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◆2 夢と現実を繋ぐ鍵ーーやはり、幻に惹かれなさったのか……
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森の入口付近で、乳飲み子を抱えた女性から、お辞儀をされて以来ーー。
若い貴族の地方領主である私は、例の母子に心が惹かれて仕方がなかった。
夢にまで母子が出てくるほどになった。
もっとも、さすがに夢の中だからか、森の中とは違い、向こうから迫ってくる。
そして、抱えた乳飲み子を優しく撫でながら、彼女は私に向かって微笑んで、こう言うのだ。
「貴方様が来られますのを、心待ちにしておりました」と。
それから、十日間ーー。
ぶっ続けで、同じ夢を見た。
というか、同じ夢の続きを見続けた。
夢の中で、私は母子の小さな家に招待されていた。
彼女から手料理を振る舞われる。
ホカホカと湯気が立ち昇る鍋料理、そして芳しい香草焼きのお肉が、大皿に盛られて、テーブルに並ぶ。
食事を終えると、私はリクライニングチェアに腰掛け、読書をする。
女も小ぶりのチェアに座って、編み物をしている。
時折、立ち上がっては、女と同じように、私も乳飲み子をあやす。
静かな時が流れ、私の心が満たされていく。
ささやかな、幸せな生活を送る夢ーー。
そして十日後、最後の夢ーー。
蒼い瞳の彼女が、私の手を引いて誘導してくれた。
森の中を進み、私が彼女と過ごした山小屋までの道を教えてくれた。
ここまで導かれながら、退くつもりはない。
翌朝、私は朝食を終えると、即座に館から外へ出た。
◇◇◇
一方、館の厨房ではーー。
老執事が、領主の食べ残しを目にして、嘆息していた。
「また、お残しになられたのですか……」
大皿の上にある肉料理からは、湯気が立ち昇っていた。
端の方が、ナイフで少し削られただけであった。
料理人も肩を落とす。
「はい。若鹿の腿肉の香草焼きは、領主様の好物でございますのに……」
最近、領主様が食事を摂られない。
おかげで、みるみる痩せ細っていく。
それなのに、眼が爛々と輝いている。
気色悪くて、仕方ない。
しかも、時折、甲高い叫び声が、館中に鳴り響く。
どうやら、領主様の部屋から聞こえてくるようだった。
そんな折、領主様の姿が忽然と消えた。
怖がって、若い侍女などは身体を震わせていた。
「たしかに、わたくしよりもお先に、領主様はお部屋にお入りになられました……」
扉が開くこともなかった。
それなのにーー。
「わたくしが寝具を整えようと入室しましたところ、姿がなく……。
誓って、誰の出入りもありませんでした」
「では、文字通り消えた、と?」
執事は眉間に皺を寄せ、窓の方に目を遣る。
そして、眉根を開いて、安堵の息を漏らす。
「なんだ……窓が開いておるではないか。
若は、窓から外へ出られたのだろう」
安心すると同時に、疑問がもたげてきた。
「しかし、なにゆえ……玄関から、お出にならない?」
老執事の問いかけに対し、侍女は黙って、首を横に振るのみ。
老執事は、窓辺から庭の彼方へ視線を向けて、呟いた。
「やはり、幻に惹かれなさったのか……」
◇◇◇
私、若い領主は、館の窓から飛び出ると、そのまま庭を突っ切って、森の中を進んだ。
夢の中で女性が手を引いてくれた通りに歩んだので、迷うことは一切なかった。
夢で見たのとまったく同じ家を見つけた。
「ああ、ついに見つけた……!」
さっそく入ろうとする。
が、扉に鍵がかかっていて、入れない。
そこで、ふと、思い出した。
自分は鍵を持っているのでは? と。
あの書斎机の引き出しにあった古びた木箱の中から、一本の鍵を取り出したことを思い出す。
ポケットから、錆びついた鍵を取り出した。
そして、鍵を鍵穴に差し込んだ。
すると、見事に嵌った。
鍵を回して、扉を開けた。
家の中には、やはり母子がいた。
二人して、私の方を振り向いた。
「お待ちしておりました。会えてうれしい」
彼女の蒼い瞳が潤んでいる。
私も嬉しい。
大きく歩を進め、強く抱き締めた。
そして、目を開けるとーー。
そこは廃屋だった。
朽ちかけたチェアの上には、干からびた母子の死体があった。
いきなりの急展開である。
(な、なにごとだ。なにがあった?
