背きの秘事

千木

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12話(完)

 セイは目を覚ました。意識の浮上と共に、乱暴な車両の振動を感じとる。睡眠には劣悪な環境下で驚くほどよく眠れたが、やはり全身が軋むように痛んだ。伸びをしようと身じろぎかけて、肩に寄りかかるあたたかな重みに気づいた。
 目をやると、揺れに合わせて小さく跳ねながら、穏やかに寝息を立てるレンの頭があった。起こさないように自分の方に寄せ、振動を和らげようと試みる。

「……」

 村に宿泊した時でさえ、セイが起きる頃には既に起きていたものだから、初めて見るレンの寝顔をじっと眺める。あの綺麗な瞳は閉じた瞼の奥だ。安心したような表情で眠っているのを見ていると、自分の頬が次第に緩んでいくのがわかる。いつも何かに気を張っていた彼は、少しは休めているだろうか。自分の横で、少しでも……そうであるだろうとどこかで確信を持ちながら、そうであれと願った。

「綺麗な顔、」

 そっと口づける。長い睫毛が細かく震えたが、起きる様子は見られない。懐中時計を見ると、出発してから既に数時間が経過していた。レンによればもう少しすれば何処かに停車する筈だから、もう少し休ませていても良いだろうと、自分も力を抜いた。大きく息を吐く。
 どれほど離れただろうか。今晴れているのか、雨が降っているのか、何処を走っているのか、窓のない車両からは窺い知れない。今頃教会は、村はどうなっているだろうか。レレを含め三人を同時に失ったわけだ。任務を行える人間も減った。レンやセイはそれなりに影響力を持っていたから、秘密裏に揉み消すには無理があるだろう。部屋を即座に片付けた辺り、レンの存在は消すつもりだったのだろうが、こうも複数人が消えてしまえば混乱は避けられない筈だ。

「(ざまぁない)」

 セイに後悔は無い。いっそ清々しささえあった。元々あの場所に執着も愛着も無かったのだ。ただ、面倒だから動かなかっただけで。それは途中から『レンがいるから』に変化したが、そのレンは、今隣に居る。本当に、なんの未練もなかった。

「……ん、」
「!」

 小さく声が上がる。意識を思考から現実に戻して横を見ると、うっすらとレンの瞳が開いた。暫くぼうっとしていたが、状況を把握すればバツが悪そうに笑って頭を上げた。

「ごめんね。重かったでしょう」
「大したことはないですよ。私だって寄り掛かっていたのですから」

 もう少しだけ寝顔を見ていたかったが、もちろんそんなことは言わない。短く礼を言ってから、レンはぐっと身体を伸ばした。

「随分離れたかな」
「時間はかなり経ちました。外の様子はわかりませんが」
「まぁ、止まらないことには降りられないからね。ゆっくりしていようか」

 そう言って再度壁に背を預けるレンを眺める。その視線に気づいたのか、レンはセイの方を向いてにこりと微笑んだ。

「君、本当に好きだね」
「はい?」
「目。気に入って貰えているようで何よりだけれど」
「そんなに見ていますか?」
「自覚は無い?」
「綺麗だと思いますけど。それに、別に目だけが好きなわけではないですし」
「たまに凄いことを平気で言うよね」
「素直なもので」
「よく言う」

 二人揃って笑う。礼拝堂での他愛の無い会話のようだった。夜更けの短い時間に、こうやって話すことから始まった関係は、今では己の行く先さえ変えてしまった。そのことに、お互いに後悔は無い。軽く、啄むようにキスをする。

「主任神父は、今回の件をどう皆に伝えるのかな」
「信用のある神父は実は月守で、なんて言えないでしょうし……リグレットに襲われて二人とも行方不明、くらいでしょうか」
「三人も急に消えたわけだから、それで通るかな。どうするにも、任務に出られる人数が減ったなら、これから大変だろうね」
「おや、割と気になさるんですね」

 棘のある言い回しに、レンは苦笑する。わざとらしい敬語の時には、何か不満があるのだ。それを隠すつもりもない。多少なりとも後悔があるのかと問うていることがすぐにわかった。だから、率直な言葉で返す。

「金色の瞳の人間があの集落で生まれたら、もう助けてあげられない。リグレットの生まれるあの場所で、独りよがりの慰めを捧げることも出来ない」
「……」
「俺は結局、何もかも中途半端だった。けれど、それは最初から芯のない自己満足の行動だ。そこに未練は無い。俺は俺として、生きる場所を見つけたからね」
「……本当に?」

 セイは顔を覗き込む。悲哀の感情は見えなかったが、薄い諦観が張り付いているようだった。その言葉にレンは目を丸くして、そしてまた笑った。

「俺が初めて自分のために動いて、初めて上手くいったこの逃避行を後悔していると、君は疑うの?」
「多少の後悔も無いのかと」
「無いよ」
「……」
「申し訳なさはあるよ。中途半端に救ってしまったこと。なんだかんだ衣食住に関して世話をしてくれていた教会をこういう形で裏切ること。けれど俺のこれからの人生を生きていく上で、後ろ髪を引かれるようなレベルではない。君は違う?」

 今は太陽が出ているような時間だが、目の前の月は変わらず輝いている。セイの言葉は決まっているし、きっとレンはわかっているのだろうが、セイはわざと皮肉めいた声音で返した。

