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序章 伝説のはじまりは出会いから

プロローグ 伝説を信じて

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 走れども走れども先がみえない、暗闇。

 地中から這い出た木の根や深い藪が、走り手の体力を容赦なく奪う。空気を取り込むために自然と顎が上がって、重くのしかかるような枝葉に視界を覆われる。

 陽の光さえも届かない、闇が支配する聖域。

 バース大陸を二分するように大陸中央部に広がる大森林――常闇の樹海は、別名、『エヴァーラスティングマナシー』と呼ばれ、その鬱蒼たる魔力の森を二人がひた走る。

 走り手にとって畏怖と共に伝説の聖地とも呼ばれる、希望の地。

「し、シルファ様、そ、そろそろ、休憩にっ」

 切れ長のシュッとした青色の瞳には、疲労よりも不安の色が浮かんでいる。汗が入ったのか片目を瞑ったラヴィーナが、息も絶え絶えに提案してくる。すっきりと短く切った茶髪のラフな毛先が揺れ、あっちこっちへと散った汗が、トーチの魔法で照らされて煌めいていた。

 深い森の中にいるにも拘わらず、突然のことで準備が間に合わなかったラヴィーナは、肩からバスト、背中の露出が多い紺色のオフショルビキニ姿。腰には、黒色のパレオを巻いているだけといった装いで、その露出した部分に切り傷や火傷の痕があらわになっており、痛々しかった。

 そんな彼女のために休憩するのもありかもしれない。

「そ、そうですわね……いえ、ラヴィーナ、もう少し進みましょう」

 ラヴィーナの提案に頷いたシルファであったが、すぐに考え直してかぶりを振った。その足を止めることはしない。ラヴィーナの提案は、決して彼女が休憩したくて言っているのではなく、シルファのためだと言うことが視線から丸わかりだった。

 シルファは、肩先まで伸びたウェーヴが掛かった輝くほどの金髪が自慢であり、入念に手入れしていた。それが、追っ手をまくための激しい戦闘の影響で、土埃を被った髪に艶は無くぼさぼさになってしまっている。さらに、苦しさから顔を歪め、瞳を隠すように瞼が重く今にも閉じそうなのだ。

 それを見かねたのだろう。ラヴィーナはそう易々と引き下がってはくれない。

「ですが、もう数時間も駆けっぱなしではないですか」

「いくら追っ手を撃退したからといって、ヴェルダの兵ならともかく、あの帝国はこの場所を恐れていませんわ。気にせず追ってくることでしょう」

 シルファも大分体力の限界を感じている。それでも、ここで捕まる訳にはいかないのだ。

「……畏まりました」

 シルファの思いが通じたのか、ラヴィーナが口をつぐむ。

 二人の間を沈黙が支配してから幾ばくか過ぎたころ、不安からシルファが口を開く。

「ねえ、ラヴィーナ」

「何でございましょう」

 声を掛けられたことで、やっと休憩する気になったのだとでも期待したのだろう。ラヴィーナの瞳が一瞬輝いた。

「ほ、本当にありますわよね」

 シルファの言葉を聞いたラヴィーナは、瞳に影を落とし、逡巡してからシルファを見た。

「そ、そうですね……私も信じておりますが、あくまで伝説というより、空想に近い話ですので、そればかりは何とも……」

 ラヴィーナが言ったことは至極まともなことであり、希望的観測なのはシルファも理解していた。理解していたが、何もないシルファにとって、その一縷の望みに賭けるしかなかった。

 信じ切れるように同意してほしかったシルファは、真面目な回答がラヴィーナから返ってきたことで、油が切れた機械仕掛けの足になったと錯覚するほど、急にその足が動かなくなり、立ち止まる。

「そ、そうですわね。でも、わたくしたちに残された道は、もう……」

 弱気なシルファの発言に、ラヴィーナが慌てる。

「あ、いえ、私は疑っている訳では――」

 ラヴィーナがシルファの前に片膝を突き弁明する。そのラヴィーナの慌てた表情が可笑しくて、シルファが思わず微笑む。

「ふふ、わかってますわ、ラヴィーナ。こんな何の取柄もないわたくしに最後まで付き従ってくれたのは、あなただけですもの」

「何を仰いますか! 私にとってシルファ様が至高の御方ですから」

「ラヴィーナは、本当にそればっかりですわ」

「事実ですから」

 シルファは、伝説の登場人物と同じ呼ばれ方をして、「とんでもない!」と、思ったが、否定をすることはしなかった。べつに否定してもよかったが、シルファに対するラヴィーナの忠誠心は本物で、それを理解しているシルファは、無駄なことをしなかった。

「しかし、シルファ様は、怖くないのですか? あの話が本当だとしたら……」

「怖くはないなんて口が裂けても言えませんわ。むしろ、自信を持って怖いと言えますの」

 その開き直ったシルファの様子に、ラヴィーナはポカーンとしてしまった。

「ふふ、おかしいですわね。かつては魔皇帝と崇められた帝国の血を受け継ぐ者なのに、怖い、だなんて……」

「な、何を仰いますか! 私が傍におります! 一緒に戦います! 例え命が尽きてもその先も!」

 力強く宣言したラヴィーナの拳を包み込むように両の手を添えたシルファは、

「ええ、わかっていますわ。ありがとう、ラヴィーナ。こんなわたくしのために――」

 突如、そんな主と家臣の美しい遣り取りを邪魔するかのように、耳をつんざくような爆音が二人の耳を襲った。

「なに!」

「シルファ様、私の後ろへ!」

 驚くシルファを庇うように彼女の手を引いてラヴィーナが背後に隠し、音がした方へ顔を向けた。

「まだ、距離がありますね。我々を狙った訳ではないでしょう」

「それじゃあ、何?」

「……予想ですが、シルファ様が仰ったようにシヴァ帝国の兵たちが我々の先を行っていたのやもしれません。それで、聖魔獣にでも遭遇したか……いや」

 ラヴィーナは、自分の予想を説明しながら自分で矛盾に気付いたようだ。魔法に因るものと思われる炸裂音が未だ轟いており、一向に止む気配はない。

「既に聖域に到達しているので魔獣の類はいないはず……」

「そ、それじゃあ、もしかして……」

 シルファの問いにラヴィーナも無言で頷く。

「そうなのですね!」

 歓喜に近い叫び声をシルファがあげ、それに同意するようにラヴィーナが口を開く。

「ええ、もしかしたらもしかするかもしれません!」

 二人が、常闇の樹海に足を踏み入れ、既に一週間が経過しようとしていた。それだけ進めば、魔獣でさえ近付こうとしない聖域に達していたのだろう。このまま進めば、伝説の聖地と呼ばれる所以となった伝承の地へと至る。

「ラヴィーナ! こんな場所で立ち止まってはいられませんわ!」

「はい、行きましょう!」

 国を追われたシルファとその従者であるラヴィーナ――己の地位を確固たるものとすべく、己を叱咤激励し、希望の地を目指して再び駆け出すのであった。
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