神殺しの花嫁

海花

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幾度も弾かれ続けた短刀が鈍い刃音と共に堪えきれず刃先を床へ飛ばし、それに気付いた成一郎は切りつけた手を僅かに引いた。
しかしそれでも今までよりずっと深く入った刃が幸成の胸の肉を斬り、骨を砕いた感触が柄を握る成一郎の手に伝わった。
体勢を崩し、床に膝を付いた幸成の苦しそうな喘ぎ声が、微かに眉を顰めた耳に聞こえる。

───それでも………まだ堪えるか…………

倒れまいと、震える手で身体を支えた弟を、成一郎の冷めた瞳が見つめた。

幸成を死なせるつもりなど毛頭なかった。
今までの様に僅かな恐怖心を与えれば、後は過去の記憶が幸成の全てを覆い尽くす筈であった。
それが途中から上手くいかなくなっていた。
狼の子供に傷を負わせた事が幸成に火をつけてしまったのだ。
しかしそれでも、以前の幸成ならもっと容易く手折れる筈だった。
何をされても、ここまで刃向かう様なことはしなかった。
いや、幼い時から刷り込まれた恐怖心が、刃向かうことすらさせなかった。

それが…………

「これで終いか?……あの餓鬼共は………諦めるか?」

瞳の奥に怒りを宿した成一郎の口が、それでも幸成を煽った。
これ以上は幸成の命を奪うと解っている。
それでも、腹の奥に着いた火が消えない。
幸成をこれ程までに変えた此処での暮らしも……
あの『琥珀』と言った男にも……。

「…………ふざけるな……」

掠れる声を絞り出し、顔を上げ自分を見据える眼まで血で紅く染まっている。
その姿に、成一郎は無意識に奥歯をキツく噛み締めた。

何もかもが気に入らない。
自分が殺すつもりは無い事など、幸成は既に解っている筈だ。
立ち向かうのを止めれば、刃向かう事を諦めれば、これ以上傷つかなくて済む事も理解している筈だ。

それでもあの子供達を守る為に『死』を選んでいる事も、恐怖を感じられない自分を見据える瞳も。
成一郎の奥の歯がギリッと音を立てた。


残っている僅かな力で、幸成は立ち上がり折れた短刀を握りしめた。
痛みと目眩で吐き気すらする。
感じたことの無い程の寒気が身体をガタガタと震わせ、自分がどれ程滑稽か解っている。
それでも諦める訳にはいかなかった。
少しでも長く成一郎を足止めしなければ……。
琥珀の大切なあの子達だけは、守りたい……。

───もう少し…………もう少しだけでいい……

幸成の手が柄を強く握りしめた。
すると不意に“あの匂い”が鼻腔の奥をかすめた。
血で塞がりかけた鼻の奥に、確かに感じた。

不快な程甘く、全てを惑わせる……
成一郎に犯されている間、部屋を常に満たしていたあの匂いだ。

「……どうした?幸成……」

自分を見つめる成一郎の顔がぐにゃりと歪んだ。

「……あ………」

いつの間にか刀を下ろし、差し出された成一郎の手が、蛇が地を這うようにうねりながら近付いて来るように見え、幸成は思い切りそれを払い除けた。

「──触るなッ!…………俺に……触るな……」

成一郎だけでは無い、当たり前の様に見えていた障子や襖、行灯までもぐにゃりと歪みその瞳に映る。
ただでさえ薄らいでいた意識を、黒く淀んだ靄が湧くように、匂いとその光景が頭を埋めつくしていく。

「……何をそんなに怯える?」

ひんやりとした指が頬に触れ、幸成の身体が大きく震えた。

「怯えてなどいないッ」

しかし言葉とは裏腹に今度はその指を払うことすら出来ず、やがてその指が細く長い蛇になって顔を撫でるように這いだした。

チロチロと細い二股の舌を出し、ひとつは口の中に入り込み、ひとつは首に巻き付くように降りていく。

「…………………イヤだ…………」

「どうした?幸成…………」

兄に犯され続けたあの数日の記憶が鮮明に頭に蘇っていく。

「……俺は……お前になんと言った?……忘れたか?」

忘れる訳などない───。

体の奥に欲望を吐き出されながら、幾度となく聞かされた。

『俺を忘れるな。お前は……俺のものだ』と。

「……お前は……俺になんと言った?……思い出せ幸成」

───俺は………………

狂おしい程の身体の疼きと奥の熱を……
ただ静めて欲しかった……。

「あ…………兄上が…………」

頭の中がそれだけで埋め尽くされていた……

「……兄上が……欲しい…と……」

不意に全てが暗闇に呑まれ、崩れ落ちた幸成の身体を成一郎が支えた。

───そうだ…………俺は………………望んで兄上に…………抱かれた…………








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