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5話
「噛まれただけで良かったな。食いちぎられるかと思ったけれど」
「下手な冗談はよしてください。このままでは失血死は免れませんよ」
墓石に背中を預け、笑みを浮かべてみせるレンの、そのぎこちない表情に苛々を隠そうとはしないまま、セイはなんとか止血を試みる。傷はかなり深い。とにかく最善の手当てをすること、焦燥に駆られる自分の心を落ち着かせることに集中した。
「貴方の目が見えなくて良かったと、今は思います」
「……」
自身の不甲斐なさから怪我をさせてしまった動揺は、しっかりと顔に出てしまっているだろうから、それが見られなくて済んだと。言葉や動作でとっくにばれているだろうが、せめてこんな情けない顔は見られたくなかった。
出来るだけの処置はした。あとはすぐに教会に戻り、医療班に治療をお願いするほかない。担いで降りようとレンの身体に手を添える。
「駄目だよ」
「は?」
「月、無いでしょう」
指さしたレンにつられて顔を上げる。空には分厚い雲が敷き詰められ、唯一の光源である月を覆っていた。そこでやっと、必死だったばかりに気づかなかった視界の悪さを認識する。いくら来た道を戻るだけとはいえ、まるで先の見えない状態で山林を歩くのは自殺行為だ。普段は多少その場で休むなりしていれば良いのだが、緊急を要する今は邪魔でしかない。先ほどまで無かった筈の雲に、たまらずセイは舌打ちする。
「こんな時に……!」
「あと何時間かすれば、日が登り出すよ。それまで、此処で待とうか」
「悠長なことを言っていられるような傷ではないんですよ。ご自分の身体のことくらいわかるでしょう」
「君、本当に優しいよね」
「何を言って……」
「大丈夫だから。とりあえず落ち着いて?」
「……、はぁ……」
宥めるような穏やかな声。拍子抜けしたセイは、大きく溜息を吐いてレンの隣に座り込んだ。レンの言うことはごもっともで、今はなんとか耐えるしかないのだ。口煩くしたところで事態は好転しない。しかしここまで冷静だと、ある心配がよぎる。
「……生きる気が無い、なんてありませんよね」
「まさか。君にそんな十字架を背負わせる気はないよ」
「そう、ですか」
今度は安堵で息を吐く。「死んでもいい」なんて考えは無さそうだ。理由が少し不穏だが、今は触れないでおく。
「聞かないの?色々と疑問があると思うけれど」
レンは顔をセイの方に向けた。月のことといい、本当は見えているのではないかと幾度目かの疑いをかけつつ、しかしすぐに無意味だと頭を振って、レンに向き合った。
「聞きたいことは多々ありますが、今はいいです。喋る体力があるなら温存してください」
「話す内容はなんでもいいのだけれど……何かしていないと、痛みで意識が飛びそうで」
「……」
暗い視界でも、近い距離にいるレンの顔は見える。脂汗が浮かび、呼吸は浅い。セイは眉を顰め、ぐっとレンの肩を引き寄せると、そのままゆっくりと自身の膝の上に横たわらせる。きょとんとした顔をしたレンに構わず、彼の右手をとって支えるように上げさせた。
「セイ?」
「患部を心臓より上にするのは、必要かと」
「そう。ありがとう」
「……。此処は、なんですか。なぜ貴方が此処に?」
出来るだけ簡潔に質問する。望み通り会話を繋いでくれるのだと察して、レンの表情が少しだけ綻んだ。
「優しいね」
「答える気が無いのでしょうか」
「そう怒らないで。此処は昔、処刑場だった場所。何の罪もない人たちの首が飛び、血が染み込んだ場所だよ」
「!……月守の……?」
「賢いね。月守を知っているなんて」
レンは素直に感嘆しているようだった。
「月守と呼ばれた、金色の……月に似た瞳を持った人間を、たったそれだけの理由で断罪した。その遺体は周辺に適当に埋めたとされ、処刑台を撤去した此処は、墓石が一つ建てられただけで、丁寧な供養もされなかった。だからこの場に縛られて、何処にもいけなくて、苦しくても声をあげられない彼らは……自分たちをこうした人たちを襲うリグレットになってしまった」
「……」
