神殺しの花嫁

海花

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酒と杯がふたつ、盆の上に乗っている。

杯のひとつには、僅かな水で溶いた白姫から貰った薬が塗ってある。
襖の前で立ち止まると、幸成はそれ等を見つめた。
眠り薬だと言った白姫の言葉を疑っている訳では無い。
ただ、これを飲ませたら、琥珀が眠りについたら……

これが共に過ごす最後の時間になるだろう。

万が一、全てが上手くいけば、父と兄を説得できれば、琥珀の元に戻れるかもしれない……。
しかし仮に、山神が贄など望んでいないと知り、『神殺し』自体無くなったとしても、山神に“差し出した息子”の存在など、父にとって恥以外の何物でもない筈だ。
そうすれば、良くて何処ぞの寺に出されるか、さもなくば一生幽閉されるか……或は……。
どの道琥珀の元に帰れることなど、父の性格からしても万に一つもあるとは思えない。

それでも、琥珀と人を争わせたくなかった。
記憶を視せられた今、その想いは尚のこと強くなっている。
これ以上琥珀を傷付ける様な真似をしたくない。
自分がここで過ごしてきた時間のように、穏やかで温かい時間だけを見ていて欲しい。
偽りではなく、心からそう思う。

それでもやはり───離れたくない。


「……遅くなりました」

襖を閉めると、相変わらず外を見ながら座っていた琥珀が振り返り、幸成はそれに笑顔を向けた。

「……なにかあったか?」

「いえ。酒を一緒に飲もうと……用意をしてました」

傍まで来て膝を着いた幸成が盆を置くと、微かだがふわりと白姫の匂いが、琥珀に届いた。
昼間についたものでは無い。
明らかに寝所に来るまでの間についたものだ。
しかし幸成は何も言わず、隣に座り同じように庭に目を向けている。

“一緒に酒を飲もうと……”そう言いながら、杯を手渡すわけでも無く、黙ったままただ座っている。

「………月が……綺麗ですね」

暫くの沈黙の後、幸成がぽつりと言葉を吐いた。

「……そうだな……」

「きっと、直に冬が来ます」

「……ああ」

「でも…………その後には必ず春が訪れます」

琥珀は何も答えず、笑っているようにも見える、幸成の穏やかな横顔を見つめた。


最初はただ“面白い男”だと思った。
女のなりをして自分を殺しに来たのだと震えながら言ったかと思えば、翡翠の為に何も省みず啖呵を切った。
胸の中で子供の様に泣き、甘い声で何度も名前を呼んだ。

そして今では、何物にも代えがたい程愛おしくて仕方がなくなっていた。
たかだか半月、共にすごしたこの男を、一時として手離したくない程愛おしい。

「俺は、ずっとあなたの傍にいます」

不意に幸成の笑顔が向けられ、琥珀を見つめた。

「……例え……身体は離れてしまったとしても……心はあなたと共に居続けます」

穏やかな、温かい眼差しが向けられる。

「………………何故今それを言う……?……まるで…………離れるような口ぶりだな……」

琥珀の探るような言葉に、幸成は微笑んだ。
きっと自分では気付いていないが、向けられた瞳が不安に揺れている。
思い上がりでなく、琥珀は自分が離れるのを恐れているのだ。

「……ここの暮らしが余りにも穏やかで……幸せで……それが当たり前になってしまう前に、琥珀に伝えておきたかったんです。人は直ぐに忘れてしまうから……」

自分を見つめる瞳が、それでもまだ不安を濃くしていくのが、手に取るように分かる。

───ああ…………この人は…………

「俺はただの人間で………共に過ごせるのはきっと……琥珀にしたらとても短い時間です。必ず…………あなたを置いていかなければならなくなります」

───こんなにも怖がりで…………

「けど、そうなっても………心だけは置いていきます。あなたの傍に……」

───こんなにも……傷付いているんだ……

幸成は腕を伸ばし、琥珀の手を握りしめた。

「永遠に傍にいます」

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