背きの秘事

千木

文字の大きさ
1 / 12

1話

「あぁ、つまらない」

 マリア像を見上げて、セイは呟く。
 夜の礼拝堂はひっそりとしていて、セイ以外には誰もいない。聴き心地の良い透き通った声で吐かれた小さな悪態は、響くことなく静寂の中に消えていった。
 修道服を身に纏い、大きなステンドグラスから差し込む月光を浴びたその姿は、男性と言えど美しいと形容して間違いないのに、その顔は言葉通り不服そうで、視線の先にある聖母に興味の一つも無かった。

「つまらない。貴方の御許はあまりに」

 再度、先程より大きな声で繰り返す。高い天井に少しだけ響いて、やはり静寂に溶けていく。聖職者にあるまじき台詞は、教会の人間が通りかかろうものなら卒倒させかねなかったが、こんな時間に誰も来はしない。
 彼の左手には背丈に近しい大きな十字架が握られており、それには血液とも呼び難い黒い液体が付着している。皆が皆就寝している夜中に、《任務》の帰りを待つ者はいないのだ。だからそれを良いことに、セイは自室に戻る前に此処に立ち寄っては、神を不満の捌け口にする。普段出すことのない言葉を紡ぐ。罰当たりだと叱咤する声は無い。咎める人間もいない。聞いているとすれば、神だけだが。

「いませんもの。貴方は」

 セイはこの教会のシスターだ。此処では男のシスターは珍しくなく、むしろ女性の方が圧倒的に少数だった。
 元々は親戚にたらい回しにされていた際、歌が上手かったことで、聖歌隊として半ば無理矢理押し込まれたのがきっかけで此処に来た。今までの経験から培った思考では、神を崇め、神に誓うことは出来なかったが、自分の存在を億劫に思う人間たちの間にいるよりは幾分もマシだと、セイは偽りの修道士になることを決めた。
 此処は潤沢な衣食住の全てがある。礼拝に訪れる信仰者を笑顔で導き、美しい歌声で聖歌を歌い、任務と称した《人間を脅かす化物の駆除》を粛々と行えば、人から慕われる。多少の危険はありつつも、代わりに不自由のない生活を約束されているのだから安いものだ。生きるための職をこなしているだけに過ぎない。
 過ぎないのだけれど。

「つまらない」

 セイの口からは、同じ言葉しか零れない。セイにとって聖職者としての職務は全て薄っぺらく、興味を持つに値しないのだ。だって、彼は神を信じていないのだから。
 生きているうちに、神が何をしてくれるだろう?来世や死後に救われるなんて馬鹿馬鹿しい。今の命は、次への履歴書などではない。この命を生きることこそ、人間である所以ではないのだろうか。
 教えを受けるほど、人の信仰を目の当たりにするほど、神はただ現実逃避ゆえの幻影に見えて仕方がなかった。そして、それを信じることでしか生きられない人間の弱さを侮蔑した。
 しかしそれは、全て胸の内に収めてある。セイは生きる為に此処にいるのだ。わざわざ不自由のない生活を捨てる必要は無い。幸い、セイの「本心を隠す」能力は目を見張るものがあった。素行は至って良好だし、聖歌は褒め称えられ、涙を流されることさえある。セイは《人当たりが良く、神直々に歌声を与えられた、手本のようなシスター》なのだ。

「人間が、如何に何も見ていないのかがわかりますね」

 十字架をくるりと回して、床に立てる。付いた液体は硬化していて、洗い流すのが面倒だと眉を顰めた。

「あの生き物から見れば、私は相当怖いものだったろうに」

 自分や周りを守る為という、人間のエゴでしかない理由で駆除されたあの化物は、どういった気持ちで最後を迎えたのだろう。もっとも、奴らに人間のような感情があるかはわからない。奴らはまだ謎が多く、ただし人を襲い命を脅かすことだけは確かだから、こうして夜中に排除を繰り返している。その中で命を落とした同僚は、ヒーローとして悼まれていった。

「何から何まで、くだらないこと」

 そして一つ、息を吐く。不満の言葉が途切れ、口が閉じられた。
 もう良いだろう。就寝時間は確保したいし、そもそもそこまで長居したくもない。ただ自分の思考を再確認して、しかしそれを決して表に出さないようにするために吐き出したいだけ。夜更けの、敷地内の端にある小さな礼拝堂であれば、誰かに聞かれることもない。そして、自分は信じていないが……もし万が一、神がいるならば、悪態の一つでも吐こうなんて悪戯心からのセレクトだった。
 ……だったのだ。

「ッ、」

 ふと、人の気配がして振り返る。開け放ったままの扉の元に、見知った顔があった。こんな夜中なのに服装は普段通りで、その顔には……やはりいつも通り、目元を覆う包帯が巻いてあった。

「セイ」
「……これは、神父様。ご機嫌麗しゅう」

 若干の戸惑いを声音に出すことなく、セイはわざとらしく一礼する。口元にうっすらと微笑みを浮かべる神父だが、顔の半分が白い布で隠れた彼の表情は、普段からよくわからなかった。盲目ゆえらしいが、特に補助もなく神父のつとめを全うしているところを見るに、本当に見えていないのか疑うほどだった。今も、何の迷いなくセイの名を呼んだわけであるし、顔の位置や身体の向きはしっかりセイに合っている。彼の評判はセイ以上に高く、盲目だろうがなかろうが、彼は聖職者として、人間として出来ているのだろう。
 それはともかくとして、セイはあくまで心の揺らぎを悟られないよう、平常を繕って問いかける。