「教会の人間……特に上部の人間や、年配の人は此処が原因なことを知っている。村のご長寿だってきっと……。言うつもりはないみたいだね。闇に葬りたいのか、墓まで持っていくつもりらしい。そうしていれば、その風習があったことを知る者は居なくなり、後に残るのは此処から溢れる悲しい魂たちと、何も知らない若い聖職者や村人たちとの対立だけだ、ってこと」
「……反吐が出る話ですね」
「一応十字架なんて置いてはいるみたいだけれど、積もり積もった恨みがあんなものでおさまるわけもない。魂たちも個々を失って、感情も無くなったから、きっと今更謝ったってどうにもならない。因果は、この地が果てても残ってしまうだろうね」
本の内容と現実が繋がる。教会の書庫にも、村の小さな図書館にもこのような事実について書かれた文献は一つも無かったから、誰かの推測の一つだとも考えていたが……。しかし、レンの話は本よりも詳細で、かつかなり明確だった。
「まさか、他にもっと審らかな文献があるとは思っていませんでした。私の持つ本にすら、そこまでは……」
「そんな本が残っているの?当時教会に反した書物は、全て燃やされたと聞いているけれど」
「え……?では、貴方はこの話をどこで、」
そこまで言って、セイは言葉を切った。そして、一つの仮説を脳内で組み立てる。
書物より詳細な内容。此処を知り、此処に居た理由。セイは来るなり襲われたのに、墓前に立っていたレンはなんともない。そして……セイはレンの瞳を見たことがない。
「当事者、なのですか」
セイが絞り出すようにそう聞くと、レンはうっすらと笑った。話が早くて助かる、とでも言うように。
「当事者、は少し違うかな。俺が生まれるより前の話ではあるから。けれど……うん、《月守》ではあるよ」
「……!!」
「自分で見たことはないけれどね。俺の盲目は生まれつきだから」
レンは左手で包帯越しに目のあたりに触れる。先ほどの戦闘で緩んだ包帯が、汗を吸って肌にくっついていた。
「この森に捨てられていたのを、ある老人に拾われてね。この山の、もっと上。ずっと奥の山小屋で住んでいたんだ。この話も、目のことも、全てその人に教えてもらった」
「そんな場所に山小屋なんて……まして誰かが住んでいたなんて、聞いたことがありません」
「かなり奥地で、整備も行き届いていないような場所だったからね。何年か前の土砂崩れで、その一帯は無くなってしまったし」
「……その老人は、」
「土砂崩れのずっと前に亡くなっているよ。だから俺は、教会に居住先を変えた。墓まで流されてしまったのは、残念だけれど……」
過去を思い出しているのか、レンの声が少しだけ小さくなる。徐に空へ向けた左手の先で、雲はまだ晴れてはくれない。
「その人は、俺に生きる術を与えてくれた。教会の不自由ない生活とは比べものにならないけれど、衣食住に困ることはなかった。普段の生活の仕方も、武器の使い方も、気配の察知も、人との対話も……。《視力以外の感覚を鋭敏にする》ことを叩き込んで、自分が死んだ後でも俺が生きられるように。お陰で、ほぼ問題なく生きてこられたよ。何故俺を拾って育てたのかはわからないけれど、感謝している」
「人目につかない場所で、一人で住んでいた。その方もまた、月守だったのでしょうか」
「うん、俺もそう思ってはいるけれど、なにせ見たことはないし、教えてもくれなかったから。今となっては推測の域を出ないかな」
「……」
「次の、何故此処に俺がいるか。実は結構頻繁に来ていたんだ。同族意識なのか、俺には襲いかかって来ないから。少しくらい、安まれば良いと思ってね。ただ……もう自我は無いから、祈りの言葉も届かなくて、安らかに眠らせてやれるわけでもない。結局は俺のエゴかな」
「……」
「教会に入ったのは身寄りが無かったこともあるけれど、何処かに解決方法があるかもしれないと思ったから。でも実際は、教会内で無きものにされつつあるどころか、リグレットを倒せば正義なんて言われていた。そんな人間の汚らわしさを見ながら、自分一人でもなんとかしようとしたんだ。けれど、初めて此処を訪れた時、それは幻想でしかないと愕然としたんだ。もう、解決方法なんてものは無いくらい、彼らの魂は歪み淀んでしまっていたから……」
