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16:最後の休息
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培楽が弁当となるサンドイッチづくりを終えたのとほぼ同時に、代理が一人で客間に戻ってきた。
「あ、お疲れ様です」
「凄いですね! これは……九人分ですか、美味しそうです! 楽しみだなぁ」
代理が興奮した様子でサンドイッチに視線を向けている。
この人もこんな年齢相応の表情をするんだ、と驚きながら培楽は代理の様子を見守っている。
正直、培楽は自身があまり料理が得意ではないと思っている。
そんな自分の料理にも感心してくれる人がいるのだと思うと自然と顔がほころんでしまう。
「まだ出発までは時間がありますから、悪くならないように冷蔵庫に入れておきますね」
このまま代理を見守るのも悪くないと思った培楽だったが、自分の作った弁当で食あたりでもされたら大変だと考えてテーブルの上のサンドイッチを部屋の隅にある冷蔵庫へとしまい込んだ。
代理は培楽に準備の状況を確認した後、急に改まった顔つきになった。
「どうしました?」
「……培楽さんを巻き込んでしまって申し訳ありません。改めてお詫びします」
代理が深々と頭を下げた。
「えっと……状況が状況だったので仕方ないかと……」
代理に対して培楽は恨みを持っていない。
このようなことに巻き込まれてしまったことに関しては正直恨めしい気持ちもあるのだが、少なくとも代理や先生など一部の関係者に対して恨む気になれない。
これが理不尽な客相手ならいくらでも怨めるのだから不思議だ。
事態の理不尽さなら、今の方が遥かに上といってよいはずではあるが。
「申し訳ありませんが、ここまで来てしまった以上、培楽さんには最後までお付き合いいただくしかありません……」
「それは、先ほど先生も仰っていました」
「お詫び、になるとも思えないですが、培楽さんには私が帯びている使命についてお話しておきたいと思います。よろしいでしょうか?」
代理の申し出を断ることもできたはずだが、何故か培楽はそれを断ってはならないと自分に言い聞かせていた。
「はい。先生から少しは伺いましたけど……」
「ありがとうございます。それでしたら問題ありません。良ければお付き合いください」
代理は培楽の先に歩み出て背中を見せている。
培楽がもし彼をつけ狙う敵の暗殺者であれば、彼の生命を奪うのは容易だ。
だが、培楽にその気はない。能力的にも不足しているのは間違いない。
「私の家がとある使命を帯びている、ということは先生から聞いていますか?」
「はい。ある契約を結ぶことが使命だと聞いています」
培楽は素直に答えた。嘘をつく場面ではないと思っているし、嘘をついたところで見透かされる、そんな気がしていた。
「使命についてはその通りです。もう少し詳しくお話しします。契約の詳細な内容はお話しできませんが……」
「以前はお話しできない、と聞いていたのに……いいのですか?」
「はい、今の培楽さんであれば」
代理の答えに培楽が思わずごくりと唾を飲み込んだ。
詳細な内容は話せないが、大まかな内容は今話すと言われたと思ったからだ。
そして、その予想は的中した。
「抽象的な言い方で申し訳ありませんが、契約は『借りている何かを返す』というものだと思ってください。このくらいなら今の培楽さんにお話ししても問題ないでしょう」
「借りている何かを、返す……?」
その「何か」が明らかにならないのは残念であるが、契約の概要だけでもわかったのは培楽にとって収穫だった。
返却の契約なら、相手に返却物を渡す必要があるというのは理解できるからだ。
指定された場所が人気のない山頂であることは未だに疑問ではあるが。
「……契約は目的地で相手からサインを頂いた時点で成立します。ですから私が目的の場所にたどり着いた時点で成立と思っていただいて問題ありません」
「……相手の方は来られるのでしょうか?」
培楽はふと思いついた疑問を口にする。
「必ず来ます」
代理の返答はそれまでにはない力のこもったものであった。
「絶対」以外の回答があり得ない、そんな答えだ。
「相手は必ず来ます……ですが、私たちは前回も、その前も、更にその前も……契約の場にたどり着けませんでした……」
代理が目を閉じて首を横に振った。
「あの……それは一体……」
前回、というのは先生が話した「先代の代理」の時の話であろうことは培楽にも見当がついた。
だが、更にその前があるというのはどのような意味だろうか? 培楽にはその言葉が意味するところがよく理解できない。
「借りている何かを返すのはいつでもよい、とされているのです。ただし、その契約を取り交わすことができるのは十年に一度、指定された場所に当代の代理が契約書を持って赴かなければならないのです……」
代理の目に決意の色が浮かんでいるのが培楽にも見てとれた。
少なくとも過去三回は契約の場にたどり着けず、失敗している。