「私は貴方よりずっと薄情ですから、申し訳なささえありませんよ」

 それを聞いたレンは、可笑しそうに笑った。

 ーー何時間経っただろうか。それからはずっと、なんてことのない話を続けた。これまでのことより、これからのことを。
 次に見る世界はどんなところだろう。まずは家を探さないといけない。それから身の回りのものを出来るだけ整えて、職を探す。
 盲目なレンが生きやすい場所であるか。変な風習やおかしな差別はないか。ポケットに押し込んできた金は共通して使えるだろうか。自分たちが小さな世界の中で培ってきた知識や能力は役に立つだろうか。歌声は、戦闘力は、外面の良い対人関係の構築能力は。楽しいことは、辛いことは、どれだけあるだろう……。
 期待はあれど不安はあまり無かった。何があっても、お互いがいれば良かった。行く先がスラムでも、地獄であっても、お互いの手を繋いでいられるのであればなんとでもなると、強く想っていたから。
 何がしたい、とレンは問う。セイは首を傾げた。今まで何かをしたい、と明確に思って動いたことはなかった。逆にレンに問うと、レンも同じだった。ならばそこからだ、と。レンは笑う。何かしたいことを見つける。これからの人生に彩りを添えるために。《お互いと穏やかに生きたい》というのは、今となっては前提だ。
 やがて、列車がゆっくりとスピードを落とした。ブレーキ音が車内に響く。慣性の所為で荷物がずれるのを手で支えながら、身体に力を入れた。

「止まったら、一先ず物陰に隠れて」
「見つからないのですか?」
「彼は扉を開けてから、一度先方に話に行く筈だから」

 多少乱暴な停車の様子は、運転手の性格上なのか、それともこの列車の仕様なのだろうか。言われた通りに扉から死角になる場所に隠れると、足音が一つ近づいてきて、扉が開いた。

「なんじゃこりゃ!?藁が……あーあ、またどやされる……」

 ぼさぼさの頭を掻きながら、男は大きな独り言を吐いて去っていった。姿が見えなくなったのを確認すると、二人はすぐにその場を駆け足で離れる。運転手に対して、心で謝罪をしながら。
 外は既に暗くなっていたが、家々の明かりが密集している場所をセイが見つけて、レンの手を引いた。小さな林を抜けた時、レンがふと呟く。

「この香りは……?」

 それと同時に、セイがぴたりと立ち止まる。少し反応が遅れたが、レンも立ち止まって不思議そうにセイの名前を呼ぶ。セイの視線は、その先に釘付けになっていた。
 坂の下、ずっと下に、大きな街が見える。村とは比較できないほど広く、遠目に見ても建物が高く新しいのがわかる。人の流れも見える。そして、その奥に広がるのはーー。

「……海、」

 書物の中でしか見たことのない、大量の水。果てしなく続いた先で、夜空と溶け合っている。レンが感じた匂いは、その独特な塩っ気のものだった。

「本当に……遠くに来たんだね」
「……はい」
「行こう」

 手を繋ぎ直して、ゆっくりと坂を下っていく。疲れた身体を寄り添わせながら、一歩一歩踏みしめるように。
 等間隔で設置された街灯が、二人の道を照らしていた。


**


 目の前で、夕陽が沈む。それは海に溶けゆく絵の具のようで、視界は橙に染められる。二つの影が砂浜に伸びて、他に人はいない。
 この街では白い服装が好まれていた。新しく買った真っ白な服は、キャンバスのように橙を吸い込む。ずっと黒を着続けていたからまだ見慣れないが、背負うものが落ちたように軽やかだ。
 上質な布を使った修道服は傷汚れがあっても高く売れ、目立つこともあり手放したかった二人には嬉しい誤算だ。貨幣は通用したが、これからのことを考えれば多いに越したことはない。懐中時計も売ってしまった。
 静かな海辺で、レンとセイは立っている。手に持った小さな金属が夕陽を反射させて煌めいた。

「これは、罰が当たりそうだものね」
「冗談が下手ですか。単に金メッキだから、値がつかなかっただけでしょう」

 長らく身につけ、肌見離さなかったのに、最後までまともに信仰することのなかったロザリオ。一番要らなかったのに、一番傍にあったもの。それを、波打ち際にそっと置いた。二つの古びたロザリオが重なるように横たわる。波がかかって、重さのないそれは、抵抗もせず海の中に飲み込まれていった。

「これで本当に終わりです」
「うん、しがらみはなくなった。残ったのは君と俺だけだ」

 海に背を向ける。今の帰る先はホテルだ。ぼろぼろでくたびれた状態で訪れた二人に嫌な顔一つせず、むしろ驚くほど心配してくれた上やたらと世話を焼いてくれた。正直支払った額の倍ほどのサービスを施してくれているような気がする。
 ホテルだけでなく、街の様子は活発的で優しかった。まだ全てを見回ったわけではないが、質屋も店も感じは良い。マッピングが終わってしまえば、きっとレンも住みやすいだろう。
 手を繋ぎ、背に夕陽を浴びながら、その場を後にする。その心はとても凪いでいた。足跡が並んで残されていく。

 海辺は、また静かになった。

end.
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