話を聞きながら、セイは墓石に目をやる。レンがいるからなのか、先ほどのような黒い靄は現れないが、どこか薄寒く、視線のようなものを無数に感じていた。この拓けた一帯からはただただ《負》ばかりが感じられて、本能が警告をし続けている。とにかくレンの言うように、和解の道はとっくに絶たれているのはわかる。
「それでも、時々こうして此処に来ているのは、やっぱりエゴでしかないね。何か少しでも…なんて、無駄とわかっていてもそう思ってしまって。それで君を巻き込んでしまった。本当に、すまないね」
「……謝ることではないでしょう。私こそ、不用心でした」
「この場所がそんな曰くつきの場所なんてことは、知る由もないことでしょう。君に怪我が無くて良かったよ」
「……」
握った指先が少しずつ、確実に冷たくなっていく。普段から彼の体温は低いが、それとは話が違う。神経が傷ついていれば、たとえ助かっても障害が残ってしまうかもしれない。これ以上悪化する前にどうにかしたいのに、ただ朝日を待つしかないもどかしさに、セイは唇を噛む。その焦りを察したのか、レンは青白い顔に笑みを浮かべて、左手でセイの頬に触れた。ひんやりと震えるような冷たさに、どうしても死を連想せずにはいられなかったが、自分ばかりが動じても仕方がないと、セイはぐっと不安を堪える。
「結構答えられたかな。他には何かある?」
「とりあえずは、ありません。その無理矢理笑うのだけやめてくれれば」
「確かにぎこちないだろうけれど、別に無理に笑っているわけではないよ。君の傍は安らぐからね」
「こんな状況でのお世辞は結構です」
「本当だよ」
レンの指がするりと輪郭をなぞる。セイも言葉とは裏腹に、特に抵抗はしない。
「なら、今度は俺から聞いてもいい?」
「なんでしょう」
優しく頬を撫でた手が移動して、人差し指がセイの唇にそっと置かれる。レンの癖なのだろうか、よくされている気がした。もっとも、自分以外にしているのを見たことはないが。
「この間、どうして指越しにキスをしたの?」
「!……何のことでしょうか」
「今、少し動揺したでしょう」
「……」
僅かに息を詰めたのみで留めたはずだったが、本当に細やかなことも隠せないらしい。気づかれていないと思っていたのに、こう時間が経ってから指摘されるのはバツが悪く、セイは三度溜息を吐いた。
「意地の悪い。気がついていたならその場で言ってくだされば良いのに」
「少し考えたらわかるかな、と思ったのだけれど、どうも答えが出なくてね。だから機会があれば聞いてみたかったんだ」
「今がその機会とは思えませんが」
「質問には答えられない?」
「……はぁ。本当に意地の悪いこと」
初めは自分とは縁の無い好青年。しかし秘密の共有者となり、彼への興味が生まれ、逢瀬を重ねる毎に何処か心惹かれ、そして同族と知り、より近くなった距離に、たまらず口づけをーーしかし消え失せなかった理性が、唇と唇の間に指を置いた。
自分の感情は自覚している。恋愛、しかも同性間。だからセイは「神がとことん嫌いだ」と言った。自分の存在は、まさに背徳の重ねがけだ。しかしそれをレンに伝える気は無かった。今の関係だって十分愉しいのだ。わざわざ壊すような真似はしない。ずっとそうやって生きてきたのだから。
「あの時は、貴方が私と同じだとわかって、浮かれてしまって。おかしなことをしてしまって、申し訳ありません」
「……」
「以降はそのようなことのないよう、」
「そうじゃないよ」
「え、」
セイの言葉を遮ったレンの言葉は短く、少しだけ低かった。不思議そうな顔をしたセイの首の後ろに手を回したかと思うと、片腕と上半身の力だけで起き上がる。
そしてそのまま、口づけた。
「ーー」
紅のひかれた二人の唇が重なる。ほんの一瞬、時間が止まったように風の音さえ聞こえない。しかしそんな刹那はすぐに終わり、唇が離れたと思うと、レンの身体は力を失ってずるりと落ちる。セイは咄嗟に支えながら、無茶をするなと叱咤しようと口を開くも、それより先にレンはくすくすと笑いながら言葉を紡いだ。
「どうして《指越しに》したのか、聞いたんだよ」
「……」
「その様子を見るに、咄嗟の理性ってところかな」
「……どういうつもりですか」
「わからない?それも《君と同じ》だよ」
「……」
「賢い君なら、わかるでしょう?」