そのような困難な場に代理は赴くのだと培楽は改めて思い知らされた。
「……」
「……大丈夫です。主任、先生……今回は実行者の皆さんが頼りになりますし、協力者も前回より多いのです。培楽さんも加わってくれました。必ず、契約にこぎつけてみせます」
代理の決意に培楽はただ黙ってうなずくことしかできなかった。
代理の抱えている使命の重さの前には、自分が何をしようと助けになるとは培楽には思えなかったのだ。
(……失敗はできない。足手まといにならないように最後までついていくしか、ないよね……)
不思議と培楽は、代理から離れて逃げ出そうという気にはなれなかった。
むしろ彼の帯びている使命や、結ぼうとしている契約、そして契約の場に興味が湧いてきた。
野次馬根性だろうと指摘されたら全力で否定しただろうが、培楽の興味にはそのような成分が含まれているのも事実である。
「……今お話しできるのはこのくらいです。今夜が勝負ですし、今は勝負のときに備えて休んでおきませんか? 少し時間もあるようですし」
代理の表情はいつの間にか柔和なものへと変わっている。
「そうですね。私は、倉庫の中で涼んできます」
「さすがに倉庫は寒いですよ。私と先生には別の部屋を割り当ててもらいましたので、培楽さんはこちらで休んでください」
「はあ……」
培楽が代理に困った顔を向ける。女性だからと気を遣ってくれるのは助かるが、ちょっとやりすぎではないか? そんな気がしたからだ。
「実行者同士の話があるので、申し訳ないのですが培楽さんには外していただきたいのです」
「……わかりました。それなら」
代理の言葉が本当かはわからないが、培楽が一人ここに残される理由としては理解できる。
「では後ほど」
代理が荷物を持って客間を出ようとする。
「わかりました。代理さん、また後で」
培楽が代理の背中に向けて声をかけた。
「あ、そうでした」
代理が不意に立ち止まる。
「?」
「培楽さん、最後まで……契約書にサインをもらうまでお付き合いいただければ、あなたが我々側の人かそうでないかがわかると思います。もし、我々側でしたら……何でもありません」
代理はそう言い残して客間から去った。
「……私が代理さん側だったら?」
一人客間に取り残された培楽がつぶやいた。
※※
「……」
培楽が黙々と用意された来客用の布団を敷いている。
(代理さんが契約書にサインをもらった時点で私が代理さん側の人かどうかわかる、と言っていた。それって……)
培楽の脳裏には代理のいくつかの言葉がエコーになって響いている。
「……今は印がないですけど、貴女は敵ではなくこちら側の方の様に思います」
「最後まで……契約書にサインをもらうまでお付き合いいただければ、あなたが我々側の人かそうでないかがわかると思います。もし、我々側でしたら……」
(私の家が、先生のところみたいに実行者、とか? ないない! 絶対あり得ないよね。それに……)
培楽は東北地方の出身で、両親は今でも健在だ。
父は会社員、母は私立高校の教員で、至って平凡な家庭である。何らかの使命を帯びている家庭だとは到底思えない。
それに培楽には地元で会社員をしている兄がいる。
仮に家が何かの使命を帯びていても、それを引き継ぐのは兄であって培楽ではないはずだ。
(……叔母さんは変わった人だけど、別にそういうのと縁がありそうだとも思えないし……)
叔母、すなわち培楽の父の妹は大学生時代に短期留学に海外に出たまま、現地に住み着いてしまったという変わり種だ。
時折日本に帰ってきて培楽の実家にも遊びに来る。
ちなみに培楽の名前を考えたのも彼女だ。
培楽の母親は培代というのだが、叔母は「どこの国の人が読んでも親しみやすい名前の方がいい」と主張して母親の「培」の文字を使った「培楽」という名前をごり押ししてきたのだそうだ。
(……お父さんやお母さんに聞いてもわからないだろうし、考えても無駄、かぁ。代理の言う通り休んでおこう……その前に……)
培楽は客間の隣にある客用の浴室へと向かった。
「ふぅ……生き返るぅ」
この浴室には湯船があった。
二四時間いつでも温かい湯が張られているタイプの湯船に培楽が身体を沈めた。
三日ぶりの湯船に顔がほころんでしまう。
湯船は二人か三人が同時に入れる広さで、培楽の体格なら思い切り身体を伸ばすこともできる。
「あ゛~っ、っていけない……」
湯の心地よさに思わず声をあげてしまうが、誰かに聞かれていないかと慌てて口を塞ぐ。
木曜日の夜から今までの二日弱の間に色々なことがありすぎた。
ようやく今、一人で気を抜く機会が訪れたのだ。地が出てしまうのも無理はない。
風呂から出て今夜の移動用のインナーだけを着て、培楽は客間へと戻った。
(そろそろ休まないと……)
培楽がもぞもぞと布団に潜り込む。
「……」
疲労はあるのだが、目を閉じても睡魔が襲ってくる気配がない。
あと数時間で契約の場に向かう、という緊張感のためだろうか。
身体の節々が重くなっているから、間違いなく身体は悲鳴をあげている。
(私が代理の側ってどういうことだろう……?)
