あやめ祭り~再び逢うことが叶うなら~

柿崎まつる

文字の大きさ
57 / 86
第三章

57. 足袋

しおりを挟む
 宝物のように抱かれて、無意識に相手の肩口に頬をすりよせる。眠りに落ちる直前のような心地よさに身を任せていたが、しばらくして馴染みのある声が耳元で響いた。

ホワン恵嬪様」 
「ディ……ディン内侍?」
「はい。落ち着かれましたか?」
 
 護衛官が苦笑する気配に、血の気が引いた。浩海ハオハイと勘違いして、助けに来てくれたディン内侍に『バカ』だの『遅い』だの言ってしまった。その上。溪蓀《シースン》は、慌てて身を起こす。

「すみません、わたし……っ!」
「問われて返事をしなかったのも、抱きつかれても離さなかったのは拙です。お相子ということで、お気になさらないでください」
「……そ、うですか」

 暗闇で相手の顔が見えないのが良いのか、悪いのか。抱擁が解かれて牢獄の寒さが気になるはずなのに、羞恥心で顔がほてってしかたない。とりもとりあえず、脱がされた足袋を履こうと石床を探るが、なかなか目当てのものは見つからなかった。

「上で女官が、たいそう心配しております。失礼ながら、拙が履かせても宜しいですか?」

 宦官とはいえ、元は男性。足を見せることにためらいはあるが、背に腹は代えられない。

「……お願いできましたら。ディン内侍は、こんなに暗くても視界がきくのですか?」
「陛下を護衛するのに明るい場所とは限りません。と言いたいところですが、拙も物の形がうっすらわかる程度ですよ」

 そう言いながら、丁寧に足袋と靴を履かせていく。溪蓀シースンはその答えに安堵する一方、くるぶしにあたるディン内侍の指先をひんやりと感じた。

「この二人はしばらく目覚めないでしょう。ヤオ家の権力をかさに着て、内侍少監まで上りましたが、それに見合う能力があるわけでもなし。当主が失脚し、地位から引きずり降ろされるのは時間の問題でした。拙の不手際で、ホワン恵嬪様を不快な目に遭わせてしまって申し訳ありません」

 ヤオ内侍少監に足を舐められたショックよりも、ディン内侍に自ら抱き着いた羞恥心のほうが、よっぽど溪蓀シースンの神経を追い詰めている。護衛官は彼女の乱れたかんざしを外すと、手櫛で髪を整え始めた。

ディン内侍の不手際などとは、思ってはおりません。助けて下さって感謝しております。ただ、ヤオ内侍少監に強く妬まれておいででしたね。心中お察しします」
ヤオ家はもともと武門で政界では新参です。拙の実家は一応古い文門ですから、そのあたりもあったのでしょう。浄身した身で、家名にこだわるなど愚の骨頂です。挙句に、拙へのうっぷんを晴らすために、ホワン恵嬪様を狙ったのは許しがたい」
「わたし? わたしに狼藉を働くことで、どうしてディン内侍への仕返しになるのですか?」

 溪蓀シースンが首をかしげると、無言でかんざしの束を握らされる。

ディン内侍?」
「失礼いたします」
「あっ」

 背中と両膝をすくわれたと思うや、身体が浮遊する。足元がおぼつかないとはいえ、自分は千花チェンファほど小柄ではない。それなりに体重はあるのだ。溪蓀シースンは、羞恥心を紛らわそうと口を開く。

「わたしを告発する匿名の文書が、届いていたそうですね」

 石床に響く足音は止み、ディン内侍のため息が彼女のひたいにかかった。

「匿名ですが、誰の仕業かはわかっています」
「やはり、ヤオ家の陰謀なのですか?」
「いいえ。しかし、あなたをゆだねるにたる男か、拙にはとうてい思えなかった。それゆえ、なかなか行動に移すことができませんでした」
「行動に移す? 何をですか?」

 視界の利かぬ状況で、必死にディン内侍の表情を読もうとしたができなかった。護衛官は、ふふっと寂しそうに息を吐いた。

「さきほど確信しました。あなたのお心は少しも動いていない。拙の見極めなど必要なかったのですね」
「……何の話をされているのですか?」
ホワン恵嬪様も、すぐに分かりますよ」

 階段の途中から日が差してくる。地上へ上がれば、そこは疑わしい人間に罪を自白させるための広場。溪蓀シースンは何気なく置かれた木の椅子に黒い染みを見つけて、ゾクッとする。地面に降ろされると膝が笑って、姿勢を正すのにいつもより労力を使った。

轎子かごを準備させました。御沙汰が出るまで、ホワン恵嬪様は英明インミン宮をお出になりませぬよう、陛下からのご命令でございます」
「わかりました。ディン内侍にもご足労をおかけします」

 もとはといえば、溪蓀シースンが男物の深衣を隠し持っていたことが原因だ。自分は姦淫の罪に問われて、牢屋に連れ戻されるかもしれない。
 箱型の轎子きょうしの横には四人の担ぎ手と女官が控えていた。溪蓀シースンの頭髪を見て卒倒しそうな女官に詫びながら轎子きょうしに乗ると、ゆっくりと視界が高くなった。
 
――わたしはこれからどうなるの?

