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序章 伝説のはじまりは出会いから

第27話 嬉しい誤算

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 城下町の視察から夜が更け、深夜。
 自室のソファーに腰深く座って眉間に皺を寄せて考え事をしているアレックスは、非常に珍しいことに二夜連続で酒に興じていた。

 が、今日は相手がいた。

 昨日、酒を注いでくれていたクロードではない。酔わせて本性を知りたい気もするがそうではなかった。その人物は、一番のお気に入りで一番心を許せる女性――今朝の防衛作戦会議の際に従者旅団統括に据えたアニエスだ。

 その効果で俄然やる気を出してくれたのは、アレックスとしても嬉しかったが、少々張り切りすぎなのでは? と彼が危惧するほど、その報告は多岐に渡った。

 その始まりは、自室に戻ってきて直ぐのことだった。

 ◆◆◆◆ ◆◆◆◆

 城下町の屋台で買い食いをしつつ戻ってきたアレックスは、

「ああ、これなら寝れるかもしれない」

 膨れたお腹を摩りながらベッドの上で目を瞑り、夢の世界へ旅立とうとしていた。

「アレックス様ぁー。お戻りですか?」

 どこで聞きつけてきたのやら、アニエスの声がアレックスの私室に響いた。

「……ここは居留守を――」
「ってか、いらっしゃいやがりますよねぇー? わっちは知ってんですよぉー」

 やはり、アレックスが戻ってきていることを彼女はどこかで聞いたのだろう。いや、クロードたちの姿でも見たのかもしれない。まあ、理由はなんだってかまわないだろう。目下、最後の抵抗でアレックスは忙しいのだ。

「じゃ、じゃあ狸寝入りでも……」

「あっ、何を呑気に寝てやがるんですか! 凄い報告があるんですってば」

 無遠慮にもバンと音をさせながら寝室の扉を開けたアニエスが、いつの間にかベッドの上に躍り込み、瞬く間にアレックスの上に馬乗りになった。二日連続で魅力的な女性に馬乗りになられるなど、今までのアレックスの人生と比較すると喜ばしいことだが、今のアレックスにとっては全然嬉しくない。

「うっぷ。お、おい、アニエス! な、なんでそんなとこに乗ってるんだよ」

 先ほど食べたものが出そうになるのを堪え、アニエスの奇行に驚きを隠せないアレックスがすかさず抗議の声を上げる。

「えーだって、寝たふりなんかしやがるアレックス様がいけねえんですよ」

 狐耳をピコピコ、九尾をわっさわっさ動かし、当のアニエスはとても機嫌が良さそうだ。

「あーいや、ほらっ。それは俺が悪かったよ。取り合えず俺の上からどいてくれ、なっ?」

 再びアレックスがお願いすると、頬をぷくりと膨らませ、「仕方がねえですね」と不満を漏らしながらも、アニエスが素直にアレックスの上から降りる。が、未だベッドの上なのは変わらない。むしろ、アレックスに寄り添うように隣にうつ伏せに寝そべった。甘えるような目をしたアニエスの顔を近くに感じ、アレックスが即座に身を起こす。

