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三章
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しおりを挟むその日、朝から彼は登校中の生徒に交じって爽やかに姿を現した。
とはいえ、その赤髪が妙に目立っていて、「誰だあれ」「あんな子いた?」なんて声もちらほらと聞こえて来る。
こちらに気付いたその男は、ヘッドホンを首から下げてシンプルなTシャツジーパン姿で、こちらに手を振ってくる。
その爪のネイルは今日、黒かった。
お前その姿でもネイルはやめないのか。
「誰?」「和香ちゃんの知り合い?」「まさか彼s……っ」「黙れ、俺たちの夢を壊すんじゃない!」なんて声まで聞こえて来て、想像力のたくましいことにもはや尊敬すらしそうだった。
「おーはよっ和香」
「さほど派手な格好じゃない癖に目立ってる」
「えーなにダメ出し?」
「……別に、いーんじゃない?佐藤がそれが好きなら別に否定はしない」
そう私が「佐藤」と言葉を零した直後、私の声の聞こえていた一帯が間を置いた後、信じられないようにザワついた。
今日は、男版・佐藤蜜改め佐藤氷のお披露目初日である。
「わははははははははははははははっひーっダメ無理あはははははははははっ」
豪快に腹を抱えて笑っているのは、鞠だった。
机をバンバンと叩いて涙目になられているけれど、佐藤はノリノリで投げキッスをしたりネイルを見せたりして鞠で遊んでいる。
メンタルが強すぎてもはや崇拝する。
「やめてぇぇぇその顔でこっち見ないでははははははっ……っく、げふっ」
「鞠、生きて。飲み物飲みな」
「むりむりむりお腹も頭も腹筋もいたいいいい」
お腹と腹筋は大体一緒だと思うんだけど。
そんな鞠を見て声も出せずに呆れ返っているのは、我らがイケメン緑さまだ。
「マリモがあんだけリアクション激しいと、一周回ってこっちが冷静になるわ」
「さすが緑」
「アンタ知ってたんでしょう?いつから?ていうか本当にアレ男?」
「えーと……私がカラオケ誘った日から」
「マジか」
おもむろに立ち上がった緑が佐藤の前に行き立つと、ガーデンチェアに座って鞠で遊んでいる佐藤を見下ろして影を作る緑。
わぁ、なんだか緑に見下ろされるなんてなんか怖い。
生唾を飲み込んでその光景を見守っていると、緑が佐藤に向かって口を開く。
「ちょっとまだ信じらんないから下見せてくんない?」
「ぶはっ…………あははははははははははははは、もー、ほんとやめてみどりんまでぇぇぇぇ」
その爆弾発言でさらに涙まで出して笑い出す鞠。
この空間こそがそう、シュール。
私はまたひとつ、知らない世界を知ったのだ。
今日は一段と騒がしい日だなと、私はリンゴジュースを口に含む。
「下見せろとかみどりんえっち!!?」
「アンタが変に隠してるのが問題なんだから、見れば一瞬で済む話じゃない」
「だからって極論すぎ!!」
「あはははははははははははははははっひーまじむり、さとちんもみどりんもおかしーっ」
この状況を一番楽しんでいるらしい鞠だけど、どうやら佐藤が男だからといって拒絶するわけでもなく……むしろネタとして楽しんでいる様子でよかった。
ほんとにこれはよかったのか?
