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9話
自分の命に、存在に、特に執着は無かった。
『お前は忌み嫌われる存在だ』ーー。静かな声音ではっきりとそう言い放たれた時には、衝撃で言葉を無くしたものだった。しかしあの人は自分をしっかりと育ててくれた。疎むこともなく、平等に。それが《レンにとって》でしかないことを知るのは、ずっと先。レンにとって、その小さな世界が全てだったから。
彼は老衰で死んだ。本当にそうかはレンにはわからなかったが、彼は死ぬ間際そう言っていた。大切な彼の肉体を埋葬し、レンは真っ暗な視界を見上げる。
この家に住み続けることも出来た。少し下りれば、自分のことを疎む人間がいるということも知っているし、最悪、命の危険があることもわかっていた。それでもレンは動いた。自分のための平穏に興味が無かったのだ。なら、自分と同じ境遇の魂を、雁字搦めにされた風習を、少しでも昇華出来ないだろうかと。培った知識と叩き込まれた能力で、教会に潜り込んだ。
そして自分のことーー月守のことを調べ始めた。歴史、断罪、これまでとこれから、エトセトラ。信者を優しく導いて、シスターたちから尊敬され、上の人間からの信頼を得る。持ち前の才と努力の積み重ねから、レンは自由に出来る時間も立場も確立させていった。そしてその言動は、演技ではなかった。レンは誠心誠意つとめていたのだ。
けれどその心は、知れば知るほどに冷たくなり……あの呪われた場所に立ち入ったことで完全に冷めてしまった。
《神を信じている人間たちが、哀れに見えるようになった》
《理不尽な風習を信じて疑わない人間たちが、醜く見えて仕方ない》
《神などいない》
《いたとしても、俺は信じない》
自分の存在を否定する世界で、レンは生き続けた。わざわざ逃げる必要性を感じなかった。生きても死んでも、どうでも良かったのだ。調べ上げ、自分の出来ることはないと諦めた彼は、生きる意味を失っていた。住んでいた家が土砂崩れで流された時、いよいよ自分の逃げ場は無くなったと腹を括った。自分たちが忌むべき存在に懺悔する人間の姿はなかなか惨めで、それを見て少しだけ気が晴れた。そしてすぐ、虚しくなった。
知識は仕入れた。山林のマッピングも完了した。それによってリグレットに花を手向け、新たに生まれた金色の瞳を持つ命を逃す。そんな自己満足を繰り返して、ただなあなあに捻くれながら生きていた。自分の瞳を見ることは出来なかったが、自分を育ててくれたあの人が言っていたこと、そしてリグレットが自分には襲いかからないという点で、それが事実であると確信していた。
他の選択肢はいくらでもあった。しかしレンは《面倒》だったのだ。自分が幸せになるための努力を蔑ろにするようになっていった。穏やかな笑みを浮かべる仮面の下、レンはずっと下を向いて生きるようになった。
そんなレンの前に、彼はふと現れた。最初から自分に似ているような気がしていた。人当たりは良いが、その実あまり興味がなさそうで。そして彼が紡いだ見事な聖歌に、レンは久しぶりに顔を上げた。美しい歌声、けれどそれとは反した真意に気づいた。
彼を知りたいと思った。そうすることで、自分の中の何かが変わるかもしれない。
何かが、きっとーー。
**
「セイ……」
一人ぽつりと、愛しい名を呼ぶ。
崖下に落ちたレレは、もう助からないだろう。リグレットを倒すことは出来たが、彼女を助けることは叶わなかった。少しだけ、祈りを捧げる。
「君には、君にとって譲れないものがあった。話す機会に恵まれて良かったよ」
これまでの行いの温情とでも言うように、拘束もされなかったし身ぐるみを剥がされもしなかった。レンが一切抵抗をしなかったのもあるかもしれない。金と拳銃、それから懐中時計。それを取り出して盤面を手でなぞった。四時を過ぎていることを確認して、しまう。
「(ぎりぎりか、間に合わないか)」
神経を集中しながら歩き出す。木々の間を通り抜ける、冷たい空気を肌で捉える。此処に来るまでの道は把握しているが、先程のことが伝わってしまった以上、追っ手が来ることは間違いない。足元の感触から地面の状態を察する。ぬかるみ、質感、風の方向、その強さ。それにより周囲の状況を把握し、今の位置を特定する。遠いが、ことがうまく運べば自分は間に合う算段だ。
問題は、セイの方。
「(彼女の言っていたこと、セイの反応……全ての情報を掛け合わせても、おそらくセイは何もしていない。通信の先に居合わせていたから、完全に信じてあげられないけれど)」
セイが自分を罠に嵌めるようなことはしない。しかし、盲目に信じてはいけない。悲しいことだが、これも生きる術だ。レンは迷わず歩く。時々リグレットの感覚が身体に触れた。