傷口を塞いでいたガーゼに、じわりと血が滲んだのがわかった。慌てて押さえ、再度止血を試みながら、セイは今日何度目かの溜息を吐く。
「……貴方の意地や性格が悪いことはわかりましたよ。あと、思慮深く見えて後先をあまり考えないのだということも」
「はは、君以外から言われたことはないな」
「もう良いです。大人しくしていてください」
自分の手に生ぬるい感覚が当たる。応急処置の知識はあるが、あくまで最低限だ。それから何度も止血を試みる。内心穏やかではなかった。それは、先ほどの口づけでいっそう……。
「これだけ好き勝手に私のことを暴いておいて、野垂れ死は許しませんよ」
「大丈夫だよ」
「どこが……!」
「俺は神を信じていないけれど、自分の強運は信じているんだ。君のこともね」
「……」
セイはあからさまにレンを睨む。それは、自分の身体の限界ラインを理解している上で、そのラインを超えないかギリギリで、かつセイが適切に処置をしてくれる前提で言動を選んでいるということで……。人の気も知らないで、いっそ一度殴ってやろうかと野蛮な感情は理性で踏みとどめた。試行錯誤しながらなんとか出血を抑えることが出来ると、セイはふと空を見上げる。いつの間にか月は沈み、黒い影を落とす木々の向こうで、朝日の光が見えた。
「……今なら、行けます」
「そう。よろしくね」
「この野郎、いけしゃあしゃあと」
「口が悪いよ」
ついに直接的な悪態が出たところで、しかしレンには掠りもしていないようだ。口で勝てないのはとっくに理解している。諦めて今度こそ担ぐために手を伸ばし、はたと動きを止めた。
「……」
「セイ?」
「目を、見ても良いですか」
弛んだ包帯にそっと触れる。すぐに解けてしまいそうなその奥を見てみたいと思ったのだ。急いでいる今、している場合ではない。けれど、今しかないとも思えた。自分ばかり内を晒されるのが癪だったのもあるが、どちらかと言えばそれは純粋な興味からだった。
「どうぞ」
レンは躊躇うことなく許諾する。開けてはならない箱を開けるような、そんな疚しさを感じながら、指で包帯を解いた。
するり。
「……あぁ、」
露わになった顔に、思わず声が漏れる。
整った顔立ち。そしてそこに、満月のような双眸が、光など与えられずとも自身の力で輝いていた。それは、とても。
「綺麗ですね」
汗が頬をつたい、苦しそうなのは変わらない。けれど、レンは至って穏やかに「それは良かった」と微笑んだ。
細められた瞳に惹き込まれる感覚。魅了されていく。心拍があがる。
そのまま、キスをひとつ。今度は、隔てるものは置かずに。
「……必ず助けますから」
「うん」
ぐっと抱きあげて、セイは立ち上がる。空がみるみる白んでいく。
地面突き刺したままの十字架が、チカリと朝日を反射した。
「下手な冗談はよしてください。このままでは失血死は免れませんよ」
墓石に背中を預け、笑みを浮かべてみせるレンの、そのぎこちない表情に苛々を隠そうとはしないまま、セイはなんとか止血を試みる。傷はかなり深い。とにかく最善の手当てをすること、焦燥に駆られる自分の心を落ち着かせることに集中した。
「貴方の目が見えなくて良かったと、今は思います」
「……」
自身の不甲斐なさから怪我をさせてしまった動揺は、しっかりと顔に出てしまっているだろうから、それが見られなくて済んだと。言葉や動作でとっくにばれているだろうが、せめてこんな情けない顔は見られたくなかった。
出来るだけの処置はした。あとはすぐに教会に戻り、医療班に治療をお願いするほかない。担いで降りようとレンの身体に手を添える。
「駄目だよ」
「は?」
「月、無いでしょう」
指さしたレンにつられて顔を上げる。空には分厚い雲が敷き詰められ、唯一の光源である月を覆っていた。そこでやっと、必死だったばかりに気づかなかった視界の悪さを認識する。いくら来た道を戻るだけとはいえ、まるで先の見えない状態で山林を歩くのは自殺行為だ。普段は多少その場で休むなりしていれば良いのだが、緊急を要する今は邪魔でしかない。先ほどまで無かった筈の雲に、たまらずセイは舌打ちする。
「こんな時に……!」
「あと何時間かすれば、日が登り出すよ。それまで、此処で待とうか」
