巻き込まれて、逃亡者 ~どうして私が逃亡者に?!~

空乃参三

文字の大きさ
29 / 31

28:帰宅

しおりを挟む
 昨夜、山に入ったときに六人だった一行はその数を四人に減らしていた。
 主任の戻りましょうという提案の後、一行は少しだけ周囲の状況を確認した。

 敵の多くは意識を失って倒れていた。だが、生命は失われていないようであった。
 協力者のタケは予想通り事切れていた。
 彼の亡骸をこのまま放置するのは忍びなかったが、一行にもこれを運ぶ手立てがない。
 下山後に協力者に回収を依頼することを決めて、近くの木の陰に移動させた。

 また、ダンの姿も探したが、一行の見える範囲には見当たらなかった。
 見つけるまで捜索することも考えたが、時間が経つと敵が目を覚ますかもしれない。
 仕方なく一行は捜索を諦め、下山することを決めたのだった。

「ここで起きたことは一体……何だったのでしょうか?」
 鷲河山の登山道に向かう途中、培楽の口からふと疑問が言葉となって出た。

「……貴女が目にしたことが全てです、としか言えません」
 先生がそう答えて首を横に振った。
「木口さんが選択すべきことを私が決める権利はありません。二年後、ご縁がありましたら……」
 主任の答えには力がなかった。彼女は答える直前に一瞬、培楽の手の方に視線を向けていたが、培楽がそれに気づくことはなかった。

 一時間ほど歩いて、鷲河山と最寄りの駅とを結ぶ登山道に入ったところで電波が回復し、先生がツトムと連絡を取った。
 それから一時間後、午前六時半近くになって登山道の途中で連絡を受けたツトムと合流することに成功した。
 その後、登山口の駐車場に止めてあるツトムの職場の車で一行はヒロシの酒屋まで移動した。
 その間、一行は必要最低限の会話を交わす以外はほとんど無言であった。

 ヒロシのところで交代でシャワーを浴び、着替えを済ませたところでツトムが培楽を最寄りの駅まで送ると申し出た。
 今を逃すと夕方までこの場で待つことになる、と言われ、培楽もしぶしぶ申し出を受け入れた。

 何が起きたのか?
 他の皆はこれからどうするのか?
 二年後に何をするのか?

 培楽が知りたいことは山のようにあるが、これらを確認している時間は無さそうであった。
 疲労で眠ってしまったおっかさん以外の二人、すなわち先生と主任に確認をとろうとしたが、彼らも出発の準備に追われていたのだ。

 出発間際にどうにか主任と交渉して、連絡先を交換してもらうことには成功した。

 ヒロシの酒屋からツトムが運転する軽トラックで最寄りの駅まで移動し、培楽はそこで下ろされた。
「二年後に来るかもしれないと聞きました。機会があればまた」
「お世話になりました」
 ツトムと短い別れの挨拶を交わし、培楽はホームへと向かった。

 反対側のホームからは、ハイキング客と思われる人々が十数名ほどが改札へと向かっていた。
 一方、乗車する客の姿は培楽以外に一人もなかった。

(これからどうしよう……明日はお仕事だから、今日は帰ってとにかく休もう……)
 培楽は到着した電車に乗り込んで座席に腰を下ろし、目を閉じた。

 その後、どうやって家に戻ったのかは記憶がない。
 過去に飲みすぎて、自宅に戻るまでの記憶を失くしたことは何度かあったが、それとは違う妙な感覚を覚えていた。
 自宅に戻ると、着替えることもせずそのままベッドに倒れ込んだ。辛うじてバッテリーの切れたスマホを充電器に差し込んだだけだ。
 そして、夕方まで泥のように眠り込んだ。

※※
「はっ?! 今何月何日の何時?!」
 突然、培楽が跳び起きた。
 慌ててテーブルの上のスマホを手に取る。

(……五月二一日日曜、っていつだっけ? あ、休みか。一七時五〇分だから……)
 培楽が木曜の夕方から今朝までに起きた出来事を順番に思い出していく。

 少しして駅でツトムと別れてから九時間ほどしか経っていないことに気付き、ほっと息をついた。
 仕事に穴をあけずに済んだし、このままであれば明日何食わぬ顔で会社に出勤すれば何事もなく済むかもしれない、と思ったからだ。

 だが、安心したのもつかの間、今朝、契約の場となった名もなき山頂で見た光景を思い出した。

(タケさん、とかいう方は亡くなっていたし、ダンさんも多分……警察とか来るのかな?)

