王家の星影

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帰省⑤ お義父さま

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 朝の散歩から帰ってくる。
モワモワと湯気が家から漂う。中に入ると、タスクが胡座をかいて栗の雑穀粥を食べている。
「遅いなぁ、粥が冷めちゃう」
寝癖のついたタスクがそう言う。
「ただいまー」
「朝から二人でお出かけ?」
「お出かけというか、散歩です」
「なんでわざわざ二人で?」
「別に特に意味はありません。私が散歩に行こうとしたら、ツキヨさんも散歩に行くと言ったので」
「ふーん」
タスクは、テキトーな相槌をうちながら、粥をもう一杯掬って自分の器にボテッと置く。
「タスク、尊星さまに失礼でしょ」
「今日は仕事でも宮さまに雇われてる訳でもないんだから、普通に義兄弟として接しようかなと思って」
「すみません、弟が」
「いえ、まぁ、私は気にしないので大丈夫ですよ」
「そうですか」
「えぇ」

ツキヨはお母さんにポンポンと肩を叩かれる。
「ツキヨ、お母ちゃん、ハレのこと迎えにいってくる」
「はーい」
ツキヨのお母さんは、草鞋を履いて家を出ていく。

「ハレって確か妹さんですよね」
「そうです。昨日は丁度、お泊まり会だったみたいです」
「あぁ、お泊まり会だったんですね」
学生の頃に一回だけ、学舎で泊まる防災訓練という名のお泊まり会があったな。懐かしい。



少しすると、お義母さんとハレちゃんは、家に帰ってきた。
「おかえり」
ツキヨは二人を出迎える。
「え?!お姉ちゃん!」
一際、明るい声がする。
「久しぶり、ハレってば見ないうちになんか大きくなったんじゃない?」
「うん!」
ハレは家に入り、更に驚く。

「お兄ちゃん?!」
「よっ」
敬礼を軽くやったタスク。
「と、だれ?」
ツキヨの後ろにササッと隠れるツキヨ。
「隠れないでよ、ハレ。この方は私の旦那さま」
旦那さま と紹介されるのに私はまだ慣れてはいないが、ツキヨが紹介するときに明るい声で「私の旦那さま」と言うのを聞いて、少し嬉しく、誇らしく思う。
「尊星と言います。よろしくお願いします」
ジトーッとハレに見つめられた。緊張と私が姉の夫に相応しいかどうか品定めをしてやろうという感情が混じった眼差しである。
「…よろしくお願いします」
ちらりと顔を見せたかと思えばすぐさまツキヨの後ろに隠れてしまう。
「尊星さま、こちらが私の妹のハレです。ちょっと恥ずかしがりやさんで、幼さも残る、私の癒しです」
「可愛い妹さんですね」
あぁ、何か土産でもあればもう少し仲良くするきっかけにもなったのだが。尊星は土産で持ってきた酒と渡来本、上等な布、それらを見て、もう少し、幅広い年齢を考えるべきだったと少し後悔。



「邪魔しまぁす!」
飛び込むように、マソが家に入ってきた。
「あら、マソ君どうしたの?そんなに慌てて」
お義母さんは驚いたような顔でマソを見る。
マソは荒い息を整える。膝に手をついて、背中を上下させる。
ツキヨは、水をマソの前に持ってくる。
「大丈夫?」
マソはガシッとツキヨの肩を掴む。
「えっ、ちょ…」
ツキヨは困惑の表情を浮かべる。
「…おじさんが亡くなった」
手の先から足の先から、全身の血液が抜けるみたいな心地がするというのに、心臓だけは馬鹿みたいに速く動いて、頭は重たくて、まるで、夢のなかを泳ぐみたいな感覚で、ツキヨは、水の入った器をそのまま地面に落とした。
「マソ、冗談だよな?」
タスクがそう訊くと、マソは頭を左右に振った。
「ねぇ、お母ちゃん、どーゆーこと?」
ハレにはピンと来ていないようだった。
「すぐ、病院に行くわよ、お父ちゃんに会いに行くの」
お義母さんが真っ先に立ち上がる。



 病院に到着すると、そこには確かに、お義父様の御遺体があった。
 目の回りはグッと落ち窪んでいるが、結んだ口の端がわずかに口角を押し上げているようにも見えて、家族に囲まれ、天国の扉の前に立っていることをどこか満足に思っているようにも感じられた。
 重たい空気がずっしりと肩に乗る。私でさえも、こんなに感じているんだ。ツキヨさんやタスク君はどんな気持ちでここに立っていられるんだろう。
 タスクが半ば膝から崩れ落ちるように、父の横に屈み込んだ。
「っ、父上、絶対に元気になるって言っていたじゃないですか!起きてください!お願いです!」
タスクは怒っているみたいに大きな声を出した。その実、涙を噛み殺していた。それを上書きするみたいに無理やり大きな声を出したんだ。
「あなた、しっかりして!」
お義母さんは冷たくなった夫の手をとって、訴えかける。ここにいる誰もが、お義父さんの死を受け止めきれない、現実だとは思えないんだ。
 ハレは死というのを目前にワンワン声をあげて泣いている。
 横目にちらりとツキヨを見た。
ツキヨは、涙も流さず、父に寄ろうともせず、ただ目の前の空間を眺めているみたいだった。その横顔は、「無」という言葉がしっくりくる。何を思い、何を感じ、何を受け取ったのか、混乱の渦のなかで心は必死に平静を作り出そうと感情を強く強く抑制する。
 

 人の死とは呆気ないもので、音も光もないままに永遠の眠りにつく。それは、実体を伴わず、ある一種の儀礼的なものを通過して、墓に入り、死が完了する。


 その日の夕刻には、お義父さんは埋葬された。誰もが嫌だとしても死を認めざるを得ないその姿に、ツキヨ以外の家族は花を手向けるとともに堪えきれない涙をこぼした。
 覚悟はしていたのかもしれない。昨日のお義父さんの様子を見たって、口にこそせずともお義父さんに残された時間が僅かであることは悟ることができた。

「…尊星さま」
不意に声をかけられて、ツキヨの方を見る。
「どうしましたか?」
「…泣けない私はおかしいですか?心の中はこんなにも痛いのに」
「おかしくないです」
尊星は母を亡くしたときに、きっと、今のツキヨそのものだった。息が出来ないくらい心は滅茶苦茶になっているのに、それをどんな風に出すことができるのか体と頭と心のどれも上手くはまらない。涙がパラリと一粒流れることもなかった。それは、心が貧しいわけでも、死をなんとも思わないからでもない。ただ、現実に思考が追い付かず、体の隅々までを混乱と悲しみが支配するからである。


 
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