「(けれど、お陰で伝えることは出来た。彼がそれに間に合うか。そもそも気づいてくれるか。最初で最後のチャンスだ)」
主任神父に気づかれないよう端的に発したメッセージ。それは自分がこれからどうするのか、どう動くつもりなのかを示していたが、とてもではないが伝わらない自覚はあった。結局自分は、最後まで彼を試すのか。申し訳なさと裏腹に、期待している自分がいる。セイは、いつだって応えてくれたから。
「(君は賢くて、優しいから)」
気づくと口癖になっていて、セイからは毎回「心にもない」と訝しげに言い返されていたが、こればかりは本心だった。自分と似た、初めての人間。のらりくらりと躱して生きながら、そのくせ挑発的な言動をとる様は、レンにとって魅力的に思えた。それぐらい賢いのに、反面とても優しくて、少し素直でなくて、歌が上手くて、そして……レンを愛してくれている。
「(俺も君を愛しているよ。だから、まだ君といられるなら。それが許されるなら)」
失った自分の命の意味を、もう一度見出せるような気がするんだ。
レンはただ歩き続ける。傾斜も、大きな障害の位置も把握しながら。そうしていればやがて背後で大きな音がした。おそらく追っ手とリグレットが戦闘しているのだろう。もしそれがセイだとしたら、彼は間に合わないが……それを考えている暇はない。レン自身も、想定ではギリギリなのだ。足を止めてはならない。把握しているとはいえ、普段歩き慣れていない道。走ることは逆に危険で、神経を常に研ぎ澄ませている状況。焦って前のめりにならないように自身を落ち着かせながら、レンは進む。
「あぁ、そうか」
顔の包帯に手を掛けると、結び目は簡単に綻んだ。白く清潔な布がするりと手の中に落ちる。直後、ふっと通り過ぎた風に煽られて、レンの手から離れていった。少しだけ眩しさに目を細め、しかし真っ直ぐ前を見据える。
「もう要らないね」
日が昇り出す。そろそろリグレットが身を潜め、追っ手の足も速まるだろう。しかし急ぎも緩めもしない。光を湛える瞳は、初めて自分の未来に向けられていた。役目を終えた包帯は木の枝に引っかかり、ゆらゆらと揺れる。
「セイ、待っているよ」
薄く笑みを浮かべたレンの姿は、森の影の先に消えていく。
時間は、あと一時間をきった。
『お前は忌み嫌われる存在だ』ーー。静かな声音ではっきりとそう言い放たれた時には、衝撃で言葉を無くしたものだった。しかしあの人は自分をしっかりと育ててくれた。疎むこともなく、平等に。それが《レンにとって》でしかないことを知るのは、ずっと先。レンにとって、その小さな世界が全てだったから。
彼は老衰で死んだ。本当にそうかはレンにはわからなかったが、彼は死ぬ間際そう言っていた。大切な彼の肉体を埋葬し、レンは真っ暗な視界を見上げる。
この家に住み続けることも出来た。少し下りれば、自分のことを疎む人間がいるということも知っているし、最悪、命の危険があることもわかっていた。それでもレンは動いた。自分のための平穏に興味が無かったのだ。なら、自分と同じ境遇の魂を、雁字搦めにされた風習を、少しでも昇華出来ないだろうかと。培った知識と叩き込まれた能力で、教会に潜り込んだ。
そして自分のことーー月守のことを調べ始めた。歴史、断罪、これまでとこれから、エトセトラ。信者を優しく導いて、シスターたちから尊敬され、上の人間からの信頼を得る。持ち前の才と努力の積み重ねから、レンは自由に出来る時間も立場も確立させていった。そしてその言動は、演技ではなかった。レンは誠心誠意つとめていたのだ。
けれどその心は、知れば知るほどに冷たくなり……あの呪われた場所に立ち入ったことで完全に冷めてしまった。
《神を信じている人間たちが、哀れに見えるようになった》
《理不尽な風習を信じて疑わない人間たちが、醜く見えて仕方ない》
《神などいない》
《いたとしても、俺は信じない》
自分の存在を否定する世界で、レンは生き続けた。わざわざ逃げる必要性を感じなかった。生きても死んでも、どうでも良かったのだ。調べ上げ、自分の出来ることはないと諦めた彼は、生きる意味を失っていた。住んでいた家が土砂崩れで流された時、いよいよ自分の逃げ場は無くなったと腹を括った。自分たちが忌むべき存在に懺悔する人間の姿はなかなか惨めで、それを見て少しだけ気が晴れた。そしてすぐ、虚しくなった。
知識は仕入れた。山林のマッピングも完了した。それによってリグレットに花を手向け、新たに生まれた金色の瞳を持つ命を逃す。そんな自己満足を繰り返して、ただなあなあに捻くれながら生きていた。自分の瞳を見ることは出来なかったが、自分を育ててくれたあの人が言っていたこと、そしてリグレットが自分には襲いかからないという点で、それが事実であると確信していた。
