覇道の流儀~没落確定の辺境伯令息は、血と謀略で冷酷なる公爵令嬢たちを支配(愛)する~

namisan

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第17話:『白磁の威圧と、静寂を切り裂く獅子の影』

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 二日間にわたる、骨の髄まで凍りつくような辺境の冷たい風と泥濘の道程が、唐突に終わりを告げた。
 ローゼンベルク本家の『剣と茨』の紋章を刻んだ四輪馬車は、王都の境界に位置するなだらかな丘を越え、目的地であるヴァイセンブルク公爵家所有の迎賓館へと至る、広く真っ直ぐな街道へと足を踏み入れていた。
 馬車の車輪が、不快な泥の音から、隙間なく敷き詰められた滑らかな花崗岩を転がる硬質な音へと変わる。
 アルベルトは揺れる車内の窓から、灰色の夕暮れ空の下にそびえ立つ、その巨大な建造物を静かに見上げていた。
 迎賓館、という名称から想像されるような優雅な別荘などではない。それは、王都への侵入者を物理的にも心理的にも威圧するためだけに建造された、白磁のように滑らかな大理石で覆われた「巨大な要塞」だった。
 周囲を囲む城壁は、ローゼンベルク本家の崩れかけた石積みとは次元が違う、魔法技術と莫大な資金を注ぎ込んで成型された継ぎ目のない防壁だ。尖塔には公爵家の『白百合と宝剣』の紋章旗が、冷たい冬の風にはためいている。
 王国において、王家をも凌ぐと言われる筆頭公爵家の圧倒的な富と権力。それが、単なる建物の威容として、物理的な重さを持ってアルベルトたちの眼球を圧迫してくる。
 やがて馬車は、巨大な錬鉄製の正門の前でゆっくりと停止した。
 門の両脇に立つのは、ギュンター叔父が雇っていたような見掛け倒しの私兵ではない。全身を純白の魔鋼で鍛え上げられた板金鎧で包み、白銀のハルバードを微動だにせず構える、公爵家直属の『白銀騎士団』の精鋭たちだった。彼らの兜の奥から放たれる視線は、一切の感情を排した冷酷な機械のようであり、辺境からやってきた泥まみれの馬車と傭兵たちを、明確な『汚物』として見下していた。
「……開門」
 ガリウスが馬を進め、かすれた声で宣告する。
 白銀の騎士の一人が、無言のまま顎をしゃくった。重厚な門が、油の行き届いた滑らかな音と共に左右に開かれる。
 馬車が迎賓館の広大な前庭へと進み入る。
 そこには、完璧な幾何学模様に刈り込まれた冬の庭園と、中央に鎮座する巨大な大理石の噴水があった。凍結を防ぐ魔法陣が組み込まれているのか、この極寒の中でも噴水は優雅に澄んだ水を吹き上げている。
 馬車が玄関の車寄せに停車すると同時に、ガリウスたち十名の護衛兵が素早く円陣を組み、周囲を警戒した。彼らもまた、黄金によって士気を限界まで高められた精鋭へと変貌している。しかし、迎賓館の玄関口にズラリと整列した数十名の白銀騎士団と、燕尾服に身を包んだ完璧な所作の従者たちを前にして、辺境の泥と血の匂いが染み付いたガリウスたちの存在は、どうしても異物としての違和感を拭えなかった。
 公爵家の従者の一人が、白い手袋に包まれた手で、馬車の扉に恭しく手をかけた。
 ガチャリ、と重い音がして、扉が開かれる。
「ようこそおいでくださいました、ローゼンベルク辺境伯閣下。ならびに、ご令息アルベルト様」
 従者の声は完璧な礼儀作法に則っていたが、その口調の端々には、借金まみれの辺境貴族に対する隠しきれない優越感と侮蔑が張り付いていた。
 その直後だった。
 馬車の中から、一人の巨大な男が、一切の音を立てずに石畳の上へと降り立った。
 現ローゼンベルク辺境伯、ヘルマン。
 豪奢な馬車の扉が小さく見えるほどの、岩山のような巨躯。希少な魔獣の漆黒の毛皮を無造作に羽織り、腰には分厚い鋼の両手剣を提げている。
 ヘルマンが石畳に降り立ち、ゆっくりと顔を上げた瞬間。
 広大な前庭の空気が、物理的に凍りついた。
 従者の顔から、張り付いていた優越感の笑みが完全に消し飛んだ。整列していた数十名の白銀騎士団の精鋭たちが、無意識のうちにハルバードの柄を強く握り直し、兜の奥で一斉に息を呑む音が響いた。