まぁ、緑も鞠も、変に態度が変わったりもしていないようで、良かった。
「ていうか待って、これまでプールの誘い断って来てたのってまさかそのせい?」
「ぴんぽーん!さすがに更衣室は入れないからねぇー」
「その顔でギャル口調やめい」
「やめてさとちんマリ笑い死んじゃうーっひーっ」
「マリモはいい加減落ち着きなさいよ」
ずずっと飲んでいたリンゴジュースが終わってしまうと、私はそのパックをガーデンテーブルにカコンと置いた。
緑なんて佐藤の片胸を鷲掴んで「貧乳……じゃないのよね」とか真剣に悩んでいる。
そこに脂肪がないことは私でもまだ確認できていないのに、本当容赦ない。
「よし、じゃあ今年こそ四人でプールに……って思ったけど、アンタハーレムかますことになるじゃん」
「佐藤が!!ハーレム!!!っはははははははははははははは」
「マリモがいちいち笑ってると話進まない!!」
「あ、緑、そのことなんだけど」
私はそのタイミングを見て、片手を上げて話に割り込む。
笑い過ぎて苦しんでいる鞠も、冷静な私を視界に映したからか、少しだけ落ち着いたようだ。
鞠、アンタはちゃんと酸素を吸いなさい。
「このグループに佐藤の男友達候補を……混ぜてもいいかな、って」
緑に向かってそう提案すると、彼女は少し眉を顰めた。
「何その合コンみたいな数合わせ……でもそうね、一人だけ男だとちょっと行動しにくかったり佐藤が心細くなったりするかもしれないしね」
「みどりんやさしぃ」
「黙れ、問題児」
今日も緑の言葉の刃はキレッキレである。
緑は少し悩んでから、その条件を提示した。
「そうね……じゃあ、二人。二人まで許すわ。出来れば媚びてこないけど変に自信家でもない性格まともな奴で」
「なかなか難しいご注文だなぁ」
佐藤は人差し指を下唇に当てて「誰がいいかなぁ」なんて悩んでいる。
ギャルが抜き切っていないぞ、佐藤。
「佐藤そういうの見つけるの得意でしょう?それに自分の友達候補なら佐藤が探さないとだし、私たちは本当は口出す権利もない。もし条件に合わない人連れてきたらグループとは別でつるみな」
「やっぱりみどりんは厳しいけど優しいなぁ」
そう言うと佐藤はスッと立ち上がり、拳を天に掲げて口を開いた。
「よし、じゃあ夏までに男二人たぶらかして来るぞーーー!!」
「おー!!!」
「なんでたぶらかすことになってんの」
「たぶらかすのはいいけど変な人はほんと連れてこないでよね」
私たちの日常は、佐藤が男だろうが女だろうが、そんなことで崩れてしまう程脆くなんてなかった。
その事実だけでまた、私の心はじんわりと温まった。
男版・佐藤氷のお披露目初日も無事に終え、そのままノリと勢いのままカラオケに行った私たち。
相変わらず私は佐藤と鞠に連行されるように引きずられて行った。
「ところでさ」
カラオケの個室に入って座る緑が、デンモクを用意している佐藤に問いかける。
「アンタ蜜って名前でしょう?蜜くん?」
「いや、蜜は妹の名前」
まさかなんの躊躇いもなく話すなんて私も思っていなくて、ドリンクバーで入れて来たカルピスでむせてしまった。
鞠と緑はしばらく放心してから、「え、じゃあアンタ誰」なんて聞いている。
私の時は、理事長の「ひょ」だったなぁなんて思い出しながら、その光景を見ていた。
「佐藤氷、男。妹がひとり、彼女はいません。よろしく!!」
「ひょう……くん?いや彼女のくだりは見てりゃわかるけど……」
「わぁ……さとちんの本名初めて聞いたぁ」
「今初めて言ったからね!!」
鞠はさておき、緑は机に頬杖をついて少し考え込むと、私に視線を向けてからそれを佐藤に移した。
「なんで今まで黙ってて、このタイミングで暴露してきたのか。あとなぜ妹の名前を名乗っていたのか。なぜ和香だけ先に知らされていたのか。この辺りを詳しく話してもらいましょうか?」
ニヤリと笑って佐藤を捕らえる視線に、さすがの佐藤も一歩足を引いてたじろいでいた。
「ゴメンナサイ、話します」
簡単にかいつまんでこれまでの話をしてきた佐藤に、緑も鞠も悲しそうな顔をしたり呆れ返ったり、私と同じような気持ちを辿ってくれていた。
そうなるよね、どんだけシスコンに走るのかって……それもたった一人残った家族の為といえば、納得もするけれど。
「じゃあ、時々職員棟に一人で行ってたのって、理事長に会いに行ってたの?」
「バイトないのに解散してた時は病院に行ってたんだねぇ」
「それで?」
緑が一呼吸置いてから、佐藤、私を見てからまた佐藤に視線を戻す。