他の選択肢はいくらでもあった。しかしレンは《面倒》だったのだ。自分が幸せになるための努力を蔑ろにするようになっていった。穏やかな笑みを浮かべる仮面の下、レンはずっと下を向いて生きるようになった。
そんなレンの前に、彼はふと現れた。最初から自分に似ているような気がしていた。人当たりは良いが、その実あまり興味がなさそうで。そして彼が紡いだ見事な聖歌に、レンは久しぶりに顔を上げた。美しい歌声、けれどそれとは反した真意に気づいた。
彼を知りたいと思った。そうすることで、自分の中の何かが変わるかもしれない。
何かが、きっとーー。
**
「セイ……」
一人ぽつりと、愛しい名を呼ぶ。
崖下に落ちたレレは、もう助からないだろう。リグレットを倒すことは出来たが、彼女を助けることは叶わなかった。少しだけ、祈りを捧げる。
「君には、君にとって譲れないものがあった。話す機会に恵まれて良かったよ」
これまでの行いの温情とでも言うように、拘束もされなかったし身ぐるみを剥がされもしなかった。レンが一切抵抗をしなかったのもあるかもしれない。金と拳銃、それから懐中時計。それを取り出して盤面を手でなぞった。四時を過ぎていることを確認して、しまう。
「(ぎりぎりか、間に合わないか)」
神経を集中しながら歩き出す。木々の間を通り抜ける、冷たい空気を肌で捉える。此処に来るまでの道は把握しているが、先程のことが伝わってしまった以上、追っ手が来ることは間違いない。足元の感触から地面の状態を察する。ぬかるみ、質感、風の方向、その強さ。それにより周囲の状況を把握し、今の位置を特定する。遠いが、ことがうまく運べば自分は間に合う算段だ。
問題は、セイの方。
「(彼女の言っていたこと、セイの反応……全ての情報を掛け合わせても、おそらくセイは何もしていない。通信の先に居合わせていたから、完全に信じてあげられないけれど)」
セイが自分を罠に嵌めるようなことはしない。しかし、盲目に信じてはいけない。悲しいことだが、これも生きる術だ。レンは迷わず歩く。時々リグレットの感覚が身体に触れた。
「(けれど、お陰で伝えることは出来た。彼がそれに間に合うか。そもそも気づいてくれるか。最初で最後のチャンスだ)」
主任神父に気づかれないよう端的に発したメッセージ。それは自分がこれからどうするのか、どう動くつもりなのかを示していたが、とてもではないが伝わらない自覚はあった。結局自分は、最後まで彼を試すのか。申し訳なさと裏腹に、期待している自分がいる。セイは、いつだって応えてくれたから。
「(君は賢くて、優しいから)」
気づくと口癖になっていて、セイからは毎回「心にもない」と訝しげに言い返されていたが、こればかりは本心だった。自分と似た、初めての人間。のらりくらりと躱して生きながら、そのくせ挑発的な言動をとる様は、レンにとって魅力的に思えた。それぐらい賢いのに、反面とても優しくて、少し素直でなくて、歌が上手くて、そして……レンを愛してくれている。
「(俺も君を愛しているよ。だから、まだ君といられるなら。それが許されるなら)」
失った自分の命の意味を、もう一度見出せるような気がするんだ。
レンはただ歩き続ける。傾斜も、大きな障害の位置も把握しながら。そうしていればやがて背後で大きな音がした。おそらく追っ手とリグレットが戦闘しているのだろう。もしそれがセイだとしたら、彼は間に合わないが……それを考えている暇はない。レン自身も、想定ではギリギリなのだ。足を止めてはならない。把握しているとはいえ、普段歩き慣れていない道。走ることは逆に危険で、神経を常に研ぎ澄ませている状況。焦って前のめりにならないように自身を落ち着かせながら、レンは進む。
「あぁ、そうか」
顔の包帯に手を掛けると、結び目は簡単に綻んだ。白く清潔な布がするりと手の中に落ちる。直後、ふっと通り過ぎた風に煽られて、レンの手から離れていった。少しだけ眩しさに目を細め、しかし真っ直ぐ前を見据える。
「もう要らないね」
日が昇り出す。そろそろリグレットが身を潜め、追っ手の足も速まるだろう。しかし急ぎも緩めもしない。光を湛える瞳は、初めて自分の未来に向けられていた。役目を終えた包帯は木の枝に引っかかり、ゆらゆらと揺れる。
「セイ、待っているよ」
薄く笑みを浮かべたレンの姿は、森の影の先に消えていく。
時間は、あと一時間をきった。
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