タビスルムスメ

深町珠

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思い出

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愛紗が9号室に戻ると
「着替えたーい、お風呂入りたーい」と、友里恵。

「お風呂は無いな。シャワーが付いてる列車はあるけど。」と、愛紗。

「愛紗は?」と、由香。

「東京で入ってきた。」


「準備がいいなぁ」と、友里恵。

「キミが無計画だからだろ!」と、由香。


そっか、と
友里恵は笑う。


「そんな時、どうするの?」

愛紗は「個室だから、体を拭くくらいは出来るけど・・・。」
そんな経験はない。

冷房が効いているから、もある。

友里恵は「じゃ、そうするか」と、ベストを脱ごうとしたから

「自分の部屋で脱げ!」と由香。


友里恵は「ベスト脱いだだけじゃん。何考えてんの?いやらしー。」


「キミの裸は見てるよ!」と、由香は笑って。「想像するかい。高校生じゃあるまいし。
大体女の裸なんて」


「そういう趣味もあるじゃん」と、友里恵。


「そりゃ、あるけどさ・・・。岩市みたいな?」と、由香。


「前の所長の?」と、愛紗。

記憶がある。

その、子分の営業の男が、愛紗に言い寄ってきたのを
整備士の石川が助けてくれたんだった。

石川は、別に愛紗に好意があった訳でもない。

その石川の男らしさに、愛紗の親友、菜由が心を動かした・・・。


由香は「そうそう。タマちゃんに色目使ったとか言ってたけど。
まあ、あれは私が見るに、単に可愛がってたってだけみたいね。」


友里恵は「なんとなく、可愛いものね。タマちゃんって。」



三人の乗った寝台特急「富士」は
雨の東海道本線をゆっくり下っている。
遅れは2時間ほど。


「可愛がってたの?」と、愛紗。


「そう。だから、因縁つけたりいじめたりって。よくあるでしょ?そういうの。」
と、由香。


「災難だなぁ」と、愛紗。


「愛紗だって」と、由香。


「まあ・・・だからかな、みんな、ガイドは誰かに助けてもらいたかったのかな。」
と、愛紗。


「そうかもね。あたしはバイトの頃からだけどさ。そういうのは無かったな。
なんとなく、ふんわりするのね。あの人といると」と、友里恵。



由香は「それはあるねー。」と、頷く。


列車は、ゆっくりゆっくり。

「今、どこらへんだろ」と、由香。


「・・・・豊橋の辺りじゃない?まだ、浜松から停まってないもの」と、愛紗。


「そっかぁ。着くのかなこれ、ほんとに」と、友里恵。


「それは雨次第」と、由香。



「ふーん」と、友里恵はちょっと退屈そう。


「まあ、飽きると思ったけど」と、由香。



「そう?」と、友里恵。


「だって刺激ないもん。」と、由香。

「そこがいいんだけどね。時間旅行みたいで。TVも無い時代に行ったみたい。」と
愛紗。


「そっか。じゃ、寝るかな」と、友里恵。

「突然だなぁ」と、由香。


「だって疲れちゃった」と、友里恵。


「そうだよね。あたしも。愛紗は本社で研修だったんでしょ?」と、由香。


「うん。でも、あんまり気が入んなかった」と、愛紗。


「そーだよねー。だって、辞めるつもりじゃ」と、友里恵。


「辞めるのは、どっかに受かってからの話しでさ、それまでは
九州のどこかに転勤するんでしょ?」と、由香は尋ねる。


愛紗は「・・・うん。まだ考えてないけど、大分の伯母さんの所に
住んで、由布院か、あの辺りのコミュニティバスに乗れればいいなって
思うけど・・・。でも、鉄道の願書出すんなら微妙ね。」と。


由香は「どうして?あ、そっか。大岡山のみんなに気兼ねして。
そんなの気にしなくていいと思うよ。ほんと。」

友里恵は「そーだよぉ。絶対!それに、有馬さんも野田さんも。そんなケチな男じゃないよ



そうでなきゃ、転勤させるなんて考えないよ。
大岡山だってドライバーは不足なんだもん。」



愛紗は「うん。分かってるつもりだけど。だから、却って思い遣りが辛いの。」



由香は「なーるほど。愛紗、優しいから。でもね。タマちゃんが辞める時もね
『他で働ける奴はそっちへ行け。この仕事、望んでやる程のものじゃない』って

野田さんも言ってた。 でも「帰りたかったらいつでも帰って来い」って。」


「そうなんだ・・。」と、愛紗。





「だから、時々タマちゃん来るでしょ?営業所に。
気にしてるのよ。みんな、いい思い出だから。」と、由香。



・・・わたしの事も、思い出なのかな。

なんて、愛紗は思った。


淋しいんだか、嬉しいのか。
よくわからない気持だった。
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