(今夜登る山ってどういうところなのだろう? また、あの人たちが邪魔をしに来るのかな……?)
(銃を持っているって言っていたよね? 撃たれたら……痛いだけじゃなくて、死んじゃうかも……)
培楽の脳裏をこれから起こり得るであろう出来事がぐるぐると駆け巡る。
「……契約の相手って誰なんだろう? あーっ! 何が何だかわからないよ!」
布団に潜り込んだまま、培楽は苛立ちに思わず声をあげた。
(……代理の言う通り、最後まで付き合えば、全部わかるのかな? それなら……)
ここまで来たら付き合えるところまで付き合うしかない、と培楽は考えている。
だが、生命の危険もあるし、慣れない山歩きもしなければならない。そのために未だに悩みが尽きないのだ。
(最後は……どうなるのだろう?)
そう考えた直後、培楽の意識は途切れた。
三時間ほど後に代理に起こされるまで、培楽の意識は途切れたままだった。疲労が彼女を眠りに落としたのだった。
現在、五月二〇日一四時四〇分
━━契約の刻限まで、あと九時間二〇分━━
「あ、お疲れ様です」
「凄いですね! これは……九人分ですか、美味しそうです! 楽しみだなぁ」
代理が興奮した様子でサンドイッチに視線を向けている。
この人もこんな年齢相応の表情をするんだ、と驚きながら培楽は代理の様子を見守っている。
正直、培楽は自身があまり料理が得意ではないと思っている。
そんな自分の料理にも感心してくれる人がいるのだと思うと自然と顔がほころんでしまう。
「まだ出発までは時間がありますから、悪くならないように冷蔵庫に入れておきますね」
このまま代理を見守るのも悪くないと思った培楽だったが、自分の作った弁当で食あたりでもされたら大変だと考えてテーブルの上のサンドイッチを部屋の隅にある冷蔵庫へとしまい込んだ。
代理は培楽に準備の状況を確認した後、急に改まった顔つきになった。
「どうしました?」
「……培楽さんを巻き込んでしまって申し訳ありません。改めてお詫びします」
代理が深々と頭を下げた。
「えっと……状況が状況だったので仕方ないかと……」
代理に対して培楽は恨みを持っていない。
このようなことに巻き込まれてしまったことに関しては正直恨めしい気持ちもあるのだが、少なくとも代理や先生など一部の関係者に対して恨む気になれない。
これが理不尽な客相手ならいくらでも怨めるのだから不思議だ。
事態の理不尽さなら、今の方が遥かに上といってよいはずではあるが。
「申し訳ありませんが、ここまで来てしまった以上、培楽さんには最後までお付き合いいただくしかありません……」
「それは、先ほど先生も仰っていました」
「お詫び、になるとも思えないですが、培楽さんには私が帯びている使命についてお話しておきたいと思います。よろしいでしょうか?」
代理の申し出を断ることもできたはずだが、何故か培楽はそれを断ってはならないと自分に言い聞かせていた。
「はい。先生から少しは伺いましたけど……」
「ありがとうございます。それでしたら問題ありません。良ければお付き合いください」
代理は培楽の先に歩み出て背中を見せている。
培楽がもし彼をつけ狙う敵の暗殺者であれば、彼の生命を奪うのは容易だ。
だが、培楽にその気はない。能力的にも不足しているのは間違いない。
「私の家がとある使命を帯びている、ということは先生から聞いていますか?」
「はい。ある契約を結ぶことが使命だと聞いています」
培楽は素直に答えた。嘘をつく場面ではないと思っているし、嘘をついたところで見透かされる、そんな気がしていた。
「使命についてはその通りです。もう少し詳しくお話しします。契約の詳細な内容はお話しできませんが……」
「以前はお話しできない、と聞いていたのに……いいのですか?」
「はい、今の培楽さんであれば」
代理の答えに培楽が思わずごくりと唾を飲み込んだ。
詳細な内容は話せないが、大まかな内容は今話すと言われたと思ったからだ。
そして、その予想は的中した。
