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第一章

39:困った患者

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 セスが「エクザロームの歴史を知る」と決意したのと同じ頃、ウォーリー・トワはメディットでリハビリを続ける毎日を過ごしていた。

 メディットに運び込まれた後、数々の検査を行い、アイネスの執刀による手術を行ったのが五月一一日。
 それから約一ヶ月半、本来ならまだ治療中の段階なのだが、彼は独自に得た知識から自分なりの退院までのプログラムを作り上げていた。
 プログラムのほとんどは専門家の目から見ても理にかなったものであったが、ごく一部には問題のある内容も含まれていた。しかし、これを止めることができる者はメディットに存在しなかった。

 担当医のヴィリー・アイネスはそのようなウォーリーの様子に辟易していたが、言ったところで聞き入れるウォーリーではない。
 アイネスは「丁寧で正確な治療」をすることに定評のある医師ではあるが、一方で「慎重過ぎる」という評価もある。
 そのようなアイネスにとって、ウォーリーのような患者はストレスの種でしかない。

 本人は気付いていなかったが、最近メディットの医師や看護師、職員の間では次のような警句が発せられていた。
「副院長 (アイネスのこと)が食堂の麺類のコーナーに並んでいる時には絶対に近づくな」

 アイネスは食堂で食事をするとき、昼は必ず「Bセット」、夜なら「バランス定食」を注文する。そして、窓側の隅に近い席でそれを食べることはメディットに勤務する者なら誰でも知っている。

 ところが、ウォーリーが入院してからというもの、このルールが守られなくなってきたのだ。
 ルールからの逸脱は常にウォーリーが何かのトラブルを起こしたときに限って発生していた。
 このようなとき、アイネスは食堂で「いつもの」メニューを平らげた後、今度は麺類のコーナーへ行き、麺類の皿を持って「いつもの」席へ行ってそれを平らげるのだ。

 ちなみにアイネスが注文する麺類のメニューは固定されていない。
 これは食堂側が麺類については日ごとに出すメニューを変えているためで、麺類にも固定されたメニューがあるなら、アイネスはそれを注文するだろうと職員の間では噂されていた。

 この日も食堂にはBセットを平らげた後、天ぷら蕎麦をすするアイネスの姿があった。
 このとき、他の医師や看護師、職員などはアイネスを避けて離れた席に座っていた。
 ことの経緯はこうだ。

 ウォーリーがコンピュータ制御している薬剤投与装置のプログラムを改造して、本来のスピードの三倍の速度で投与を進めた。
 このことに気付いた看護師は恐る恐る担当医のアイネスに報告し、「何とかならないものか」と訴えたのである。

 アイネスがウォーリーの病室へ行って真意を確認すると、
「先生、薬が終わらないとリハビリの運動ができないんですわ」
 と顔色一つ変えず答えたのである。

 アイネスは苦虫を噛み潰したような表情で、
「トワさん、薬はあなたの症状を考慮した上で、最適と思われる速度で投与しているのです。勝手に速度を変えられては治療に影響が出ます!」
 と注意した。
「そんなこと言われてもなぁ……仲間には半年で退院するって言っちゃったし、今更後には引けませんよ」
「いけません!」
「そこを何とか、いいでしょ? 先生」
「いけないものはいけないのです!」
 アイネスは聞き分けのない子供を説得するような絶望的な気分になった。
 いつものことではあるのだが、いろいろな意味でウォーリーという患者は性質が悪い。
 知識はそれなりに持っているし、自分で決めたことは完全にやり切るだけの行動力もあるからだ。

 問題はしばしば入り込む理にかなわない行動だ。
 こうした行動は間違った知識に基づいて、というよりも本人の信念によって引き起こされているようにアイネスには感じられた。
 信念に基づく行動を理屈で変えさせるのは困難であることをアイネスも理解している。
 一方で、アイネスも自らの信念に基づいてウォーリーの説得を試みている。
 異なる信念と信念とのぶつかり合いは、そう簡単に終わるものではない。

「でも、こっちも半年で出なきゃいけないんですよ」
 ウォーリーが両手を広げて首を横に振った。アイネスの説得を受け入れる気はないようだ。

「……」
「もし、俺の方法でダメでも先生を訴えたりしませんから。ちゃんと紙に書いてサインしたものを出しますって」
 そう言いながら、ウォーリーは近くにあるメモ用紙にペンで何かを書き、アイネスに手渡す。
 メモ用紙には、
「貴院の治療方針に従わず、私、ウォーリー・トワの身に何が生じても、私またはその親族、その他の者は、一切貴院の責任を問わないものとします。
            LHルナ・ヘヴンス暦四八年六月二八日 ウォーリー・トワ」
 と記されていた。

 アイネスは律儀にも手渡された紙に目を通したのだが、
「このようなものは受け取れません」
 とウォーリーに紙を突っ返そうとした。

「まあ、先生、いいから」
 とウォーリーは無理矢理アイネスに紙を押し付ける。

 結局、両者の話は平行線のまま、アイネスが説得をあきらめて病室を出た。

 ウォーリーの説得に失敗したアイネスはその後、機器管理室からウォーリーの薬剤投与装置を制御しようと試みた。
 患者に治療方針を遵守させるのは医師の義務であると考えていたからだ。
 ウォーリーも頑固だが、アイネスも負けず劣らず頑固だ。

 しかし、アイネスの試みは失敗に終わった。
 コンピュータを扱うことでは、専門家であるウォーリーに分がある。
 かつてウォーリーが所属していたECN社はエクザロームでもっとも技術力のあるIT企業でもある。
 ウォーリーは (意外にも)技術者上がりであり、装置のコンピュータに自分専用のロックを仕掛けることなどお手のものだったのである。

 自分の試みが失敗に終わったことを知ったアイネスはそのまま食堂へ向かった。その後のことは、今回の話の冒頭に書いたとおりである。
 とんでもない問題児を持たされたと、アイネスはウォーリーを受け入れた己の決断を呪った。
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