってのは仕方のない奴だね」
代理のときとは異なりケージはおっかさんに対しては悪びれた様子も見せず、通路の奥へと向けて歩き出した。
先ほどまでとは打って変わって、ケージやおっかさん、そして最後尾を歩くダンまでもが軽口をたたき合いながら通路を進んでいく。
壁にはタイルのように石が積まれているから、ここは自然の洞窟ではなく人の手が入ったものだということが培楽にも理解できた。
「この通路は一体……?」
代理も不思議に思ったのか、先頭を歩くケージに向けて尋ねた。
「あ、私が答えます。工事を止めたトンネルか何かに父が手を入れて野菜の貯蔵庫に使っているんです。もうすぐ着きますよ」
ケージに代わってコーチが答えた。
彼の言葉通り、先の方に金属製のドアが見えてきた。
歩き出してから二、三分といったところだろうか?
「ここまでくればしばらくは落ち着けます。安心して下さい!」
いつの間にか先頭に進み出ていたコーチがドアを開けると、その先には野菜の入ったケースが山のように積まれている倉庫のような場所が見えた。
コーチは更に先に進んでいき、突き当りにある階段を上がっていく。
代理達が後をついて行くので、培楽も周りに倣って階段を上がっていった。
その先には二十畳はあろうかという広い畳の部屋が広がっていた。
部屋の手前には土間があってコーチがそこで靴を脱ぐよう指示した。
「着いた……」
やっと休める場所に出たと培楽は安堵の息をついたのだった。
先頭はケージと呼ばれる中年男性だった。
その後がおっかさんと呼ばれる年配の女性、そして主任、代理、培楽、先生、ダン、コーチの順に一列になっている。
歩いているのは斜面を横に貫く舗装された細い道で、軽自動車が辛うじて通れるくらいの幅のように思われる。
両脇は畑で、培楽たちの姿を隠すような建物や木などは全くといっていいほどなかった。
しかし、周囲には家の灯りどころか街灯すらないので、暗闇を進む一行を見つけるのは至難の技だ。
「培楽さん、ロープから手を離さないように」
暗闇の中、前を歩く代理の声が聞こえてきた。
「はい……」
培楽がロープを握る手に力を込める。
上には満天の星空が広がっている。
だが、月がまだ顔を出していないこともあり、培楽たちの周囲は真っ暗だ。
培楽の視界には前方を歩く代理の姿が辛うじて捉えられるが、それ以外はほとんど何も見えない。
足元が悪くないのが救いで、もし進んでいるのがでこぼこした道であれば、何度も躓いて転倒しただろう。
今進んでいる平らな道ですら何度かバランスを崩しかけ、その都度ロープを引っ張る羽目になったくらいだ。
「……静かにしてくれ」
先頭を歩くケージから警告の声が飛んだ。
彼は速くはないが、立ち止まることなく確実に歩を進めている。この暗闇をものともしていない。
「マズいな……遠回りになるが、脇に逸れるぞ」
ケージは小声でそう告げると、少し足を早めて右の方へ向けて進みだした。
といっても培楽にはケージの姿が見えていないので、ロープが引っ張られる方へと進むだけだ。
足元が舗装された道路から、草が生えているであろう土になったのが培楽にも感じとれた。
また、平らだったのが登りになっている。
「……」
皆が無言で歩を進めていく。
できるだけ音をたてないようにしているものの、足元に草がまばらに生えているためか、時折草を踏むカサ、カサという微かな音が聞こえてくる。
その度にロープがクイクイと引かれる。恐らく静かに、という警告の意味だろう。
こうしてしばらく斜面を登っていると、不意に「止まれ」というケージの声が飛んだ。
培楽が慌てて止まると、すぐ前を歩く代理から「林の中に入るから木に注意してください」と警告が発せられた。
培楽が「はい」と短くうなずくと、ロープがゆっくりと引っ張られ始めた。歩みを再開したのだ。
「痛っ!」
「しーっ!」
真っ暗な視界の中、培楽が木の枝に額をぶつけて声をあげると、前方から注意の声が飛んできた。
皆どうしてぶつからずに移動できているのだろうかと訝しがりながら、傷む額に手を当てることもできずに培楽はロープに引かれるまま進んでいく。
ロープを掴む手を離したら、それこそ暗闇の中一人取り残されて何が起きるかわからない。
培楽ははぐれないようにと必死になってロープを掴む手に力を込めた。
不意に培楽の視界の先がぼんやりと明るくなってきた。
目が暗闇に慣れたのではない、何かが光っている。
「……マズいな」
ケージがつぶやくと、不意にロープが緩み、一行の歩みが止まる。
真っ暗であれば培楽はすぐ前を進む代理の背中に激突したかもしれなかったが、明るさのおかげで辛うじて踏みとどまることができた。