「悠長なことを言っていられるような傷ではないんですよ。ご自分の身体のことくらいわかるでしょう」
「君、本当に優しいよね」
「何を言って……」
「大丈夫だから。とりあえず落ち着いて?」
「……、はぁ……」
宥めるような穏やかな声。拍子抜けしたセイは、大きく溜息を吐いてレンの隣に座り込んだ。レンの言うことはごもっともで、今はなんとか耐えるしかないのだ。口煩くしたところで事態は好転しない。しかしここまで冷静だと、ある心配がよぎる。
「……生きる気が無い、なんてありませんよね」
「まさか。君にそんな十字架を背負わせる気はないよ」
「そう、ですか」
今度は安堵で息を吐く。「死んでもいい」なんて考えは無さそうだ。理由が少し不穏だが、今は触れないでおく。
「聞かないの?色々と疑問があると思うけれど」
レンは顔をセイの方に向けた。月のことといい、本当は見えているのではないかと幾度目かの疑いをかけつつ、しかしすぐに無意味だと頭を振って、レンに向き合った。
「聞きたいことは多々ありますが、今はいいです。喋る体力があるなら温存してください」
「話す内容はなんでもいいのだけれど……何かしていないと、痛みで意識が飛びそうで」
「……」
暗い視界でも、近い距離にいるレンの顔は見える。脂汗が浮かび、呼吸は浅い。セイは眉を顰め、ぐっとレンの肩を引き寄せると、そのままゆっくりと自身の膝の上に横たわらせる。きょとんとした顔をしたレンに構わず、彼の右手をとって支えるように上げさせた。
「セイ?」
「患部を心臓より上にするのは、必要かと」
「そう。ありがとう」
「……。此処は、なんですか。なぜ貴方が此処に?」
出来るだけ簡潔に質問する。望み通り会話を繋いでくれるのだと察して、レンの表情が少しだけ綻んだ。
「優しいね」
「答える気が無いのでしょうか」
「そう怒らないで。此処は昔、処刑場だった場所。何の罪もない人たちの首が飛び、血が染み込んだ場所だよ」
「!……月守の……?」
「賢いね。月守を知っているなんて」
レンは素直に感嘆しているようだった。
「月守と呼ばれた、金色の……月に似た瞳を持った人間を、たったそれだけの理由で断罪した。その遺体は周辺に適当に埋めたとされ、処刑台を撤去した此処は、墓石が一つ建てられただけで、丁寧な供養もされなかった。だからこの場に縛られて、何処にもいけなくて、苦しくても声をあげられない彼らは……自分たちをこうした人たちを襲うリグレットになってしまった」
「……」
「教会の人間……特に上部の人間や、年配の人は此処が原因なことを知っている。村のご長寿だってきっと……。言うつもりはないみたいだね。闇に葬りたいのか、墓まで持っていくつもりらしい。そうしていれば、その風習があったことを知る者は居なくなり、後に残るのは此処から溢れる悲しい魂たちと、何も知らない若い聖職者や村人たちとの対立だけだ、ってこと」
「……反吐が出る話ですね」
「一応十字架なんて置いてはいるみたいだけれど、積もり積もった恨みがあんなものでおさまるわけもない。魂たちも個々を失って、感情も無くなったから、きっと今更謝ったってどうにもならない。因果は、この地が果てても残ってしまうだろうね」
本の内容と現実が繋がる。教会の書庫にも、村の小さな図書館にもこのような事実について書かれた文献は一つも無かったから、誰かの推測の一つだとも考えていたが……。しかし、レンの話は本よりも詳細で、かつかなり明確だった。
「まさか、他にもっと審らかな文献があるとは思っていませんでした。私の持つ本にすら、そこまでは……」
「そんな本が残っているの?当時教会に反した書物は、全て燃やされたと聞いているけれど」
「え……?では、貴方はこの話をどこで、」
そこまで言って、セイは言葉を切った。そして、一つの仮説を脳内で組み立てる。
書物より詳細な内容。此処を知り、此処に居た理由。セイは来るなり襲われたのに、墓前に立っていたレンはなんともない。そして……セイはレンの瞳を見たことがない。
「当事者、なのですか」
セイが絞り出すようにそう聞くと、レンはうっすらと笑った。話が早くて助かる、とでも言うように。
「当事者、は少し違うかな。俺が生まれるより前の話ではあるから。けれど……うん、《月守》ではあるよ」
