巻き込まれて、逃亡者 ~どうして私が逃亡者に?!~

空乃参三

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9:緊急脱出

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 コーチが部屋を飛び出してから少しして、今度はドタドタと二つの足音がこちらに向かって近づいてきた。

「親父! ヤバいぞ!」
 部屋の襖が乱暴に開けられ、血相を変えたコーチが飛び込んできた。後ろに誰かいるようだが、培楽の位置からではよく見えない。
「うっせぇ! ドタドタ走るんじゃねえ! 家が傷むじゃねえか!」
「それどころじゃねえ! 急いでここから逃げなきゃダメだ、っての!」
 文句を言う社長にコーチが怒鳴り返した。その様子からただならぬ事態が発生したことが培楽にも感じとれる。

「失礼します。敵がここの存在に気付いたようです」
 社長とコーチの間に割って入ったのは眼鏡をかけた金髪碧眼の男性だった。スーツ姿で左胸には名札を着けている。
「おう、ツトムさんかい。奴らがここに気付いたってどういうことだい?」
 社長が金髪碧眼の男性に尋ねた。
 この外見なのに日本の名前で呼ばれているんだ、などと培楽は見当違いのことを考えている。

「社長さん、うちの支配人がここを調べろって部下に命じていたのを立ち聞きしてしまったのです」
「調べるとしたら支払いのときだろう。だとしたら夕方だな」
「恐らくそうだと思います」
「わかった」
 ツトムさんと呼ばれた金髪碧眼の男性と社長との短いやり取りが終わると、社長は他の者達の方を向いた。
「申し訳ない。ここもヤバくなりそうだ。悪いが最低限のことを決めたらここから出てもらう。ツトムさんよ、手伝ってくれるな?」
 ここを出なければならない、と聞かされて培楽は数十分前の自分の決断が正しいことを知った。
 もしここに残るという選択をしたのであればパニックになっただろう。少し前までは己の決断を呪っていたのだから現金なものだ。

「もちろんです。トラックを用意しています」
 ツトムがポケットから車の鍵を取り出してみせた。
「頼む」
 社長がツトムに頭を下げた後、これからの行動について皆で打ち合わせることになった。
 ただし、社長がコーチに外で誰かが来ないか見張っているように命じたため、コーチは打合せの席から外れている。

 そんなにのんびりしていて良いのだろうか? と培楽は訝しがったが、それを主張したところで意見が通るとも思えない。
 そこで培楽はせめてもの抵抗として、できるだけ目立たないよう背の高い主任と身体の大きい先生との陰になる位置へと移動した。
 これならもしこの場に敵が入り込んできたとしても、見つかるのが遅れると考えたからだ。

「川を渡ってから山頂までの移動はどのくらいの時間を見込んでいるのでしょうか?」
「南から登山道を避けて回り込むように登って六キロくらいか。三時間から四時間を見込んでいる」
 主任の問いにケージが答えた。
 具体的な数字が出てきたものの、培楽にはそれがどのくらい大変なのか見当がつかない。

「川を渡ってから四時間、となると明日の一九時半には川を渡り切っておきたいですね」
 先生が主任とケージの会話に割り込んできた。言葉は丁寧だが、ノーと言わせない迫力がある。
「先生の言う通りだ。さっき調べたが明日の日没は一八時四四分らしい。だから一九時に出発のつもりだ。大まかに説明すると……」
 一瞬たじろいだケージに代わって社長が答える。タイミングが良かったため、予め用意していた答えではないかと培楽は考えていた。

 社長の説明によれば、目的地となる山頂に向かうメンバーは、明日五月二〇日の一九時くらいまで二ヶ所に分かれて潜伏することになるらしい。
 二ヶ所に分かれるのは、単純に全員が隠れられるだけの大きさのある場所がないからだそうだ。

 一九時になったら二人の協力者が山頂に向かうメンバーを紅髪川の渡河地点まで運ぶ。
 それとは別に社長とコーチが渡河用のボートを運び込み、ボートのセッティングを行う。

