巻き込まれて、逃亡者 ~どうして私が逃亡者に?!~

空乃参三

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「!!」
 タブレットの表示が二三時二〇分になった。
 代理が前を向き、目的の山頂へと向かい始めた。
 残りの五名も順番に山頂へと進みだす。

 一行の視界には、相変わらず三つの強いライトの光が見える。ほぼ間違いなく敵だ。
 一つは停止したまま、残りの二つのうち一つは東に、もう一つは南に向けてゆっくりと進んでいる。

 一行の周囲から敵の視界を遮る樹木の数が減ってきた。
 今はまだ大人の身長くらいの低木がまばらに生えており、辛うじて一行も身を隠すことができている。
 だが、五〇メートルほど先からは草花ばかりであり、一番背の高い草でもしゃがめばどうにか身を隠せる程度の高さしかない。

 一気に目的の山頂まで駆け上がりたいところではあるが、約束の時刻まではまだ三〇分以上ある。
 早く着きすぎて契約の場に敵を呼び込むのは都合が悪い。
 また斜面も急で、まっすぐ駆け上がるのはかえって滑落の危険を高める。
 そのため、一行はジグザグに山頂へと向かっている。

「静かに」
 低木の帯が切れる少し手前で、先頭を歩く主任が皆を制した。
「敵だな。間違いない」
 ダンが小声でつぶやいた。

 培楽の位置からではよく見えないが、一五メートルくらい先の背の高い草の陰に人の姿がある。
 辛うじてその姿が見えるのは、人影が光る何かを手にしているからだ。小型のライトかスマホか何かの端末だと思われる。

 ダンが後ろにいるおっかさんに前に出るよう促すと、おっかさんが主任の横に進み出た。

「……ちっ、飛び道具を持っていやがるね。どうしてくれようか……」
 おっかさんの言葉から、培楽は相手が銃を持っているのだろうと考えた。

「……迂回している時間はありません。大人しくして頂きます。お願いします」
 主任がおっかさんに目配せした。
「わかった。ここでやっちまうよ。目を守っているのが気に入らないけどねぇ」
 おっかさんが銃を構え、先に見える人影に狙いをつける。
「……外さないでください。面倒なことになりますから」
「老眼が心配だけどな」
 主任、ダンの順番でおっかさんに声をかける。

「はん? まだアタシゃ五九だよ。会社なら定年にもなってないっての! これだから最近のバカ者は……」
「五九って、一五もサバ読むか? それに五〇代だって十分老眼はあり得る」
 おっかさんの毒にダンが反応した直後、ひゅっと音がした。

(撃った?! 殺しちゃうの!)
 培楽が呆気にとられて口をパクパクさせている。悲鳴をあげようにも声にならない。

 ぎゃっ、と短い悲鳴の後「行きます!」と主任の声が飛んだ。

 主任と先生が悲鳴の方へと走った。
 代理達も釣られるように走り出したのでので、培楽も慌ててその後をついていく。

「ほら、トロトロ走ってないで、急いで何とかしな!」
 おっかさんが前を走る主任と先生を煽る。
 この状況で二人を煽るとはどんな神経をしているのだろうと培楽は半ば呆れ、そして感心した。

「ぐはっ! な、何を……」
 先の方で、敵を思われる者のうめき声が聞こえてきた。
 何かが転げる音もしているが、これは主任と先生が敵を捕らえて地面に転がした音だ。

 少しの間、揉み合う音が続いていたが、培楽が到着したときには既に決着がついていた。
 後ろ手に縛られた男が地面に転がされており、先生が馬乗りになっている。
 地面の男はじたばたとのたうち回っている。

「皆、到着しましたね。彼にはここで退場してもらいます」
 主任が宣言した。

(まだ、生きているんだ。でも、退場って、ここで殺しちゃうんだよね……)
 培楽が呆気にとられているところにおっかさんが銃を手にしたまま進み出てきた。

「ここはアタシにやらせてくれないか? 最後までやらないと仕事をした気にならないんでねえ」
 今度は主任やダンもおっかさんを煽ることなくうなずいた。

「じゃ、いくよ」
 先生がどいたのを確認し、おっかさんが地面の男の股間目がけて蹴りを入れた。

「★※△$!?」
 地面の男が悲鳴にならない悲鳴をあげた。

(あれ?)
 培楽は目の前で起きた出来事が信じられないとばかりに目をぱちくりさせている。
「アタシゃ慈悲深いんだから基本的に殺しはしないんだよ! さっきのだって唐辛子たっぷりの激辛弾だっての!」
 おっかさんが心外とばかりに培楽に抗議した。
「さすがに日本に殺傷能力のある武器を持ち込むのは困難だったので、私達は規制のない唐辛子のスプレーや弾を使うのです。痛いでしょうけどアレルギーなどなければ生命を失うことはないと思いますので安心して下さい」
 代理が気休めになるのかどうかすら怪しい台詞で培楽をなだめた。

 その脇では先生と主任が目配せして、男を斜面の下の方へ向けて放り投げる。

 男の身体が宙を舞った後、ゴロゴロと斜面の下の方に向けて転がり落ちていく。
 彼が生き残れるかどうかは運しだいだが、少なくとも大怪我は免れないであろう。

「時間を取られました、行きましょう!」
 服の埃を払う仕草の後、主任が再び山頂に向けて進みだした。

「マズいな、向こうの方が先に着くな、これは」
 主任の脇に進み出ながら、ダンがぼやいた。
 それを聞いた培楽達が山頂の方に目を向けると、強いライトの光が山頂の近くにまで到達しているのが見えた。