「抽象的な言い方で申し訳ありませんが、契約は『借りている何かを返す』というものだと思ってください。このくらいなら今の培楽さんにお話ししても問題ないでしょう」
「借りている何かを、返す……?」
その「何か」が明らかにならないのは残念であるが、契約の概要だけでもわかったのは培楽にとって収穫だった。
返却の契約なら、相手に返却物を渡す必要があるというのは理解できるからだ。
指定された場所が人気のない山頂であることは未だに疑問ではあるが。
「……契約は目的地で相手からサインを頂いた時点で成立します。ですから私が目的の場所にたどり着いた時点で成立と思っていただいて問題ありません」
「……相手の方は来られるのでしょうか?」
培楽はふと思いついた疑問を口にする。
「必ず来ます」
代理の返答はそれまでにはない力のこもったものであった。
「絶対」以外の回答があり得ない、そんな答えだ。
「相手は必ず来ます……ですが、私たちは前回も、その前も、更にその前も……契約の場にたどり着けませんでした……」
代理が目を閉じて首を横に振った。
「あの……それは一体……」
前回、というのは先生が話した「先代の代理」の時の話であろうことは培楽にも見当がついた。
だが、更にその前があるというのはどのような意味だろうか? 培楽にはその言葉が意味するところがよく理解できない。
「借りている何かを返すのはいつでもよい、とされているのです。ただし、その契約を取り交わすことができるのは十年に一度、指定された場所に当代の代理が契約書を持って赴かなければならないのです……」
代理の目に決意の色が浮かんでいるのが培楽にも見てとれた。
少なくとも過去三回は契約の場にたどり着けず、失敗している。
そのような困難な場に代理は赴くのだと培楽は改めて思い知らされた。
「……」
「……大丈夫です。主任、先生……今回は実行者の皆さんが頼りになりますし、協力者も前回より多いのです。培楽さんも加わってくれました。必ず、契約にこぎつけてみせます」
代理の決意に培楽はただ黙ってうなずくことしかできなかった。
代理の抱えている使命の重さの前には、自分が何をしようと助けになるとは培楽には思えなかったのだ。
(……失敗はできない。足手まといにならないように最後までついていくしか、ないよね……)
不思議と培楽は、代理から離れて逃げ出そうという気にはなれなかった。
むしろ彼の帯びている使命や、結ぼうとしている契約、そして契約の場に興味が湧いてきた。
野次馬根性だろうと指摘されたら全力で否定しただろうが、培楽の興味にはそのような成分が含まれているのも事実である。
「……今お話しできるのはこのくらいです。今夜が勝負ですし、今は勝負のときに備えて休んでおきませんか? 少し時間もあるようですし」
代理の表情はいつの間にか柔和なものへと変わっている。
「そうですね。私は、倉庫の中で涼んできます」
「さすがに倉庫は寒いですよ。私と先生には別の部屋を割り当ててもらいましたので、培楽さんはこちらで休んでください」
「はあ……」
培楽が代理に困った顔を向ける。女性だからと気を遣ってくれるのは助かるが、ちょっとやりすぎではないか? そんな気がしたからだ。
「実行者同士の話があるので、申し訳ないのですが培楽さんには外していただきたいのです」
「……わかりました。それなら」
代理の言葉が本当かはわからないが、培楽が一人ここに残される理由としては理解できる。
「では後ほど」
代理が荷物を持って客間を出ようとする。
「わかりました。代理さん、また後で」
培楽が代理の背中に向けて声をかけた。
「あ、そうでした」
代理が不意に立ち止まる。
「?」
「培楽さん、最後まで……契約書にサインをもらうまでお付き合いいただければ、あなたが我々側の人かそうでないかがわかると思います。もし、我々側でしたら……何でもありません」
代理はそう言い残して客間から去った。
「……私が代理さん側だったら?」
一人客間に取り残された培楽がつぶやいた。