「どうするね?」
「様子を見る」
前方でケージとおっかさんが話をしているようだ。
光っているのは街灯であった。
古いためかぼんやりとオレンジ色に光っているだけで、お世辞にも明るいとは言えない。
「そっちだ!」
不意に街灯の先の方から声が飛んできた。一行の誰かがいる場所とは明らかに距離が違う。
「しまった、逃げるぞ!」
ケージの声が飛んだ後、ロープが右斜め前方へと勢いよく引っ張られた。
(こ、これ……離したらマズいよね……)
培楽がロープに引かれるまま走る。
その直後、パンパンと乾いた音が二回鳴り響いた。
「ちっ! あいつら、撃ってきやがった!」
おっかさんが舌打ちする。見かけは培楽の両親よりも遥かに年上なのだが、息も切らさずに走っていることに培楽は驚きを隠せなかった。
二〇代の自分の方が息が上がりそうだが、そんなことは言っていられない。
「代理、やり返していいですかい?」
ケージが尋ねた。やはり代理がトップのようだ。
「……傷つけない程度になら。この際仕方ありません」
少しして代理が答えた。
「ケージ、相手は三人に見えるけど、どうだい?」
「俺もそう思う、ダンさん、どうだ?」
「……三人で間違いない」
反撃が許可されてから、一気に一行のやり取りが増えた。
自分を飛び越して行われるやり取りに、培楽はどこか今の状況が現実でないような不思議な感覚に襲われていた。
(もしかして……私、あの人たちに捕まっちゃった方がいいのじゃないかしら?)
追手に対してそのように考えるくらいに培楽は冷静さを欠いていたのである。
パァン!
再び乾いた音が響いた。先ほどよりもかなり距離が近い。
「躊躇なく撃ってきやがるね……アタシに任せな!」
「おっかさん、頼む!」
ケージの声がした後、バシューと何かが吹き出す音が聞こえてきた。
既に街灯の灯りが届く場所ではなく辺りは暗闇に覆われているから、培楽にはおっかさんが何をしたのかはわからない。
殺虫剤の音にしては勢いが良すぎるな、などと培楽が考えていると、
「ぐわっ!」「またこれか」「痛ぇ!」
などという悲鳴とも悪態ともつかぬ声が聞こえてきた。
「怯んだな、こっちだ、走れ!」
ケージの声が飛んだ直後、培楽の右前方がぼやっと光った。
培楽の視界に一行の姿が浮かび上がってくる。
先頭のケージは培楽から見て左斜め前の方に向けて走っている。
(ここで立ち止まれば……)
培楽がそう考えていると
「奴らは本気で殺る気です。走りなさい」
と背後から丁寧な口調だが野太い声が聞こえてきた。
その直後、培楽の背中が押され、釣られて培楽が走り出す。
「逃げたぞ!」「追えっ!」「くそっ、目が!」
背中の方から追手の声が聞こえる。
声が徐々に遠ざかっていくのは、相手との距離が離れていっているためだろう。
(本気でやる、ってどういう意味だろう……?)
培楽はそう考えながらも、必死に走った。
前を走るケージが持つ灯りを頼りに、無理矢理脚を進めていく。
灯りのおかげで何とか代理やケージの背中が見える。近くの障害物もだ。
おかげで木に身体をぶつけたり、石に躓いたりということはないものの、徐々に脚が上らなくなってきた。
「あ、あの……いつまで……」
培楽は前を走る代理の背中に息も絶え絶えに尋ねた。
「もう少しです。苦しいと思いますが頑張ってください」
代理の息も上がっている。やはり苦しいのだろう。
代理の苦しそうな様子に何故か培楽は励まされた。
苦しいのは自分だけではないし、一行の中のトップがこの様子であれば、これ以上無理をさせられることはない、そう考えたからだ。
「は、はい……」
消え入りそうな声で培楽が返事をした。
その後は無言で走り続けた。
時折「あっちだ!」とか「追いかけろ!」という声が聞こえてきたが、それも徐々に遠くなり、やがて聞こえなくなった。
「撒いたか……よし、いいだろう。こっちだ」
先頭を走るケージがスピードを落とし、歩き出した。
培楽もようやく一息つくことができた。だが、脚は鉛のように重く、いつものように軽やかに歩くことはできない。
いつの間にか手に握っていたロープはなくなっている。
これで灯りを消されたら、絶対に皆を見失うだろうな、と培楽が不安に思うと嫌な予感が的中する。
先頭を歩くケージが不意に足を止め、こう指示したのだ。
「灯りを消すからな。前の奴の肩に手を置いてくれ。ゆっくり進む」
全員が前を歩く者の両肩に手を置いたのを確認すると、ケージは手にしていた灯りを消し、ゆっくりと歩き出した。
周囲が再び暗闇に包まれた。
(こんなところで一人になったら……明るくなるまで絶対に動けないよ。それにここ、どこなんだろう……?)