じとっとした視線から直後にはニヤリとした笑みに変わり、何を言われるのかと背筋ぞわりとする。
「アンタたち結局、付き合ってんの?」
その件については佐藤もぼやかして話していたはずなのに、鋭い緑さまにはそんなことは通用するわけもなかったらしい。
「えー!!さとちんとのどが!!?」
きゃっきゃとする鞠に、佐藤が「いや、まってまだっ……!!」と墓穴を掘る。
あぁ、おばか。
それじゃこれからそうなるみたいな言い方じゃないか……まぁ私が受け入れてしまえばきっと、そうなるんだなとは、思うけど。
「まだ、ねぇ。ふぅん?面白いことになってんじゃない」
私の隣に座っていた緑が、ふと私の肩を抱き寄せてくるので、私はそのイケメンにドキリとしてしまう。
今日も今日とてイケメンな緑さまだ、負けてしまいそうだぞ佐藤。
「ほら、アンタがのろのろしてたら私がとっちゃうからね?」
「なんでだろう……緑になら仕方ないと思ってしまいそう……」
「ちょっ……!!肩!肩離してよ、みどりんずるい!!」
「ズルくないわよ、誰のものでもないんだもの。ねぇ和香?」
その近い距離に、はぅわわわと照れてしまう私の背後から、グイッと肩を強く引かれる。
言わずもがな佐藤である。
「和香はそんな程度じゃ靡かないんですぅー!慎重にいかないと秒で振られるんだからね!?」
「あら、それは全く知らない赤の他人相手の時でしょう?私もアンタも出会った時期は大体同じくらいの頃なんだから選ばれる確率もさして変わらないはずよ」
「みどりんは本気じゃないでしょお!!?」
「さて、どうかしらね」
くすりと笑って佐藤をからかう緑は、とても楽しそうだ。
ただ遊んでいるだけだろう、知ってる。
「のどがモテモテっ!?マリも!マリもモテたい!!」
「鞠はまだ……いいんじゃないかなぁ」
「なんで!?」
そんな鞠は男女関係なく仲良くなれるタイプではあるけれど、本人が友達としてしか接していないのがわかり切っているほど伝わってしまっているので、密かに諦めてしまう人が大半なのである。
動きは可愛いからね、それなりによく思ってくれてる人は一応いるんだよ、本人が気付いてないだけで。
「マリ歌うー!!」
「ちょ、え!?俺も!?」
なんて急にカラオケモードに突入した鞠は佐藤をデンモクの前に引っ張り込んで曲を選んでいる。
そんな二人の姿を見て、また私は自信を無くしてしまうのだ。
二人の歌声が響く中、耳元で緑が囁く。
「羨ましい?」
その視線は、歌う二人の姿をじっと見つめていて、私は少し戸惑ってしまう。
まだ、心が決め切れていないのだ。
好きなのは、自覚したけれど……本当に私でいいのかという不安が付きまとってしまって。
佐藤からもハッキリと好きだと言われた訳でもないし……まぁ言われなかっただろう理由もさっきの『慎重にいかないと秒で振られる』という言葉で納得したけれど。へたれ。
結局は、自分の行いが、自分に返ってきてるのだ。
「佐藤は、私が会ってきた中で一番信頼出来る男だと思うよ。まぁちょっとおバカなところはあるけど」
緑はそう耳元で囁いてくれる。
その声は、もちろん歌っている二人には聴こえていない。
佐藤はちょっと不満そうな顔をしてこちらをチラチラと見ているけれど。
「和香の不安も、わからなくはないんだよ。どうせ釣り合わないとか思ってんでしょう?」
「……緑には、隠せないもんだね」
「二年も一緒にいるんだから、ね。でもさ、和香は私が見て来た視点を知らないでしょう?」
そう首を傾げてこちらに顔を向ける緑に、私も首を傾げる。
そりゃあもちろん、私は緑の視点を見られるはずがないから、知らないけれど。
「自分じゃわからないだろうけどさ、佐藤と関わってどんどん和香は感情を出せるようになっていったの、私たちが一番近くで見てるんだよ」
それは……佐藤も言っていた気がする。
自分では本当に……わからない、けれど。
『和香、自分が話す時に考えすぎて黙ることとか無くなって来てんの、自分で気付いてる?』
私の変化は、自分が思っているよりも周りにはわかりやすかったみたいだ。
「私は、和香をそんな風に変えてくれた佐藤になら、大切な友達を託したいと思える。無理にくっつけたいわけじゃないけどさ」
あの緑が、男をうざったく感じているような緑が、佐藤なら許せるという。
それくらいいい人なのに、やっぱり自分の中では、やっぱり釣り合わないんじゃないかという気持ちが離れてくれなくて、俯いてしまう。
私なんかで、本当に佐藤はいいんだろうか?