 金赤の壁はいつもより低く感じたが、依然として外廷はうかがえない。果てのない蒼天が広がるだけ。溪蓀《シースン》は寄る辺なく、先行きの見えない状況を心細く感じていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

4番目の許婚候補

富樫 聖夜
恋愛
愛美は家出をした従姉妹の舞の代わりに結婚することになるかも、と突然告げられた。どうも昔からの約束で従姉妹の中から誰かが嫁に行かないといけないらしい。順番からいえば4番目の許婚候補なので、よもや自分に回ってくることはないと安堵した愛美だったが、偶然にも就職先は例の許婚がいる会社。所属部署も同じになってしまい、何だかいろいろバレないようにヒヤヒヤする日々を送るハメになる。おまけに関わらないように距離を置いて接していたのに例の許婚――佐伯彰人――がどういうわけか愛美に大接近。4番目の許婚候補だってバレた!? それとも――? ラブコメです。――――アルファポリス様より書籍化されました。本編削除済みです。

簒奪女王と隔絶の果て

紺乃 安
恋愛
穏やかな美青年王子が、即位した途端に冷酷な王に変貌した。そしてそれが、不羈の令嬢ベアトリスの政略結婚相手。 ポストファンタジー宮廷ロマンス小説。 ※拙作「山賊王女と楽園の涯」の完結編という位置づけでもありますが、知らなくとも問題ないよう書いてあります。興味があればそちらもお読みください(ただしずいぶんジャンルが違い、とても長いです)。

男装騎士はエリート騎士団長から離れられません!

Canaan
恋愛
女性騎士で伯爵令嬢のテレサは配置換えで騎士団長となった陰険エリート魔術師・エリオットに反発心を抱いていた。剣で戦わない団長なんてありえない! そんなテレサだったが、ある日、魔法薬の事故でエリオットから一定以上の距離をとろうとすると、淫らな気分に襲われる体質になってしまい!? 目の前で発情する彼女を見たエリオットは仕方なく『治療』をはじめるが、男だと思い込んでいたテレサが女性だと気が付き……。インテリ騎士の硬い指先が、火照った肌を滑る。誰にも触れられたことのない場所を優しくほぐされると、身体はとろとろに蕩けてしまって――。二十四時間離れられない二人の恋の行く末は?

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

森でオッサンに拾って貰いました。

来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
アパートの火事から逃げ出そうとして気がついたらパジャマで森にいた26歳のOLと、拾ってくれた40近く見える髭面のマッチョなオッサン(実は31歳)がラブラブするお話。ちと長めですが前後編で終わります。 ムーンライト、エブリスタにも掲載しております。

わたしのヤンデレ吸引力が強すぎる件

こいなだ陽日
恋愛
病んだ男を引き寄せる凶相を持って生まれてしまったメーシャ。ある日、暴漢に襲われた彼女はアルと名乗る祭司の青年に助けられる。この事件と彼の言葉をきっかけにメーシャは祭司を目指した。そうして二年後、試験に合格した彼女は実家を離れ研修生活をはじめる。しかし、そこでも彼女はやはり病んだ麗しい青年たちに淫らに愛され、二人の恋人を持つことに……。しかも、そんな中でかつての恩人アルとも予想だにせぬ再会を果たして――!?

俺様御曹司は十二歳年上妻に生涯の愛を誓う

ラヴ KAZU
恋愛
藤城美希 三十八歳独身 大学卒業後入社した鏑木建設会社で16年間経理部にて勤めている。 会社では若い女性社員に囲まれて、お局様状態。 彼氏も、結婚を予定している相手もいない。 そんな美希の前に現れたのが、俺様御曹司鏑木蓮 「明日から俺の秘書な、よろしく」 経理部の美希は蓮の秘書を命じられた。     鏑木 蓮 二十六歳独身 鏑木建設会社社長 バイク事故を起こし美希に命を救われる。 親の脛をかじって生きてきた蓮はこの出来事で人生が大きく動き出す。 社長と秘書の関係のはずが、蓮は事あるごとに愛を囁き溺愛が始まる。 蓮の言うことが信じられなかった美希の気持ちに変化が......     望月 楓 二十六歳独身 蓮とは大学の時からの付き合いで、かれこれ八年になる。 密かに美希に惚れていた。 蓮と違い、奨学金で大学へ行き、実家は農家をしており苦労して育った。 蓮を忘れさせる為に麗子に近づいた。 「麗子、俺を好きになれ」 美希への気持ちが冷めぬまま麗子と結婚したが、徐々に麗子への気持ちに変化が現れる。 面倒見の良い頼れる存在である。 藤城美希は三十八歳独身。大学卒業後、入社した会社で十六年間経理部で働いている。 彼氏も、結婚を予定している相手もいない。 そんな時、俺様御曹司鏑木蓮二十六歳が現れた。 社長就任挨拶の日、美希に「明日から俺の秘書なよろしく」と告げた。 社長と秘書の関係のはずが、蓮は美希に愛を囁く 実は蓮と美希は初対面ではない、その事実に美希は気づかなかった。 そして蓮は美希に驚きの事を言う、それは......

処理中です...