彼女は……!?)
驚いて、外に出ようとするが、出られない。
扉が固く閉まって、ビクともしない。
私は扉を前にして、頭を抱える。
そんな私の脳裡に幻影が映る。
自分に似た顔の男が、母子を殴りつけていた。
彼女の髪の毛を鷲掴みにして引きずり倒し、殴る、蹴るーー。
あられもない暴力……。
(あれはーー私の父? 祖父?)
居ても立っても居られなかった。
暴力をやめさせようとして、私は男の前に立ちはだかった。
母子を庇おうとする。
だが、できない。
身体ごと、煙のようにすり抜けるだけ。
暴漢が、いたいけな母子を殴打するさまを、私は呆然と眺めることしかできない。
美しい彼女を、抱き締めることすらできないーー。
そして、森の奥にあった小屋は、灰燼となって風に消え去ってしまった。
◇◇◇
地方領地の若き当主が失踪して、三ヶ月後ーー。
当主の失踪を受け、お家は断絶。
領土ごと、老執事と森番、家令もみな、新たな貴族家に貰われた。
そして、館の引き継ぎのための後始末の際ーー。
森番の親爺は、苔むした地面に落ちていた、錆びついた鍵を拾い上げた。
そして、これを老執事に手渡す。
老執事はしげしげと鍵を見詰めて、つぶやいた。
「この鍵……捨てたはずであったが、若はどうして手に入れたのか。
二代続けてご当主が奥方の浮気を疑って牢に閉じ込め、娘ともども死なせてしまっては、家の続きようはずもない。
お優しい気性であられる若《わか》ならば、大丈夫だと思っていたが……」
(了)
若い貴族の地方領主である私は、例の母子に心が惹かれて仕方がなかった。
夢にまで母子が出てくるほどになった。
もっとも、さすがに夢の中だからか、森の中とは違い、向こうから迫ってくる。
そして、抱えた乳飲み子を優しく撫でながら、彼女は私に向かって微笑んで、こう言うのだ。
「貴方様が来られますのを、心待ちにしておりました」と。
それから、十日間ーー。
ぶっ続けで、同じ夢を見た。
というか、同じ夢の続きを見続けた。
夢の中で、私は母子の小さな家に招待されていた。
彼女から手料理を振る舞われる。
ホカホカと湯気が立ち昇る鍋料理、そして芳しい香草焼きのお肉が、大皿に盛られて、テーブルに並ぶ。
食事を終えると、私はリクライニングチェアに腰掛け、読書をする。
女も小ぶりのチェアに座って、編み物をしている。
時折、立ち上がっては、女と同じように、私も乳飲み子をあやす。
静かな時が流れ、私の心が満たされていく。
ささやかな、幸せな生活を送る夢ーー。
そして十日後、最後の夢ーー。
蒼い瞳の彼女が、私の手を引いて誘導してくれた。
森の中を進み、私が彼女と過ごした山小屋までの道を教えてくれた。
ここまで導かれながら、退くつもりはない。
翌朝、私は朝食を終えると、即座に館から外へ出た。
◇◇◇
一方、館の厨房ではーー。
老執事が、領主の食べ残しを目にして、嘆息していた。
「また、お残しになられたのですか……」
大皿の上にある肉料理からは、湯気が立ち昇っていた。
端の方が、ナイフで少し削られただけであった。
料理人も肩を落とす。
「はい。若鹿の腿肉の香草焼きは、領主様の好物でございますのに……」
最近、領主様が食事を摂られない。
おかげで、みるみる痩せ細っていく。
それなのに、眼が爛々と輝いている。
気色悪くて、仕方ない。
しかも、時折、甲高い叫び声が、館中に鳴り響く。
どうやら、領主様の部屋から聞こえてくるようだった。
そんな折、領主様の姿が忽然と消えた。
怖がって、若い侍女などは身体を震わせていた。
