後宮に潜む黒薔薇は吸血鬼の番となりて

緋村燐

文字の大きさ
9 / 32

吸血鬼③

しおりを挟む
「っ」

 心の奥底からと思えるほどの怒りを目にし、明凜は息を呑む。
 その怒りを向けられているのが自分ではないと分かっていても、恐ろしさに身がすくんだ。

「契約の内容は、私が番と結ばれるまで儀国のために尽力すること。それだけならば、時が来れば番を探しに行けたのだ」

 語りながら怒りは増す一方なのか、湯飲みを持っていない方の手がきつく握られる。
 血管が浮かび、爪が食い込みそうなほど手を握る令劉は、怒りを全身から発するように続きを告げた。

「だが、彼奴らは寸前で契約内容を書き加えたのだ。皇帝の命は絶対である、と」

 そうして歴代皇帝の命で令劉は大長秋として後宮に留め置かれ、宮城の外にも皇帝の許可がなければ出られなくなった。
 番を探しに行くことなど、出来ない状態にされたのだという。

「契約は道術によって縛られている。皇帝の命に背こうとすると身体が動かなくなるのだ」

 令劉は憎々しげに吐き捨てるように話すと、いったん落ち着こうとでもするように細く長く息を吐く。
 幅広の肩がゆっくり下がり、また上がると同時に上げられた顔は穏やかさを取り戻していた。

「ともかく、そういうわけで私はどんなに求めても番を探しに行けなかったのだ」

 だが、と続ける令劉は表情をほころばせる。憧憬を映す瞳が、晴れ渡った空の色となって明凜を見つめた。

「今世は番であるお前が私の元に来てくれた。この機会、どうあっても逃したくはない」
「令劉、様?」

 優しい眼差しであるのに、どこか恐ろしく感じてしまう令劉の瞳。
 視線が真綿で出来た縄にでもなったように、優しく明凜を縛り付けているようだった。
 ゆっくりと、捕らえられていく感覚にこれは良くないと思う。

 令劉の話が事実なのかどうかは分からないが、かなりの執着を持って求められていることは確かだと分かった。
 このまま捕らわれてしまえば、使命すら全うできなくなるかもしれない。
 なんとかこの良くない雰囲気をなくしたくて、明凜は口を開いた。

「あ、その……ですが令劉様は宦官でしょう? その……子を作ることは出来ないのではないのですか?」

 昨夜の出来事である・・ことは分かっている。
 だが、何も知らないはずの明凜であるならおかしな質問ではない。
 それに、なぜ切ってもいないのに宦官として後宮に出入り出来ているのかの理由も分かるかもしれないと思った。

「昨夜のことで知っていると思ったが、まだ知らぬふりをするのか?……まあいい、その問いの答えは簡単だ。私は男のものを取っていないからだ」
「ならばどうして宦官になれたのですか?」
「それは私が番以外の女と交わっても子が出来ないからだ。それに、契約で縛られているため皇帝が後宮の女に手を出すなと命じれば事足りるからな」
「そう、なのですか……」

(ということは、皇帝は令劉様が宦官でないことも吸血鬼だということも知っているということね。そして大長秋として置いているのならば契約の話自体は事実の可能性が高い)

 曖昧な返事をしながらも、明凜は冷静に分析する。
 だが、次の瞬間また令劉の雰囲気が一変し冷静でいられなくなった。

「だから後宮にいる女は私にとって血を提供してくれる相手でしかない……番以外は」
「え?」

 最後の言葉と共に令劉の空気が一変する。
 憧憬しかなかった眼差しに欲の炎がちらついた。

 コトリ、と持っていた湯飲みを机に置き、明凜に近付く様に身体を倒す。
 結わえていない艶のある黒い髪がサラリと肩から落ちるのをそのままに、令劉は腕を伸ばしてくる。
 視線に捕らわれていた明凜は警戒するのが遅れ、その手から逃れられなかった。
 伸ばされた手は頬に触れ、親指が耳の縁を撫でる。

「後宮の女に私は手出ししないし、出来ない。例外は番だけだ……明凜、私はお前と交わりたい。そうすれば契約は破棄されるし、お前の望みも叶えてやれる」

 交わりたい、などという直接的な言葉に明凜の頬に朱が差す。
 頬に触れる手は優しいが熱く、昨夜を思い起こさせる硬い手に鼓動が早まった。

「私の望み、とは?」

 甘く誘うような声に捕らわれないようにと問いかける。
 自分の何を知っているのだという反抗心で抵抗するかのように。
 だが、令劉は事もなげに答えた。

「お前が蘭国の間者であるなら大体の想像は付く。儀国の重要機密を盗むのか、儀皇帝の暗殺か。何にせよ、儀を滅ぼすのが望みだろう?」
「っ!?」

 言い当てられ息を呑むが、事実儀国の現状を理解しているのならばそのように考えてもおかしくはない。
 それほどに、儀は膿み過ぎている。

(この男は、本当に味方になってくれるの?)