「……!!」
「自分で見たことはないけれどね。俺の盲目は生まれつきだから」
レンは左手で包帯越しに目のあたりに触れる。先ほどの戦闘で緩んだ包帯が、汗を吸って肌にくっついていた。
「この森に捨てられていたのを、ある老人に拾われてね。この山の、もっと上。ずっと奥の山小屋で住んでいたんだ。この話も、目のことも、全てその人に教えてもらった」
「そんな場所に山小屋なんて……まして誰かが住んでいたなんて、聞いたことがありません」
「かなり奥地で、整備も行き届いていないような場所だったからね。何年か前の土砂崩れで、その一帯は無くなってしまったし」
「……その老人は、」
「土砂崩れのずっと前に亡くなっているよ。だから俺は、教会に居住先を変えた。墓まで流されてしまったのは、残念だけれど……」
過去を思い出しているのか、レンの声が少しだけ小さくなる。徐に空へ向けた左手の先で、雲はまだ晴れてはくれない。
「その人は、俺に生きる術を与えてくれた。教会の不自由ない生活とは比べものにならないけれど、衣食住に困ることはなかった。普段の生活の仕方も、武器の使い方も、気配の察知も、人との対話も……。《視力以外の感覚を鋭敏にする》ことを叩き込んで、自分が死んだ後でも俺が生きられるように。お陰で、ほぼ問題なく生きてこられたよ。何故俺を拾って育てたのかはわからないけれど、感謝している」
「人目につかない場所で、一人で住んでいた。その方もまた、月守だったのでしょうか」
「うん、俺もそう思ってはいるけれど、なにせ見たことはないし、教えてもくれなかったから。今となっては推測の域を出ないかな」
「……」
「次の、何故此処に俺がいるか。実は結構頻繁に来ていたんだ。同族意識なのか、俺には襲いかかって来ないから。少しくらい、安まれば良いと思ってね。ただ……もう自我は無いから、祈りの言葉も届かなくて、安らかに眠らせてやれるわけでもない。結局は俺のエゴかな」
「……」
「教会に入ったのは身寄りが無かったこともあるけれど、何処かに解決方法があるかもしれないと思ったから。でも実際は、教会内で無きものにされつつあるどころか、リグレットを倒せば正義なんて言われていた。そんな人間の汚らわしさを見ながら、自分一人でもなんとかしようとしたんだ。けれど、初めて此処を訪れた時、それは幻想でしかないと愕然としたんだ。もう、解決方法なんてものは無いくらい、彼らの魂は歪み淀んでしまっていたから……」
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「それでも、時々こうして此処に来ているのは、やっぱりエゴでしかないね。何か少しでも…なんて、無駄とわかっていてもそう思ってしまって。それで君を巻き込んでしまった。本当に、すまないね」
「……謝ることではないでしょう。私こそ、不用心でした」
「この場所がそんな曰くつきの場所なんてことは、知る由もないことでしょう。君に怪我が無くて良かったよ」
「……」
握った指先が少しずつ、確実に冷たくなっていく。普段から彼の体温は低いが、それとは話が違う。神経が傷ついていれば、たとえ助かっても障害が残ってしまうかもしれない。これ以上悪化する前にどうにかしたいのに、ただ朝日を待つしかないもどかしさに、セイは唇を噛む。その焦りを察したのか、レンは青白い顔に笑みを浮かべて、左手でセイの頬に触れた。ひんやりと震えるような冷たさに、どうしても死を連想せずにはいられなかったが、自分ばかりが動じても仕方がないと、セイはぐっと不安を堪える。
「結構答えられたかな。他には何かある?」
「とりあえずは、ありません。その無理矢理笑うのだけやめてくれれば」
「確かにぎこちないだろうけれど、別に無理に笑っているわけではないよ。君の傍は安らぐからね」
「こんな状況でのお世辞は結構です」
「本当だよ」
レンの指がするりと輪郭をなぞる。セイも言葉とは裏腹に、特に抵抗はしない。
「なら、今度は俺から聞いてもいい?」
「なんでしょう」
優しく頬を撫でた手が移動して、人差し指がセイの唇にそっと置かれる。レンの癖なのだろうか、よくされている気がした。もっとも、自分以外にしているのを見たことはないが。