「こんなお時間に何を?」
「君は?」
「質問を質問でお返しになるなんて、意地の悪い。私は先程、戻ってきたばかりですよ」
「そう。施錠をするから、自室に戻りなさい」
「はい」

 神父は特に何も言ってこなかった。聞かれたか否かをわざわざ無作為に問うのも良くないと、セイはそのまま神父の横を通り礼拝堂から出る。その後ろで鍵を掛ける手元はやはり流暢で、盲目なことをうかがわせない。

「では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」

 神父の言葉に短く返して、セイは自室へ歩き出す。最後まで神父は何かを言っては来なかった。彼の普段の様子を見るに、もし聞かれていたならばすぐにでも説教が飛んでくるだろう。説教で済むかは、はてさてわからないが。
 追ってくる様子もない。聞かれていなかったか、と少しだけ安堵する。わざわざ問題を起こして、この場所から追い出されたいわけではないのだ。次からは気をつけようと、場所を考えようと、そこまで思考して、セイははたと立ち止まる。

「(施錠?いつもあの礼拝堂は鍵など掛かっていなかった筈……)」

 夜中、セイが訪れる時も、出ていく時も、施錠されているのを見たことはない。そもそもあの礼拝堂を含め、敷地内の建物は基本的に鍵など掛けない筈なのだ。外門のセキュリティは万全で、それ故に安心だからというのと、任務の際に毎回開け閉めする手間を省くためだと聞いている。
 だから、施錠というのは?

「……!!」

 セイは踵を返す。僅かに焦りを浮かべて、礼拝堂へ。
 そこには、閉じた扉をに背を預けた神父がいた。

「あぁ、やはり君は賢いね」

 思わず顔を引き攣らせたセイに構わず、神父は言葉は続ける。

「施錠の無意味さを考えたら、俺の行動は不自然だものね。戻って来なければ、先程聞いた言葉をそのまま主任神父にお伝えしようと思っていたのだけれど」
「……」
「少し話そうか。マリア様の御前で何をしていたのかを」

 にっこりと笑んだ神父からは、怒気も何も感じられない。その声音はただ穏やかで、どのような感情を以って自分に接しているかがまるでわからない。彼の言う通り、上に報告してしまえばセイは背神により説教、或いは厳重注意、最悪追放されるのだ。なのに何故……実に不穏だったが、今のセイに拒否権は無い。施錠したばかりの鍵を開けると、神父は扉を開き、セイを手招いた。

「あまり時間はとらせないから、おいで」
「……、はい」

 教えを説くつもりだろうか。わざわざそれをする必要性を感じないが……彼の意図はわからない。

「(そもそも、彼は何故この時間に此処にいる?)」

 それを知るためにも、今は言うことを聞くしかないだろう。誘われるがままに、礼拝堂に戻る。
 その扉を、神父が後ろ手に閉めた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

恋人に好きな人が出来たと思ったら、なにやら雲行きが怪しい。

めっちゃ抹茶
BL
突然だが、容姿も中身も平凡な俺には、超絶イケメンの王子と呼ばれる恋人がいる。付き合い始めてそろそろ一年が経つ。といってもまだキスもそれ以上もした事がない健全なお付き合い。王子は優しいけど意地悪で、いつも俺の心臓を高鳴らせてくる——だけどそれだけだ。この前、喧嘩をした。それきり彼と話していない。付き合っているのか定かじゃない関係。挙句に、今遠目から見つけた王子の側には可憐な女の子。彼女が彼に寄り掛かって二人がキスをしている。 その瞬間、目の前が真っ黒になった。もう無理だ。俺がスイッチが切れたようにその場に立ち尽くした、その時だった。前にいる彼から聞いたこともない怒声が俺の耳に届いたのは。 ⚪︎佐藤玲央……微笑みの王子と呼ばれ、常に笑顔を絶やさない。物腰柔らかな姿勢に男女問わずモテる ⚪︎中田真……両親の転勤で引っ越してきた転校生。平凡な容姿で口が悪いがクラスに馴染めず誰とも話さないので王子しか知らないし、これからも多分バレない ※全四話、予約投稿済み。 Rは書こうか悩み中です。本編に攻めの名前が出てこないの書き終わってから気が付いた。3/16タイトル少し変更しました。

繋ぎの婚約を契約通り解消しようとしたら、王宮に溺愛軟禁されました

こたま
BL
エレンは子爵家のオメガ令息として産まれた。年上のアルファの王子殿下と年齢が釣り合うオメガ令息が少なく、他国との縁組も纏まらないため家格は低いが繋ぎとして一応婚約をしている。王子のことは兄のように慕っており、初恋の人ではあるけれど、契約終了時期か王子に想い人が現れた時には解消されるものと考えていた。ところが婚約解消時期の直前に王子宮に軟禁された。結婚を承諾するまでここから出さないと王子から溢れるほどの愛を与えられる。ハッピーエンドオメガバースBLです。毎日18時50分公開予定です

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です

ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。 理由は不明、手紙一通とパン一個。 どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。 そんな理由でいいのか!? でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適! 自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない! ……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?【高瀬陸×一ノ瀬湊 編】

綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。 湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。 そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。 その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。

出戻り王子が幸せになるまで

あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
初恋の相手と政略結婚した主人公セフィラだが、相手には愛人ながら本命がいたことを知る。追及した結果、離縁されることになり、母国に出戻ることに。けれど、バツイチになったせいか父王に厄介払いされ、後宮から追い出されてしまう。王都の下町で暮らし始めるが、ふと訪れた先の母校で幼馴染であるフレンシスと再会。事情を話すと、突然求婚される。 一途な幼馴染×強がり出戻り王子のお話です。 ※他サイトにも掲載しております。

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。