 ボートに乗って対岸に移動するのは、代理、主任、先生、おっかさん、ケージ、タケさん、コーチ、そして培楽の八名。
 渡河後、タケさんとコーチはボートで元の場所へと戻り、追手をかく乱する役割を担う。
 残った六名で山頂を目指す。
 先導役は地元民で土地勘のあるケージが担当する。

 山の中に入ったら、敵に見つからないよう山頂を目指す。
 道が整備されているわけではないので速く進むことは困難だが、急げばよいというものでもないらしい。
 指定された日時ちょうどに契約を取り交わすことが求められているとのことで、早く着きすぎるとそれだけ敵に見つかり、契約を妨害される可能性が高いのだそうだ。

「……最悪、代理以外の全員が囮になって奴らを引き付ける必要があるってことだ。その意味じゃ人数が増えたのは好都合だ」
 社長の言葉に培楽は自分までもが囮の頭数に入っているのかと驚いたが、既に後に引けないことは理解していた。
 覚悟を決めたというよりも考えることを諦めたからなのだが、培楽は自らが想像よりもずっと落ち着いているのではないかと感じていた。

(落ち着くのよ培楽! 冷静になれば……囮になったときにチャンスがあるかも……)
 などと淡い期待を抱いてしまうあたりは、未だ精神的に不安定なのかもしれないが。

「大まかにはこんな感じだな。時間があるならもう少し計画を詰めるか……ちっ!」
 社長が舌打ちした直後、ドタドタという足音がこちらに向かって近づいてきた。
 部屋の中の皆が身構える。

「ツトムさん、先に準備していてくれ! 代理にはそっちに乗ってもらうからよ!」
「わかりました!」
 社長の指示で、ツトムが足音がする方とは反対側の襖を開けて外へと出ていった。

「親父! 来るぞ!」
 ツトムが部屋を飛び出した直後、今度はコーチがツトムが出ていった方と反対側の襖を開けて中に飛び込んできた。
「奴らは今どこだ?」
「タニイさんのところに来た! マサジから電話がかかってきた!」
「なら間に合うな。おい! お前は主任さんを送ってやれ!」
「わかった」
 社長とコーチが短いやり取りを交わした。どうやらここを出なければならない、と培楽は悟った。

「主任さん、ついてきてくれ!」
「承知しました」
 コーチが主任を連れて外に出ようとする。

「あのー……私はどちらに?」
 培楽が間延びした声で誰にともなく尋ねた。誰に尋ねてよいかわからないが、このままだと自分一人がこの場に取り残される可能性があるから彼女なりに必死だ。
「はん、そんなの自分で判断しろ!」
 ケージが怒鳴ったが、培楽も必死だ。
「私が邪魔にならないのはどっちか、って聞いているんです!」
「お、おう……」
 培楽の剣幕に一瞬ケージがたじろいだ。

「代理」
 培楽の様子を見かねたのか、先生が脇にいる代理に声をかけた。
「はい。培楽さんは私の方に来てください。先生、後ろをお願いします」
 代理が培楽の手を引いて自分の方に来るように命じた。
「あ、はい!」
 培楽は代理の後を追った。代理は培楽が走りやすいよう、すぐに手を放して前を向いている。
(彼なら話が通じそうだけど、あの人は……怖そうだけどボディーガードとしては一番あてになりそうだし、弾避けには一番いいよね)
 培楽は後をついてくる先生についてとんでもないことを考えていた。そのような場合ではないはずなのにそう思いついてしまうのは不思議だ、と感じながら。

「靴を履いたら、左側から外に出てください。」
 土間にはツトムが待っていた。
 指示に従って培楽は土間で靴を履き、そこから建物の外へ出た。

「あの先に車を止めています」
 踏み固められた土の上を何十メートルか走るとガレージがあり、その脇に白い軽トラックが止められているのが見えた。

 培楽は軽トラック目指して走っていき、助手席側のドアの前に立つ。
「そっちじゃないです」
 ツトムが培楽に後ろに行くように命じた。
「えっと……?」
「培楽さん、こっちですよ」
 培楽がどこへ行けばいいのかと迷っていると、軽トラックの後方から代理が手招きした。培楽が慌てて後方に移動する。