両手にある代理の肩の感触だけを頼りに培楽は歩を進めていく。
絶対に離れまいと培楽は両手に力を込めた。
「ここだな。そのままちょっと待ってくれ」
五、六分は歩いただろうか。ケージが足を止めた。
培楽の近くをスーッと何かが通ったが、これはケージが列を離れてどこかへ行ったためのようであった。
他の者達は息を潜めてその場に待機している。
「大丈夫だ。行くぞ」
再び培楽の近くを何かが通った直後、ケージの声が聞こえてきた。
彼が列を離れていたのはほんの一分かそこらだったが、培楽にはそれが数十分にも感じられた。暗闇で得体の知れぬ者の肩の感触だけが頼りという状況はそれだけ人を不安にさせる。
再び列がゆっくりと進みだした。
しかし、それも長い時間のことではなかった。
それまで肌に感じられた涼しい風がピタッと止み、代わりにじめじめとした空気が周囲を覆っているように感じられるようになっていた。
少ししてカチャリと鍵がかかるような音がし、その直後に周囲がぼうっと明るくなった。ケージが手にしていた灯りを点灯したのだ。
「ここは……?」
培楽が周囲を見回すと、石の壁が見えた。人が二人並んで通れるくらいの幅の通路らしき場所だということがわかる。
「代理、すみません。予定と違ってしまいましたが、この通路から目的地まで歩いていくことができます。もう少しの辛抱です」
ケージが代理の前にやって来てすまなそうに頭を下げた。
「わかりました。疲れている方もいらっしゃるでしょうから無理せずゆっくり進みましょう。時間はまだありますから、目的地に着いたら交代で休んでください」
代理はケージを責めることなく淡々とした口調で答えた。
「まったく、もう少し手段を選んだらどうなんだい? 年寄りをこき使うものじゃないよ!」
代理とは対照的に、おっかさんが悪態をついている。
「はは……すまねぇ。まあ、もう少しの辛抱だ。行くぜ」
「まったく、アンタってのは仕方のない奴だね」
代理のときとは異なりケージはおっかさんに対しては悪びれた様子も見せず、通路の奥へと向けて歩き出した。
先ほどまでとは打って変わって、ケージやおっかさん、そして最後尾を歩くダンまでもが軽口をたたき合いながら通路を進んでいく。
壁にはタイルのように石が積まれているから、ここは自然の洞窟ではなく人の手が入ったものだということが培楽にも理解できた。
「この通路は一体……?」
代理も不思議に思ったのか、先頭を歩くケージに向けて尋ねた。
「あ、私が答えます。工事を止めたトンネルか何かに父が手を入れて野菜の貯蔵庫に使っているんです。もうすぐ着きますよ」
ケージに代わってコーチが答えた。
彼の言葉通り、先の方に金属製のドアが見えてきた。
歩き出してから二、三分といったところだろうか?
「ここまでくればしばらくは落ち着けます。安心して下さい!」
いつの間にか先頭に進み出ていたコーチがドアを開けると、その先には野菜の入ったケースが山のように積まれている倉庫のような場所が見えた。
コーチは更に先に進んでいき、突き当りにある階段を上がっていく。
代理達が後をついて行くので、培楽も周りに倣って階段を上がっていった。
その先には二十畳はあろうかという広い畳の部屋が広がっていた。
部屋の手前には土間があってコーチがそこで靴を脱ぐよう指示した。
「着いた……」
やっと休める場所に出たと培楽は安堵の息をついたのだった。
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