 人とは思えぬ身体能力を持つ吸血鬼。
 血を啜っていたところを見てもそれは事実だろう。
 そして本当に二百年という長い時を生きてきたのかは分からないが、長く儀国に仕えているのは確かだ。
 そのような相手が味方となり得るのならばこれほど心強いことはない。

 だが、全てを信じ切れるほど令劉という男のことを明凜は知らない。
 使命のことを話しても良いとまでは思えず、令劉の熱い眼差しを受けても応えることが出来ない。

 かといって、これほどまでに求めてくる相手を拒絶することも躊躇われた。
 濃くなる空色の目に、頬に触れる熱く硬い手に、早くも心が捕らえられてしまっているのだろうか。
 困惑し、困り果ててはいるが、不思議と嫌だとは思わなかった。

 息が止まりそうな沈黙の中しばらく見つめ合っていたが、先に令劉が目を閉じ視線を遮る。
 明凜から手を離し、フッと小さく笑みを浮かべた令劉の瞳は澄んだ青へと戻っていた。

「流石にすぐには信じられないか。だが私が明凜を想い求めていることだけは覚えておいてくれ。他のことは、またいずれ話をしよう」

 ひとまずこの場は解放してくれるという令劉に、明凜は「はい……」と頷くことしか出来なかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

王弟殿下の番様は溺れるほどの愛をそそがれ幸せに…

ましろ
恋愛
見つけた!愛しい私の番。ようやく手に入れることができた私の宝玉。これからは私のすべてで愛し、護り、共に生きよう。 王弟であるコンラート公爵が番を見つけた。 それは片田舎の貴族とは名ばかりの貧乏男爵の娘だった。物語のような幸運を得た少女に人々は賞賛に沸き立っていた。 貧しかった少女は番に愛されそして……え?

【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?

はくら(仮名)
恋愛
 ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。 ※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。

【完結】2番目の番とどうぞお幸せに〜聖女は竜人に溺愛される〜

雨香
恋愛
美しく優しい狼獣人の彼に自分とは違うもう一人の番が現れる。 彼と同じ獣人である彼女は、自ら身を引くと言う。 自ら身を引くと言ってくれた2番目の番に心を砕く狼の彼。 「辛い選択をさせてしまった彼女の最後の願いを叶えてやりたい。彼女は、私との思い出が欲しいそうだ」 異世界に召喚されて狼獣人の番になった主人公の溺愛逆ハーレム風話です。 異世界激甘溺愛ばなしをお楽しみいただければ。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

君は番じゃ無かったと言われた王宮からの帰り道、本物の番に拾われました

ゆきりん(安室 雪)
恋愛
ココはフラワーテイル王国と言います。確率は少ないけど、番に出会うと匂いで分かると言います。かく言う、私の両親は番だったみたいで、未だに甘い匂いがするって言って、ラブラブです。私もそんな両親みたいになりたいっ!と思っていたのに、私に番宣言した人からは、甘い匂いがしません。しかも、番じゃなかったなんて言い出しました。番婚約破棄?そんなの聞いた事無いわっ!! 打ちひしがれたライムは王宮からの帰り道、本物の番に出会えちゃいます。

溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。

呪われた黒猫と蔑まれた私ですが、竜王様の番だったようです

シロツメクサ
恋愛
ここは竜人の王を頂点として、沢山の獣人が暮らす国。 厄災を運ぶ、不吉な黒猫─────そう言われ村で差別を受け続けていた黒猫の獣人である少女ノエルは、愛する両親を心の支えに日々を耐え抜いていた。けれど、ある日その両親も土砂崩れにより亡くなってしまう。 不吉な黒猫を産んだせいで両親が亡くなったのだと村の獣人に言われて絶望したノエルは、呼び寄せられた魔女によって力を封印され、本物の黒猫の姿にされてしまった。 けれど魔女とはぐれた先で出会ったのは、なんとこの国の頂点である竜王その人で─────…… 「やっと、やっと、見つけた────……俺の、……番……ッ!!」 えっ、今、ただの黒猫の姿ですよ!?というか、私不吉で危ないらしいからそんなに近寄らないでー!! 「……ノエルは、俺が竜だから、嫌なのかな。猫には恐ろしく感じるのかも。ノエルが望むなら、体中の鱗を剥いでもいいのに。それで一生人の姿でいたら、ノエルは俺にも自分から近付いてくれるかな。懐いて、あの可愛い声でご飯をねだってくれる?」 「……この周辺に、動物一匹でも、近づけるな。特に、絶対に、雄猫は駄目だ。もしもノエルが……番として他の雄を求めるようなことがあれば、俺は……俺は、今度こそ……ッ」 王様の傍に厄災を運ぶ不吉な黒猫がいたせいで、万が一にも何かあってはいけない!となんとか離れようとするヒロインと、そんなヒロインを死ぬほど探していた、何があっても逃さない金髪碧眼ヤンデレ竜王の、実は持っていた不思議な能力に気がついちゃったりするテンプレ恋愛ものです。世界観はゆるふわのガバガバでつっこみどころいっぱいなので何も考えずに読んでください。 ※ヒロインは大半は黒猫の姿で、その正体を知らないままヒーローはガチ恋しています(別に猫だから好きというわけではありません)。ヒーローは金髪碧眼で、竜人ですが本編のほとんどでは人の姿を取っています。ご注意ください。

処理中です...