禁忌

habatake

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中編

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「先生、着きました」

夕方の5時くらいだったが、9月ということもあって外はまだ明るい。
田村の家は学校から20分ほど歩いた所にあった。
以前家庭訪問で一度訪れた事があったのだが、なんの違和感もない家の中だったし、場所を覚えていないほど印象に残るものはなかった家だ。
今もこうして見上げているが、木造二階建ての平凡な家屋だ。

ーガチャリ

「どうぞ」

田村が玄関のドアを開け、私はその後ろから玄関へと入っていった。

「父も母もまだ仕事から帰ってないようです。このまま2階へ上がりましょう」

2階へと上がる階段がすでに目の前に見えている。
田村は靴を脱ぎ、階段を三段ほど登った。

「では失礼する」

私も靴を脱ぎ、階段に足を掛けていった。

キシィ…

キシィ…

2階までは十段ほどある。
一段ごとにきしむ音を出す階段だ。
そしてもうすぐ登り切るといった所で、上から二段目の階段が抜けているのに気づいた。


確か階段の床が抜け落ちたと言っていたな…
これのことか
よく見ると周りの床や壁にも幾つかの傷がある
不意に滑ったりした時に引っ掻いたりするような跡だ
家から出れない…
本当なのか…


階段を登り切ると、二つのドアの前に立った。

「正面が私の部屋で、この部屋が兄の部屋です」

田村はそう言って左側のドアを指差した。

「ああ、じゃあ入ろう」

私が頷くと、田村はドアノブに手を掛けそっと回した。

カチャリ…

静かにドアが開き始めると、六畳ほどの部屋が少しずつ見えてきた。

部屋の壁は茶色の板が貼られた意匠物。
天井には照明が一つぶら下がっていて、豆電球が点灯している。
テレビ、本棚、物入れ、小さなテーブル。
テレビの前に投げ出されたようにゲーム機。
至って普通の部屋だ。
そして正面の奥にカーテンが開いた窓があり、窓の下には低いベッド。そのベッドの上に、布団を掛けて背中を向けて寝ている男性がいた。

「兄さんか?寝てるようだな」

私は低い声で言った。

「はい。入ってみましょう」

私と田村は静かに部屋へ入っていった。
キョロキョロと周りを見ていると、テーブルの上に日記帳があるのに気づいた。

「田村、日記帳があるぞ。帰ってきた日の日記は読んでみたのか?」

「はい、もちろん読みました。でも仕事の事を少し書いてただけで他には何も…それよりどうですか先生…何か感じたりするものはありますか?」

「ううむ…」

そう聞かれたものの、全くない。
最初の話からすれば、薄暗い部屋に邪気が渦巻いているような印象だと勝手に思いこんでいたが、そんなものはやはり映画の中だけのようだ。

「悪いが特に何もないな。兄さんを起こしてみてもいいか?」

「はい、いいですけど…無理に部屋から出そうとすると、おそらく兄は怪我します。話を聞いてみてからの方が…」

「そうだな。まずは話を聞いてみよう」

私は兄が寝ているベッドへ近づいていった。

スー…スー…

寝息が聞こえる。まだ眠っているようだ。

「田村、兄さんの名はなんていうんだ?」

みのるです。田村稔」

私は稔の側まで寄り、そっと顔を覗き込んだ。
横顔だけだが、面長に黒髪のスッとした顔立ちをした普通の青年だ。顔色も悪くはない。異常な渦中にいる人間とは思えない顔だ。
私は稔の肩を軽くポンポンと叩き、彼の名を呼んだ。

「稔君、稔君」

すると稔はゆっくりと目を開けた。

「お休みの所すみません。私、土居高校で教師をしている新堂という者です。妹の真由美君の担任でもあります。ちょっとお話を聞きたいのですが、よろしいですか?」

そう話し掛けると、稔はこちらを向くこともなく、瞬きもせず目を見開いたまま一点を見つめ続けていた。

「………」


困ったな…
なぜ声のする方を見ないんだ
目を開けたなら聞こえているはずだ
なぜ振り向かない


すると、稔が急に口をパクパクと動かし始めた。

「え?何ですか稔君」

私は稔の口元へ自分の耳を近づけた。

『困ったな。なぜ声のする方を見ないんだ。目を開けたなら聞こえているはずだ。なぜ振り向かない』

「なにッ!」

私はゾッとしてベッドから転げ落ちた。

「どうしたんですか先生!」

「今、稔君が喋った!私が心に思った事を、一文一句違わずに喋ったぞ!なんなんだ!」

「えっ!?何を喋ったですって!?」


パラパラパラパラ…


「ハッ…」

その時、テーブルに置かれている日記帳が風もないのにパラパラと捲れ始めた。

「なんだと!おい田村見ろ!日記帳が勝手に開いているぞ!」

パリンッ!

同時に田村の頭上にある豆電球が突然割れた。

「キャア!」

パリパリッ

割れた破片が田村の顔に飛び散った。

「痛っ…」

「田村ッ!」

私は持ってきた鞄を開け、中からおふだを取り出した。お札の効力など信じていなかったが、今の一連の異常な現象に対してこれ以外に考えつくものがなかったのだ。


ガバッ!