「ど、どうしたんだよ。急に?」

「どうしたもこうしたもねえです。イザベルは良くて、どうしてわっちはいけねえんです?」

 おもむろに起き上ったアニエスが囁くようにアレックスの耳元へと顔を近づけ、そのまましな垂れ掛かった。

「あ、あれは事故だと言っただろ。それよりも報告しに来たんじゃないのか?」

 アニエスの手から逃れるようにベッドから降りたアレックスが、執務スペースに出て椅子に腰を下ろした。

 それを追っかけるようにして寝室から出てきたアニエスは、

「あれ? ダメでした? アレックス様が以前教えてくれたようにやってみたんですが……失敗しちまいましたか」

 と、狐耳をぺたりとさせ、シュンとしていた。

「え?」

 その発言に必死に過去を思い起こすが、「あんなこと、教えたっけか?」とアレックスは、全く覚えていなかった。

「ああ、いや、上手くできていたぞ。だが、それは今やることではない。先ずは報告だ、報告! で、どうだったんだ?」

 アレックスはそう言って、無理やり話題を変えた。

「そうでした。わっちとしたことが、つい喜んで貰いたくて――」

 いや、驚いたが、ドキッとしたしあれはあれで嬉しかったぞ、とアレックスは先ほどの艶っぽいアニエスへの評価を、心の中だけにとどめた。

 ただ、そう思ったのも束の間。

 アレックスの前に立っていたアニエスの表情が、統括らしく凛々しい表情に変わっていた。

「それでは、従者旅団統括であるわっちから、本日の成果を報告いたします」

「うむ、宜しい」

 アニエスの真面目な雰囲気に中てられたのかは不明だが、アレックスは佇まいを正し、仰々しく頷く。

「先ず、兵舎ですが、ご指示いただきました通り、区分けは完了しました。一応、旅団ごとにまとめましたが、それで問題ねえんですよね?」

「ああ、それで構わない」

「それと、将軍以上の騎士には、三階の居住区画を割り当てよとのことでしたが……」

 何か言い辛いことがあるのか、窺うような視線をアレックスに向けた。

「何か問題が? 兵舎に比べるとかなり上等だが、それぐらいの権利は将軍職の者たちにはある。この異世界でどんな危険や苦労があるのかわからんのだ。その前褒美として考えてくれて」

「そ、そうでしたか。そう仰るのであれば、断れねえですね」

 狐耳を揉みながら、「あはは」と笑ったアニエスの様子から、アレックスの予想は正しかったようだ。

 三階の居住区画というのは、プレイヤーたちが使用していたマイルームだ。プレイヤーによって全く仕様が異なるが、彼らからしたら豪華なのは間違いなかった。

「そうしましたら、神使様たちの私物は、宝物庫に移動させますね」

(――は?)

「そのあとにそれぞれ好きな部屋に移動するように指示を出しときます」

(――は? アニエスは何を言っているんだ?)

「ただ、量が量ですので手間取っちまいそうですが、きちんと神使様ごとにまとめるようにしておきますので、ご安心を」

(――は? だから待てって!)

「おいっ、待て! アニエスよ、私物って何のことを言っているんだ!」

 アレックスが勢いよく立ち上がった。それがあまりにも突然で、アニエスがびくっと狐耳を跳ね上げさせた。

「何って……私物は私物ですよ。保管ボックスに収納されていたものは、城下町の家の方にも残っておりましたが……って、何かわっちは余計なことをしちまいました? 他の神使様たちは二度といらっしゃらないと、アレックス様が仰っていましたから、勝手に調べちまいましたが……」

 アニエスがアレックスの問いに答えるように説明したが、アレックスが何も言わないことから、次第に言い訳をするように事情を話し出していた。

 詰まる所、アニエスは怒られると思ったのだろうが、それは真逆の理解だった。

「クククっ……凄いじゃないか!」

 嬉しい誤算というのはこのことを言うのだろうか。アレックスは、おかしくて仕方がなかった。もうそれは、笑うしかないほどに。

 異世界に転移したのは、帝都とアレックスと彼のNPC傭兵たちだけだと思っていた。その実態は、アレックス以外のプレイヤーを除いた帝都にある全てだったのだ。NPCの住民が居るのだから、アレックスはそのことに気付くべきだったが、他のプレイヤーのNPC従者がいないことからそのことまで理解が及ばなかった。

「あ、アレックス様? どうしちまったんです?」

 アニエスがそう言いたくなるのは当然だろう。アレックスは、壊れたおもちゃのように先ほどからずっと笑うばかり。自分でも少々気味が悪いのだから、はたから見た相当だろう。

「ふうー、悪い悪い。もう大丈夫だ。彼らの私物はそのように処置してくれて構わない」

 呼吸を整えたアレックスが目じりを拭ってから、そうアニエスに正式に了承を伝えた。

 そのあとは、東エリアの森林を新たに一〇〇メートルほど伐採が完了したことや、数キロ先にモンスターのたぐいを発見したが、脅威度はいずれもCランク程度で全く脅威でないことがアニエスより報告された。しかも、モンスターとの戦闘は、アレックスを喜ばせる結果をもたらした。