「ここから乗ってください」
 先生が荷台の後方に踏み台を置いた。
「では私が先に行きます」
 代理が踏み台から器用に荷台へと飛び乗った。
 幌で囲まれた荷台の中は、所狭しとビールケースやら段ボール箱やらが載せられている。
 映画やドラマみたいだな、と思いながら培楽も踏み台を使って荷台へと飛び乗った。
 軽やかに、とはいかず転がり込むような恰好になってしまったのは彼女の運動神経から考えれば仕方のないところだろう。
 幸いなことにどこかを打ちつけたり、擦ったりするようなことはなかった。
 幌の天井は培楽の背丈よりだいぶ低いので、培楽は腰をかがめたまま立ち上がる。

「培楽さん、こっちです」
 段ボール箱の壁の向こうから代理が手招きした。
 培楽が壁の向こう側に回り込むと、中は段ボール箱で囲まれた畳一畳にも満たないスペースだった。
 床にはクッションの役割なのか、折りたたまれた段ボール箱と、その上にビニールシートが敷かれている。

「三人入れるかな……?」
 思わず培楽が声をあげてしまった。
 代理は細身で成人男子としてはやや背が低い部類に入るが、先生はかなりの大柄だ。
 培楽は二人と比較すれば小柄だが、日本人の成人女性としては平均的な体格である。
 三人が体位座りをして何とか収まるかどうか、といった広さにしか見えない。

「すみません。ちょっと狭いですが、我慢してください。それとこれを」
 代理が頭を下げてからすっと培楽の前に小さなプラスチック製のコンテナを差し出した。椅子代わりに使え、ということらしい。
「はい……」
 培楽はコンテナを逆さにして床に置き、恐る恐る腰を下ろす。
(私の体重で壊れたりしたら嫌だなぁ……)
 そう考えていたものの、どうにかコンテナは無事であった。床に直接尻を下ろすよりもはるかにマシだ。

「失礼します」
「わっ」
 野太い声が後ろの方から聞こえてきた直後、荷台が大きく上下に揺れた。
 大柄な先生が荷台に飛び乗ってきたのだ。
 培楽は思わずバランスを崩し、前のめりになって床に手と膝をついてしまう。

「移動中は揺れますから気を付けてください」
「す、すみません……あいたっ!」
 代理の助けを借りて培楽が身体を起こすが、勢いあまって立ち上がりかけて今度は幌のフレームに頭をぶつけてしまう。
 
「大丈夫ですか?!」
「あ、はい……」
 痛む頭をさすりながら培楽がコンテナに腰掛けた。
「荷台は広くないですし、走っている間は揺れるはずです。フレームを掴むといいでしょう」
 後ろからぬっと身体を小さく丸めた大男が入り込んできた。先生だ。
 三人入るとお互いの身体が触れてしまうくらいの狭いスペースだが、ここは我慢と培楽は己に言い聞かせる。
 代理や先生が培楽に気を遣っているのか、強く押されたり苦しいということはない。それだけでもマシだ、などと培楽は考えていた。

「大丈夫ですか? 出発しますのでなるべく声を出さないよう静かにしてください。こちらがいいというまで外に出ないようにお願いします」
 運転席からツトムの声が聞こえてきた。
 三人はお互いに顔を見合わせてからうなずき、その後に先生がコンコンと二度運転席側の壁を叩いた。
 それが合図だったのだろうか、直後にエンジンの音が鳴り、ゆるゆると軽トラックが進み始めた。

(お、思ったより揺れる……でも、こういうのって何かのアトラクションにあったっけ? うん、悪くないかも)

 しかし、培楽がそう考えていられるのもわずかな時間だった。
 突然、ガクンと上下に揺れたかと思うと、ブォンと急にスピードが上がったのだった。

「ひっ?!」
 声にならない悲鳴をあげた培楽に先生が無言で「静かに」のジェスチャーをしてみせる。
 培楽は心の中ですみませんと詫びながらうなだれた。

(こ、これって……舌を噛んじゃうかも……)
 道が悪いのか、上下にガクガク揺れる荷台の中で身体を強張らせながら、培楽はこの不快なドライブの終わりを待ち続けるのだった。

 現在、五月一九日一五時一五分
━━契約の刻限まで、あと三二時間四五分━━
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