 培楽は壁際にある作業用デスクの方へと飛ぶように移動し、上に置かれたノートパソコンの電源を入れた。
 デスクは培楽の会社でテレワークが解禁された際にボーナスをはたいて購入した代物で、立ち作業にも座っての作業にも対応できる。
 現在、テレワークができるのは月に三、四日程度なので投資としては微妙な結果となってしまったが、それでも培楽のお気に入りではある。

鷲河しゅうが山っていったっけ……人が亡くなっているのだからニュースになっているかも……」
 培楽はネット上のニュースをひたすら検索し続けた。
 テレビの電源も入れ、ニュース番組を流す。

「Y県のニュースは……あ、鷲河山ってある……違う……」
 培楽は関係ありそうなニュースを片っ端から確認してみたが、培楽達が登った隣の鷲河山でヤマツツジが見ごろという記事があるだけだった。

「うーん、あれだけのことがあって一つもニュースになっていない、ってどういうことなんだろう……?」
 一時間半ほどノートパソコンと格闘したが、先週木曜の夕方から今朝の間に培楽の身の回りで起きた出来事は、何一つニュースとなっていなかった。
 ネットの掲示板やSNSなども探してみたが、それらしい発言はただのひとつとして見つけることができなかった。

「……お腹空いた。何か買ってこようっと」
 ノートパソコンに表示されている時刻は一九時半になっていた。
 昨夜、契約の場に向かう途中でサンドイッチの弁当を食べて以来、培楽は飲み物以外の何も口にしていなかった。
 それだけではない。
 敵の追跡から逃げ惑うことで、培楽は数年分の運動を一気にこなした気分になっている。

「……作るのはムリ……外で食べる気にもなれないよ……」
 くぅとお腹もなっている。
 あまり外に出たい気分ではないが、背に腹は代えられない。
 近くのコンビニかスーパーで出来合いの物を買うことに決め、最低限の身支度だけをして培楽は家を出た。

 培楽の自宅は、郊外の住宅地にある四階建てのアパートの三階だ。
 駅までは徒歩七分、駅前通りには飲食店がいくつかあるが、そこまで行く気力はない。
(……何も変わっていない。コンビニもいつも通り営業している……今日は……スーパーにしよう)
 三分ほど歩いて最寄りのコンビニの前に着いたが、中に顔を知っている近所の人の姿を見かけて入店を諦める。
 今は知っている誰にも会いたくない気分であった。

 家に戻ってきてから、知り合いと連絡を取る時間はいくらでもあった。
 だが、どうしてもそのような気分にはなれなかった。
 今の自分が木曜日の夕方以前の自分と何か別な存在になってしまったように感じているからだ。

 更に数十メートル先に、かつては街の電気屋だった建物を再利用したスーパーマーケットがある。
 培楽は電気屋時代を知らないのだが、スーパーとしては不自然に天井が高い構造だなとは思っている。
 自宅から近く夜遅くまで営業していること、品揃えもそこそこであることから、培楽は時々この店の世話になっている。

 レンチンすれば食べられる冷凍食品と総菜、そして缶のカクテルを数本買いこんで、培楽は店を出た。
 支払いのときのレジ係の視線に違和感を覚えたが、早く家に戻って食欲を満たしたいという気持ちの方が勝っていた。

 缶のカクテルは、週末の夜のお供だ。
 財布に余裕があるときや、気分がよいときなどはこれがワインになることもある。
 だが、今はワインの気分ではなかった。

「くぅ~っ! これがいいのよぉ……」
 培楽が総菜のポテトサラダを缶のレモンハイで流し込んだ。
 他人の目がないこともあって、シャツはだらしなくはだけているし、その仕草は若い女性というよりは中年男性に近い。