「二手に別れて片方を囮にしますか?」
 主任が尋ねた。隣を歩くダンに対してではなく、先生に対する問いのようだ。
「……いや、戦力を分散させることになりかねないです。あの光の動きには迷いが感じられません、恐らく……」
 先生がそれ以上言葉を続けられなかったのは、ある者への配慮であった。だが、その配慮が無用だと考える者もいる。

「協力者の誰かが口を割った、いや、割らされたってところだな」
 ダンが先生に代わって言葉にした。

「ですね……仕方ありません。このまま山頂まで急ぎます。山頂で敵を排除します!」
 先生が方針変更を宣言した。今日何度目の方針変更だろうか。

「山頂までまだ敵が隠れていないとも限りません。銃などの飛び道具に注意しながら一気に行きましょう!」
 先生が指示を飛ばした。既に緊急事態であり、主任一人に指示を任せる訳にいかなくなったからだ。

「はん! 結局いきあたりばったりってことかい?」
「何だ、おっかさん。怖気づいたのか?」
「アタシゃこういうのは嫌いじゃないけどねぇ。これで遠慮なくこいつをぶっ放せるからねぇ」
 おっかさんとダンが軽口をたたき合っている。

 培楽には理解できない心理であるが、二人はまだ余裕なのだと好意的に解釈した。

「灯りが増えた?! 待ち伏せされていた、ということですか……」
 少し進んだところで主任が声をあげた。
 いつの間にか目的の山頂の方に向かっている灯りは三つに増えている。

「二つはこっちより先に着きそうだな。一つは間に合いそうもないが……」
 ダンが冷静に灯りの位置を確認している。
「恐らく場所の情報を入手してからあまり時間が経っていないのでしょう。敵が少なければやり様があります。今は一刻も早く頂上に向かうべきです」
「そうだな」
 先生の言葉にダンがうなずいた。
 とはいえ、足元は急斜面で一直線に頂上に到達できるような状況ではない。

 斜面をジグザグに登りながら一行は頂上を目指す。

 岩でも落ちてきたらどうしようとビクビクしながら、培楽も必死で足を速めた。
 既に太腿はパンパンで動かすと痛みが走るのだが、弱音を吐く気にもなれない。
 彼女が恐れているように上から岩でも転がり落ちてきたら、それこそお陀仏になりかねない。
 ここで死ぬのに比べたら、太腿の痛みはまだマシだ。

 培楽にとって幸運だったのは、靴のサイズがピッタリだったようで、靴ずれなどで足が痛むことがなかったことだ。
 地面を捉える足が痛むようなら、彼女の歩みはもう少し不安定なものになったはずだ。そうなれば途中で足を滑らす危険も大きくなっていた。

 培楽が振り返って斜面の下の方を見る。
 後ろから敵が追いかけてきていないかと不安に思ったからだ。

「後ろは見なくていい! 前に集中してくれ!」
 振り返った培楽を見逃さず、ダンが叱咤の声を飛ばした。
 今は前に、すなわち目的の山頂に到着するのに集中せよ、ということだ。

 今のところ近くに敵は潜んでいないようであるし、特に攻撃もない。
 しかし、どこで待ち伏せされているかわからない。
 そんな状況で、敵が来る可能性の低い後ろを振り返って何の意味があるのか。

 ダンの声はそう訴えかけていた。

 一行の視界の先に目指す山頂はまだ見えない。
 この山の南側は山頂付近だけがなだらかな斜面になっているため、南斜面の下から見上げると山頂付近が見えにくい。

「あの……まだ、ですか……?」
 息も絶え絶えになりながら、前を進む先生に培楽が尋ねた。
「坂が緩くなったら見てきます。あと数分でしょう」
 律義に先生が答えた。
 培楽の隣でおっかさんが「まったく……」と舌打ちしたが、培楽にもそれを聞く余裕がなくなってきている。

「もうすぐ敵が到着しそうです! 急ぎましょう!」
 先頭を進む主任の声が飛んだ。既に見つかっていると覚悟しているのか、小声ではない。

 足元の地面も徐々になだらかになってきている。目的の山頂が近づいてきたのだ。
 前方に目を向けると、左、すなわち西の方から灯りが三つ、東の方に向けて進んでいるのが見えた。
 主任によると、目指す頂上は進行方向の正面になるらしい。
 灯りのスピードから推測するに、敵は一分もしないうちに頂上に到達しそうだ。

 一方、こちらからは頂上まであと百数十メートルある。
 ここからはまっすぐ頂上に向かうことができそうだが、敵よりは頂上への到着が後になるのは間違いない。

「走れ!」
 ダンの短い指示に皆が頂上に向けて一直線に走りだした。

 だが、一行の進む速度はその意志の強さに反してゆっくりでしかないように培楽には思われた。
 なだらかになったとはいえ、斜度十度を超える斜面を直線的に登るのだ。平地を走るのとはわけが違う。
 また、敵の灯りを頼りにできるようになったとはいえ、周囲は真っ暗に近い。
 足元を確かめながら走る分、どうしてもそちらに意識をとられ、速度が落ちることは否めない。

 パン! パン!

 不意に乾いた音が頂上の方から聞こえてきた。

(これは一体?!)
 音に驚いた培楽の脚が一瞬止まりかける。

「死にたくないのなら走るんだよ! 止まっている場合じゃないよ!」
 培楽の様子に気付いたのか、真横を走るおっかさんが叱咤した。

 現在、五月二〇日二三時三五分
━━契約の刻限まで、あと二五分━━
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