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第31話 母の憂鬱と、モードの革命
しおりを挟む専用ワイバーン『クロ』に乗り、俺は数週間ぶりにエルガレア領へ帰還した。
上空から見る我が街は、相変わらずの建設ラッシュで活気に満ちている。
だが、屋敷に戻ると、そこにはどんよりとした空気が漂っていた。
「……はぁ」
応接室で深い溜息をついていたのは、俺の母、ミリナだ。
おっとりとした性格の優しい母だが、今日の顔色は優れない。テーブルの上には、王都の仕立て屋から送られてきたドレスのデザイン画が散乱している。
「ただいま、母上。……また、随分と難しそうな顔をして」
「あら、おかえりなさいリック。……ごめんなさいね、暗い顔を見せて」
ミリナは力なく微笑んだ。
「来週、実家(カーラ侯爵家)でロイドの陞爵(しょうしゃく)祝いのパーティーがあるでしょう? お母様――スーナ様も張り切っておられて、私も出席しなければならないのだけど……気が重くて」
彼女は自分の腹部をさすった。
「王都の流行は、コルセットで腰を極限まで締め上げて、スカートを大きく膨らませるスタイルでしょう? 私、あれが苦手で……。それに、社交界の華であるお母様の横に立つなんて、地味な私では恥をかくだけじゃないかしら」
ミリナは30代半ば。決して老け込む年ではないし、素材は美しい。
だが、実母であるスーナが圧倒的なファッションリーダーであるがゆえに、娘としてのコンプレックスと、王都の「痛みを伴う美」の価値観に押しつぶされそうになっていた。
「……なるほど。なら、僕に任せてくれませんか?」
俺はテーブルの上のデザイン画を全て脇にどけた。
「痛いのを我慢するのがお洒落じゃありません。母上の美しさを引き出す、魔法のドレスを作って差し上げます。お祖母様も腰を抜かすようなやつをね」
***
俺は商会の服飾部門――これまでは作業着や制服を作っていた工房へ向かった。
そこで腕利きの針子たちを集める。
「今回作るのは、これまでの常識を覆すドレスだ。キーワードは『ドレープ』と『Aライン』だ」
俺が黒板に描いたデザイン画を見て、針子たちがざわめいた。
「わ、若様。これではスカートの広がり(パニエ)が足りません! それに、腰の締め付け(コルセット)も描かれていませんが……」
「いらないんだ。布の自然な落ち感と、光沢で魅せる。締め付けるのではなく、流すんだ」
この世界のドレスは、いわば「鎧」だ。枠組みで体を固定する。
対して俺が目指すのは、前世の「立体裁断」を用いた近代的なイブニングドレス。
素材には、交易で手に入れた最高級のシルクを惜しみなく使う。
「色は『ミッドナイトブルー』。母上の落ち着いた雰囲気に合う。そして背中は大胆に開けるが、薄いレースで覆って品を出す」
俺の指示の下、針子たちが動く。
セバスがいない分、俺自身がハサミを握り、型紙(パターン)を引いた。
数ミリの誤差も許さない。
母の体に吸い付くような、しかし決して締め付けない「第二の皮膚」を作り上げる。
***
数日後。
完成したドレスを前に、ミリナは息を呑んだ。
「……これが、ドレス? こんなに軽くて、薄いの?」
「着てみてください。コルセットは外して、下着だけで」
着替えを済ませ、姿見の前に立ったミリナは、自分の姿に言葉を失った。
深い青色のシルクが、流れる水のように彼女の体に寄り添っている。
コルセットで無理やり作ったくびれではなく、Aラインのシルエットが自然な女性らしさを強調し、足長効果を生み出していた。
過剰なフリルも宝石もない。あるのは、計算し尽くされた布の美しさと、ミリナ自身の知的な色気だけ。
「……苦しくないわ。深呼吸ができる。なのに、鏡の中の私は、いつもより背筋が伸びて見える……」
ミリナがくるりと回ると、裾が花弁のように優雅に舞った。
「素敵……! これならお母様の隣でも、胸を張っていられるわ!」
「世界で一番お綺麗ですよ、母上」
俺は鏡の中の母と目を合わせ、確信した。
――これは、売れる。
***
そして、カーラ侯爵家でのパーティー当日。
会場に現れた娘・ミリナの姿を見て、スーナが扇子を取り落とした。
「……まあ! ミリナ、あなたなの?」
コテコテに飾り立てた貴族夫人たちの中で、ミリナの姿はあまりに異質で、あまりに洗練されていた。
シンプル・イズ・ベスト。
引き算の美学が、会場の視線を独り占めにしたのだ。
「お久しぶりです、お母様。……その、変ではありませんか?」
「変だなんてとんでもない! なんて優雅なの……! まるで夜空の女神のようだわ!」
スーナが絶賛したことで、周囲の貴族夫人たちも一斉に群がった。
「ミリナ様! そのドレス、ウエストが信じられないほど細く見えますわ!」
「それに、とても楽そうですわね。コルセットをしていないのですか!?」
質問攻めにあったミリナは、息子の教え通り、優雅に微笑んでこう答えた。
「これはエルガレア商会の新作、『ブランド・ミリナ』のドレスですの。無理な締め付けから、女性を解放するためのドレスですわ」
***
後日。
カーラ侯爵家のお墨付きも加わり、エルガレア商会には「あの魔法のドレスが欲しい」という問い合わせが殺到した。
俺は執務室で、服飾部門の責任者を呼び出した。
「聞いた通りだ。今日から服飾部門を独立させ、アパレルブランド『Milina(ミリナ)』を立ち上げる」
ターゲットは、窮屈な伝統に疲れた貴族女性たち。
コンセプトは「自由と美」。
「既製服(プレタポルテ)と、注文服(オートクチュール)の二本柱でいく。サイズ展開(S・M・L)という概念も導入するぞ」
シャンプーで髪を美しくし、ドレスで体を解放する。
エルガレア商会は、女性たちの圧倒的な支持を背景に、ファッション業界という新たな金脈を掘り当てたのだった。
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