「この間、どうして指越しにキスをしたの?」
「!……何のことでしょうか」
「今、少し動揺したでしょう」
「……」
僅かに息を詰めたのみで留めたはずだったが、本当に細やかなことも隠せないらしい。気づかれていないと思っていたのに、こう時間が経ってから指摘されるのはバツが悪く、セイは三度溜息を吐いた。
「意地の悪い。気がついていたならその場で言ってくだされば良いのに」
「少し考えたらわかるかな、と思ったのだけれど、どうも答えが出なくてね。だから機会があれば聞いてみたかったんだ」
「今がその機会とは思えませんが」
「質問には答えられない?」
「……はぁ。本当に意地の悪いこと」
初めは自分とは縁の無い好青年。しかし秘密の共有者となり、彼への興味が生まれ、逢瀬を重ねる毎に何処か心惹かれ、そして同族と知り、より近くなった距離に、たまらず口づけをーーしかし消え失せなかった理性が、唇と唇の間に指を置いた。
自分の感情は自覚している。恋愛、しかも同性間。だからセイは「神がとことん嫌いだ」と言った。自分の存在は、まさに背徳の重ねがけだ。しかしそれをレンに伝える気は無かった。今の関係だって十分愉しいのだ。わざわざ壊すような真似はしない。ずっとそうやって生きてきたのだから。
「あの時は、貴方が私と同じだとわかって、浮かれてしまって。おかしなことをしてしまって、申し訳ありません」
「……」
「以降はそのようなことのないよう、」
「そうじゃないよ」
「え、」
セイの言葉を遮ったレンの言葉は短く、少しだけ低かった。不思議そうな顔をしたセイの首の後ろに手を回したかと思うと、片腕と上半身の力だけで起き上がる。
そしてそのまま、口づけた。
「ーー」
紅のひかれた二人の唇が重なる。ほんの一瞬、時間が止まったように風の音さえ聞こえない。しかしそんな刹那はすぐに終わり、唇が離れたと思うと、レンの身体は力を失ってずるりと落ちる。セイは咄嗟に支えながら、無茶をするなと叱咤しようと口を開くも、それより先にレンはくすくすと笑いながら言葉を紡いだ。
「どうして《指越しに》したのか、聞いたんだよ」
「……」
「その様子を見るに、咄嗟の理性ってところかな」
「……どういうつもりですか」
「わからない?それも《君と同じ》だよ」
「……」
「賢い君なら、わかるでしょう?」
傷口を塞いでいたガーゼに、じわりと血が滲んだのがわかった。慌てて押さえ、再度止血を試みながら、セイは今日何度目かの溜息を吐く。
「……貴方の意地や性格が悪いことはわかりましたよ。あと、思慮深く見えて後先をあまり考えないのだということも」
「はは、君以外から言われたことはないな」
「もう良いです。大人しくしていてください」
自分の手に生ぬるい感覚が当たる。応急処置の知識はあるが、あくまで最低限だ。それから何度も止血を試みる。内心穏やかではなかった。それは、先ほどの口づけでいっそう……。
「これだけ好き勝手に私のことを暴いておいて、野垂れ死は許しませんよ」
「大丈夫だよ」
「どこが……!」
「俺は神を信じていないけれど、自分の強運は信じているんだ。君のこともね」
「……」
セイはあからさまにレンを睨む。それは、自分の身体の限界ラインを理解している上で、そのラインを超えないかギリギリで、かつセイが適切に処置をしてくれる前提で言動を選んでいるということで……。人の気も知らないで、いっそ一度殴ってやろうかと野蛮な感情は理性で踏みとどめた。試行錯誤しながらなんとか出血を抑えることが出来ると、セイはふと空を見上げる。いつの間にか月は沈み、黒い影を落とす木々の向こうで、朝日の光が見えた。
「……今なら、行けます」
「そう。よろしくね」
「この野郎、いけしゃあしゃあと」
「口が悪いよ」
ついに直接的な悪態が出たところで、しかしレンには掠りもしていないようだ。口で勝てないのはとっくに理解している。諦めて今度こそ担ぐために手を伸ばし、はたと動きを止めた。
「……」
「セイ?」
「目を、見ても良いですか」
弛んだ包帯にそっと触れる。すぐに解けてしまいそうなその奥を見てみたいと思ったのだ。急いでいる今、している場合ではない。けれど、今しかないとも思えた。自分ばかり内を晒されるのが癪だったのもあるが、どちらかと言えばそれは純粋な興味からだった。