「たしかに、わたくしよりもお先に、領主様はお部屋にお入りになられました……」
扉が開くこともなかった。
それなのにーー。
「わたくしが寝具を整えようと入室しましたところ、姿がなく……。
誓って、誰の出入りもありませんでした」
「では、文字通り消えた、と?」
執事は眉間に皺を寄せ、窓の方に目を遣る。
そして、眉根を開いて、安堵の息を漏らす。
「なんだ……窓が開いておるではないか。
若は、窓から外へ出られたのだろう」
安心すると同時に、疑問がもたげてきた。
「しかし、なにゆえ……玄関から、お出にならない?」
老執事の問いかけに対し、侍女は黙って、首を横に振るのみ。
老執事は、窓辺から庭の彼方へ視線を向けて、呟いた。
「やはり、幻に惹かれなさったのか……」
◇◇◇
私、若い領主は、館の窓から飛び出ると、そのまま庭を突っ切って、森の中を進んだ。
夢の中で女性が手を引いてくれた通りに歩んだので、迷うことは一切なかった。
夢で見たのとまったく同じ家を見つけた。
「ああ、ついに見つけた……!」
さっそく入ろうとする。
が、扉に鍵がかかっていて、入れない。
そこで、ふと、思い出した。
自分は鍵を持っているのでは? と。
あの書斎机の引き出しにあった古びた木箱の中から、一本の鍵を取り出したことを思い出す。
ポケットから、錆びついた鍵を取り出した。
そして、鍵を鍵穴に差し込んだ。
すると、見事に嵌った。
鍵を回して、扉を開けた。
家の中には、やはり母子がいた。
二人して、私の方を振り向いた。
「お待ちしておりました。会えてうれしい」
彼女の蒼い瞳が潤んでいる。
私も嬉しい。
大きく歩を進め、強く抱き締めた。
そして、目を開けるとーー。
そこは廃屋だった。
朽ちかけたチェアの上には、干からびた母子の死体があった。
いきなりの急展開である。
(な、なにごとだ。なにがあった?
彼女は……!?)
驚いて、外に出ようとするが、出られない。
扉が固く閉まって、ビクともしない。
私は扉を前にして、頭を抱える。
そんな私の脳裡に幻影が映る。
自分に似た顔の男が、母子を殴りつけていた。
彼女の髪の毛を鷲掴みにして引きずり倒し、殴る、蹴るーー。
あられもない暴力……。
(あれはーー私の父? 祖父?)
居ても立っても居られなかった。
暴力をやめさせようとして、私は男の前に立ちはだかった。
母子を庇おうとする。
だが、できない。
身体ごと、煙のようにすり抜けるだけ。
暴漢が、いたいけな母子を殴打するさまを、私は呆然と眺めることしかできない。
美しい彼女を、抱き締めることすらできないーー。
そして、森の奥にあった小屋は、灰燼となって風に消え去ってしまった。
◇◇◇
地方領地の若き当主が失踪して、三ヶ月後ーー。
当主の失踪を受け、お家は断絶。
領土ごと、老執事と森番、家令もみな、新たな貴族家に貰われた。
そして、館の引き継ぎのための後始末の際ーー。
森番の親爺は、苔むした地面に落ちていた、錆びついた鍵を拾い上げた。
そして、これを老執事に手渡す。
老執事はしげしげと鍵を見詰めて、つぶやいた。
「この鍵……捨てたはずであったが、若はどうして手に入れたのか。
二代続けてご当主が奥方の浮気を疑って牢に閉じ込め、娘ともども死なせてしまっては、家の続きようはずもない。
お優しい気性であられる若《わか》ならば、大丈夫だと思っていたが……」
(了)
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