その時突然ベッドの上の稔が上半身を起こし、ゆっくりとこちらに振り向き始めた。
その顔は先程までとは別人であり、顔面は真紫に変色し、目は昼間のネコの様に細く縦に割れていた。


『クアアアァ…』


稔は口を開け、人間とは思えない様な声を出した。

「うおおッ!こッ…これは!」

「キャアアァ!」

私も田村も悲鳴を上げて後退りすると、私はテーブルにつまずいてその場に尻もちをついた。

グキリッ

「ウッ!」

床に手を着いた拍子に私の左手首が捻り、激痛が走った。そして倒れ込んだ私の目の前に、開いたままの日記帳が落ちてきた。

バサッ…

"9月16日金曜日
今日も隣町までの開拓作業の続きをする。道を作るための伐採で、朝から赤星山のふもとにある木を切った。見たこともない大木で、とても疲れた。"


「ハアッハアッ…大木…」


ガタッ…


その時、両足を床に下ろした稔がその場に立ち上がろうとしていた。

『真由美ィ…助けてくれぇ…』

寒気が走るようなしゃがれた声で稔が喋った。

「ひぃっ…」

田村は震え上がり、部屋から出ようと慌ててドアノブを回した。

ザクリッ

「痛ッ!!」

田村は突然右手を押さえ込み、その場にうずくまった。押さえた右手からは、大量の血がボタボタと流れ出ていた。

「なにッ!大丈夫か田村!」

「なっ…なんで…?ドアノブの金属がめくれて尖ってる…昨日はなんともなかったのに!」

バキバキッ!

今度は稔の方から突然大きな音がした。
振り向くと、立ち上がろうとしていた稔のベッドの足が折れ、稔はバランスを崩してテレビの方へ倒れ込み始めていた。

ガンッ!

稔はテレビの角へ頭をぶつけ、額から大量の血が噴き出し始めた。


なっ…なんだこれは!
次々と怪我をしていく!


「先生ッ…」

ズルリッ

ドスンッ!

私に近づこうとした田村は、自分の血で足を滑らせその場に転倒した。

「田村ッ!」

「ううっ…」

「もうそれ以上動くな!理解できないことが起こり続けている!」


『真由美ィ…』


「ハッ…」

振り向くと、顔面血だらけになった稔が私達の方を向いて立っていた。

「こっ…こいつは一体…!」

稔が足を一歩踏み出すと、今度は床にあったゲーム機を踏んだ。

グラリッ…

ゲーム機を踏んだ稔の足首は捻り、側にあった小棚へと稔の体は傾いた。

ガシャン!
ガシャガシャッ!

稔は小棚の上に倒れ込み、小棚ごと転倒し始めた。
倒れ始めた小棚の引き出しは次々と開きだし、中から文房具がバラバラと床に散らばっていった。落ちていくペンや定規が、偶然にも立つように床に着地した。

ドスドスドスッ

「ウッ…」

その立った文房具の上に、稔は腹から倒れ込んだ。

「うおおおお!」

私は咄嗟に握っていたお札をかざして稔へ突進した。
この怪奇な現象にお札が効くかどうかなんてわからない。だが私に出来ることは今これしかなかったのだ。

バシィッ!

私は稔を仰向けにし、顔面にお札を叩きつけた。

「ハアッ…!ハアッ…!」

稔は目を開いたまま動かない。
お札が効いたのか?
それとも腹部に刺さったペンや定規の傷で気を失っているのか?

「先生ッ!兄はどうなってしまったんですか!それにその顔はーー」

「わからない!そこを動くなよ田村!動けば動くほど怪我をする!私もどうしていいかわからない!このお札が効いているのかどうかもー」


ガシイッ!


「うぐっ!?」

稔の手がいきなり私の首を掴んだ。


『クワアアアァ…』


魔物のような顔をした稔がまた動き始めた。


ぐお…お…
やはりお札など効かない!


私は思わず両手で稔の腕を掴んだ。
するといつの間にか左手にゲーム機のコードが絡まっており、コントローラーが私の顔面目がけて飛んできた。

ガンッ

「うっ!」

コントローラーが私の目に勢いよく当たった。


ぐっ…

これは一体なんなのだ
偶然の様な些細な出来事でどんどん体が傷ついていく
稔が起こしている現象なのか
だが稔自身も傷ついている
そしてこの稔の顔
すでに人間ではない
日記に大木を切ったと書いてあった
まさか大木を切ったことが関係しているのか?

大木…


大木……


ハッ…


わ…わかったぞ

あの大木は神木しんぼくだ!
この男は神木を切り倒したのだ!

祖父の話で聞いたことがある
何百年も生きている大木には魂が宿ると
そしてその木は神木となり、悪鬼羅刹を封じ込めると

もう信じるしかない
神木から出た魔物が稔に取り憑いているのだ
そして稔に出ているこの顔
これはおに
鬼はわざわいの化身
不幸を運んでくる
稔に取り憑いた鬼が禍をばら撒いているのだ
私達は部屋に閉じ込められているわけではない
降り注ぐ禍によって動けないのだ
それは取り憑かれているこの稔さえも影響を受けている

しかしなぜ稔が…
1人で切り倒したはずがない…

ハッ…

稔は25歳

25歳は男の厄年やくどし
厄は禍を引き寄せる
だから稔に取り憑いたのか
そして鬼の顔が出たということは、稔はすでに支配されている

まずい!
このままだと災禍さいかの連鎖で全員が死ぬ!


グググッ…

稔の手の力がさらに強まった。

「うおぉ…息が…」


だっ…駄目だ…
知ったところで私に何が出来るというのだ
鬼は地獄の使者
人智の及ぶ存在ではない
この部屋に入ったこと自体がすでに…

災…禍…


意識が薄れ始めたその時、私は無意識に床にばら撒けていた文房具のひとつを拾った。拾ったのはカッターナイフだった。


スパッ…


意識が途切れる寸前、私はそのカッターナイフで自分の左手首を切った。


ブシュウッ…


手首から吹き出た血が、稔の顔に飛散した。


『グッ…グオオオオオッ…!』


その瞬間、私の首を掴んでいた稔の手が緩んだ。

「ぶはあっ」

私は床に倒れ込んだ。



「先生ッ!」






























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