※※
「……」
培楽が黙々と用意された来客用の布団を敷いている。
(代理さんが契約書にサインをもらった時点で私が代理さん側の人かどうかわかる、と言っていた。それって……)
培楽の脳裏には代理のいくつかの言葉がエコーになって響いている。
「……今は印がないですけど、貴女は敵ではなくこちら側の方の様に思います」
「最後まで……契約書にサインをもらうまでお付き合いいただければ、あなたが我々側の人かそうでないかがわかると思います。もし、我々側でしたら……」
(私の家が、先生のところみたいに実行者、とか? ないない! 絶対あり得ないよね。それに……)
培楽は東北地方の出身で、両親は今でも健在だ。
父は会社員、母は私立高校の教員で、至って平凡な家庭である。何らかの使命を帯びている家庭だとは到底思えない。
それに培楽には地元で会社員をしている兄がいる。
仮に家が何かの使命を帯びていても、それを引き継ぐのは兄であって培楽ではないはずだ。
(……叔母さんは変わった人だけど、別にそういうのと縁がありそうだとも思えないし……)
叔母、すなわち培楽の父の妹は大学生時代に短期留学に海外に出たまま、現地に住み着いてしまったという変わり種だ。
時折日本に帰ってきて培楽の実家にも遊びに来る。
ちなみに培楽の名前を考えたのも彼女だ。
培楽の母親は培代というのだが、叔母は「どこの国の人が読んでも親しみやすい名前の方がいい」と主張して母親の「培」の文字を使った「培楽」という名前をごり押ししてきたのだそうだ。
(……お父さんやお母さんに聞いてもわからないだろうし、考えても無駄、かぁ。代理の言う通り休んでおこう……その前に……)
培楽は客間の隣にある客用の浴室へと向かった。
「ふぅ……生き返るぅ」
この浴室には湯船があった。
二四時間いつでも温かい湯が張られているタイプの湯船に培楽が身体を沈めた。
三日ぶりの湯船に顔がほころんでしまう。
湯船は二人か三人が同時に入れる広さで、培楽の体格なら思い切り身体を伸ばすこともできる。
「あ゛~っ、っていけない……」
湯の心地よさに思わず声をあげてしまうが、誰かに聞かれていないかと慌てて口を塞ぐ。
木曜日の夜から今までの二日弱の間に色々なことがありすぎた。
ようやく今、一人で気を抜く機会が訪れたのだ。地が出てしまうのも無理はない。
風呂から出て今夜の移動用のインナーだけを着て、培楽は客間へと戻った。
(そろそろ休まないと……)
培楽がもぞもぞと布団に潜り込む。
「……」
疲労はあるのだが、目を閉じても睡魔が襲ってくる気配がない。
あと数時間で契約の場に向かう、という緊張感のためだろうか。
身体の節々が重くなっているから、間違いなく身体は悲鳴をあげている。
(私が代理の側ってどういうことだろう……?)
(今夜登る山ってどういうところなのだろう? また、あの人たちが邪魔をしに来るのかな……?)
(銃を持っているって言っていたよね? 撃たれたら……痛いだけじゃなくて、死んじゃうかも……)
培楽の脳裏をこれから起こり得るであろう出来事がぐるぐると駆け巡る。
「……契約の相手って誰なんだろう? あーっ! 何が何だかわからないよ!」
布団に潜り込んだまま、培楽は苛立ちに思わず声をあげた。
(……代理の言う通り、最後まで付き合えば、全部わかるのかな? それなら……)
ここまで来たら付き合えるところまで付き合うしかない、と培楽は考えている。
だが、生命の危険もあるし、慣れない山歩きもしなければならない。そのために未だに悩みが尽きないのだ。
(最後は……どうなるのだろう?)
そう考えた直後、培楽の意識は途切れた。
三時間ほど後に代理に起こされるまで、培楽の意識は途切れたままだった。疲労が彼女を眠りに落としたのだった。
現在、五月二〇日一四時四〇分
━━契約の刻限まで、あと九時間二〇分━━
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