佐藤の未来を汚してしまったり、しないだろうか。
「アンタは自信がなさすぎる。私はあんたが可愛いから言うけど、自分の気持ちを認めてあげられないような和香は、私は嫌だよ」
「……っ」
「私は和香が可愛いの。私の可愛い和香をいじめないでちょうだい」
厳しい言葉とは裏腹に、柔らかく頭を撫でてくれる手。
「感情を人と比べない、人の気持ちを勝手に疑わない、自分を否定しない」
そのまま抱え込まれる頭が、緑の胸の中で抱きしめられる。
「和香の本当の気持ちは、どこにあるの?」
抱きしめられた緑の腕の中、服の背中をきゅっと引かれる感触がする。
見えていないのに、その縋るような顔が目に浮かんで、緑の中でクスリと笑ってしまう。
いっちょまえに、彼は嫉妬をしてくれているようだ。
「何、アンタも私の腕の中に入りたいの」
「え!?マリも入りたいんだけど!!」
「アンタはちょっと黙ってなさいよ」
「ひぇっ」
私が体を起こして佐藤を見れば、その顔はさっきよりも不満そうにしている。
緑相手に、そんな佐藤が珍しい。
「和香、連れ出していい?」
「……だって、和香。アンタはどうしたいの?」
柔らかく笑って聞いてくれる緑。
きっとさっきの言葉は緑なりに私の背中を押そうとしてかけてくれた言葉だった。
私が私をいじめないで、感情を比べない、疑わない、否定しない……私の中にある、本当の気持ちは……。
緑に向けて、私は小さく頷いた。
「緑、ありがとう。行ってくる」
立ち上がり、私が佐藤に向き合うと、彼は私の手に手を重ねて、小さく引く。
「残り時間も少ないから、戻ってこなくていいわよー。あとで新作タルトおごってね」
「え!!じゃあさとちん、マリはGOIVAのチョコレートケーキワンホールがいい!!」
「欲張り過ぎじゃない!?……いい、わかった、うまくいったら全部おごる!!」
「やったぁ!!!」
そう返された鞠は大喜びしているけれど、待ってそれ前にお遊びでホームページ見に行った時五千円とか書いてあったやつ……。
どこまでも容赦のない二人に顔を引きつらせながら、私は佐藤に連れ去られていった。
佐藤、その時は私も半分出すからね。
私は佐藤に手を引かれ、カラオケのビルを出る。
家に帰る方向を辿ると、何を思ったのか途中にある公園の前で足を止める佐藤。
そこは、佐藤に初めて男だと暴露された時の、あの公園。
「……あの日の俺、すーごい酔ってたフリしてたけど」
「………………え、あれフリだったの?」
「今日はシラフだから。なんも言い訳出来ないから」
キュッと、優しく手が引かれる。
「和香も、もう逃がさないからね」
手を引かれて足を踏み入れるのは、あの時フラフラとした足取りでギャルの佐藤が入って行った公園。
あの時と違う男の姿で、緊張した面持ちの佐藤氷に促されて、私たちは二人並んでベンチに座る。
夕日の射し込む、オレンジ色の公園の中、私は心にひとつの決心を抱えて、彼の瞳をじっと見詰めた。
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