「どうぞ」
レンは躊躇うことなく許諾する。開けてはならない箱を開けるような、そんな疚しさを感じながら、指で包帯を解いた。
するり。
「……あぁ、」
露わになった顔に、思わず声が漏れる。
整った顔立ち。そしてそこに、満月のような双眸が、光など与えられずとも自身の力で輝いていた。それは、とても。
「綺麗ですね」
汗が頬をつたい、苦しそうなのは変わらない。けれど、レンは至って穏やかに「それは良かった」と微笑んだ。
細められた瞳に惹き込まれる感覚。魅了されていく。心拍があがる。
そのまま、キスをひとつ。今度は、隔てるものは置かずに。
「……必ず助けますから」
「うん」
ぐっと抱きあげて、セイは立ち上がる。空がみるみる白んでいく。
地面突き刺したままの十字架が、チカリと朝日を反射した。
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Rは書こうか悩み中です。本編に攻めの名前が出てこないの書き終わってから気が付いた。3/16タイトル少し変更しました。
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こたま
BL
エレンは子爵家のオメガ令息として産まれた。年上のアルファの王子殿下と年齢が釣り合うオメガ令息が少なく、他国との縁組も纏まらないため家格は低いが繋ぎとして一応婚約をしている。王子のことは兄のように慕っており、初恋の人ではあるけれど、契約終了時期か王子に想い人が現れた時には解消されるものと考えていた。ところが婚約解消時期の直前に王子宮に軟禁された。結婚を承諾するまでここから出さないと王子から溢れるほどの愛を与えられる。ハッピーエンドオメガバースBLです。毎日18時50分公開予定です
【完結】第三王子、ただいま輸送中。理由は多分、大臣です
ナポ
BL
ラクス王子、目覚めたら馬車の中。
理由は不明、手紙一通とパン一個。
どうやら「王宮の空気を乱したため、左遷」だそうです。
そんな理由でいいのか!?
でもなぜか辺境での暮らしが思いのほか快適!
自由だし、食事は美味しいし、うるさい兄たちもいない!
……と思いきや、襲撃事件に巻き込まれたり、何かの教祖にされたり、ドタバタと騒がしい!!
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
「お前を愛する事はない」を信じたので
あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」
お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。
目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?【高瀬陸×一ノ瀬湊 編】
綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。
湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。
そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。
その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。
出戻り王子が幸せになるまで
あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
初恋の相手と政略結婚した主人公セフィラだが、相手には愛人ながら本命がいたことを知る。追及した結果、離縁されることになり、母国に出戻ることに。けれど、バツイチになったせいか父王に厄介払いされ、後宮から追い出されてしまう。王都の下町で暮らし始めるが、ふと訪れた先の母校で幼馴染であるフレンシスと再会。事情を話すと、突然求婚される。
一途な幼馴染×強がり出戻り王子のお話です。
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