 なんと、Fランク傭兵の中からレベルアップを果たした者が現れたのだった。

 これも嬉しい誤算の一つだった。

「ふうむ。それでは、一部命令を変更する。下級兵士たちには積極的にモンスターとの戦闘を行わせ、レベルアップをはからせろ」

「下級兵士、ですか?」

「ああ、ガサラムだってそのような呼び方をしていたからな。それに、傭兵って感じじゃないだろ」

「へえ、まあ、そうですが」

 頷きながらも、アニエスは釈然しゃくぜんとしない様子だった。

「だからこれは敢えて全員に伝えろ。これからはベヘアシャー帝国の兵士として行動しろと」

「それなら問題ないと思います。もとよりそのつもりですし、呼び方の違いだけで、わっちたちはアレックス様の剣であり、盾ですから」

「ほーう、それは頼もしいな」

「えへへ、任せてください」

 アレックスはアニエスだけのことを言ったつもりではないのだが、なぜかアレックスのその言葉に照れたアニエスは笑っていた。

 これでレベル固定がネックであったNPC傭兵の活路を見出せたことにアレックスは嬉しくなり、記念だとか何とか言いながら、アニエスと乾杯した。

 ◆◆◆◆ ◆◆◆◆

 そして今に至る。

「――って、アレックス様! わっちの話、聞いてますか?」

 アレックスは既にアニエスの話を聞いていなかった。というよりもうんざりし始めており、聞く気がなかった。

 最初は良かった。綺麗と言うか可愛くてお気に入りの女の子と飲むお酒が不味い訳がない。むしろ、女性と飲むお酒がこんなにも美味しく、楽しい時間を提供してくれるのかと、アレックスを唸らせたほどだ。

 それも、報告と称した愚痴に近い話が二時間ほども続けば嫌気がさす。

 やれ、イザベルと一緒に行動しすぎだの。
 やれ、イザベルとは気安い口調で会話するのに、わっちのときは堅苦しい口調だの。
 やれ、もっと昔みたいに頭を撫でてほしいだの。

 はじめのうちはアレックスも真摯に耳を傾けて善処する旨を伝えた。アニエスと二人っきりのときは、昔のようにフランクな間柄でいようと決めた。それでも、最後の話を切り出されたときには、丁度口に含んでいた酒を吹き出してしまった。

 そう、終いには、アニエスがアレックスとの間に子供が欲しいと言いだしたのだ。

 もうそうなっては、真面目にアニエスの相手をするのも馬鹿らしくなり、なおざりに対処していた。それ故に、同じ話を何度も振られるものだから、そろそろお開きにすることにした。

「ああ、その話は何度も聞いた。また話を聞いてやるから今夜はもう寝るぞ」

「むふ、やっとわっちと寝る気になったんですね」

「バカっ、違うわ! お前がそう言っている限りはそうなることはない!」

「あぁーアレックス様、照れちまいましたか? いやぁー照れちまいましたかぁ。あっ、もしかして罪な女って今のわっちみたいなことを言うんですかね? ね!」

 アニエスは、酒に酔ったのか変なことをのたまい、頬が熱を帯びたように赤くなっており、オレンジ色の瞳がとろんとしていた。

(くっ、なんて目をしやがるっ! こ、このまま押し倒してしまいたい……は? 俺は何を!)

 ハッとなってアレックスが堅く目を瞑って頭を左右に振った。

 このままでは本当に娘同然のアニエスを女と見てしまいそうだったアレックスは、取り合えず強引に背中を押してアニエスを追い出した。そのまま、入り口の扉を閉めて背を預け、ずり落ちて座り込む。

「危ない危ない……」

 そう呟きながら深呼吸して心を落ち着かせたアレックスが、立ち上がって思考をアニエスから報告された内容へと切り替える。

「異世界転移して二日目にしては上々なんじゃねえの」

 アレックスが望んだような展開ではなかったが、今のところ満足できる内容だった。そして、ついに眠りに就けそうな感じがしたアレックスは、寝所の方へ向かおうとしたとき。

 アニエスにしてはかなり控えめな扉をノックする音が聞こえた。それでも、彼女が戻ってきたと思い、再びアレックスの鼓動が早くなる。

「なんだ? まだ何か、ある、の、か……」

 至って平静を装いながら扉を開けたアレックスは、目の前に佇む少女の姿を認め、息を呑むのだった。
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