 無理もない。公爵家の人間たちは、辺境伯を「借金で首の回らない無能な敗北者」だと侮っていた。しかし、今彼らの目の前に立っているのは、疲弊した老人などではない。近隣諸国を恐怖に陥れ、数え切れないほどの敵兵の血を啜ってきた『辺境の獅子』の、純度百パーセントの殺気と覇気だった。
 ヘルマンは一言も発しなかった。ただ、充血の消えた猛禽類のような鋭い眼光で、立ち並ぶ白銀の騎士たちをゆっくりと一瞥しただけだ。
 たったそれだけで、公爵家の絶対的な優位性を誇示していた前庭の空気は、完全に蹂躙され、ヘルマンという一人の武将の巨大な影の下にひれ伏した。
 その圧倒的な静寂と緊張感の中。
 ヘルマンの背後から、一人の小柄な少年が、まるで猛獣の陰に隠れるようにして、おずおずと馬車から降り立った。
 アルベルトである。
 蒼白な顔色と、線の細い華奢な肉体。父の放つ巨大な覇気の前では、その存在感はあまりにも希薄で、ひどく怯えている哀れな子供にしか見えなかった。
 公爵家の従者や騎士たちは、ヘルマンの威圧感に冷や汗を流しながらも、その後ろから現れたアルベルトの姿を見て、内心で微かな安堵を覚えた。
 所詮、武力しか取り柄のない老いぼれと、それに守られているだけの無力な小僧だ。交渉の席につけば、我が公爵家の天才令嬢の敵ではない、と。
 しかし、彼らは誰も気づいていなかった。
 父の巨大な背中の後ろで、伏し目がちに石畳を見つめているアルベルトの漆黒の瞳が、怯えるどころか、氷のように冷徹な光を放ちながら、周囲のすべてを精密機械のように計測していることに。
 白銀騎士団の装備の統制度合い。彼らの重心の置き方から推測される実戦経験の乏しさ。玄関の柱の装飾にかけられた無駄な費用の概算。そして、従者たちの視線の動きから読み取れる、公爵家内部の厳格すぎる階級制度の歪み。
 アルベルトの脳内では、すでに敵陣の貸借対照表の作成が猛スピードで開始されていた。
 ヘルマンが、低く地鳴りのような声で短く促した。
「案内しろ」
 従者はビクッと肩を震わせ、慌てて深く頭を下げると、迎賓館の巨大な大理石の扉へと彼らを先導し始めた。
 ガリウスたち護衛兵は外に留め置かれ、アルベルトとヘルマンの二人のみが、白亜の要塞の内部へと足を踏み入れる。
 館内は、外の冷気とは無縁の、むせ返るような暖かさと、頭が痛くなるほどに高価な香料の匂いで満たされていた。
 天井を見上げれば、一面に宗教画が描かれた巨大なドームが広がり、床には足音が完全に吸収されるほど分厚く柔らかな、純白の絨毯が敷き詰められている。廊下の両脇には、一級品の甲冑や美術品が、まるで侵入者を値踏みするかのように等間隔で並んでいた。
 従者の靴音すら鳴らない、異常なまでの静寂。
 それは、客を歓迎する空間ではない。「あなたの富も権力も、我が公爵家の前では無価値である」ということを、骨の髄まで分からせるための心理的な拷問部屋だった。
 並の貴族であれば、会見の間へたどり着く前に精神を削り取られ、平伏してしまうだろう。
 しかし、ヘルマンの足取りは微塵も揺らがなかった。彼の放つ圧倒的な武威は、公爵家の富の暴力を真正面から受け止め、弾き返しながら、重厚な純白の絨毯の上を堂々と進んでいく。
 そしてアルベルトは、その絶対的な盾の背後に完璧に隠れながら、無言で敵の中枢へと潜行していく。
 やがて、長い回廊の突き当たり。
 ひときわ巨大な、純白の木材に金箔で繊細な白百合の彫刻が施された、両開きの扉の前に到着した。
 扉の両脇には、これまでとは違う、黒銀の鎧を纏い、顔を完全に仮面で覆った異様な二人の近衛騎士が、彫像のように直立していた。
 この扉の向こうに、王国の玉座すら手に入れんとする美しき猛毒、エレオノーラ・フォン・ヴァイセンブルクが待っている。
 従者が振り返り、恭しく、しかしどこか死刑宣告を告げるような冷たい声で言った。
「ローゼンベルク辺境伯閣下。ならびに、ご令息アルベルト様。……エレオノーラお嬢様が、お待ちでございます」
 黒銀の騎士たちが、音もなく巨大な純白の扉に手をかける。
 冷たい香水の匂いと、桁外れの権力が生み出す絶対零度の空気が、わずかに開かれた扉の隙間から、アルベルトたちの足元へと這い出してきた。
 十五歳の少年の口角が、誰にも見えない角度で、三日月の形に不気味に吊り上がった。
 さあ、狂宴(ビジネス)の時間だ。
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