 緊張の糸が完全に切れたのか、培楽はテーブルにだらしなくもたれかかりながら酒と食べ物を交互に口へと運んでいく。
 一人の週末は大抵こうだ。

 作業用のデスクには椅子がセットになっているが、テーブルは折り畳みの背の低いもの使っている。
 そのためか、床で横になって缶を手に取ったり、テレビの電源を入れて見る気もない番組をBGM代わりに流したりと他人様には見せられない姿を披露している。

「……結局、何だったんだろう、あれ?」
 二缶目のレモンハイのプルタブを開けながら、培楽は一連の出来事を思い出していた。
 素面で思い出すにはあまりに現実離れした出来事であったため、酒の力を借りたのかもしれない。

「何にもそれっぽい情報は見つからなかったしなぁ……そうだ!」
 培楽がスマホを手に取った。

「えへへ……今度飲みに行きましょう、でいいよね。これで現実かどうか、わかる、よね……」
 培楽は主任に宛ててメッセージを送った。
 帰りがけに連絡先を聞いておいて良かった、とこのとき培楽は思ったのだが、素面に戻った後で大いに後悔することになる。

 メッセージへの返事を待ちながら、培楽は冷凍庫から先ほど買った冷凍食品のパッケージを取り出して、電子レンジへと放り込む。
 このくらいであれば酔った今でも問題ない。

「えっへへへへ……これこれ。今日は目一杯楽しんじゃおう!」
 そのような言葉が出てくること自体、自身が一連の出来事を記憶から消し去りたいと考えている証左であったが、培楽自身はそれに気付いてはいない。

 少ししてレンジが温め終了を知らせる電子音を鳴らした。
 聞き慣れている音であるのに、何故かいつもより耳障りに感じられた。

「何だかなぁ……ま、いいか。今日はお楽しみの餃子だし……あちち……」
 レンジから温めが終わった餃子を取り出しテーブルへと運ぶ。

 しばらくの間、餃子とレモンハイ、そしてグレープフルーツサワーの缶と格闘する。その間培楽は無言だった。

 グレープフルーツサワーの缶が空になったところで、床に投げ出された買い物袋を足で引き寄せる。行儀が悪いがここなら注意する者もない。

「……ふぅ、何だぁ、これでおしまいなんだ……」
 培楽が買い物袋を漁った。出てきたのは袋の底に残っていたパイナップルサワーの缶であった。

 パイナップルサワーの缶を開け、餃子を口に放り込む。
 これで残されたツマミは餃子二個と鳥の唐揚げ一個だ。

「もうこれだけなんだ……」
 パイナップルサワーの缶に口をつけながら、培楽は名残惜しそうに残されたツマミに目をやった。

 だが、手の方が止まらない。
 ツマミとパイナップルサワーとを交互に口に入れ、五分ほどでツマミを食べつくす。
 そして、パイナップルサワーの残りを一気にあおって、空き缶をテーブルの上にタン! と置いた。

「……?」
 その瞬間、右の手首にある尖った形の痣のようなものが培楽の目に入った。

「あれ? どこでぶつけたのだろう?」
 培楽がシャツの袖をめくった。

 不意に培楽の脳裏に代理の言葉が浮かんでくる。
「……今は印がないですけど、貴女は敵ではなくこちら側の方の様に思います」
「最後まで……契約書にサインをもらうまでお付き合いいただければ、あなたが我々側の人かそうでないかがわかると思います。もし、我々側でしたら……」

 我に返った培楽が右の手首に視線を落とす。
「……これ……は?」
 右の手首には特徴ある両矢印の印が浮かび上がっていた。
 両矢印の片方だけが小さな矢印になっているが、その上にうっすらと大きな矢印で上書きされている。

「……酔っちゃったのかな? シャワー浴びて寝るか!」
 酔いによる幻覚だろう、と考えて培楽はシャワーを浴びてベッドへと潜り込んだ。

 翌朝、目を覚ましたときに右手首に両矢印の印が残っているのを見つけて驚愕の悲鳴をあげることになるのだが、今の培楽はそれを知らない……
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

処理中です...